第八話:誘って欲しい


エンドロールが流れ、その広い空間は満足感が漂い、一斉にザワザワし始める。今までヒソヒソ小声で話すことしか出来なかった鬱憤が解放される瞬間かもしれない。

「あー面白かった!」

私の隣にも満足感を思う存分、その可愛らしい顔に浮かべている人物が一人いる。私の後輩のだ。今日はお互い任務が早く終わり、報告に行った校舎でバッタリと顔を合わせた。私ももこの後は特に用もない。と分かると、共通の趣味である映画に行こうかという話になった。

「前評判通り、なかなか面白い展開だったね。ハッピーエンドで終わらない絶望感がまた後を引くと言うか」
「ほーんとですよね!いい意味で期待を裏切ってくれたかも…」

は自分がどこのシーンが良かったという話を延々としていたが、気づけば客も減り、そろそろ外へ出ようかという話になった。ロビーに出ると入場時よりも人が増えている。平日の夕方でもこれだけの人が映画を観に来るんだなと少しだけ驚きながら、とはぐれないように彼女の腕を引き寄せた。

「あ、ありがとう。夏油くん」
「いや、は気づけば人並みに攫われていく子だからね。私の手を離さないで」
「はい。でもほーんと凄い人…」

私に手を引かれながら、は驚いた様子で辺りを見渡している。私達がここへ到着した時はロビーもまだ人はまばらだったのだから当然かもしれない。私は人並みに逆らうよう歩きながら出口へと向かった。

「ふう~やっと出れたぁ~」

人混みを彷徨うと案外疲れるもので、もホっとしたように息を吐き出している。ただ場所が場所なだけに外も意外と似たようなもので、人も車も多かった。

「映画館は大きくて綺麗で楽しいけど、この人の多さは慣れないなぁ…」
「確かにね。私でもそうなんだからは余計にそう思うだろ」
「山にはこれだけの人間、住んでないし」

笑いながら応えたものの、もどこか疲れた顔をしている。帰る前にどこかでお茶でもしようかという話になった。少し歩いてショッピングビルの中にあるカフェに入ると、お互いにアイスコーヒーを頼む。だいぶ春らしさは消えて、もう少しすれば梅雨入りといった季節に近づいているせいか、今日は少しだけ蒸し暑い。

「あー生き返った~」

冷たい物を飲んで気分も落ち着いたのか、はソファに凭れかかって姿勢を崩した。広い映画館ではあっても座席はあまりゆったりと出来るスペースはないから、それも彼女にとったら窮屈だったんだろう。

「これから電車に乗って帰ると思うと面倒だなぁ」
「そうだね。時間的にちょっと混雑するかも」

時間を確認すると、午後の5時になろうという頃。これから徐々に帰宅ラッシュになってくる。高専までここから約30分。そこから徒歩で15分。なかなか面倒ではある。東京といっても高専のある場所は、ほぼ郊外と言っていいほどのどかな場所だ。ただ山育ちのからすれば、静かでいい環境らしい。

「そう言えば、その後はどうだい?悟とは」
「……え」

ちょうど話が途切れた頃、ふと尋ねてみた。それまで映画の感想の続きを楽しそうに話していたは、悟の名前を出した途端、言葉を詰まらせるのだから本当に素直で分かりやすい。

「どど、どうって…」
「毎日のように誘われてるんじゃないの。デートに」
「………まあ」
「やっぱりか。なら今日、映画に誘ってしまったことで悟に文句を言われそうだな」

言いながら笑うと、は僅かにその艶やかな唇を尖らせた。

「笑ってないで夏油くんからもやめろって言ってよ…」
「何故?も悟のこと嫌いじゃないんだろ」
「嫌い…じゃない…から…困ってると言うか…って、夏油くんに聞きたかったんだけど…」
「私に?何かな」

モゴモゴ言っていたが突然身を乗り出してきた。悟の名前に過剰反応するところを見れば脈ありな気もしないでもないが、は呪術師とは付き合う気がないと言い張っているのだからその辺の感情は複雑なのかもしれない。

「五条くんって…ホントにわたしのこと好きなの…?」
「え?」
「実はそうと見せかけてわたしが、じゃあ付き合うって言ったら、"バーカ、嘘に決まってんだろ!"とか言いそうじゃない?」
「…………(報われないな…悟)」

まあがそう疑うのも理解はできる。少し前まで悟は何でも素直に信じるをからかいすぎて、しばらく言うこと全てが嘘だと思われてたのだから。

――オマエ、知ってる?夢の国にいるキャラクター全部、夜蛾先生の呪骸なんだぞ。これ極秘の機密事項だから誰にも言うなよ?
――えぇ?!ホントに?!凄い!!うん、誰にも言わない!

