溺愛事変
第五話:心臓をちょうだい
蒸し暑いほどの湯気が立ち込める風呂場の隅で、は着物姿のまま、小さく膝を抱えていた。
「あ~気持ちいい~」
ざぶんと湯船に浸かった音の後に、五条の能天気な声が聞こえてきて、は溜息を吐いた。唯一、風呂場にある仕切りのおかげで、視界は遮られている。その陰に座り、はひたすらジっと息を殺すようにしていた。
このホテルの風呂場は床も壁も全て木製。昔の日本の風呂を模しているようだった。シャワーはなく、風呂のみという何とも昔ながらの造りだ。
リフォームでシャワーや追い炊き機能などをつけたにせよ、雰囲気だけ見れば何となく本家にある風呂と似ている為、はますます我が家を恋しく思う。例え継母と妹に冷たくされようが、の居場所はあの家しかない。厳しいことを言ってこようとも、父はを愛してくれている。だからこそ、その後継者の地位だけは誰にも譲れないという思いがあった。
ほんのひと時、日本へ想いを馳せていると、仕切りの向こうから「あ~あ」という五条の残念そうな声が聞こえてきた。
「と一緒に入りたかったのにー。結婚したら一緒に入ろうね♡」
「……っ?(誰がアナタなんかとっ)」
くわっと目を吊り上げたは、拳を握り締めながら怒鳴りたいのをぐっと堪えた。仕切りにかかっている五条の脱いだ服やズボンを忌々しいとばかりに睨みつける。しかし、苛立ちとは裏腹に、その色白の頬はかすかに赤い。
本当の婚約者でもない男が素っ裸でこの向こうにいるのかと思うと、それだけで気が気じゃないのだ。湯気とは別に頬が火照ってくるのを感じながら、こんな状況に置かれるなんて末代までの恥だわ…と再び息を吐いた。
(結局…五条悟について来てしまった…彼がお風呂に入ってる間に外へ出て助けを呼んだ方が良かったかも…)
そうは思っても追手が近くにいれば最悪だ。一人で外に出るのは怖い。力を使えないのが、こんなにも怖いなんて知らなかった。
(体が万全なら…あんな呪詛師なんかに後れを取らずに済んだのに…)
思うように戦えていた頃が懐かしい。あの頃は恐れるものは何もなかった。
ただ、ひたすらに己を鍛え、五条家本家の当主として立つ自分を夢見ているだけで幸せだったと、不意に感傷が過ぎる。
今のこの現実が、悪夢ならいいと思った。
「ねえ、」
ちゃぷんと湯の跳ねる音と共に名を呼ばれ、はハッと我に返った。
「は僕と初めて会った日のことを覚えてる?」
「………何ですか、急に」
五条は浴槽に両肘をついて、の方を見ている。はその気配を感じ取りながらも、素っ気なく応えた。
「答えてよ。覚えてる?僕は今もハッキリこの眼に焼き付いてる」
「…覚えてます。それが?」
何なの?と思いつつも答えると、五条は思い出深げに息を吐いている。
「桜の花びらが舞う中に立つはさー。舞い降りた花の妖精のように綺麗だったんだよね」
「…そ……それはどうも」
いきなり"妖精"に例えられては、さすがにも恥ずかしくなった。薄っすら頬が赤く染まっていく。同時に、よくもそんな恥ずかしげもなく気障な台詞を言えたものだと、内心呆れていた。
「はいくつになったんだっけ」
「…ハタチです」
「僕と同じ歳かー」
嬉々とした声で話す五条の意図がつかめなかった。仮にも一度は結婚相手として選ばれた相手のはずなのに、は五条悟個人のことを何も知らない。
彼が今、何を考え、何故どうでもいい問いかけをしてくるのかすら、全く見えてこない。
自分との結婚を強く望んでいるということ以外は、何一つ。
「はどうして高専に入学しなかったの?」
ふと思い出したように五条が尋ねてきた。今までの質問よりかは幾分応えやすい。
「基礎やその他の鍛錬も、わざわざ習う必要がなかったからよ」
「まあ、そうだけど。学生するのもいいよ。家にいるだけじゃ経験できないことも経験できる」
