第二十話:最強の弱点



伏黒甚爾の襲撃から二カ月が過ぎ、も無事に復帰を果たした頃、夜蛾先生から久しぶりに二年と一年の合同任務が告げられた。何でも古い家屋に大量の呪霊が集まっているらしい。「そんなのオレ一人で行って家事吹き飛ばせば早くね?」と言ったら渋い顔をされた。

「歴史ある建物だから、今の所有者から破壊だけはしてくれるな、との要望だ。それに今回は1年の担任から、授業の一環として頼まれている。勉強のうちだから先輩のオマエらが引率しろ。下の者の面倒を見るのも仕事のうちだ」

オレと傑を交互に見た夜蛾先生は「分かったな」と念を押してくる。

「分かったなら一年を迎えに行ってすぐに向かえ。ああ、一年には簡単な説明しかしてないから、オマエらからきちんと任務を伝えろよ」
「了解」

まあ前なら面倒くせえとしか思わなかったが、今はと任務に行けるなら嬉しいしかない。最近一人で任務に行くことも多かったから余計に。

「ああ、それと…悟」
「あ?」

歩いて行きかけた時に声をかけられ振り向くと、夜蛾先生は真顔で一言。

「イチャイチャすんなよ」
「………(うぜぇ)」

しっかり釘まで刺されて、傑に笑われた。ついでに「私は見送り行くわ」という硝子にまで「イチャイチャ禁止ウケる」とからかわれ、若干イラっとする。でも今日は機嫌がいいから許してやろう。


~」

一年の教室に顔を出すと、担任に呼ばれたと思っていた三人が驚いた様子で振り向いた。

「五条くん…?」
「今から任務に行くんだけど、一年と二年の合同だから一緒に行くぞ」
「え、合同?」
「そ。授業の一環らしい」

オレが説明すると、灰原は喜び、七海はげんなりといった顔をした。先輩が直々に引率してやるってのに、何が不満なんだ、七海は。

「場所は原宿」
「はら…じゅく?」
「オマエ、行きたがってたろ?」

オレがそう尋ねると、は嬉しそうに瞳を輝かせた。が完治した暁には、初めてのデートをする約束をしていた。そこでが原宿に行きたいと話してたのだ。

「原宿に行けるの?」
「まあ、任務だけど」
「…でも嬉しい!」

都会に憧れているが一度は行ってみたかった街ということで、素直に喜びながらオレについてくるのが可愛い。思わず口元が緩みそうになる。

「デレデレしないでよ、五条。キモいから」

結局、出立門までくっついて来た硝子が突っ込んで来るのがうぜぇ。

「うるせーぞ、硝子!――行くぞ、傑!」
「はいはい」

傑も苦笑いを浮かべつつ歩いて来ると、そのままオレ達は補助監督の運転で原宿に向かい、呪いが出るという古びた大きな一軒家へとやって来た。

「ここか…。なーんか無駄にデカい家だな」

言いながら家を見上げれば、建物全体から大量の呪いの気配が漂って来る。

「江戸時代に建てられた建築物で何度もリフォームしながら代々引き継がれてたそうですが、一年前一家全員が何者かに殺害され、それ以降誰も住んでいません」

補助監督が資料を見ながら説明してくれた。なるほど。江戸時代のものだから所有者も破壊されたくないってわけか。

「こういう古い、しかも殺人事件の起きた物件、残す意味あんのかよ」
「そう言うな、悟。年代物はそれだけで価値がある」

傑は分かったようなことを言うと、素直に家の玄関口へ歩いて行く。この数だと手分けして祓った方が良さそうだ、と思いながら振り返ると、は未だ車の中でスネているようだった。原宿と言っても、駅前ではなく、少し外れた住宅街に連れて来られたことが不満なんだろう。

「おーい、!早く来いよ」

そう声をかけるとは渋々こっちへ歩いて来たが、ふと目の前の家を見上げながら眉を寄せた。

「……呪いだらけ」
「そ、ここに溜まってる呪いをオレたちで祓うのが今日のお仕事」
「これだと時間かかりそうだな。手分けするか、悟」
「おう。んじゃーオレはと北東、傑と灰原七海は南西な」

