第三十話:昔も今も


小雨の降る昼下がり、久しぶりに連絡をした硝子先輩と、会社近くのカフェレストランでランチをする約束をした。
最初はやっぱり顔を合わせるのが怖かった。挨拶もなく、勝手に高専を出て行ってしまったのだから、当然怒っているとも思っていた。だけど、彼女は謝罪して頭を下げたわたしを見て「バカじゃないの」と、静かな声で笑った。
長い髪をかきあげて微笑む硝子先輩は、だいぶイメージも落ち着いて、大人の女性になっていた。

「アンタの気持ちはこれでも理解してるつもりだよ」
「…硝子先輩」
「まあ、あの頃のの異変に何となく気づいてたのに、何もしてやれなかった私も反省すべき点はある」
「そんなこと…っ」
「あるんだよ。可愛い後輩の心のケアを怠った。それに…が冥さんを頼った気持ちも薄々分かってる。彼女は合理的に物事を見てくれるだろうしね」
「…すみません」

もう一度その言葉を口にすると、硝子先輩は「もうこの話はやめ!」と言って、注文したオムライスを食べ始めた。
外見や雰囲気は変わっても、こういうサッパリしたところは変わっていない。当時、もし相談していたら、硝子先輩はきっとわたしの気持ちを汲んでくれただろうと思う。でもそうすれば彼女が裏切者になってしまうかもしれない。バレないにしても、彼女の中にそんな思いを残したくなかった。五条くんに近い人だからこそ、余計に何も言えなかったのだ。

「で…どうなの?その後」
「え…?」

わたしも運ばれてきたグラタンをスプーンですくった時、硝子先輩が訊いてきた。ふと顔を上げると、彼女の綺麗なくちびるは弧を描いている。何を訊かれたのか、すぐに分かった。

「どうって…特に変わりないです。向こうも忙しいから、一緒に住んでても顔を合わせることは少ないし…」

会う前に電話で話した時、五条くんのマンションに住むことになった経緯は報告してある。硝子先輩は驚く様子もなく、分かっていたようだったけど。

「今時期はそうだろうな。まあ…でも一緒に住むんだったら、元サヤってやつなのかな?」
「え…?」
「五条と。こういうのもヨリを戻すって言うのかは知らないが」
「……まだ…そこまで考える余裕は…」
「そうか。にしたら…そうだろうな。十年はなかなかに長い」

硝子先輩はどこか遠くを眺めながら、ふと呟いた。
確かに、この十年でわたしもだいぶ変わった。高専を離れたことで逆に心身が鍛えられたかもしれない。冥さんも地味に厳しい人だから、甘えなんか見せられないし、わたしが心の元気を取り戻した後は、きっちりと色んな指導をさり気なくしてくれた。彼女がいなければ、今のわたしはいない。

「会社の方は?引継ぎ上手くいってる?」
「はい。もうあと十日で辞めるし、今は細かい作業の資料なんかをまとめてるところで」
「そうか。でもがOLなんてものになってるとは驚いたけどね」
「おかげで社会人としては少し成長したつもりです」

笑いながら言うと、硝子先輩もふっと笑みを漏らした。

「硝子先輩は目指してたお医者さんになったんでしょ?」
「ああ…っていうか…昔のように呼んでくれてかまわないよ」
「あ…でも…何か会社勤めをしたら、先輩の重要さが分かったというか…さすがに昔のようには呼べないかも」

子供の頃から同級生しかおらず、他は大人ばかり。そのせいで小中と、先輩という存在はいなかった。だから昔は硝子ちゃんなんて気軽に呼んでいたけど、社会人になって、会社の先輩から指導を受けたりしているうちに、先輩後輩という立場を理解してきた。それが身についてしまった今、前のように呼ぶのは気が引けてしまう。
硝子先輩はわたしの答えに「なるほどね」と軽く頷いた。

「五条は未だに五条くんなのに?」
「それは…」

含み笑いをする硝子先輩を見て、頬がかすかに赤くなる。五条くんも高専の先輩ではあるけど、彼氏彼女という関係にあったせいか、そこは今更先輩と呼ぶのも気恥ずかしいものがある。

「ちょっと意地悪がすぎたね。冗談だ」
「…もう。からかわないで下さいよ」
「可愛い後輩から距離を置かれたようなことを言われると、意地悪の一つもしたくなる」
「距離を置いたつもりは…社会人のクセみたいなものだし…」
「はいはい。まあ…当分は先輩でいいよ。十年ぶりだしね。でもまた、そのうち前のように呼んでくれたら、わたしは嬉しい」

