第五話:月夜と金平糖。



――あの髪の長い子が対象の子らしい。

あの日、傑と二人で行ったメイドカフェに天使がいた。懐っこそうな可愛い笑顔に艶のある長い髪、小柄で細みなのにスラリとした手足。そして体型に見合わない膨らみ。どれをとってもオレの好みにどんぴしゃで、あれほどささった女の子は今までいなかった。

――口答えするし生意気!

硝子や傑にはそんなことを言ったが、実際はそういうところも可愛いと思ってる。いや他の女がもしそうだったら絶対に可愛いなんて思わないだろうから、は別格なのかもしれない。田舎育ちで素直なところもまたギャップがあってたまらない。でもそれが恋愛感情なのかと聞かれると分からなかった。これまで人を好きになったことがないからだ。のことを可愛いと思う感情はアイドルを眺めて可愛いと思うのと同じ感覚なのか、それとももっと身近に置いて守ってやりたいと思う恋人的な感覚なのか。果たして答えは――。

「んなもん、どう見ても五条はに惚れてんでしょ」
「…あ?」
「私もそう思うよ」
「…何だよ、傑まで」

談話室のテーブルに突っ伏していたオレを、傑と硝子はニヤニヤしながら見下ろしている。その顏を見てたら更にイライラが増してきた。

「じゃなければが男とデートに行ったくらいで、そんな不機嫌にならない」
「……そう…なのか?このモヤモヤする感情は」
「にっぶ。それはね、五条。ヤ・キ・モ・チって言うんだよ」
「ウザ…」

心底楽しそうにからかってくる硝子は、マジでウザい。傑も笑ってねえでフォローくらいしろ。
そもそも、何でオレが同級生の二人にからかわれるハメになったかというと、がデートをすると言い出したからだ。今日は任務が休みだということで、昼前には起きての部屋を訪ねた。目的は東京原宿にあるスイーツパラダイスへ誘う為だ。が前から行きたいと言っていたから休みが合う日に誘ってやろうと思っていた。まあ前もって約束をしておけば良かったけど、オレも任務で忙しく後回しにしてたのがいけなかったのかもしれない。

いきなり部屋を訪ねたオレを見て、は驚いてたようだった。でもオレも驚いた。が可愛らしいミニワンピを着て綺麗な長い髪をふわふわに巻き、薄っすらとメイクまでしていたからだ。

「何…どっか出かけんの」

ちょっと嫌な予感がしつつもそう尋ねたオレに、は可愛い顔で頷いた。

「うん。今日ね、デートなの」

そのワードを聞いた時、オレは素で「は?」と言葉にならない言葉を吐き出した。デートってあれか?男と女が一緒にあちこち行ったりする――。

「って…いや、待て待て待て。誰と?」
「ああ、この前の任務先で知り合った大学生」
「…あ?大学生?」
「うん。健吾くん」

(知らねーよ、誰だよ、健吾!)

思わず突っ込みながらも心の中で健吾とやらを軽く八つ裂きにしておく。そこでよくよく話を聞けば、この前一緒に任務へ行ったあの大学で、はその健吾とやらに声をかけられたらしい。それが好みのイケメン俳優似だとかで、連絡先を聞かれ、あっさり教えたようだ。そして今日、デートをする約束をしたらしい。

「今から車で迎えに来てくれるの!大人だよね~」

硝子曰く、は都会のカップルに強い憧れを持っているとかで、すっかり舞い上がった様子で出かけて行った。オレはというと、それ以来ずっと胸の奥が重苦しくモヤモヤとしている。心臓病か?と思いながら硝子に診てもらったら「特に問題なく動いてるし、毛も生えてなかったよ」とふざけたことを言われて今に至る。

「いつからそうなった?」

と聞かれたから、ついでにがデートをするという話をした。すると「やっぱ惚れてんじゃん」と笑われ、そんなんじゃねえと言い返したものの、自分でもよく分からないから困る。途中から傑も加わり、さっきから楽しげな笑みを浮かべているのもムカつく。

「五条、アンタは自分で思ってるよりも分かりやすいからな?」
「…うっせぇな」

内心そんなに?とは思ったものの、ここで素直に認められるほど素直な性格には出来てない。それにがその健吾とやらと付き合いだしたなら、オレは速攻で失恋という名前の傷がつく。その傷をこの二人にだけは弄られたくない。

「でも、悟はどうするんだ?」
「あ?どうするって…?」
に告白する気はないのかってこと」
「ハァ?何でオレが…。つーか、は健吾って奴と付き合ってんだろーが」

大学生なんていかにもチャラそうな男――知らねえけど――に声かけられて、ホイホイ連絡先を教えるにもイラついていた。でも硝子の「え、まだ付き合ってないみたいだよ」という一言に、ちょっとだけ反応してしまった。