家の見取り図を見ながら、誰がどの場所を祓うか決めると、オレは今度こそ忘れないよう"帳"を下した。

「"闇より出てて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え"」

そう唱えれば、黒い闇がオレ達や家の周りを覆い隠す。とりあえずこれで非術師からは、こちら側を視認出来なくなった。

「んじゃー行きますか」

古い石階段を上がり、錆びついた門を開けると補助監督がドアの鍵を開ける。長い間、閉じられていたドアはギギギっと軋む音を上げながら開き、その瞬間、どんよりとした呪いの気配が大量に流れ出て来た。

「カビくせぇー。マスク持ってきたら良かったな」
「…まずは換気した方がいいかも」

も鼻と口を覆いながら、手で埃を払うようにして土足のまま廊下へと上がる。薄暗い家の中は湿気とカビ、そして古い血の匂い。それらが呪いの気配と混じり、何とも言えない空気が充満していて思わず顔をしかめる。

「仕方ない。換気しながら進みつつ祓っていこう」
「そうですね!夏油さん」
「ハァ…」

傑と灰原、七海は自分たちの持ち場である一階の南西方面へ歩いて行く。オレはの手を引いて反対側の廊下へと進んだ。イチャイチャするなと釘は刺されたものの、手くらいはいいだろと言いたい。

、大丈夫か?」
「う、うん、平気…」

そう言いながらも繋いでいるオレの手をそっと握り締める。口で言うより平気ではないのかもしれない。前に呪霊より幽霊が怖いと言っていたを思い出して、ふと笑みがこぼれた。さっき殺人事件があったと聞かされ、青い顔をしていたところを見れば、そっちの方が気になるんだろう。そのまま廊下を進んでいくと、ウジャウジャと呪霊が寄ってくるのが視えた。

…気づいてるか」
「……うん――」

はふと足を止め、繋いでいる手を離した。

「ここは任せて」

そう言うや否やオレが祓うより先に、天井から降りて来た大きな呪霊に印を結ぶと術式を発動させた。その瞬間、呪霊は体内から加熱され、悶えながらジワジワとその形を失っていく。彼女の術式は周りに影響しないところが助かる。

「さっすが。やるじゃん、

だいぶ戦闘慣れして来たのか、判断と攻撃が早く、その呪力量はとても16の少女のものとは思えない。過去、どれだけの訓練を積まされて来たんだろう、とふと思った。

「…五条くん!後ろ」
「まーかせなさい」

一体出て来たのを皮切りに、背後からも数体の呪霊が現れ、オレは素早く飛びのいた。たかだか三級や二級の呪霊がどれだけ出ようと、オレとの敵じゃない。呪力を乗せて殴るだけで消滅したり、術式で捩じ切れば、すぐに形を失うやつばかり。と合わせて二十体ほど祓ったところで一階に蔓延っていた呪霊は消え去った。

「あとは…二階か。傑達もだいたい下は終わったようだな」

傑からのメールを確認しながら二階への階段を上がる。リフォームを繰り返してたと補助監督は話していたが、やはり年代物の急な階段はミシミシと嫌な音を鳴らし、今にも踏み抜いてしまいそうだ。

、足元気をつけろよ?」
「うん」

後ろに続くに声をかけながら階段を上がりきると、薄暗い廊下が見えて来る。その先には曲がり角があり、個室は八部屋ほどあるようで、二階も下と同様、暗く湿った空気が充満し、淀んでいた。案の定、各部屋から呪霊のうごめく気配が漂って来る。

「チッ。ウヨウヨいやがる…。まさに掃き溜めだな、ここは」

と言って、そこら中にいる呪霊はやはり低級レベルに等しい。これなら時間もそれほどかからず終わりそうだ。

、オレは奥の部屋から祓ってくから、は手前の部屋から祓ってくれる?」
「分かった」
「んじゃサッサと終わらせた後は、念願のデートだな」
「…え?」
「せっかく原宿に来たんだし、二人で美味しいもの食いに行こうってこと」

分かりやすいように言えば、も嬉しそうな笑顔を見せる。その笑顔を見てたらキスしたくなった。けど、さすがに呪霊に囲まれた中じゃ無理か、と諦める。

「じゃあ大丈夫だとは思うけど、一応気をつけろよ?」
「うん、分かってる…」

は頷きながら手前の部屋へ入っていく。それを見届けると、オレは角を曲がり一番奥の部屋まで歩いて行った。その途中にも呪霊が数体現れたが難なく祓う。そのまま奥の部屋に向かうと、少しだけ開いているドアを蹴り破った。

