第三話:可愛い後輩



少し前、私に可愛い後輩が出来た。同級生のクズコンビが、夜蛾先生に言われて強制的に連れて来た女の子だ。

「あ!五条くん、それわたしのチョコ!」
「オマエのって名前でも書いてんのかよ」
「書いてなくてもわたしが食べようと思って横に避けといたやつ!」
「まあまあ。悟も大人げないことするなよ。先輩なんだから」

この五条とチョコの取りあいをして、夏油に宥められている食い意地の張った――いや、極度な甘党の子がそうだ。名前は16歳。東京から5時間ほどのところにある田舎町の更に山奥で育った生粋の田舎娘らしい。でもその分、性格は素朴で素直。無邪気な一面もあって私にないものをたくさん持ってる可愛い女の子だ。
元々家はかなりの術師が出た家系だったようで、彼女の実力は目を見張るものがある。だけど本人には呪術師になる気が全くなかったらしく、親に嘘を言って普通の生活を送っていたと聞いた時は何て面白い子だと笑ってしまった。まあ最終的には呪術師にならないならロリコン御曹司と政略結婚をしろ、と父親に言われたようで、泣く泣く高専に入学したという一風変わった経歴を持っている。

まあ、そんな事情はあったものの。が高専に来てからは前よりも断然、周りが明るくなった気がする。と同じく後輩の七海は若干――ここ大事――明るくなったし、灰原はいっそううるさくなった。まあ仲良く任務に行き、授業を受けてるようで最近は本当にいい関係を築いているようだ。そして彼女は私達2年生からも可愛がられている。私は言わずもがな。夏油も何だかんだとには甘く、五条と下らないことで揉めた時は必ず彼女の味方をしているのを私は知っている。そして五条はと言えば、最初の出逢いこそ最悪ではあったようだが、今は同じ甘党ということで、こうして甘いものを食べている時だけは仲がいい。まだチョコの取りあいはしてるけど。

ただ私が一つ気になっているのは、あのハプニングチュー事件以来――残念なことに私はその場面を見ていないけど――五条がを意識し始めたということだ。は少しの間、五条を避けていたが、そのうち開き直ったのか今は前と変わらず接しているものの、五条の方は少しだけ彼女に優しくなった気がする。高専に連れて来たばかりの頃は「口答えするし生意気だ」と鼻息荒くしながら言ってたくせに、今はどことなく態度が軟化している気がする。今も「ほら、こっちのチョコやるよ」「え、いいの?」なーんて可愛いやり取りをしているし――前の五条なら絶対に考えられない――更には「あ~唇がチョコまみれじゃねーか、ったく…」とか何とか言いながら、の唇についたチョコをさりげなく親指で拭って、そのチョコがついた自分の指を舐めるという暴挙に出た。彼氏かよ、オマエ。私からすれば単にと関節キスがしたいだけの男にしか見えない。で五条のそういった行動を「ありがとー」と素直に受け止めてるのだからちょっと心配になってしまう。

山で育ったせいか男の邪な気持ちには疎いようで、当然のことながら恋愛経験値は0。田舎過ぎて若者が極端に少なかったせいか、中学までは同級生で幼馴染の男女しかいなかったらしく、彼女に先輩後輩という概念はあまりない。だから五条のことは未だに「五条くん」夏油のことは「夏油くん」と呼ぶ。私のことは最初だけ「硝子先輩」と気を遣って呼んでいたっぽいけど、やっぱり呼び慣れないようで、今は「硝子ちゃん」と親しみを込めて呼んでくれている。

因みに彼女は五条のことをこじらせイケメンだと思っていて、お互いに甘い物が好きなので、そこだけは気が合うらしい。夏油とは映画仲間で時々一緒に映画を見に行く仲と話してたが、地味にそれを知った五条は面白くなさそうな顔をしていた。ウケる。
と、まあ、こんな感じで、彼女はこの半年の間に、1、2年の中心のような存在になりつつある。それもこれも素直で可愛い性格故だと私は思う。

、私のチョコもあげる」
「え、いいの?硝子ちゃん」
「いいよ。私はそんなに甘い物は摂らないし、外でこれ吸ってくるから」

そう言って煙草の箱を振る。は「もーお肌荒れるよ、硝子ちゃん」と可愛い忠告をしてくれたけど、こればかりはやめられない。
因みに今、私達はのリクエストで、前から行きたがってた青山にある某ショコラトリーに来ている。入口付近にあるショーケースには、所せましと可愛らしいお洒落なチョコレートがずらりと並び、そこから好きなものをチョイスして、店内にあるカフェスペースでも食べることが出来る。いかにもが好きそうなお店だ。

「硝子」

ショーケースのチョコを眺めつつ、外へ出ようとした時、夏油が歩いて来た。

「私にも一本くれないか」
「…珍しい。去年やめたんじゃないの」

そう言いながら二人で外へ出ると、店から少し離れた場所で煙草を一本、夏油へ渡した。私も煙草を咥えると、夏油がライターで火をつけてくれる。

「何となく二人きりにしてあげた方がいいかなと思ってね」
「あ~。そういうことね」

夏油も自分で火をつけると、静かに紫煙を燻らせる。甘い物を食べてる時だけ、五条とはまるでカップルのように仲がいいから気を利かせたんだろう。ということは私の勘は当たってるのか?