「ただ今日は映画を観るだけだって言ってたし。付き合うとかじゃなく、ただのデートでしょ。学生同士の」
「……へえ」
「あ、今、明らかにホっとしたな?五条」
「…ぐ…っしてねえ――」

硝子のツッコミについ過剰に反応して言い返そうとした時、談話室のドアが勢いよく開いた。

「あれ、みんな、ここにいたの?」

まさかのが顔を出し、オレはギョっとして上体を起こした。

「あれ、。もう帰ってきたんだ。まだ6時にもなってないのに」

昼過ぎに待ち合わせをして映画を観て、その後は夕飯でも食いに行くのかと思っていたオレは、の早いご帰宅に少しばかり驚いた。傑や硝子も同じような顔をしてる。

「あ、それが聞いて、硝子ちゃん!健吾くんてば最低でっ」
「最低…?タイプだって言ってたのに」
「顔はそうだけど中身だよ、中身。わたしが田舎出身だと分かった途端、ちょー上目で物を言って来るし、あげく映画館でわたしの太腿触ってきたの!」
「…ぶっっ」
「きったね、五条!」

太腿を触られたと聞いて、つい飲んだばかりのコーラを吹くと、硝子が騒ぎながら立ち上がった。でも今はの話が気になったのか、オレにその辺のタオルを掴んで投げつけてくる。マジで雑な女だ。

「触られたって、マジで?」
「うん。暗いからって太腿触るしスカートの中にまで手を入れようとしたから手首掴んで思い切り捻ってやったらいでで!って映画館中に響く声あげて目立ってたし笑ったけど」

はプリプリ真っ赤な顔をさせて怒ってるけど、最後はソイツの情けない姿を思い出したのか、ケラケラと笑っている。まあ本人がショックを受けてなさそうでホっとはしたが、健吾とかいう男への殺意が止まらない。今度あの大学に行くことがあれば、ソイツを探し出してけっちょんけっちょんのグッチャグチャにしてやりたい気分だ。だいたい大学生のくせして女子高生に手を出すことじたいがイラっとくる。

「もうホント男って最低」
「オイ。男で一括りにすんな。そもそもオマエだって好みの顔ってだけでホイホイと釣られてんじゃねーか」
「む…だって最初はそんな軽く見えなかったんだもん…」
「校内でオマエに声かけてる時点で軽いだろうが。気づけ、バカ」
「バカって…そんな言い方しなくても…」
「そうだぞ、悟」
「…チッ」

傑にまで窘められ、オレはイライラしながらそっぽを向いた。内心じゃがソイツとどうにかならずに済んだことにホっとしたクセに、つい、いつもの口の悪さが出てしまう。

「ちょっと五条、どこ行くの?」

ガタンっと椅子を蹴るように立ち上がったオレを見て、硝子が声をかけてくる。その目はやっぱり非難めいたもので、オレはさくっと視線を反らした。

「……飯食って来るだけだよ」

それだけ言うと、オレは談話室を後にした。よく分からない苛立ちだけが、今も俺の中で燻っていた。



△▼△


食堂に行った帰り道。校舎から寮までの長い道のりを歩きながら、夜空にぽっかりと浮かぶ三日月を見上げた。今日は皆が優しくて、何故かいっぱいご馳走になってしまった。

――元気だしなって。ならすぐカッコ良くて優しい男が見つかるよ。
――そうだよ。そんなクズにちゃんが騙されなくて良かった。な?七海。
――そうだね。早めにクズだと分かってむしろ良かったじゃないか。

硝子ちゃんや灰原くん、七海くんまでが励ましてくれて、夏油くんはわたしの好きなプリンまで奢ってくれた。何故かわたしが落ち込んでるていになっている。でも本当は皆が思うほど落ちこんでるわけじゃなく。むしろ七海くんが言ったように早めにクズだと知れて良かったと思う。皆には言わなかったけど健吾くんは女子高生とヤってみたかっただけらしいから、それが分かっただけでも良かった。それに顔はタイプだったけど健吾くんのことを好きになったわけじゃない。都会のカップルには憧れてるけど、やっぱり好きな人とじゃなきゃ、キスもエッチもしたくないし――。

(…ん?)

