溺愛事変

第十一話:優しい手

『…何してんですか、アナタは』

開口一番、呆れ声で言われたあげく、深々と溜息を吐かれた五条は、その宝石のごとき青い瞳をわずかに細めた。

「僕、一応先輩だよね、オマエの」

つい言い返してみたものの、相手は一向に怯むことなく、淡々と話し始めた。

『だから何なんです?後輩は先輩の暴挙とも言える勝手な振る舞いに全て目を瞑らなければいけない決まりでもあるんですか?』

五条の一学年後輩である七海は、相変わらず感情を乗せない言葉で攻撃してくる。こうなっては五条も苦笑するしかない。どのみち無茶なお願いをしているのは五条の方だ。

「勝手に動いたのは悪かったけどさぁ…大切な子が攫われたってのに呑気に任務なんかしてられないでしょ」

先日同様、宿の屋根の上に寝転びながら、沈みかけた太陽の眩しさにサングラスをかけ直す。見知らぬ男に大事な妻となる彼女の身請けをさせるのは、どうも気が乗らず、ここはやはり可愛がっている後輩へお願いしようと電話をかけたのだ。

『大切な子…ですか。そんな女性がアナタにいたとは知りませんでした』
「それも何気に失礼だよね。僕にだっているよ、好きな子くらい」

小さく息を飲んで驚きを現わにした七海に対して、五条は笑いを噛み殺しながら体を起こす。まあ自分が後輩…というよりは周りからどういう目で見られているかくらい知っている。
自分勝手。暴君。我がまま…etcetc…以下無限大∞。
まあ――自覚はあるので否定はしない。

『しかし、そのことと、私が地図にも載っていない島へ出向いて遊女を身請けするという話に何の関係が?』

最初にざっくり説明してからその話をしたのだが、七海は半分も聞いていなかったらしい。本来なら五条が受けるはずだった任務を全振りされて少々機嫌が悪かったせいだ。
そこは申し訳ないと謝罪しつつ、五条はもう一度、自分達の現状を詳しく説明した。

『…なるほど。女性は出してもらえない島、ですか』
「この依頼をした人物は相当彼女に恨みがあるみたいでね。きっとそういう場所だって分かっててここを選んだんだろ。殺す前に地獄を味わわせたいという伝言まであったみたいだし」

五条が呪詛師に扮して潜り込んだ際、リーダー格の男から簡単な依頼の説明があった。そこで別に依頼主がいると知った五条はどうにかその人物のことを聞き出そうとしたが、リーダー核の男が教えてくれることはなかった。あの様子ではリーダーを任された男でさえ、依頼主を聞かされていないのかもしれないと、五条は感じていた。

『で…私にその島へ現金を持ってこいと…そういう話ですか』
「うん。ここ場所が場所なだけに金融機関がなくてさぁ。だから頼むよ、七海ー」
『……』

甘えるようにお願いしてくる五条に、七海は出来ればお断りしたいとも思ったものの、実際に拉致された女性がいるのなら助け出さなければいけないので無下にも出来ない。しかもその女性というのが呪術界を牛耳る御三家の中でも絶対的権力を持つ五条本家の長女とくれば尚更だ。

『…分かりました。ですが今すぐ危険ということじゃないのなら、こちらの任務を終わらせてからでも?』
「それは七海の判断に任せるよ。動けるってなったらケータイにメッセージ送って。また詳しいこと説明するから」
『…分かりました。ではそのように』

そこで七海との通話が終わり、五条はケータイの電源を切ると制服の内ポケットへとしまった。とりあえず七海が動いてくれるなら、後はどうとでもなる。

「帰ったらすぐに式場を探さないとね。白無垢もいいけど、はウエディングドレスも絶対似合うな」

あれこれ想像しながら頬を綻ばせつつ、五条は足取りも軽く屋根の上から室内へと戻って行った。



△▼△



「ふぅ…スッキリした…」

遊女の着物を脱ぎ、普段着の着物へ着かえたは、ホっと息を吐いた。しかし本来なら一生着ることのなかった代物で、少し冒険した気分にはなる。

(あんなわたしを見たらお父様達は卒倒するわね…)