「げほ…すっげぇー埃…」

ドアが勢いよく開いたせいで一気に埃が舞い上がり、思わず顔をしかめた。一歩足を進めれば再びミシっと嫌な音を立てる。その奥の部屋は寝室に使われていたらしい。十畳ほどあるその部屋は全ての窓にカーテンが引かれ、暗い中にぼんやり見える捨て置かれた家具には白い布がかけられている。その布の一部には赤黒いシミのようなものが見えた。

「なるほど。ここが殺害現場ね…」

オレは家具の方まで歩いて行くと、かけてある白い布をめくってみた。そこには大きなベッドが置いてあり、マット上にはおびただしい血液の跡がハッキリ残っている。

「こういう物を残しておくなよ…。奴らの餌になる」

言いながら正面を見据えれば、すでに呪霊たちが取り囲むように沸いていた。

「めんどくせぇから一気に来いよ」

挑発するよう手招きすれば、呪霊が一斉に飛び掛かって来る。最初の一体を交わし呪力で飛ばして背後の呪霊を裏拳で弾く。その勢いのまま跳躍して正面に来たデカい呪霊を蹴り飛ばすと壁に激突し、大きな穴が開いた。

「あ…やべ」

破壊するなと言われてたのに穴を開けてしまい、こりゃゲンコツの刑だな、と苦笑が漏れる。でも今はまず現れる呪霊を祓うことに専念した。奴らの態勢を崩した後は術式での攻撃でトドメを刺せば呪霊たちは一斉に消えさり、一時その場が静まり返る。

「…まだまだいるだろ?出て来いよ」

あちこちに呪いの気配を感じて、苦笑しながら室内を見渡した。だが今の戦闘を見て敵わないと気づいたのか、なかなか姿を現さない。下手に知能がある呪いだと逃げられる恐れがある。

「ったくダリィな。出てこないならこの家ごと吹っ飛ばすけどいいのかよ?」

ホントは壊せないけど、と内心で舌を出しつつ、溜息交じりで声をかけながら部屋の奥まで進む。その瞬間――突然空気が重くなり、オレは足を止めた。

(何だ…?明らかに今、別の気配を感じた…)

ゆっくりと室内を見渡し、その突如現れた気配の位置を探ると、ぽっかりと開いた壁の穴が見えた。よく見れば、大きなベッドの陰に隠すような小さな扉があり、穴が開いているのは扉のすぐ脇。先ほど蹴り飛ばした呪霊がぶつかって出来た穴だが、その奥が空洞になっているように見えて、オレはゆっくりと近づいた。

「…御札…?」

穴の前でしゃがむと、足元に数枚の御札が散らばっているのに気づき手に取った。それは封印の時に使用する御札で、俺は邪魔なベッドを押しやると、辺りを探ってみた。だが外側に御札が貼られてる箇所はない。先ほどの衝撃で穴が開いた際、この扉の向こうの空洞から剥がれ落ちたとみるべきだろう。

「封印ね…。こんな隠すように小部屋を作って何を封印してたんだ…?それにこの気配…」

薄暗いこの穴の向こうから、周りにいる呪いとはまた別の異様な気配を感じる。

「これじゃ部屋の奥はよく見えねぇな…」

仕方なく立ち上がると、閉め切ってあるカーテンを一気に開けた。

「げ…カーテンにまで埃…」

舞い上がる埃を手で払いながら、日の光で明るくなった室内へ視線を戻す。明るいところで見る寝室は更に悲惨な状態で、床などにもどす黒いシミが広がり、壁や天井にまで血が飛び散った跡が残っていた。そして先ほどの穴を見れば、その一面だけが年代物の木の壁だという事に気づいた。

「なるほどね…。壁の向こうにある"何か"のせいで、そこの壁だけリフォーム出来なかったっつーことか」

手にした御札を見ながら苦笑すると、再びその壁の方へ歩いて行く。すると周りで様子を伺っていた呪霊たちのざわめく気配がして、ふと辺りを見渡した。

(…怯えてる?)