そんな下らない嘘を素直に信じて驚くが可愛いのは分かるが、それが今頃になってボディブローのように効いてくるのだから救えない。でもまあ、ここは一つ親友としてフォローでも入れておいてやるか。

が疑うのもよーく分かるけど、それはない。誰が見ても悟はのことを純粋に好きだと思うよ」
「……そ……うなんだ…」

私の一言で分かりやすく頬を染めるは、悟じゃないけど確かに可愛らしい。素朴で純粋。彼女が都会に憧れを抱いてるのは知ってるが、あまり染まりすぎず、このままの彼女でいて欲しいと思った。

は呪術師とは付き合いたくないんだったね」
「…う、うん、まあ」
「でもその辺は深く考えず、悟と付き合ってからまた考えてみたらどうかな」
「…え…?」
「付き合ってみたら考えも変わるかもしれないし、悟のいいところが見えてくるかもしれない。嫌いじゃないならデートくらいはしてもいいと思うけどね」
「で、でも…」

は困ったように視線を右へ左へとせわしくなく動かし始めて、これじゃ私が脅しているようじゃないか?と苦笑が洩れた。そういうつもりじゃないのに、あの悟があまりに必死だから、つい何とかしてやりたいなどと思わされている。
元々悟は私とも価値観などには相反するものがあった。我々一般人で言う"普通"の育てられ方をしていない分、私から見れば少々、いやだいぶ人間らしさが欠落した男だったように思う。力や強さで価値を測り、物事を考える。強者と弱者。それ以上でも以下でもない。五条悟という男は私の常識から大きく外れたものの考え方をするようなところがあった。でも今はだいぶ人間らしくなってきたように思う。その都度ケンカをしながらも伝えてきた甲斐あって、世間の常識や物事のいい悪いの基準が正しく機能してきたのかもしれない。なまじ強いだけに弱者に対する思考は相変わらず辛辣だが、それもに恋をしたことによって変化が生じている。

その時、私のケータイが震動して僅かに驚く。映画を観ていたのでバイブ機能にしておいたことを忘れていた。すぐに確認すると、タイトルには怒り顔の絵文字。それだけで悟だなと分かる。

とまた映画に行ったって?』
『まだ帰らねーの』
『ってか今どこ?オレもう新宿だから』

チャット?と思うほど連続で送られてくるメールには苦笑するしかない。悟も初めて"嫉妬"という感情を手に入れたようだ。

「メール?誰?」

あまりに振動が止まらないせいか、が不思議そうに身を乗り出してくるから、ケータイ画面をそのまま見せてやった。最初は「え、誰?」と言いながら顔を近づけてきたものの、内容を読んだ瞬間、頬が赤くなっている。

「五条くん…任務の帰り?」
「多分そうだろうね。移動してる途中で送って来てるんだよ。ってことで合流するけどいいかい?」

は分かっていたんだろう。諦めたように頷いた。そこで悟に居場所を教えるメールを送ると、秒で返信が来た。

『今、そのビルの前。オレもそこ行くから』

大方、補助監督をその辺で待たせて店に来る気だろう。思わず吹き出しながら、そのメールを再びへ見せる。

「良かったね。電車で帰らなくても済みそうだ」
「あ、そっか!」

言った意味が分かったのか、は嬉しそうな笑みを浮かべると、店員を呼んで「コーラフロート下さい」と追加注文している。もちろんそれは自分の分じゃない。悟の好みをすでに把握している辺り、なかなかお似合いだと思うのに、彼女が悟に絆されるまで、まだ多少の時間は必要なのかもしれない。

「いらっしゃいませー」

その声に釣られて店の入り口を見れば、仏頂面をした悟がポケットに手を突っ込みながら入って来る。悟は私達に気づくと、大股でこっちへ歩いて来て、さも当然と言ったようにの隣へどっかりと座った。

「五条くん、早かったね」
「移動してたからな」
「お疲れ、悟。任務の方はどうだった?」

アイスコーヒーを飲みつつ、尋ねると、悟はサングラスを外して背もたれに寄り掛かり、どや顔で足を組んだ。

「ぜんっぜんヨユー。てか何でオレだけ地方とか…」
「え?」
「何でもねーよ」

未だに不機嫌そうな顔を見て、が気まずそうにしている。でも悟が注文をしようとした時、コーラフロートが運ばれてきてギョっとした顔をした。

「え、何で」

と私の顔を見たが、私が首を振ると、悟は驚いた様子で隣のへ視線を向けた。

「え、これが頼んでおいてくれた?」
「うん。悟それ好きでしょ?メニュー見たらあったから頼んでおいた」
「………マジ?」

の気遣いに悟は呆気にとられていたものの、すぐに破顔した。

「やべえ、感動した」
「え?」
「好き♡」
「ひゃっ」

悟は言葉通り、本気で感動したのか、いきなりの頬にキスをかました。それにはキスの免疫なんかないであろうが文字通り体を飛び上がらせて、見る見るうちに顏が真っ赤になっていく。

