朝方ふたりでミルクティを飲んで、その後に少しだけ寝て、悟は太陽が上がり始めた頃に一度高専に戻ると言って帰って行った。
私は悟を見送った後、せっかく休みをとったんだから、とベッドに戻って再び夢の中へ。
次に目が覚めたのは、宅配を知らせるインターフォンが鳴った時だった。

「悟から…?」

宅配のお兄さんが配達してくれたのはハイブランド名が刻印された大人っぽい黒のリボンを施された大きな箱だった。
驚いて開けてみると中にはメッセージカード。

"メリークリスマス!今夜のデートはこれ着てね"

デート?着てね?と訝しく思いながらも箱の中身を出してみると、そこにはクリスマスらしい真紅のドレスと黒のハイヒールが入っていた。

「うそ…」

その本気を現わすかのようなプレゼントに、寝起きの頭が一瞬で覚醒した。









悟からのプレゼントが届いてから一時間。
私はドレスとハイヒールを交互に眺めながら、未だ悟の真意を図りかねていた。
このプレゼントはいったいどういうつもりなんだろう。
そもそも昨日のイヴ、突然食事に誘って来たことからしておかしかった。
これまで私の誕生日とかクリスマスとか、イベント的な日に会うのは避けてる様子だったのに。

"本命の子にはいつも恋人がいたからねー。―――誰だと思う?"

さっきの悟の言葉がぐるぐる回ってる。
あの時、悟は真っすぐ私を見て、そう言った。
だからまさか、とか、もしかして、なんて少しだけ自惚れそうになった。
でもすぐにありえない、と淡い期待を打ち消して、つい「知らない」と答えて「眠たいから寝る」と答えを探る前に逃げてしまったのだ。
悟はいつものように苦笑しながら、それ以上何も言って来なかったし、だからやっぱり私の自惚れかと再確認させられて少しだけ落ちこんだというのに。

「こんな高級なプレゼントなんて今までくれたこともないくせに…突然何なのよ…」

私はずっと悟が好きだった。子供の頃からずっとだ。
気づけば一緒にいるのが当たり前だった"五条家の悟くん"が初恋で、今日までずっとその想いは変わらない。
だけど悟にとって私はいつまでも"妹"や"幼馴染"で、その枠から抜け出せないと思っていた。
あれは中学を卒業してすぐ、呪術師の家系である悟は呪術専門の学校に行くことは前から決まっていて。
実家を出て寮に入ると聞いた時、もう簡単に会えなくなるんだと思ったら、無性に怖くなった。
その恐怖に背中を押されるように、悟の出発前夜、家まで会いに行った。

「私、悟が好きだよ」

荷造りをしている悟の背中に、思い切ってぶつけた一世一代の告白。
なのに悟は「そろそろ兄貴離れしろよ。俺は明日からいないんだからさ」と、私の告白を一蹴した。この状況でも妹扱いしかされないことに唖然としていた私を、悟は一度も振り返らなかった。ジャっというバッグのジッパーを閉める音だけが、いつまでも耳に残っていて。
その後、私は悟の部屋を飛び出して、家に帰って大泣きしたのだ。

結局、悟が高専に入学してからは1年ほど疎遠になり、私が高校2年になって失恋の傷も癒えて来た頃、街中で任務の帰りだという悟とバッタリ会った。
隣には悟と同じくらい身長のある、やけに丁寧に話す男の子がいて。彼は夏油傑と名乗り、悟の同級生だと話した。
あの負けん気の強い悟を、夏油くんは上手くコントロールしていて、何だかんだいいコンビに思えたっけ。
それからまた悟と連絡を取り合うようになったけど、あれは今思えば夏油くんのおかげだった。
東京で遊ぶ時は悟も連絡をくれるようになり、1ヶ月に1度くらいのペースで会うようになって、その時はだいたい夏油くんも一緒だった。
そして術師にとっては忙しい繁忙期に入るから、と連絡が来なくなってから3か月後、夏油くんの事件が起きたのだ。

あれ以来、年に数回のペースでいきなり会いに来るようになった悟は、昔よりもだいぶチャラくなっていた。恵まれた容姿のおかげで寄って来る女は数知れず。
そんなのを近くで見ていたら、私の入る余地なんていつまで経っても来そうになくて、私も寂しさを埋めるように他の男と恋をするようになった。
でも去年から付き合っていた彼にやっとプロポーズまでされたというのに、先週いきなり振られてしまった。
プロポーズされたことを悟に話したら、俺が見極めてやるから会わせろというので彼に紹介した直後のことだ。

