溺愛事変

第十話:君を独り占めしたい

 
が眠りについたのを見て、五条はそっと指先を彼女の頬へ伸ばした。しかしすぐにその手を引っ込めると、店主の山本へ「じゃあ彼女のこと頼むね」と言って立ち上がる。
朝の散歩と称してを島の高台へ連れて行ったものの、少し具合の悪そうな姿を見てすぐに引き返してきたのだ。拉致されてから緊張が続いているのだから無理もないのかもしれない。

「任せて下さい。五条さまはどちらへ?」
「ちょっとゴミ掃除をね」
「…はあ。(ゴミ?)」

ニッコリ微笑む五条に釣られ、山本も微笑んでしまうのは商売人の習性かもしれない。とにかく五条という少し変わった日本人は、山本にとっても上客には違いなく。遊女を買いに来た客ではないが、それ以上の報酬を現金でたっぷり支払ってもらっている以上、言われたことはきちんとやればいい。

(それにしても…二人は夫婦と聞いているが、これは…)

山本はふと室内を見て、その違和感に首を傾げた。
用意させた布団は二組。それを並べておいたはずなのだが、今はが寝ている布団が日当たりのいい場所にあり、もう一組の布団は何故か部屋の隅、が寝ている場所とは真逆の場所にある。

(ケンカした様子はないのに何故…?)

しきりに首を傾げていたものの、もしかして二人で一組の布団に寝てるのか?という答えに行きついた。

「あんな狭い布団で足りるんだろか…」

身長の高い五条を思い出して、更に首を傾げたものの、人様、それもお客様の事情など勘ぐるのも失礼か、と思い直し、山本は静かに部屋を後にした。

一方、を残して出かけた五条は、己の眼を使い、呪詛師探しを始めていた。いつ見つかるかと待ち構えるよりも、こちらから仕掛けた方が断然効率はいい。

「追われる者より、追う者の方が強いって誰の言葉だっけ?まあ、僕は追われてても強いけど」

人目のつかない場所から空高く浮上した五条は、そんな軽口を叩きながら、広大な島をザっと見渡した。視界に映るだけで五人、呪詛師らしき呪力を発見し、艶のある唇が愉しげに弧を描く。
当初、この島に来ていた呪詛師もさほど多くはなく。大半は昨夜、五条が殺した。どれも雑魚ばかりで五条の正体にすら気づかず死んでいったが、あの呪詛師をまとめていたリーダーが下っ端をやられて何も手を打たないとは思えなかった。案の定、新手がすでに島へ入りこんでいる。

(山付近をウロついてるってことは、まだ僕らが遊郭に潜伏してるってバレてないみたいだな)

遊郭付近は今のところノーマークらしい。空から確認したが、大きな呪力は一つもない。そもそも女連れで行く場所ではないのだから、まさかそこに潜伏してるとは思っていないようだ。だが他を探しても見つからなければ、いずれ捜索範囲は遊郭にまで及ぶだろう。その前に数は減らしておきたい。

「あまり大ごとにしたら、また夜蛾センセーに怒られるしね」

夕べの電話を思い出して苦笑しながら、五条は呪詛師のうろついている山へ一気に下降した。突然頭上から大きな反応を感じた呪詛師の一人が、驚いたように五条を見上げる。しかし認識した瞬間には大きな質量にまで膨らんだ無限の圧で木っ端みじんに消し飛んだ後だった。

「まずは一人…」

衝撃音を聞きつけてやって来た残りの呪詛師に囲まれながら、五条は唇をペロリと舐めた。

「あ!コイツだ!裏切者は!口元は隠してたが…この白髪は間違いねえ」
「あれ、オマエ、まだ生きてたんだ」

この島へ来る際、一緒の船に乗っていた呪詛師を見て、五条がへらっと笑う。どうやら後から来た者たちと組んで動いてたようだ。

「おい、オマエ!女をどこへやった!」
「人の婚約者を女呼ばわりするなよ」
「あぁ?婚約者だぁ?何を血迷ったこと言ってんだ!あの女は金づりゅ――」

叫んだつもりが途中で視界が回り、何故か後ろにいた呪詛師仲間と目が合う。その仲間の男が突然驚愕した顔で叫びだし、何だよ、うるせえな、と思ったところで、男の意識はプツリと切れた。

「だから女呼ばわりするなって言っただろ?」

五条が呆れたように頭を掻きつつ、残りの呪詛師を睨みつけた。

「うわぁぁぁっ!く、首が…ッテメェ、何しやがった!」

仲間の首が回転したのを見た残りの呪詛師達が一斉に後方へと飛びずさる。しかし距離を取れば取るほど、五条にとっては好都合。術式で全員まとめて引き寄せれば、その圧と回転の強さに次々と体が曲がってはいけない方向へと捻じれていく。山の中に呪詛師達の断末魔が木霊して、やがて静寂が戻ってきた。