これまでの気配とは異なり、どこか恐怖のようなものを呪霊たちから感じる。オレに警戒していただけのさっきとは明らかに様子が違う。

「チッ…何があるってんだ?あの奥に」

再び壁の方へ歩いて行くと、穴の中を覗き見た。

「……ん?」

部屋に入る日の光のおかげで、多少見えるようにはなったものの、壁の奥はやはり薄暗い。ぼんやりと見えたのは二畳ほどの狭い部屋の奥に小さな祭壇のような物と、そこに乗せられた小さな箱だった。

「…箱?つーか、天井ひくっ」

覗き込んで上を見れば人一人立てないほどの高さしかない。ついでに中の壁には隙間もないくらいに御札がびっしりと貼られていた。

「何を封印してるんだ?多分…あの箱だよな。呪力が漏れてるし…」

この異様な気配は奥に祭られている箱から感じるのは確かだ。

「御札が何枚か剥がれたことで漏れ出したってとこか…」

最初に何故、この気配に気づかなかったか理由が分かり、オレはゆっくりとサングラスを外した。
この眼で見れば、箱から漏れている呪力の正体もハッキリするはず――。

「……ッ」

思わず息を呑んで穴から身を引いた。これほどの御札を貼られててなお、漏れ出て来る異様な気配の正体。

「これは…呪物か…?」

物体として現存する呪物は呪霊が特に発生しやすい学校等で魔除けとして使用されている場合もあるが、そんな物が何故この家に?

「なるほどね…。"本当の餌"はこの呪物か…。しかも特級クラス」

江戸時代からあるというこの家の先祖が、何らかの事情で呪物をここに封印したんだろう。

「とはいえ…このままにしてはおけねぇよな。こういうの見つけたら回収すんだっけ」

封印は明らかに効力を失っているし、オレが壁に穴を開けたせいで御札が剥がれ、更に強力な呪力が漏れている。このままでは更に呪いが引き寄せられて来るのは間違いない。仕方ない、と溜息をつきつつ、オレはその箱へ手を伸ばした。

「………ッ」

箱に触れようとした時だった。ズシリと重い空気を感じ、その瞬間祭壇の中から勢いよく不気味な手が伸びて来て僅かな差で箱を奪い去った。

「…チッ。まだ奥に何かいやがる」

湧いたように現れた呪力を視認すると、後ろに飛びのき目の前の穴を見つめる。すると突然唸り声と共に壁全体が破壊され、一体の呪霊が姿を現した。その姿は人型で、明らかに知能があるタイプの呪霊だ。あげく最初に感じた時より更に呪力量がアップしている。その呪霊は口を奇妙に動かしながら何かを吐き出した。

「…てめぇ…呪物取り込んだな?」

口から吐き出された木箱の欠片を見て、オレは軽く舌打ちをした。あの呪物を取り込んだということは、この眼に映る呪霊が特級相当に変化したことを意味する。人型呪霊は楽しげな笑みを浮かべながら、ゆっくり室内を見渡し、大きな奇声を上げた。

「…るせえっ!」

鼓膜に響くような声にはたまらず耳を塞ぐ。その瞬間、人型呪霊は俺の背後にいた。

《……お、おまぇ…殺ス…》

人語を呟いたと思えば目の前が赤く光り爆発した。その爆風で近くの壁が吹き飛び、破片と埃が一気に舞い上がる。

《……キャハァ…死ンダ!死ンダ!》

人型呪霊は更にはしゃいで身体を左右に揺らしていたが、ふと埃で咳き込んでいるオレに視線を戻す。

「…喜んでるとこ悪いけど……当たってねえし」

《………ッ?!》

驚愕の表情で俺を見る呪霊にニヤリと笑えば、呪霊はすぐさま次の攻撃を仕掛けて来た。派手な爆発音が何度か響き、周りの物が吹き飛び、オレの方にも椅子やら箪笥の破片が飛んでくる。
だが攻撃も、その破片さえ、オレには当たらない。

「だーから当たってないって。そろそろ気づけよ。知能があんなら…」

《ナ、何で…!!グァッ》

「説明めんどいから、そろそろ祓うぞー?つーか呪物も返してもらわねーと」

呪霊の首を抑えつけ持ち上げれば、呪霊は驚いたように暴れだし、オレは息を吐いた。呪力は特級クラスになったとはいえ、こいつはいわば生まれたてのようなものだ。自分の力を使いこなせていない今のうちに祓ってしまえば問題ない。そう思った時だった。

「………ッ」

不意に部屋の空気が変わり、見たこともない空間に切り替わった。同時に呪霊を掴んでいた手の辺りで何かが爆ぜて僅かな痛みが走る。

「つ…ッ!これは…生得領域…?!生まれたてのくせに生意気な奴だな、お前」

ヒリヒリする指先を見て、思わず顔を顰めた。相手の領域では無限も中和され、ちょとした攻撃でも当たってしまう。今のように呪力で強化していなければ俺の右手が吹っ飛んでいただろう。