「ねえ、夏油。まさか五条ってのこと…」
「さあ?私も聞いたことはないよ。ただ何となく、かな」
「ふーん。でもあのチュー事件以来、五条ってばに優しくない?わりと」
「そうかもな。まあ最初の頃からタイプじゃないかなとは思ってたし、あのハプニングが最後の決定打になったかもしれない」
「…げ。っていうか五条にも他人を愛でる心はあったのか…」
「っはは。面白いこというね、硝子は」
「だってアイツ、あんな性格のわりにモテるみたいだけど、特定の女っていたことないじゃん」
「あ~まあ。忙しいからね。特定の子と付き合うのは難しいだろ。相手が特に非術師の場合は理解されないことも多いし」
「それって五条が術師の女にモテないって遠回しに言ってない?」

私のツッコミに夏油はただ笑って誤魔化しただけだった。まあ呪術界では五条、そしてこの夏油も一緒にクズコンビと呼ばれるくらいだから分かるけど。二人とも顔は決して悪くない。いや悪いどころかイケメンの部類にダントツトップで入るくらいにはいいとは思う。ただただ、中身の問題だ。

「ま、もし仮に五条がに惚れたとしても、秒でフラれるのがオチだな」
「手厳しいね」
「夏油だってそう思ってるくせに」
「人の心がどう動くかは分からないさ。ま…厳しいとは思うけど嫌いじゃないなら可能性は0じゃない」
「そうとも言えるか…はバカがつくらい素直だしな…」
「ま、なるようになるさ」

夏油はそう言って最後の一口を吸い終えると、私の持つ携帯灰皿に吸いがらを落とし、再び店内へと戻っていく。かすかに鼻歌なんて歌ってたから夏油も意外とこの状況を楽しんでるのかもしれない。

「ま、五条がもしに惚れたとしても応援はしないけど」

可愛い後輩をアイツの餌食にする気はない。でも、そうなったらからかうのはあり寄りのありだな…とは思う。
まあ、それでも。が五条に惚れたというなら、それはまた別の話だけど。



△▼△



「五条くん…お願い」
「あ…?」

もう少しで届きそうな天井板に指を伸ばしながら「しっかり押さえててね」と念を押す。すると「押さえてんだろ?」と苦笑交じりの言葉が返って来た。
今日は都内の大学に来ている。敷地が広いということで、わたしまでが2年の任務に駆り出され、今、最後の仕事を終えようとしている。校内のものは全て祓ったものの、五条くんが体育館の倉庫の天井裏に数体の呪霊を発見。でも彼の術式は天井裏といった狭い場所に向かず、学校側に絶対に校舎は破壊はしないでくれと頼まれている為、急遽わたしが祓うことになった。わたしの術式なら狭い場所でも周りを破壊することなく呪霊を祓える。
ということで、今は大きな脚立に上って板を外したところだ。ただ背が高い脚立のせいか、安定感が足りず、ガタガタするのでそれを五条くんに押さえてもらっている。

「えっと、どの辺にいるの?」
「んー。そこから顔を入れて右方面に3体視える」
「分かった。じゃあ中を覗くのに一段上がるから…ほんとしっかり押さえててね。あ、でも顔はアッチ向けててよ」
「わーってるよ!誰がのパンツなんて覗くか」
「…む」

五条くんは脚立の足を押さえて、私が上るということで、当然制服のスカートの中を覗かれる可能性がある。だからつい念を押してしまったけど、あまりにひどい言いぐさだ。いや別に覗かれたいわけじゃないけど。そう思いながらゆっくり足を上げて一段上がろうとした時だった。

「……白か」
「え…っ?」

天井に手をかけ、天井裏を覗こうとしていた時に思わず振り返ってしまったのがいけない。元々安定していなかったことで当然バランスを崩し、わたしの体はぐらりと傾いた。

「…わっ」
「は?」

背中から床へ落下する――。そう思ったのに体を何かに包まれた感触がした。ドサっと衝撃が来た瞬間、すぐ後ろで「っぶねえーなっ」と怒る声がする。わたしのお腹には長い腕がしっかりと巻きついていて、思わず「ぎゃっ」と変な声が出てしまった。どうやら五条くんが後ろで抱き留めてくれたようだ。慌てて体を起こすと、五条くんも呆れ顔で体を起こし、制服についた埃を払っている。

「助けてやったのにぎゃってなんだよ…」
「ご、ごめん…っていうか…大丈夫?背中…」

五条くんはわたしを受け止めたまま床に倒れたはずだ。そう思って尋ねたけど、五条くんは「オマエを受け止めた時に術式発動してたから平気だよ」と笑った。それを聞いて納得した。