「…例えば?」
「んーそうだなー。面白い後輩ができるし、頼りになる仲間もできる」
「…わたしには必要ないものね」
「そう?なかなか楽しかったけどな」
楽しい?と首をかしげたくなった。何故、五条悟がわざわざ高専などへ入学したのか。初めてその話を聞いた時は驚いたものだった。
わざわざ学校で習わなくとも、五条家では英才教育をきっちり受けられるのに、何故一般人に交じって基礎から教えを乞わなければならないのかが、には理解できない。
「ま…僕がと一緒に学生生活を送ってみたかっただけなんだけど」
五条はそう言いながら笑っているが、には学生生活を送る自分の姿が全く想像できなかった。
その時、ザバっと湯から上がる音と共に――。
「ねえ、。背中流してよ」
「何故わたしがっ?」
一瞬で茹蛸になったのかと思うほど顏が熱くなる。恋人でもない、まして結婚もしていない男の背中を流すなど、には考えられなかった。
五条もの態度は予想していたのか、苦笑いしているのが聞こえてくる。
からかわれたのかと思っていると、再び名前を呼ばれた。
「はさー僕のことずっと警戒してるでしょ。だから早く気を許して欲しくて」
「……」
五条の言葉を聞いて、は膝を抱く腕に力を入れた。そもそも、あんな脅しのようなプロポーズまがいのことを言われれば、誰だって警戒するに決まっている。は五条の頼みを無視しようと、何も応えないでいた。
「…?」
「……」
「助けたお礼だと思って」
「…ぐ…」
助けてもらったことは有り難いと思っているだけに、それを言われるともツラい。思惑はどうであれ、実際に命を救ってもらったようなものだ。
「…せ…せめて腰にタオルを巻いて」
ぼそりとお願いすれば、五条の顏がパっと明るくなる。
そこですぐに「分かった」と頷き、すぐに傍にあったタオルを腰に巻いた。
「これでいい?」
「い、今そっちに行くので、アナタはこっちを見ないで座ってて」
「はいはい」
苦笑交じりで応えると、五条は壁の方を向いて座った。は着物の袖をまくり、落ちないように固定すると、そぉっと仕切りの向こうを覗いてみた。すると背中を向けて五条が座っているのが見える。だがもろに男の背中が視界に入り、の体温が一気に上昇していく。
「まだ~?」
「い、今行きますっ」
五条が振り返りそうな気がして慌てて応えると、仕方なく足袋や草履を脱いで隅へと置いておく。軽く深呼吸をして、意を決したように風呂場の方へ足を勧めると、五条の背中の前で膝をついた。それでもやはり、顔だけは明後日の方を見ている。
「タ、タオルは…」
「ああ、はい。これでお願い」
五条の方へ手を差し出すと、柔らかいものが乗せられた。それを湯で濡らし、ポンプ式のボディシャンプーを浸してから泡立てていく。
「で、では…洗わせて頂きます…」
「硬い硬い。普通に話してよ。婚約者なんだし」
「…っ…」
婚約者と言われ、言葉に詰まったは、誤魔化すためにタオルを五条の背中へ当てて、力任せにゴシゴシと洗い出した。五条家の令嬢として生まれた彼女は、当然こんな使用人がするような作業をした経験もない。今も顔は背けたまま、やり方も分からないのでひたすら手を動かしていく。
「いたた…って、強い強い。それ以上擦られたら肉、抉れそう」
「……ご、ごめんなさい」
そうは言っても目のやり場に困る。ただ見ないまま擦るのには限界があり、は恐る恐る視線を前へ向けた。
「……っ」
「どうしたの?」
「な…何でもないです」
とムキになって答えたものの。目の前に男の、それも鍛えられた筋肉質な裸体がある。それだけで勝手に顔の熱が上がってしまった。
ただ、五条は細身に見える割にシッカリと体が出来上がっているのが分かり、そこはさすがだとも思った。
(やはり男性には敵わないのかもしれない…)