、あの幼馴染のこと好きなんだろ」

初めて彼氏を悟に紹介したからか、私は終始ぎこちなかったんだと思う。
ズバリ彼にそんな話を切り出され、すぐに違うと言えなかった私が悪い。
プロポーズの返事すらしていなかったことも仇になり、あっけなく別れることになった。
でも、だから悟がクリスマスイヴに食事に誘ってくれたんだと思ってた。

「失恋パーティしてやるよ」

なんてからかうように電話してきて、一瞬断ろうと思ったけど、こんな機会は滅多にない。
だからOKしたのにドタキャンされ、私はつくづく男運がないんだと少し落ち込んだりもしてた。

「なのに何で今更デートなのよ…」

プレゼントのハイヒールを指でつまんで呟く。
これまで何度も一緒に食事は行ってるけど、一度もそんな単語を口にしたことなんかなかったくせに。

「期待なんてしないんだから…」

同じ男に2度も振られたくはない。
そう決心して、今夜は最初の予定通り、高級シャンパンをたらふく飲んでやろう、と心に決めた私は、出かける用意をするべくバスルームへと飛びこんだ。









そこは豪華な装飾と煌びやかなイルミネーションや品のあるシャンデリアで飾られた、いわゆる超高級ホテルのレストランだった。
大理石で出来た床を歩くたびに響くヒール音がどことなく気恥ずかしい。
そしてエスコートしてくれるのは普段のラフな格好ではなく高級スーツに身を包んだ幼馴染だ。
普段の目隠しもサングラスも、この時ばかりはしておらず、惜しみなく披露している宝石のような碧眼に、すれ違う人みんなが振り向いて悟を見ている。
正直この状況は考えていなかった。
いつもは違う意味で注目を浴びてる人だけど、まともな恰好をしたら更に人目を惹く男だというのをすっかり忘れていた。
それくらい今日の悟はカッコ良くて、そんな悟の隣にいるのが私でいいのかと申し訳ない気持ちになって来る。

「ね、ねえ…ほんとにここで食事するの…?」

1番奥のテーブルに案内され、座った後でも落ち着かずにそんな質問を投げかけると、悟は呆れたような笑みを浮かべた。

「何だよ、今更。が言ってたんだろ?一度でいいからここで食事したいって」
「そ…それ就職した時の話じゃない」
「でも一度も行けてなーいってこの前言ってたでしょ。彼氏に強請ったけどスルーされたって」
「そ、それは…そうなんだけど…」
「だから僕が初めて連れて来てあげたかったんだよ」
「…え」

意味深な言葉を吐いて、悟は優しい笑みを浮かべた。
その言葉も、表情も、全てにドキドキしてしまう。
期待なんかしないと誓って来たというのに、悟に微笑まれただけでその決心が簡単に鈍りそうになるのだから嫌になる。そもそも悟とふたりでレストランなんて来たこともないのだ。

「わ、私はいつもの店とかで良かったのに…」
「せっかくのクリスマスデートなのに、いつものバルとかじゃ恰好つかないでしょ」
「デ、デートって…私の失恋パーティなんでしょ?」
「それはただの理由付け」
「え…?」

それはどういう意味?と訊こうとした時、アペリティフとオードブルが運ばれて来て会話は一時中断した。
悟はアルコールを飲まないということでノンアルコールのものを頼んであったらしい。
けどクリスマスなのに、よくここをリザーブ出来たなと不思議に思った。
やっぱり特級呪術師ともなれば色んなところにツテがあるのかもしれない。

「んー!美味しい…」
「そ?なら良かった」

私の顔を見て満足そうに微笑む悟は、いつになく大人の男性に見える。
いや、もうお互い大人なんだけど、悟は未だに子供みたいな時があるから余計にそう見えてしまうのかもしれない。

「でも…何で急にドレスなんてくれるの…?」

そう、そのことも聞こうと思っていたのだ。
待ち合わせた場所にいった瞬間、悟は「ちょー似合ってる」と大げさに誉めてくれたものだから、恥ずかくなって訊きそびれてしまった。
改めて尋ねると、悟はキョトンとした顔で「何でってあげたかったから」とだけ言って微笑んだ。

「だ、だから何であげたいなんて…」
「これまでの分、取り戻したくて」
「…これまでの…って?」
「そういう話はあと。今は食べたら?」

次々に運ばれてくる料理を見て、悟が笑った。
確かに今は食べることに集中した方がいいかもしれない。
そこは素直に言うことを聞いて、まるでオブジェのような盛り付けをされた料理に感動しつつ、出されるままに食べて飲むことに専念した。









「あー最高に美味しかったー!悟、ご馳走様♡」
「いえいえ。あれくらい」

レストランを出て、私がお礼を言うと悟は笑いながらわざと畏まった口調で応える。
料理もお酒もたらふく堪能した私は、久しぶりに幸せな気持ちになっていた。
約束通り、高級シャンパンをひとりで2本は飲んでしまった私は、多分いや、絶対に足元がフラついてる。
案の定、よろけた私の肩を悟がスマートに支えて転ばないようエスコートしながら歩いてくれる。