硝子先輩は笑いながら肩を竦めると再びオムライスにとりかかる。わたしも昼休みが終わらないうちに、と急いで残りを食べ始めた。
まだ少しだけ、長い年月が空いたぎこちなさは残るけど、硝子先輩の気持ちは嬉しい。昔のように戻れたら、ふとわたしもそう思った。それでも、足りない人達が確実にいるんだけれど。
大人になった今、改めて会いたいと思ってしまう。
どんなことを思って過ごしてたのか、何の為に呪術師をやっていたのか、どうして、呪術界を裏切ったのか。
灰原くんや夏油くんの気持ちを、今更ながら訊いてみたくなった。昔じゃ分からないことも多かったけど、大人になった分だけ、少しは分かるかもしれないから。
でも彼らにはもう、二度と会えない。
訊きたいことは、もう教えてもらうことも出来ない。
だけど昔のように絶望することは、もうなかった。長い人生、出逢いもあれば、別れもある。そんな自然の摂理を、前よりは受け入れることが出来たから。

が晴れて高専に戻って来たら、改めて飲み会でもしよう」

帰り際、硝子先輩は楽しげに言いながら、颯爽と帰って行った。




△▼△



一日の業務を終えて、さあ帰ろうと椅子から立ち上がった時、「さん」と主任から声をかけられた。

「はい。何ですか?」

引継ぎの書類の中に何か不備でもあったのかと、すぐに主任のデスクへ向かう。窓の外を眺めていたらしい主任は、わたしが歩いて行くと、仕事中らしかぬ笑みを浮かべて振り向いた。

「また来てるわよ、彼」
「…え?」
さんの婚約者よ。今、ふと下を覗いたら、目立つ髪色が見えて」

そう言われて、わたしも窓から下を覗くと、確かに会社のエントランス前に一台の車が停車している。見覚えのある黒塗りの車に寄り掛かって立っているのは、どう見ても五条くんだった。

(え、今日は広島に出張のはずじゃ…)

今朝、会社へ行く準備をしていると、先に起きてたらしい五条くんが、そう言ってたことを思い出す。まさか、また日帰りで戻って来たんだろうか。広島はなかなかに遠いと思うんだけど。

(でも五条くんならやりかねない…。伊地知くんも可哀そうに)

わたしの一つ後輩という補助監督の伊地知くんは、高専時代、存在は何となく覚えているけど、あまり印象に残っていたわけじゃなかった。一年生とは深く関わる前に離反してしまったので、この前、五条くんに紹介されたのが、ほぼ初対面といった感じだ。真面目そうな眼鏡が印象的な伊地知くんは、今、五条くんの補助監督を務めることが多いという。元々は呪術師を目指してたらしいけど、才能がないと気づいて補助監督に転向したと話していた。

「ほんとマメね~彼。羨ましいなぁ、お迎え」
「え…と…頼んでないのに来るから困ってるんですけど…」
「何言ってるの!お迎えあるうちが花なのよ」

突然ムキになる主任に驚いてると、彼女は「ウチの旦那なんて新婚の時だけだもの。迎えに来てくれたのなんて」と、旦那さんへの愚痴をブツブツ言っている。

「よく男が結婚したら女は変わる~とかほざいたりするけど、男も同じだから。さんも気を付けて、今からしっかり、あのイケメンを調教しておいた方がいいわよ」
「ちょ、調教…ですか…」

というか、結婚するとかも考えてないんですけど、と言いそうになり、そこはグっと我慢する。五条くんのせいで勝手に婚約したことにされ、退職理由も寿退社扱いになってしまっているので、今更嘘です、とも言いにくい。
あげく、主任に「ほら、彼が待ってるから早く帰りなさい」と言われたので、そこは素直に帰らせてもらうことにした。

「あ、。お疲れ~」

車に寄り掛かり、スマホをいじっていた五条くんが、会社を出たわたしを見つけて笑顔で手を振ってくる。わたしもつい釣られて手を振り返したものの、すぐに我に返って手を下ろした。どうも五条くんといると、わたしは流されやすい気がする。