ふと空しくなり、そんなことを思う。いくらが鍛えたところで、五条の鍛え上げられた肉体には遠く及ばない。その現実をまざまざと見せつけられた気がして、気づけば手が止まっていた。
「、どうかした?」
「え?…あ…な、何でもないです」
慌てて洗う作業を再開して、最後は洗面器で風呂の湯を掬い、泡を流していく。ある程度流し終えたら、はホっとして元の場所へ戻ろうと立ち上がった。言われたことはやったのだから、もういいだろう。はなるべく五条の方を見ないように歩いて行こうとした。でもその時、ガシっと手首を掴まれ、ビクリと肩が跳ねる。
「交代」
「…は?」
その言葉の意味を問う前に、五条は苦笑交じりでを見上げた。つい視線を下げてしまったことで、二人の視線がバッチリ合ってしまう。慌てて顔を反らしたものの、かすかに見えた厚い胸板と白い首筋に、顏の熱が上昇していく。
「ここ、濡れてないから座って」
「…な、何故わたしが――」
「見えてないんだろうけど、結構汚れてるよ」
「え…っ?」
指摘されたことで改めて自分の恰好を見下ろしてみると、確かに白い生地の着物だけに土などで擦れた汚れも目立つ。でも首元などは確かに自分では見えない。
「ほら、座りなよ」
「……はぃ」
五条と向かい合う形で僅かな段差に座らされたは、なるべく前を向かないよう視線を反らした。五条がすのこの床に座る形になり、今はタオルを巻くのではなく、ただ下半身にかけているだけのスタイルなので、下手をすれば全貌が視界に入ってしまう恐れがある。当の本人は特に気にしていないのか、の細い手を取り、湯に浸したタオルで汚れをふき取っていく。
この何とも言えない時間に、は人生で初めてといっていいほどの戸惑いを覚えた。
五条はの爪の先まで、一本一本丁寧に拭いてくれている。指先に意識が集中して、心臓が次第に早くなってしまうのを止められない。男性にこれほど執拗に肌を触られるのは初めてなのだ。しばしの沈黙が続き、少し気まずくなってきた頃、五条がふとの手首に残る赤い痕へ触れた。縄で縛られた時のものだ。
「ちょ…」
「もっと早く解いてあげれば良かったね」
赤くなっている箇所を撫でながら、五条が「ごめん」とへ視線を向けた。そのいきなりのしおらしい態度に、は怪訝そうに眉を寄せる。最初の時と比べ、随分と態度が違う。
「…しらじらしい。どうせわたしが結婚を断ったら置いていったクセに」
「やだなぁ。そんなことしないよ。あれは冗談だから」
「……」
ヘラっと笑う五条にムっとして目を細めた。どっちにしろ、あんな状況で言っていい冗談ではない。どこまで本心を言っているのか読めず、余計にモヤモヤしてきた。五条は手を洗い終えると、同じ要領での首元についた汚れも落としていく。男に首筋を曝け出し、かつ拭いてもらうという羞恥に頬を染めながら、早くこの時間が終わって欲しいと願う。
「の今の婚約者は橘家のボンボンだっけ」
手を休めることなく、五条が訊ねた。橘も古くからある呪術師の家系で、現在その家の次男がの婚約者だ。結婚した際は婿養子にくることが決まっている。
「それが…?」
「んー。が相手なら普通は長男でしょ。もっと言えば他に、より良家の男から縁談を申し込まれてたんじゃないのかと思って」
「……病気が再発する前はそれなりに。でも再発してから全員、潮が引くようにいなくなったわ。橘家は次男だけど、五条の家に入ってくれるし、わたしの病気など気にしないと言ってくれたので」
実際、婿養子に入ってくれる相手は貴重だ。嫁に出されることを嫌うにとっては五条家に入ってくれるなら、どの家の男でも良かった。
「フーン…婿養子ねぇ…」
五条は軽く笑うと、タオルを洗面器へと浸した。
「長く生きられないって聞いたけど…余命ってどのくらいって言われたの?」
