冷え切った室内の空気を肌に感じながらも、布団の中に確かな温もりがあるのに気づいた時、夢と現実の狭間にいた私の脳がゆっくりと覚醒していくのを感じた。
眠いながらも現実に戻って来て僅かに目を開ければ、そこはいつもの自分の部屋なのに小さな違和感を覚えた。
冷え性だから冬はどうしても冷たくなってしまう私の足が、何故か今朝はほんのりと温められてるせいだ。
そのことに困惑しながらも寝返りを打った私の視界に白いふわふわが飛び込んできて、思わず声をあげそうになった。
顔まですっぽりと布団をかぶっている人物は、私の方に体を向けてくっついて眠っている。
さすがに驚いたが、しかしこれが初めてではない。
前にも一度、これと同じ状況を経験している。
おかげで叫ぶのは何とか踏みとどまると、私の隣りに潜り込んでいるであろう真っ白いペルシャ猫の柔らかい髪をそっと摘まむ。
いや、ペルシャ猫はこんなに大きくはないし、ベッドを半分占領したりもしないか。

「…悟」
「…ん-」

大きな猫の名を呼べば、相変わらずの寝起きの良さで小さいながらも返事をしてきた。
それとも私が起きた時点で気配を察知して、彼も起きたのかもしれない。

「いつの間に来たの」
「……夜中」

無意識に時計を見ると、今は午前4時過ぎ。来てからそれほど経ってない。
眠そうなのに律儀に応える幼馴染に、私は小さく溜息をついた。

「…何か任務入ったって言ってなかったっけ」
「……終わってから来たから」
「そっか…」

昨日24日のクリスマスイヴ。
珍しく悟の方から食事に誘って来た。
これまでイベント的な日に誘われたことはなかったから、私としては凄く楽しみにしてたけど、案の定「悪い。その日、ダメになりそう」と数日前に連絡が入った。
昨日の為に他の誘いを全て断っていた手前、今更行っていい?とも言いにくくて、結局イヴの夜をひとりで過ごす羽目になったのだ。
でも仕方ない。私の幼馴染は日本一忙しい特級呪術師なる存在だから。
子供の頃から術師になる為のあらゆる訓練を受けていた悟を見続けて来た私は、だから何も言えなくなる。

「何か…あった?」
「………」

悟は何も応えなかった。
こんなことが10年前にもあったことを思い出す。
あの時は私もまだ学生で、実家に住んでいた。
あれは夏の終わり。まだ少し蒸し暑さが残る9月だった。
クーラーをかけて寝ていたにも関わらず、暑くて目が覚めたら隣に悟が寝てた。
しかもこんな風に私にくっついて。

私の実家は悟の生家、五条家の向かい側にある戸建てで、部屋は二階だったけど悟に高さなんてあってないようなものだ。
夜中の内に忍び込んで、何故か私の隣りで眠りこけていた悟を見た時、まだ高校生の純情少女だった私は驚きのあまり悟の頭を殴って起こしてしまった。
でもいつもなら「いてぇな!」と文句のひとつも言ってきそうなものなのに、その時の悟は目を覚ましても怒りもせず。
何故か泣いてしまいそうな顔をするものだから、それ以上怒れなくなったっけ。
そしてこんなことをするのは初めてだったこともあり、何かあったのかと理由を聞いたら「…親友が高専を追放された」とだけ教えてくれた。
夏油傑――。
悟に紹介されて私も何度か会ったことがある。
とても礼儀正しい話し方をする優しいひとに見えた彼が、術師として絶対にしてはいけないことをしたと、悟は言った。

子供の頃から最強で、鼻っぱしらの強い悟が唯一認めていた親友。
お互い別々の学校に行くようになってからも、悟に会うたび彼の話題が出るほど、ふたりの絆は強いと感じていたから。
そんな形で悟の前から夏油くんが去って行ったことは、少なからず私もショックを受けたのは覚えている。
行き場のない悲しみとか、寂しさとか、そんなものを感じた時、悟が私に甘えに来るようになったのはあの夏の日からだ。
けれど、ベッドに潜りこんで来たのはあの夜以来だった。
あれほどのショックを受けるような出来事が、夕べあったんだろうかと心配になるのは当然だ。

横になったまま、視線だけを悟に向ける。
悟は未だに顔まですっぽり布団をかぶっていて、今どんな顔をしているのかまでは見えない。

「…悟。何か…あったんでしょ?」

応えようとしない悟の方へ、今度は体を向けて私はもう一度訪ねてみた。
するとモソモソと動きがあり、やっと悟が顔を出した。
目隠しもサングラスもない、その色白で端正な顔が私の視界に映る。
薄暗い室内で宝石かと思うほどの煌きを帯びた蒼い虹彩は、いつ見ても美しい。
この輝きを目の前で見られるのは、私の他に何人いるんだろう、と思うと、少しだけ悔しくなった。けれど、悟のこんな表情を見られるのは、きっと世界中探しても私だけだ。

…」
「…泣きたいなら泣いていいんだよ」

私の方へすり寄って来た悟が首元へ顔を埋めて来る。
あやすように柔らかい髪を撫でれば「僕が泣くわけないでしょ」なんて強がりを吐いて来るけど。私の背中に回された腕に少しだけ、力が入った。

「傑と…決着がついた」

囁くような声で聞こえた言の葉は、悟の心に隠された悲しみを乗せて私の耳に届く。

「そっか…」

それ以上、何も言えなかった。
きっと悟も、それ以上の言葉を望んでいなかった。
悟は人前で弱さを見せない人だから、親友との決着をつけるまで、どれほどの痛みを耐えて来たんだろう。
担任だった教師にも、そして今の自分の教え子たちにも、こんな姿を見せたことはないだろうし、これからも見せることはないはずだ。
だけども、"最強"に疲れたら私のところへ来て欲しい―――。
そう願わずにはいられない。

心を空かせたペルシャ猫を、いつだって迎えられるように。
私は温もりを用意して、ずっと傍で待ってるから。


純粋無垢な祈り