僕の手で終止符を打った親友の亡骸を、元同級生の硝子に任せるのはあまりに酷で出来なかった。だから僕らに縁も所縁もない補助監督に任せて、事後処理を済ませた後、その足で彼女の家に向かった。分かっている。ああしなければ僕たちの間に終わりは来ない。
終わらせるなら自らの手で、と決めていた。
終わった後も、後悔はしなかった。けれど、胸に出来た空洞は埋めなければならない。

親友の起こした未曾有のテロのせいで、僕は珍しく疲れていた。
肉体がじゃない。精神こころが擦り減っているような感じだ。どうしようもなく心が渇く。
そんな時に思い浮かぶのはいつだって、僕の心に水を与えてくれる幼馴染の顏。

とは物心がついた時から一緒の時間を過ごしていた。
彼女の家が僕の家の向かいだから、近くの公園で遊ぶ時も、保育園に行く時も自然と一緒になった。一人っ子同士ということもあってか、お互いに兄と妹みたいに感じていたと思う。
はいつも僕の後ろをくっついて来てたし、そんな彼女を僕は妹のように思って大切にしてた。まるで本当の家族のように、兄のように僕がを守るんだ、なんて。
思えばそこだけは可愛いガキだったと思う。けど今なら分かる。あれは僕の淡い初恋だったと。

僕が高専に入り、それまでの生活が一変して、一時とは疎遠になったことがある。
彼女のことを妹みたいに思っていたはずなのに、会えなくなってから気づいた。
いや、傑と決別したあの日に気づいたんだ。
どうしようもなく心が渇いた時、傍にいて欲しいと思ったのはだった。
だから久しぶりに彼女に会いに行った。
勝手に部屋に上がり、寝ているの隣りに潜り込んで彼女の体温を感じていると、不思議なくらい心が安らいで、久しぶりに眠ることが出来た。
だから今夜もの隣で眠りたかった。たったひとりの、親友を手にかけた夜だから――。
案の定、は何も言わなかった。僕の言葉をそのままストンと受け止めてくれた。

(来て良かった――)

の温もりで温まって行くのを感じながら、その体温は僕の冷え切った心をも暖めてくれた。あのままひとりでいたら、きっと青春時代の思い出に脳が支配されていたに違いない。

「悟…」

どれくらい、そうしていたのか。
不意に僕の頭を撫でていた彼女の手が止まった。

「…ん?」
「ミルクティ作るけど…飲む?」
「…うん」

素直に頷けばはするりと僕の腕から抜け出して、ニットのカーディガンを羽織るとキッチンの方へ歩いて行った。
がいなくなっただけで、少し体温が下がった気がする。
日付が変わって今日はクリスマスだ。
夕べ少し降った雪のせいで、朝方のこの時間は更に冷えこんで来た。

は小鍋に牛乳と水と蜂蜜を入れて沸騰させるとティーバッグをそこへ入れている。
パっと飲みたい時はこれが一番楽なんだと、前に言っていた。
彼女は砂糖の代わりにいつも蜂蜜を入れる。それが絶妙に美味い。

「はい。熱いから火傷しないでね」

はミルクティーを注いだカップを僕に渡すと、ベッドの端に腰をかけた。
僕は上半身を起こして壁に凭れると、手の中で温かな湯気を上げているミルクティの香りを楽しむ。ふぅーっと湯気を飛ばすように冷ましながら口を付けると、僕好みの甘さになっていた。

「相変わらず美味しいな。のミルクティ」
「大げさ。ただのティーバッグだよ?」
「でもこれがいいんだ」

冷え切った内臓に沁み込むような甘ったるさが、今の僕にはちょうどいい。
僕に背を向けて座っているは、同じように冷ましながらミルクティを飲んでいる。
ふと見れば、の髪が前に会った時よりも少しだけ伸びていた。
何だかんだと忙しくしてたから、と会うのは1ヶ月ぶりだ。
本当なら昨日の夜、ふたりで食事に出かけるはずだったのに。

「昨日はごめん。誘ったのは僕の方なのに」
「いいよ。悟が忙しいの分かってるし」
「せっかくの失恋パーティしてやろうと思ってたのに」
「だからそれホントしなくていーから」

は苦笑しながらも僕の方をジロっと睨む。
だけど僕はそれを敢えてやることで一つのケジメをつけたかった。
には最近まで恋人がいたけど、ソイツと別れたと聞いた時、今度こそ自分の気持ちを彼女に伝えようと思っていた。
長いこと幼馴染という関係を続けて来たのは彼女を危険から遠ざける為ではあったけど、そろそろ素直になってもいい頃だ。
他の男の話を聞かされるのはいい加減ウンザリだった。

、明日は…っていうか今日は仕事?」
「ううん。実は休み取ったの」
「え、マジで」
「だって昨日はいーっぱい悟に奢ってもらって高いシャンパン飲むつもりだったもん。そしたら次の日仕事なんか行けないでしょ?」

僕の幼馴染はちゃっかりしてるよ、ほんとに。
思わず吹き出せば「でも誰かのせいで家でひとり寂しくビール飲んで寝た」と彼女はスネたように目を細めている。イヴをひとりで過ごすなんて最低と笑う彼女に、僕は笑みが零れた。

「じゃあ…今夜、その穴埋めさせてもらうよ」

苦笑交じりでそう言えば、彼女は驚いた顔で振り向いた。

「…え、うそ。いいの?悟、忙しいんでしょ?」
「いや…昨日が大変だったから、まあ昼間は後始末とか色々あるし高専に戻るけど、夜は空けてある」
「でもそれって他の人とデートとかじゃないの?去年はどっかのモデルとデートしてたじゃない」
「あ~、そういうの、もうやめたんだよね」
「……そういう…のって?」

が不思議そうな顔で首を傾げる。
この様子じゃは全然気づいてないみたいだ。
僕はミルクティを飲みながら、視線だけに向けると「好きでもない子とのデート」と言った。はギョっとしたような顔を見せて「好きじゃなかったの?」と驚いている。

「…まあ。本命の子にはいつも恋人がいたからねー」
「本命って…悟、そんな子いたの?」
「いるよ」

は今度こそ本当に驚いたみたいだ。
冬の夜のような黒く澄んだ瞳を大きく見開き、伺うように僕を見ている。
でも当然か。自分の気持ちに気づいてからずっと、には気づかせないように接してきたんだから。 僕らの世界とは無縁の子だから、バレないように心を押し殺して、普段通りの軽薄な自分を誇張して見せて来た。そのたびに呆れられたりもしたけど、それも今日で終わりにしたい。本当の僕は優しくないけど、唯一の前でだけは優しい男でありたいから、取り繕うような嘘はもう必要ない。

「誰だと思う?」

黙ってを見つめると、彼女は戸惑うように瞳を揺らして、それから視線を反らした。
その後も視線が合ったかと思えば、またそれは離れて、忙しなく動いている。

「誰…って…」

別に自惚れだと思われてもいい。
昔から素直で純粋なの全ての時間の中に、僕がいたと信じたい。
これからも彼女のなかに在り続けたい。
そう思うのは我がままかもしれないけれど。
ただ、僕の言葉が水に落とした小石のように、の心に波紋を広げていくよう願った。


水に堕ちた冬