「…ハッキリどのくらいとかは分からないけど…三十まで生きられるかどうか…当然、呪術師として活動すれば何が起きてもおかしくないと」
「…そっか。元気そうなのに」
軽い調子で言われ、何て無神経な男、とは唇を噛む。この態度を見れば、やはり結婚してと言って来たのは、本家の長女という名前に惹かれてのものだろう。自身に惹かれたわけじゃない。何とも言えない腹立たしさを感じながらも、そこで本当に結婚するわけじゃないと自分に言い聞かせる。
今はこの状況を打開する為、手を貸してもらうだけだ。無事に帰れば、は予定通り、橘家の次男と結婚すると決めていた。
(そもそも五条悟と結婚なんてお父様を困らせることになってしまう。日本へ帰るまでに、どうにかしないと…)
父の本心で言えば、に五条悟と結婚して欲しいのだろうが、分家の人間は健康な跡取りを産める丈夫な嫁が欲しいはずだ。いくら五条本人がと結婚を、と望んだところで、そう易々と許されるはずがない。
「あ、髪も汚れてる」
「え?」
あれこれ思考を巡らせていると、五条が突然の髪を指さした。先ほど風に煽られ、解けた長い髪はよく見れば小さな枝や葉が絡んでいる。考えてみれば拉致されてからまともに風呂も入っていない。
「……あの…」
は急に恥ずかしくなり、チラッと湯船の方へ視線を向けた。
「お風呂、入りたくなった?」
五条は最初から分かっていたのか、の様子を見てニッコリと微笑む。心を見透かされた気がしたは、ふいっと顔を反らした。
「わたし…臭いですよね、きっと」
「別に。でも気になるなら入ったら?」
「………」
正直言えば風呂に入りたい。だが男の前で着物を脱ぐわけにもいかず、はしばし逡巡した。五条はそういった女心を分かっているのかいないのか、かすかに苦笑しながらの髪へと手を伸ばした。
「その前に髪だけ僕が洗ってあげる」
「え…?い、いいです。自分で――」
「いいからいいから。シャワーに慣れてると、この状態じゃ自分で洗いにくいだろ」
の制止も聞かず、五条は洗面器のお湯を新しくすると、に少しだけ身を屈めるように言った。髪を右に寄せながら屈むと、五条は彼女の長い髪を湯に浸す。古い風呂のわりに、ボディシャンプーだけじゃなく、シャンプーやトリートメントは今時のものが置いてあり、それがやけにミスマッチだった。
「あの、やっぱり自分で…」
「いいのいいの。僕さぁ、と結婚したらこうやって毎日髪を洗ってあげたいな」
「…は?」
「は家で美味しい食事を用意しながら僕の帰りを待っててよ。夜はの手を握ってべったりくっついて寝る。こういうの憧れてたんだよね」
「……」
の髪を掬い、自分の口元へ寄せながら、五条は独り言のように語る。
「僕だって仕事柄いつ何があるか分からないし、の病気のことも気にしない。がどうしても五条家の当主になりたいって言うなら、僕が本家の婿養子に入ってもいい」
「…え?」
まさかの言葉に驚き、が顔を上げると、五条は掬った彼女の髪へ口付け、微笑んだ。
「だからは死ぬまで僕の傍にいてくれる?」
「………っ」
一瞬、五条の瞳が怪しく光り、冷えた空気が辺りに流れたような気がした。の背中にゾクリと寒気が走り、咄嗟に五条から離れる。
「あ、あの…結婚ですが…わたし達の意志は通らないと思った方がいいかと…アナタのご両親や、わたしの父が反対するかも――」
「親のことなんてどうでもいいよ。アイツらは何も分かっちゃいない」
「な…父の意志に背いて勝手なことは出来ません…っ」
五条の言葉を聞き、は驚きながらも反論した。その瞬間、五条が立ち上がり、身を屈めての顏へ自分の顔を近づける。
「結婚するってが言ったんだよ」
「―――っ」
真顔で見つめてくる青い瞳から目を反らせず、は小さく息を飲む。その時、五条が背後の方へ視線を向けた。そのままバスタオルを手に取り、水気を拭くと、すぐに制服を身に付けていく。