「そっか…良かった」

ホっとしてそうは言ったものの。ふと、待てよ?と首を捻る。そもそもあのタイミングで振り向いてしまったのは五条くんが何かを呟いたからだ。あの時、彼は――。

「っていうか、五条くんスカートの中覗いたでしょっ」
「…あ?別にオレは――」
「あっ目反らした!やっぱ見たんだっ」
「サングラスしてんのに反らしたなんて分かるのかよ」
「分かるもん!今、絶対反らした。やっぱり見たんだ」
「っせぇなあ…パンツくらいで。たまたま顔上げたらチラっと見えただけだし」
「やっぱり見てるじゃないっ」

プイっと顔を反らす五条くんに詰め寄ると、彼は「う…」と言葉を詰まらせた。その時、倉庫の扉が開いて、夏油くんが入って来た。揉めてるわたし達を見て「何してるの」と目を丸くしている。

「聞いてよ、夏油くん!五条くんがわたしのスカート覗いたのっ」
「は…?スカート…?」
「おま…チクんなっ」

五条くんがギョっとしたようにわたしの口を手で塞ぐ。後ろから羽交い絞めされてジタバタ暴れていると、夏油くんは苦笑交じりに肩を竦めた。

「仲がいいのは分かったから…早く呪霊祓って帰ろうか」
「…ぷはっ…仲なんて良くないしっ」

どうにか五条くんの手を外して言い返す。その瞬間、ほっぺをむぎゅっと摘まれた。痛いと文句を言いながら顔を上げると、仏頂面そうな五条くんがわたしを見下ろしている。サングラスで見えないけど、絶対あの綺麗な瞳が一ミリくらいになってるはずだ。

「な、何よ…」
「別に!いいから傑の言う通り、サッサと祓って帰んぞ」
「…分かってる…。もーほっぺひりひりする…」

最近の五条くんの情緒が分からない。急に機嫌が良くなったり悪くなったりする。今だってわたしは何も悪くないのに、勝手に拗ねてるんだから訳が分からない。これが女の子なら"あの日"かなって思う程度だけど、あいにく五条くんは男だ。それはありえない。

(そう…男、なんだよな…さっきだって軽々とわたしを受け止めたりして…)

ふと体に力強い腕が巻き付いた感触を思い出し、ドキリとした。思えば男の子にあんな風に抱きしめられたのは初めてだったりする。せっかく事故チューのショックが和らいで普通に接することが出来るようになったのに、また少しドキドキしてきた。

(ないない…!呪術師にときめくとか…ありえない…特に五条くんはこの呪術界をこれから率いていけるくらいの術師だ。絶対に深く関わっちゃいけない…)

政略結婚なんてしたくないから今はお父さんの言うことを聞いてるけど、高専を卒業したらわたしは今度こそ普通の大学に入るか、一般の会社に入ろうと目論んでいた。

「…終わったぁ」

屋根裏の呪霊をチン状態にして祓うと、慎重に脚立を降りていく。すると頭にポンと手が乗せられ「お疲れさん」と五条くんは言った。もう機嫌が直ったようだ。一頻りわたしの頭をぐりぐり撫でまわした五条くんは、倉庫の外で待ってた夏油くんの方へ歩いて行く。

「傑~帰り何か食って帰ろうぜ」
「いいね。そうしようか。灰原達も誘おう」

そんな会話をしながら先を歩ていく二人を後から追いかける。夕飯の話なんかするからわたしまでお腹が空いて来てしまった。今日の食堂のメニューって何だっけ?と考えていると、五条くんがふと振り向く。

は何食いたいんだよ」
「…え?」
「飯だよ、飯」
「え…わたしも行っていいの…?」

思わず聞いてしまったのは、てっきり男同士で行くものだと思ったからだ。でも五条くは「ハァ?当たり前だろ」と笑っている。どうやらメンバーにわたしも入れてくれてたようだ。

「で?何食いたいんだよ」
「え…えっとね……」

頭をフル回転させながら食べたい物を考える。というか多すぎてまとまらない。だから最初に浮かんだものを伝えた。

「…お好み焼き!」
「そんなもんでいいのかよ」
「だって食べたいんだもん」

そう応えると、五条くんは一瞬複雑そうな顔をしたけど、すぐに「あーダメだ。オレもお好み焼き脳になってきた…」と言い出した。思い出すと無性に食べたくなるのは最強呪術師でも同じみたいだ。特にソース系のものは誘惑に抗えない。

「なあ、傑。お好み焼きでもいい?」
「いいね。話を聞いてたら私も食べたくなって来た」
「やったー!」

お店で食べるのは初めてだから思わず笑顔になった。わたしの住んでたド田舎の山にはそんな小洒落た店は一軒もない。だからお好み焼きはもっぱら家で作って食べることしか出来なかった。だからこそ都会でのお店でお好み焼きを食べてみたいと思っていた。

「ありがとう、五条くん」

と早速ケータイでお店を探し始めた五条くんにお礼を言うと、「オマエの為じゃねえよ。オレも食いてーの」と笑っている。だけどそれは彼なりの気遣いかもしれない。そんなもの持ち合わせてなさそうだからこそ、ちょっとだけ嬉しかった。

「じゃ…パンツ見たことは許してあげる」
「…って、まだ根に持ってたのかよ」

五条くんはギョっとしつつも笑いながらわたしの額を小突く。その手はいつもより少し優しい気がした。