「五条くん、出張は?」
「ん?あーそれ七海に行ってもらったんだ」
「え…七海…くん?」

その名前を聞いてドキっとした。離反して後悔したことの一つが、七海くんのことだからだ。でも彼はあの時、ハッキリ「呪術師にはならない」と言ってたはずなのに。

「都内近郊で僕じゃないとダメな案件が出てさ。だから広島の方は急遽、七海に任せたわけ…って…?どうした?」

きっと怪訝そうな顔をしてたんだろう。五条くんが上体を曲げてひょいっとわたしの顔を覗き込んでくる。サングラスは相変わらず、落っこちないんだな、なんて変なことを思い出した。

「え、えっと…七海くんて…呪術師続けてるの…?」
「え?」

わたしの問いに、今度は五条くんの方が訝しげに眉を寄せている。

「もしかして…は七海が一度呪術師辞めてたこと知ってるの?」
「え…辞めてた…って…」

わたしが驚くと、五条くんは更に怪訝そうな顔をしたけど、きちんと説明してくれた。

「七海、卒業後すぐに一般の会社に就職したんだよ。みたいに」
「就職…え、でも今は…」
「あー…何か辞めて四年後くらいに僕に連絡がきてさ。やっぱり呪術師に戻るって言うから、僕が高専に掛け合ったわけ。人手不足だから助かったよ。あの時は」
「そっか…そうなんだ…」

やっぱり七海くんは一度、呪術師を辞めるという選択をしたんだ。だけど、結局は戻って来た。四年の間に何があったのかは分からないけど、何となく七海くんが呪術師に戻ってくれたことは、わたしも嬉しかった。

「で、は何でそんなこと聞いてきたわけ?」
「え、あ…うん…前に…呪術師にはならないって…七海くんに言われたことがあって…」
「は?初耳だけど。マジで?」
「あ、ほら…灰原くんのことがあって、その後にちょっとね。そんな話をしたことがあるの」
「…そう。やっぱ七海もキツかったのかな…。アイツ、そういうこと何も言わないからさ。そういうとこ、とそっくり」
「…う…」

やぶ蛇だった、と思いつつ五条くんを見上げると、彼はわたしの頭をくしゃりと撫でて「帰ろう」と微笑んだ。そこは素直に頷くと、車の後部座席へ乗り込む。運転席には案の定、伊地知くんがいた。

さん、お疲れさまです」
「ごめんね。任務でもないのに迎えなんて…」

言いながら隣の五条くんを睨むと、彼はわざとらしく窓の方へ顔を向けている。毎度毎度、この後輩に無茶ぶりをしてると、昼間会った硝子先輩に聞いている。

「私もこれが終われば帰るとこだし、通り道なので平気です」

伊地知くんは相変わらず優等生な発言をしながら、すぐに車を発車させた。五条くんは「ほら」と言いたげに笑みを浮かべているから、ちっとも悪いと思ってないようだ。

「補助監督さんを私用でコキ使わないでよ」
「本人がどうしても送らせて下さいって言うから」
「……嘘ばっかり」

バックミラーに映る伊地知くんの顏が、僅かに引きつったのが見えて、つい苦笑する。きっと、いつもこんなノリで無茶なことをさせられてるんだろう。

「忙しいんだから、あまり迎えに来なくてもいいのに」
「え、何で」
「何でって…だって、もうマンションまでの道のりは覚えたし…」
「僕が来たいから来てるんだよ」

五条くんはそんなことを言いながら、そっとわたしの手を握った。ドキっとして顔を上げると、五条くんは涼しい顔で笑っている。
いつも人の情緒をかき乱すところは、あまり変わっていない。
ただ一つ、違和感があるのは――。

「そう言えば…五条くんはいつから僕なんて言うようになったの?再会した時から、ずーっと違和感あるんだけど」
「え、そう?もう、だいぶ馴染んできたと思うけど、まあは聞き慣れないか」
「教師になったから?」
「いや…まあ…それもあるけどね。心境の変化ってとこかな」