「でも…もし結婚の話がなくなることがあればどうしようかな」
「…え?」
「…五条家の人間、全員殺してしまおうか」
「な…」
「今の呪術界も腐りきってるし…上のジジイどもを道連れにしてもいいかも。僕には退屈な世界だし、その後に僕も死のうかなー」
軽く言ってはいるものの、あまりにありえない言葉を聞き、の顏から血の気が引いて行く。今度こそ、冗談、とは済まされない話だ。
「僕が死んだらは悲しい?」
「わたしを…からかってるんですか」
「そう聞こえた?」
上着を羽織り、五条がかすかに笑みを浮かべる。その表情からは本心は読み取れない。
(この男…何を考えてるの…?本家の娘を嫁にしたいんじゃないの?五条家を消してしまったら、わたしと結婚したところで意味はないはずなのに…)
ただは知っていた。五条悟がその気になれば、五条家どころか、呪術界、または全世界を滅ぼすことは可能だと。そして現時点でそれを止められる呪術師は、いない――。
その時だった。ホテルの外が騒がしくなり、合間に男の声で「いたか!」「見つからねえ」という会話が聞こえてきた。
それは危惧していた追手がこの町まで来たことを現わしていた。
五条はとっくに気づいていたんだろう。すでにアイマスクまでして、すっかり身支度を整えている。
「で、はどうしたい?」
「………」
(どうしよう…今は五条悟の欲しがってる言葉を言わないと…見放されたら終わりだ。ただ…この男は風呂に来る時も、キスの時も…断れないと分かっててわたしに選択をさせている…)
それはまるで自分への愛情を確認しているように、には見えた。
(なんて不快な男…)
は強く拳を握り締めながら、目の前の五条を見上げた。とにかく今は時間がない。そっちがその気なら、自分も利用させてもらおうと心に決めた。
「アナタだけが頼りなんです…助けて下さい」
「……」
「妻を見捨てる夫なんて…いないはずですよね…?」
しおらしく縋るように言うと、黙って聞いていた五条の口元に笑みが浮かぶのを、は見逃さなかった。この男が何故自分との結婚をこんなにも望むのかは分からないが、今、生き抜く為には五条の力が必要だ。
「もちろん助けるよ」
「ちょ…」
五条が一歩、に近づくと、徐に両手を広げて彼女をぎゅっと抱きしめた。
「僕が一生、を守ってあげる」
「……ありがとう」
「ああ、でも」
「え?」
身体が離れていくのを感じて顔を上げると、アイマスクをした五条がの顔を覗き込んできた。あの美しい六眼は見えずとも、黒い布の向こうから、全てを見透かされるような落ち着かない気持ちになる。
「アナタ、じゃなくて悟って呼んで」
「…さとる…?」
「夫婦になるんだから名前で呼んで欲しい」
さっきまでの殺伐とした空気はなりを潜め、五条がニッコリ微笑む。その機嫌の良さそうな笑みを見たは少しだけ拍子抜けした。ただ気持ちを試された腹いせに、一言くらい言い返さないと気が済まない。
「分かりました…でもわたしからも一言――」
と言いながら体を離し、は射抜くように真っすぐ五条を見据える。何を考えているのか分からない男には、こちらも腹をくくらないといけない。
「先ほどのお話ですが…」
「さっき?」
「悟さんが呪術界を一掃して死にたいというなら、どうぞご勝手に。無事に日本に帰った後でなら、呪術界はどうなっても今のわたしには無縁な世界なので」
「……」
「そうだ。その時は――」
と言いながら、は五条の胸へ、そっと手を置いた。その場所からは、トクントクンと五条の鼓動が伝わってくる。
「この心臓、わたしに譲ってくださらない?」
艶のある笑みすら浮かべて言いのけたを、五条は黙って見下ろしていたが、不意に口元が綺麗な弧を描く。
「へえ…それはそれで…最高かも」