「ご…ごめん」
「別にいいけど、ほんとに2本も飲むとは思わなかった。少しは考えろよ」
「だ、だって美味しかったんだもん…。特級呪術師ならあれくらい微々たるもんでしょー?」
「お金のことじゃなくて体の心配してんの。せっかくのデートなのに飲み過ぎだよね」
「まだデートとか言っちゃって…。あー分かった。悟ってば女の子弄びすぎて、幼馴染の私しかデートする相手いなくなったんでしょ」

掴まってる悟の腕に自分の腕を絡めて笑えば、悟は小さく溜息をついた。

「そんなんじゃないよ。俺はとデートしたかったの」
「…ま、またまたそんなこと言って…。私なんか口説いたって何も出ませんよーだ」
「はあ…マジで酔っ払いだな」
「すみませんね。このままタクシー乗せてくれたら、ちゃんとひとりで帰るから」

呆れたように私を見下ろす悟を見上げると、不意に目が合った。
悟が真剣な目で見て来るから、胸がドキリと音を立てる。

「誰が帰すって言った?」
「…え?」

悟は私の肩を抱いたまま、エントランスではなく何故かエレベーターホールの方へ歩いて行く。
何で、と聞く前に、悟は「部屋、取ってあるから」とあっさり言ってエレベーターを呼ぶボタンを押した。私は驚き過ぎて言葉もなく、ただ口をパクパク動かすことしか出来ない。
周りには泊り客と思われるカップルも何組かいるからだ。
そうこうしている内にエレベーターが到着し、悟は私の肩を抱いてそれに乗り込んだ。
何故か他の客は乗って来なかったけど、その疑問よりも何よりも私の意識は別のところに向いていた。

「ちょ、へへ部屋って…な、何?!」

エレベーター内でふたりきりになった途端、そんな抗議とも取れる言葉が口から飛び出した。
これまで何度となく悟には驚かされて来たけど、今日はその中でもダントツに理解が追いつかない。悟は目に見えて慌てている私を見下ろすと、小さく吹き出して「、耳まで真っ赤じゃん」なんて言って笑っている。

「だ、だって悟が…いつもと違うから…」
「言ったでしょ。今夜はデートだって。クリスマスデートならホテルリザーブするのは当然だろ」
「だからそれは普通、恋人同士がするデートでしょ?私達は違うじゃん…きゃ…っ」

急に顔を上げたせいで足元がフラつき、壁に肩をぶつけそうになった。
でもその前に悟の腕が伸びて来て、腕と腰を引き寄せられる。
一気に距離が縮んで、私はアルコールとは別に顔が火照るのを感じた。
悟からこんな風にされたことは一度もない。

…」
「……」
「今朝…俺が言ったこと、覚えてる?」
「……今朝?」
「本命の子の話」

ドキっとして思わず顔を上げてしまった。
もちろん覚えてる。そのせいで私が自惚れてしまいそうになったのだから。
でも私が応える前に顏に影が落ちて、えって思った時にはもう唇に柔らかいものが押し付けられていた。一瞬、何が起こったのか分からないまま、目を見開き固まってしまった私の唇を何度か啄んだ悟は、最後名残惜しそうにちゅっと音を立てて唇を離した。

「…な…何で…」
「今日は質問ばっかだな、は」

悟は艶のある笑みを浮かべながら私の腰を抱き寄せた。
いつの間にか悟と壁の間に挟まれて、逃げ場すらない。

「だ、だって質問したくなるようなことばかり……って、な、何してんの?っていうか誰か乗って来たら――」

腰に回した手で背中を撫でながら、悟は身を屈めて私の首筋に口づけて来た。
慌てて身を捩りながら顔を反らすと、今度は髪をアップにしたことで露わになっている耳にもちゅっとキスをされる。
音が直接脳に響いて、思わず肩が跳ねてしまった。

「スイート直通エレベーターだから誰も乗って来ない」
「…え?」
「安心した?」
「そ…そんなわけ―――」

ないと顔を上げると、また唇を塞がれた。
抗議したいのに、初めて触れた悟の唇が優しくて、身も心も蕩けて崩れ落ちそうだ。
男の人にこんな甘いキスをされたのは、初めてだった。

「……、目が潤んでる。可愛い」

悟からそんな甘ったるい言葉を囁かれるのも初めてで、全ての疑問なんかどうでも良くなって来た。

が訊きたいこと、全部教えてあげる」

ベッドの上でね、と付け足した悟の表情は、今まで見たこともないくらいに扇情的だった。



鮮やかなる誘惑