《ヒッヒッヒ~死~ネ死~ネ》

「浮かれやがって…」

素早い動きに加え、触れた物が爆ぜる術式はコイツの領域内では少々面倒だ。――と普通の術師なら思うだろうが、オレには関係ない。呪霊の攻撃より更に早く背後に移動すると、呪力に術式を加えて殴り飛ばした。それと同時にまた拳の先が爆ぜて皮が焼き切れる。

「つぅ…ッ俺が触れても爆発すんのかよ?!うざっ!」

《ヒッヒッヒ~》

壁まで吹っ飛んだわりに呪霊はさも楽しいといった顔で笑っている。その顔が癪に障った。

「マジうぜぇ」

こっちが触れても、奴に触れられても攻撃は当たる。ならば直接触れなければいい。

「――術式順転……"蒼"」

《グォ…?!》

突然身体を引き寄せられたことで呪霊は驚いたように声を上げた。そのまま触れずに奴の両足をねじ切れば、アホみたいに叫びながら床でのたうちまわっている。

「そろそろ飽きたからお前は死ね」

《……グゥァッ》

最後のあがきで必死に肉体を再生しようと這いずり回る呪霊に、容赦なく攻撃の出力を上げた、その時――。

「五条くん…?!」
「………ッ?」

呪霊の大きな気配に気づいたのか、が領域内へと侵入してくるのが見えてオレは小さく息を呑んだ。

「来るな――!」

そう叫んだ瞬間、驚くようなスピードで足を再生した呪霊が、更に加速しての方へ飛び掛かった。

「きゃぁぁぁっ」
…!!」

呪霊の手が彼女の肩を掴んだ瞬間、爆発が起きるのを見て、オレは咄嗟に力で引き寄せようとした。だが呪霊は素早くを背後から拘束すると、その手を彼女の顔へとかざす。

《オマエ……チカラをツカエば…コイツの顏が飛ブぅ…キャハハ》

「てめぇ…」

大切なものに触れられて、怒りが沸々と湧いて来る。たかが呪霊に対してここまでキレたのは久しぶりだ。

(オレが攻撃を仕掛ければ、奴に届く前にの頭が――飛ぶ!)

それにコイツはオレが攻撃出来ないよう、わざとの身体を盾にしている。となれば素早く奴の背後へ移動し瞬時に腕を捩じ切れば――。

(いや、奴はただに触れるだけでいいんだ。背後に回った時のオレの気配に気づいた瞬間触れられたらまずい…)

ほんの数秒にも満たない時間、オレの中に迷いが生じたその時だった。

「五条くん…!」

吹き飛ばされた肩から血を流しながらもが叫んだ。

「そこから……奥まで下がってて…」
「…?」
「大丈夫…信じて」

痛みで顔を歪めながらも、彼女は笑みを浮かべてそう言った。その表情を見て何か考えがあるのだと気づいたオレは、言われた通り呪霊が出て来た壁の辺りまでゆっくりと下がる。

《ンン~?何ダ…モう諦メたのカ?ぎゃはッ》

呪霊は下がったオレを見て勘違いしたのか、更にはしゃぎながら身体を揺らして喜んでいる。知能はあれど、あまり頭は良くないようだ。こうしている間にも、彼女が攻撃を仕掛けてることに気づいていない。

《ジャぁオマエは今カラ、お、オレの玩具に――?!》

呪霊が再びの身体へ触れようとした時、彼女は素早く身を屈め、奴の腕が空をかすめる。同時に彼女が両手で印を結ぶのが見えて、オレは息を呑んだ。

《ァ―――――ッ?》

彼女の術式範囲内、特級呪霊は体内から溢れる熱に気づいたのか、おかしな声を上げた。は呪力の出力を最大に上げたのか、オレの方まで熱が届くほどに空気が熱せられている。

《ナ…何ダ、これハッ!あ、熱イィ!!…止めテくれッ!ダ、ダメ、オナか燃えるなァぁ!!》

呪霊が視えない熱に怯えて錯乱している。同時に奴の呪力が急速に衰えていくのを感じた。

《ヤ…やめ…ロぉ…》

時間にして一分も経たないうちに、特級呪霊はまさに萎むように消滅した。その瞬間、は崩れ落ちるように床へ倒れた。

…!大丈夫か…っ?」
「ん、これくらい平気…」

見れば肩が爆発で裂けて骨が見えている。初めてオレの顏から血の気が引いた。

「すぐ硝子のとこ連れてってやるから…!」

小さく頷きながら微笑むを抱えて、オレはすぐにその場を飛び出した。腕の中で意識を失うを強く抱きしめる。この時のオレは、が自分の弱点になり得る事実に気づきながらも、敢えて考えないようにしていた。