これまで家のことばかり考えて行動してきたは、世間から見れば"イイ子"の部類に入るだろう。親のいいなりになってきたつもりはないが、親の望むような人生を歩んでいるも同然だ。

(これで健康だったなら…わたしは本当の意味で自慢の娘になれたんだろうな…)

ふとそんな侘しいことを考えて首を振る。こればかりはどれだけ肉体を鍛えようと意味がないのだ。五条家の中で六眼がなくとも無下限を極限まで操ることが出来たのはのみ。だからこそ自信もつき、当主として五条本家を守っていくと誓えた。でも今はその全ての自信を失いつつある。力も使えない自分が本当に当主になんてなっていいんだろうか。最近ではそんな思いも過ぎる。
婿養子を取ってまで形ばかりの当主にしがみつくより、いっそのこと本当に六眼の元へ嫁いだ方が、父の為にはいいのではないかとも思う。病気を理由に破談されたけれど、父は元よりそれを望んでいた。そして現在、その六眼に求婚されている状態だ。
てっきり傷物・・の嫁を迎えるのを渋ったのは五条悟本人かと思っていたが、彼が乗り気ならば父としては願ってもないことなのかもしれない――。



背後から名を呼ばれ、ふと我に返った。

「悟さん…?」

店主の部屋に五条が顔を出し、すでに元の着物へ戻っているを見て「あれ」と驚いている。

「もう着替えちゃったんだ。残念…」
「…あ、あれは…試着のようなものだから」
「すっごい似合ってたのに」

五条は心底残念そうに言いながら「部屋へ戻ろうか」との手を繋いだ。その温もりにドキリとして顔を上げると、五条はパっと手を離した。

「ごめん。つい」
「い、いえ…謝ることじゃ…」
「え、じゃあ…繋いでいい?」
「………」

ストレートに訊かれ、一瞬言葉に詰まったものの、は小さく頷いた。もしかしたら嫁ぐことになるかもしれない相手だという思いが僅かにでもあったせいかもしれない。最初は助けてもらいたい一心で「結婚する」と嘘を言ったものの、結婚する気は全くなかったはずなのに、ここへ来て少し気持ちが揺らぎ始めている。
五条はが頷いたのを見て、意外にも「え、いいの?」と驚いたような顔を見せた。いつもは強引なところもあるくせに、変なところで驚くものだと、は少しおかしくなった。

「前はわたしを勝手に担いだくせに」
「あれは…体のことが心配だったから」

五条は苦笑交じりで言いながら、遠慮がちにの指先をそっと握った。その手の優しさに、またの心臓が反応する。自分とは違う大きく骨ばった手。現代最強の名を欲しいがままにしている呪術師の手は、意外なほどに優しく触れてくる。

(頬が…熱い…)

じわりと顔に熱が集中して、は軽く咳払いをした。男に免疫がないことをバレるのは恥ずかしい。

「悟さんは…どこに行ってたの?」
「悟でいいよ。さん付けなんて呼ばれ慣れないし」
「え…でも…」
「呼んでみて」

いつもの調子で言われ、一瞬言葉に詰まったものの「では…さ、悟…」とその名を口にしてみた。たったそれだけなのに、先ほどの熱が更に上昇するかのように顔が火照ってくる。名前を呼んだだけなのに、何故こんなにも照れ臭いんだろうと疑問に思ってしまう。
五条が何とも嬉しそうな笑みを浮かべたから、余計に羞恥心が煽られた。

「いい感じ。何かもっとと親しくなった気分になるし」
「そ、そんなものですか」

は素っ気なく返したものの、五条の言ったように名前を呼び捨てにするだけで距離が近くなった気がしたのはも同じだった。

「一気に夫婦感が増した気がしない?」
「…まだ夫婦じゃないでしょう」
「ま、そうだけど…あ、じゃあ…夫婦らしいことでもしようか」
「……は?」

自分達の部屋に戻ってきた瞬間、五条が意味深な笑みと共に意味深な言葉を吐き、はギョっとして繋がれた手を引きかけた。