「ななな何するのっ」
「何って感謝のキス♡」
「しししなくていいからっ」
「遠慮するなよ」
「しししてないっ」

キスをされた頬を手で押さえながら、は逃げるように私の隣へ移動して来る。それを見て悟は「照れ方可愛いかよ」とデレデレしてるんだから苦笑しか出ない。私から言わせれば、そんな悟が可愛いよ、ほんと。



△▼△


傑やとお茶をして高専に戻ってきたところで、硝子も合流して皆で食堂へ行った。話題はもっぱら二人が観て来た映画の話題で、オレとしては全く面白くない。オレも映画好きなのに、は傑を誘って映画を観に行く。いや、前はよく硝子も入れて四人で観に行くことが多かった。硝子がを誘いたがるからだ。きっと女子仲間が増えて嬉しかったんだろう。でもある時からオレだけ誘ってもらえなくなったのは、オレがたまたま先に観ていた映画をもう一度皆で観に行くとなった時、うっかりネタバレをしてしまったせいだ。面白かったシーンを言っただけのつもりが、三人に「何で先に言うんだ、悟」「五条サイテー。観る気失せた」「五条くんわざとでしょ」と責められ、そこからオレはネタバレ男と認定されてしまったらしい。別にわざとじゃねーのに、たった一回のミスで人は信用を失うんだという世知辛い現実を知った。でもそろそろ時効にしてくれてもいいだろ。

「そんなに怒るなよ、悟」
「別に怒ってねーよ。ムカついてんの」
「それ同じじゃないか?」

傑は余裕かまして笑っているから、ちょっとだけ腹が立った。

「ってか映画館での脚とか触ってねーだろうな」

テーブルに肘をついたままジロリと傑を睨めば、心外なという顔をされた。ちょっと呪霊を出しそうなほど傑の顏が怖い。

「触るわけないだろ。悟じゃあるまいし」
「あ?オレはそんなことしねーよ。傑こそむっつりみたいな顔してんじゃねーか」
「…っ聞き捨てならないな、悟」
「だったらどーすんだ?」
「表に出て話そうか」
「あ?やだね。一人で行けよ」
「………」
「………」

しばし無言で睨み合う。そこへ硝子が不穏な空気を感じ取ったのか「そこー!ケンカしない!」と怒鳴ってきた。

「ったく、五条も下らない嫉妬すんな」
「あ?オレは別に――」

と言いかけた時だった。食堂のドアが勢いよく開き、夜蛾先生が入ってきた。

「ここにいいたのか。オマエら」
「何かあったのかよ」

夜蛾先生は「いや、まあ、まだ何があったのか分からないんだが…」と訳の分からないことを言い出した。聞けば任務に向かった冥さんと歌姫からの連絡が途絶えたらしい。

「まだ分からないが、もしこのまま連絡が取れないようならオマエ達に援護に行ってもらうことになる。その心づもりでいてくれ」
「まあ、分かったけど…冥さんいるなら大丈夫じゃねえの」
「オレもそう思うんだが…とりあえず二日は様子見だ」

夜蛾先生はそれだけ言うと行ってしまったが、今の話を聞いていたが泣きそうな顔をしている。冥さんや歌姫には可愛がってもらっているから心配のようだ。

「大丈夫かな…冥さんと歌姫さん…」
「大丈夫だって。冥さんがついてるし」
「それ歌姫先輩ディスってない?」
「別に~。歌姫は弱いから一人じゃ危なかったなーとは思ってねえよ」
「うーわ、言いつけてやろ」

硝子は相変わらず歌姫贔屓でやかましい。でもはケータイで二人にかけているのか「ほんとに全然繋がらない…」と呟いている。その姿を見てたらそんなにあの二人が好きか、とちょっとだけ悔しくなった。女にまで嫉妬するとか終わってるな、オレも。

「大丈夫だって…マジで冥さんがいりゃよほどのことがない限り無事だよ」
「でもよほどのことだったら…?絶対はないでしょ、呪術師に」
「そりゃ…まあ、そうだけど」

はやっぱり泣きそうな顔をするから、オレはコイツの方が心配になった。

「大事な人が危険にさらされてると思うとつらいもん…」
…」

の言葉に傑も硝子も困ったように顔を見合わせてる。がこれだけ仲間の安否を気にするのは前からだけど、こういうことも彼女の呪術師嫌いの理由の一つかもしれないな、とこの時ふと思った。