「まずは最初のゴミ掃除終了~」

辺りに散った呪詛師だったもの・・・・・・・・は、山の獣が処理してくれるだろう。五条は再び浮上すると、同じ要領で近くにいた呪詛師、総勢二十五人の始末を終えると、すぐにの眠る宿へと戻って行った。


△▼△



はパチッと唐突に目を開けた。見えた天井で自分がどこに寝ているか把握し、一瞬混乱する。さっき起きた気がしたのに、と思ってから、寝起きに一度山の高台へ向かったことを思い出す。
そこでハッと我に返り、反対側の壁の方へ顔を向けた。

「…いない」

いつもそこに座って寝ずの番をしている五条の姿がないことで、ホっと息を吐く。しかし同時にどこへ行ったのかが気になった。常に傍にいてくれた人物がいないのは、どことなく不安になってしまう。

「とにかく起きなきゃ…寝てばかりなんてダメだ」

今朝、少し体調が悪くなり、五条にここまで運んで来てもらったことを思い出した。少し横になるだけのつもりだったのに、そのまま眠ってしまったようだ。

(あの人が優しく頭を撫でてくるから、それで気持ち良くなって…)

ふと先ほどの行為を思い出し、頬が熱くなる。異性にあんなことをされたのは初めてだ。いつもなら近寄らないでと言ってしまっただろうが、体調が悪い時はやけに心細くなる。だからつい甘えてしまったんだろう。

「…何やってんの、わたしは」

自分で前髪の辺りに触れながら溜息を吐く。いくら具合が悪かったとはいえ、男の前で無防備に眠ってしまうなんて失態だったと反省した。

「どこ…行ったんだろう」

は乱れた髪と着物を直すと、そっと襖を開けて廊下へ顔を出した。すると、そこへちょうど通りかかった山本が「ああ、さん。起きたんですね」と足を止める。

「体調はどうですか?」
「少し寝たら治りました。それよりわたしの連れは…」
「ああ、五条さまでしたら、何か"ゴミ掃除"をしに行くとか仰られて、一時間くらい前に出かけましたが」
「…え?出かけた?」
「ええ。あの方はボランティアの人か何かですか?」
「い、いえ…違いますけど…」

傍で護衛してくれているとばかり思っていたは、五条が自分の寝ている間に出かけたと聞いて衝撃を受けた。こんな時に襲われでもしたら一人では身を守れない。しかしゴミ掃除という言葉にもしかして、という思いが過ぎる。

(彼は呪詛師を見つけたのかも…もしくは探しに行った…?)

どこにいるかも分からない敵を適当に探しに行くほど無謀な男とは思えない。
そして五条悟なら、どこにいるかも分からない敵を簡単に見つけ出すことが出来るということをも分かっていた。

(襲撃を待つより、自分で探し出して排除する方が彼には簡単のはず…)

を残していったということは、この近くに脅威はないということだろう。

(それにしたって言ってくれたらいいのに…)

一瞬だけ置いて行かれたのでは…という不安がこみ上げたことで、ついそんなことを思う。ただを休ませたがっていたことを思えば、が眠ったのを見て起こさずにいてくれたんだろうことは分かった。

(あの人にばかり仕事をさせるの申し訳ないし…わたしも何か役に立てることはないのかな)

そんなことを考えていると、山本は思い出したように「あ、そうだ」と声を上げた。

「昨日、五条さまから相談された遊女のふりをして身請けされるという話ですが…」
「え?あの…」

女が島から出られないことを訊いた際、唯一出られる方法を教えてくれたのは山本だった。そのことで五条が相談したようだ。

「事情は簡単に訊きました。悪い男達に拉致され、この島へ連れてこられたと」
「…はあ」
「ここには電話というものがない。外部に漏れないようにする為という理由でね。一部のお偉方の為に電波塔はあるが、常に解放されているわけじゃないから、ケータイも使えない。そもそも我々一般人はケータイすら持つことを禁止されていてね。助けを呼ぼうにも無理でしょう。なのでアナタをこの宿の遊女ということにして、身請けされるように仕向けるのはどうか、と五条さまに提案したんですよ」
「…そ、それは少し聞きました。でもそんなに上手くいくとは…」
「ええ。そうですね。なので最初は五条さまが客のフリをしてさんを身請けするのがいいと思ったのですが、身請けと一口に言っても個人の間だけで済むものでもない。申請書と代金の三十パーセントを島を管理している組織へ納めることになる」
「代金…ですか」
「はい。聞けば五条さまも今は現金を持っていないということですし、そうなると、やはり普通に通ってくる客に身請けしてもらうしかない。あいにくこの島に銀行などないのでね」

それはそうだろう、とは内心苦笑した。まさか五条もこんなことになるとは思っていなかったはずで、多額の現金を持ち歩くはずもない。

(でも…やっぱりその方法しかこの島を出る手段はないということか…)