ボーっと夜空を眺めながら、鳥居の並ぶ道を歩いていると、背後からカサ…っと何か音がした気がして立ち止まった。硝子ちゃん達はまだ食堂で盛り上がってたから、こんな早く追いつくはずはないし、任務に出ていた他の学年の生徒でも帰って来たのかと思った。でも今は何の音もしない。

(…そもそも…高専の敷地内とはいえ、夜はほんと寮までの道のりが不気味なんだよなあ…)

外灯が殆どないから月明かりを頼りにしなくちゃいけないし、左右は竹林が広がってて真っ暗だし、幽霊が出そうでちょっとだけ怖い。前、五条くんにそう言ったら爆笑されてムカついたけど。

――オマエ、術師のクセに幽霊とか怖いのかよ。
――幽霊と呪霊は違うじゃない!呪霊は人の念で作られただけのものだけど、幽霊は実際に人の思念の塊なんだからっ!術式で祓えないものもいるし、そういうの怖いじゃん。
――怖くねーよ。呪霊も幽霊も変わんねーだろ。

そんな言い合いをしたことを思い出して苦笑する。五条くんは強すぎるから怖い物なんて何もないみたいだ。ある意味、羨ましい性格だ。

「……っ」

その時、また背後で何かの気配を感じ、ドキっとした。よくよく聞けばカサカサと何か袋が擦れるような音にも思える。それが少しずつ近づいて来るのが分かって、わたしは再び足を止めた。その瞬間――。

「おい、――」
「ぎゃぁぁっ」
「―――ッ!!」

ポンと肩に手を置かれて、わたしは力の限り叫んでいた。でもすぐに走りだそうとした時、首ねっこを掴まれて「ぐぇ」とカエルが踏んづけられたような声が洩れた。

「っせぇなぁ。オレだよ、オレ」
「…オレ…って、五条くん…っ?」

後ろを仰ぎ見れば、いつものサングラス――よく見えるなマジで――がわたしを見下ろしている。若干呆れ顔をしてるっぽい。

「ななな何よ…!驚かさないで」
「ハァ?勝手に驚いたんだろーが。さっきから声をかけようとしたら歩く速度上げやがって…」
「こ、声かけてよ、その時点でっ」
「あんま離れたとこから声かけたら驚かせるかと思ったから近づいたんだろーが」
「そ、そっちのが怖いってばっ」
「…ったく。仮にも術師がビビりすぎだっつーの」
「…む」

相変わらず口の悪い男だと思いつつ、二人で寮に向かって歩き出す。五条くんは手に何か袋を下げていて、それがカサカサと音を鳴らしてたらしい。

「…どこ行ってたの?」
「駅前」
「何しに?」
「飯食って、ついでにこれ買いに」

そう言って五条くんは袋の中から何かを出すと、「口、開けろ」と言って来た。そこは条件反射で素直に口を開けると、ぽいっと何かを放り込まれる。すぐに甘い香りが口内一杯に広がった。

「ん…甘い…これ…」
「オマエ、好きだって言ってたろ。"瑠璃珠堂"の金平糖」
「うん!こんな田舎にあんな美味しいお菓子屋さんあるなんて思わなかったし」
「ひとこと余計」

そう言って五条くんの指がわたしの額を軽く小突く。でも袋の中から出された淡いサイダー色の袋を手に乗せてくれた。

「え…?」
「オマエの。その味が好きなんだろ?」
「う、うん…。え、買って来てくれたの…?」
「飯食いに行ったついでにな」
「…ありがとう」

ついででも何でも、わたしの分まで買って来てくれるとは思わなくて自然と笑顔になった。綺麗な水色はサイダー味の金平糖で、前にこれが一番好きだと話した気がする。それを覚えててくれたらしい。

「女って甘いもんで機嫌直るってマジだな」
「え?」
「何でもねーよ。つーか元気そうじゃん」
「ああ、だって別に落ち込んでないもん。健吾くんを好きになったわけじゃないし」
「…あっそ」
「ただ…優しくされてホイホイ映画に行ったことは反省してる」
「……あれは…」

わたしの言葉ですぐ気まずそうな顔をする五条くんに軽く吹き出した。五条くんは口が悪いけど、思ったことをハッキリ言ってくれるところは嫌いじゃない。

「別に責めてるわけじゃないよ。ほんとにそう思っただけ」
「…素直じゃん」
「それだけが取り柄なもので」

そう言って笑うと、五条くんもやっと表情が少し柔らかくなった。

「あーあ~。こんなことなら五条くんとスイパラ行っておけば良かった」
「…あ?」
「あ、今度の休みに連れてって」
「……オレ、休みになるか分かんねーぞ」
「あ、そっか…すでに一級術師だし忙しいもんね」
「まあ…任務の時間次第じゃ行けるけど」
「え、でも任務後じゃ疲れるでしょ」
「は?誰に言ってんだよ。疲れるワケねーだろ」

そう言われると、五条くんが疲れてる姿は見たことがない。体力どんだけあるんだって驚くくらい、いつも一人で元気だ。

「あ、じゃあ…もし任務が早く終わればスイパラね」
「終わればじゃなくて終わらせるわ」
「え…?」

ふと顔を上げると、月明かりを浴びながら五条くんの綺麗なくちびるが優しい弧を描いていて。彼の大きな手がわたしの髪を撫でて行った。

(惜しいな。呪術師じゃなければ、ちょっと好きになっちゃうかもしれないくらいの急なデレはズルい…)

とりあえず、今度の休みは、五条くんとのスイーツデートになりそうだ。