△▼△



「そうか…が特級を……で、ケガは?」
「…硝子が治療して傷は綺麗に治ったよ」

今は高専に戻り、傑たちと任務の報告を終えた後、オレだけ一人夜蛾先生のところに残った。

はまだ寝てる」
「うむ…。特級相当と戦った後だ。呪力を大量に消費しただろうし肉体的に影響が出るのは不思議なことじゃない。今はゆっくり休ませてやれ」

夜蛾先生の言葉にオレも納得して素直に頷いた。

「まあ…悟も色々と心配かもしれんが、も相当、力をつけてきてるし、例の一級に上げる話はもう一度、上に伝えておこう」

「ああ…頼むよ」

と、言いつつ。そこでのこと以外にも夜蛾先生に報告することがあったのを思い出し、オレはポケットからソレを取り出した。

「あと、さ。これ」
「ん?」
「さっき話した呪霊が取り込んだ呪物」
「何?見つけたのかっ」
「気づけば足元に落ちててさ」
「早く渡せ!バカもんが!」
「痛っ!いちいち殴るなよ…」

夜蛾先生は呆れた様子でオレの頭を殴り、手から呪物を奪っていく。まあ実際、オレもその呪物を手に取って、それが相当ヤバイものだと気づいた。

「これは……特級呪物"両面宿儺"の指!」
「やっぱり?話には聞いてたけど、オレも生で見たのは初めてだわ」
「何故あの家にこんな危険な呪物があったのか…。と、とにかくオレはコレを上層部へ持っていく!封印せねば何が起きるか分からん!」
「行ってら~」

慌てた様子で部屋を飛び出して行った夜蛾先生に、オレは軽く手を振り見送った。

「…両面宿儺…か。まさかアレが出て来るとはね。でもまあ…宿儺取り込んだ呪霊が育ちすぎる前に祓えて良かったか…のおかげだな」

あの特級呪霊が祓われた場所に、ソレはポツンと落ちていた。呪霊は箱ごと喰っていたが、あの隠し部屋にあった箱の中身は不気味な形をした指だったようだ。

両面宿儺―――。
呪術師をやっていたら一度は聞いたことのある名前だ。

宿儺は腕が四本、顔が二つある仮想の鬼神。
その正体は千年以上も前に実在したとされる人間…。
呪術全盛の時代、多くの術師が総力を挙げて彼に挑み、敗れたと聞く。
宿儺の名を冠し、死後呪物として時代を渡る死蝋さえ誰も消すことが出来なかった紛うことなき呪いの王――。

その後、宿儺の指は各地に散らばり、最も危険な呪物として高専上層部もその行方を捜していたのだから、夜蛾先生が慌てるのも当然だった。

「はあ…なーんか嫌な予感しかしねぇ…」

ああいった呪物は今日みたいに偶然見つかるか、あるいは呪霊が力をつける為に取り込んでいることが多い。故に意識的に探すとなれば、かなり大変だということを、オレは知っていた。

「めんどくせーもん見つけちゃったかな…。なあ、――ってか、まーた眠り姫になんなよな…」

医務室に戻り、眠ったままのを見て、その柔らかい頬を指でつつく。

「せっかく原宿デートするはずだったのにな。空気の読めねえ呪霊どもが邪魔すっから…」

溜息交じりでボヤきつつ、の額にそっと口付ける。やっと体力が戻ったというのに、すぐこれじゃ心配は尽きない。今日まで、誰よりも大切になった存在なのに。
ただそれが、オレの唯一の弱さに繋がってしまうことを、はさっき気づいたのかもしれない。

誰よりも強く、どんな状況に置いても、その全ての力を以って己の任務を全うすべし――。

最強とはそういうものだ、と以前、オレに説いたのは誰だったか。
 
「オレもまだまだ…か。ごめんな…

オレはもう、迷わない――。

そう誓いながら、の手を強く握りしめた。