今朝、見た港の様子を思い出しながら溜息を吐く。

「ああ、それでね。さんに合いそうな着物は一応用意してみたんだよ」
「…え?」
「ちょっとこっちに来てくれるかい?」
「はあ…」

山本に促されるままついて行くと、店主のプライベート空間と思わしき部屋へ通された。そこには下働きの女中が艶やかな着物の手入れしている。遊女らしい艶やかで華やかな柄の着物だ。

「あら、旦那様、その方が?」
「そうなんだ。どうかな、さん。一度着てみるかい?」
「え…」
「色白なさんなら、こうした艶やかな柄が肌に映えると思うんだが」
「で、でもわたし、こういう着物は着たことがなくて…」
「大丈夫だよ。私が着付けてあげるさ」

女中の女性がポンと自分の帯を叩く。その張りきった様子に断れる雰囲気でもない。それに自身、その艶やかな着物に少し興味があった。普段なら絶対に身に着けることのない代物だ。

「もし遊女のフリをするということなら、それらしく振舞わないといけないからね。慣れておくのも手だと思うよ」
「はあ…じゃあ…お願いします」

山本の言葉に納得し、は覚悟を決めて、女中の女に頭を下げた。

「任せな。うんと綺麗に仕上げてあげるから」

ガハハっと豪快に笑う女を見て、の笑顔がかすかに引きつっていた。



△▼△



「あ、五条さま。お帰りなさい」
「ただいま~。は?まだ寝てる?」

あらかたゴミ掃除を終えた五条が宿に戻ると、店主の山本が番台に座って出迎えてくれた。

「いえ、とっくに起きて今はキミコに着替えをさせておりまして」
「…着替え?何で?」

は誰の手も借りずに着物を着れるのは知っている。何故女中の手を借りているんだろう、と思っていると、二階から誰かが降りてくるのが見えた。

「…え」

ゆったりとした動作で降りてくる何とも艶やかな遊女を見て、五条の表情が驚きへと変わっていく。しばし見惚れてポカンとしたまま、その場に立っていると、降りてきた遊女が五条に気づいた。

「お、お帰りなさい…」
…?」
「えっと…念のため一度着てみないかと言われて――」

は照れ臭そうに視線を反らした。まさか髪まで結われるとも思っておらず、これほど本格的に化粧まで施されるとも思っていなかった。大きく抜いた襟元がスースーして、大量に髪へ通された髪飾りが、動くたびシャラシャラと揺れるのが落ち着かない。長く艶やかな帯は胸の下辺りで結ばれ、普段の着慣れたものとは違う重量にも驚かされる。
その時、五条が我に返って嬉々とした笑みを浮かべた。

「わーすっごく綺麗だよ、!」

青い瞳をキラキラとさせてはしゃぐように手を叩く五条に、も頬が赤くなっていく。
その時、五条がの腰辺りに抱き着いた。帯を崩さないよう気をつけながら腕に力を込める。

「な、何して――」
「こんなに綺麗な姿のを他の男の元へ行かせるのは心が痛い…」
「は?何を言ってるの…まだこの作戦でいくかは…って、ちょっと放して」

しゃがみながら、ぎゅうっと力強く足元を抱く五条を見下ろしながらが困ったように身を捩る。しかし五条はしっかり抱いて放そうとしない。

「誰も目の届かないところに隔離して、一生僕が独り占めしたい」
「…何バカなこと言って…」

真に迫った物言いに、は首筋がぞわっとした。この男なら本当にやりかねない…と思えてしまうのが怖い。

「でも肝心の男客が来なきゃ、この作戦は無理だからね」

そう言ってからやっと五条はを放すと、意味深な笑みを浮かべて立ち上がった。

「ということで…今夜はがこの姿で僕を接待してくれるってのはダメ?」
「ダメです」

うっとり帯を撫でながら微笑む五条に、は呆れた様子で手をパシリと叩く。てっきり無限で守られているのかと思えば、直に手が触れて、はドキリと顔を上げた。

「…何故…術式を解いてるの?」
「だってに触れられたいし」
「………」

優しい眼差しを向けながら、堂々言ってくる五条を見て、の頬が再び熱を持つ。男にここまでの情熱を向けられたことはない。結婚を申し込んでくる相手は、必ずの背後に本家を見ていたからだ。しかし五条の瞳にはその野望が見て取れないからこそ、戸惑ってしまう。
その時、山本が「客で思い出したんですが…」と口を挟んできた。

「明日の夜、一人うちの常連様がいらっしゃいますよ」
「え?」
「警視総監のご子息で、本来うちのような小さな店には来ないような身分の方なんですけどね。まあ、ちょっと訳アリで。でも彼なら身請け相手にはもってこいなんですけどねぇ」

山本の話を聞いて、と五条は困惑気味に互いの顔を見合わせた。