話す口調もわたしの知ってる五条くんよりは、随分と穏やかになっている。それは大人になったからだと思ってた。
彼にもまた、わたしの知らない十年という時間がある。

「ところで…は夕飯、何が食べたい?」
「…え、何って…」
「今日はいつもより早く帰れたから、僕が何か作るよ」
「でも…疲れてる――」

と言いかけて口をつぐむ。五条くんがニッコリ微笑んだからだ。どうせ疲れるはずないでしょ、と言いたいに違いない。

「それともが何か作ってくれるわけ」
「…え、それは…ちょっと…」

思わぬ反撃に合い、つい口ごもる。あたしが料理苦手なことは五条くんも知ってるクセに、ほんと意地悪だ。
というのも、同居を始めて三日後、その日も早く帰れたことで、のんびりデリバリーでもとって済ませようと思ってたら、五条くんまでがお早い帰宅。そして「何か作って」と無茶ぶりをされたのだ。
ぶっちゃければ、わたしは料理なんて殆どしてこなかった。
冥さんのところでお世話になってた時は、家政婦さんのような人が美味しいご飯を作ってくれたので、何もすることがなかったせいもあるかもしれない。おかげで五条くんに初めて作ったのは、少し伸びたインスタントラーメンという、何とも残念な夕飯になってしまった。

「じゃあ、やっぱり僕が作るから、何が食べたい?」

隣で笑いを噛み殺してる五条くんを睨みつつ、でも彼の作ったご飯は美味しいから文句も言えない。料理まで出来るなんて、どこまで完璧なんだ、五条くんは。

「ん?何がいい?」
「…じゃあ…焼きそば!」
「え、そんなものでいいの?」

五条くんはちょっと驚いた顔で訊いてくる。でもわたしは無性に焼きそばが食べたいと思ってしまった。こってりソースに紅ショウガをどーんと乗せてあるやつだ。

「うん。焼きそばがいい」
がそう言うなら、僕はそれでいいけど」

苦笑交じりで承諾した五条くんは、わたしの頬にちゅっと口付けた。ギョっとして離れても、五条くんは少しも悪いと思っていない顔で「何で離れるの」と笑っている。ほんとに誰がいようと気にせず、スキンシップをしてくるから困ってしまう。
伊地知くんは当然、見てみぬふりをしてくれていた。

「こういうとこでやめてよ…」
「こういうとこじゃなきゃいいんだ」
「…む…揚げ足取り」

熱くなった頬を隠しながら睨むと、やっぱり涼しい顔をしてるんだから嫌になる。まだ十年というブランクが、わたしの中では埋まってすらいないのに、五条くんにはそういうものが一切ないみたいだ。
結局、手も家に帰るまでずっと繋がれたままだった。




△▼△



『へえ…あの五条くんが夕飯をねえ…。なかなか楽しそうな同棲生活じゃないか』
「ど…同棲じゃなくて同居ですってば…っ」

冥さんのツッコミに思わず声を上げてしまい、慌てて口を閉じる。
今は夕飯後、お風呂に入ってたところで、冥さんからの電話を受けていた。

『照れなくていいよ。が高専に戻れば、五条くんと元サヤに戻るのは分かってたしね』
「ま、まだ戻ったわけじゃ…」

そう応えながらも、途中で言葉に詰まった。いくら学生の時に付き合っていた相手でも、十年ぶりに会ったばかりで、いきなり昔のようには戻れない。大人になった分、余計に照れ臭いのもあるし、まだ自分の気持ちがハッキリ分からないのもある。そもそもの話、五条くんも昔とは随分と変わったし、どう対応していいのかも分からないのだ。まるで知らない人といるみたいな気持ちにもなるし、五条くんだなと安心する時もあるから、過去と現在の狭間であれこれ考えてしまっている。

『ま、あまり難しく考えるな。私はお似合いだと思うよ。と五条くん』
「……他人事だと思って」

わたしの言葉に、冥さんは楽しげに笑うと『私もそろそろディナータイムだ』と言って、電話を切った。特にハッキリとした用がなかったところを見ると、どんな生活をしてるのか偵察でかけてきたんだろうな、と苦笑が漏れる。

「お似合い…か…」

六眼持ちの五条家当主と、落ちぶれた呪術師家系のわたしとじゃ、お似合いなはずがないのに。

(まあ…わたしが高専に戻ると電話で言ったら、お父さんは手放しで喜んでたけど…離反したことは一切怒られなかったのが、逆に怖かったな…)

わたしが呪術師として復帰すれば、家も安泰だという父は、未だにその地位に固執してるようだ。お母さんもそれを望んでいたのは薄っすら記憶にあるから、きっとお父さんはその約束を守りたいんだろう。

「…あと十日もすれば、わたしもまた呪術師か…」

そこでふと、明日提出しなくちゃいけない書類があるのを思い出した。

「はあ…寝る前に終わらせちゃお…」

溜息交じりでお風呂から上がると、髪を拭いてパジャマに着替える。でもリビングに行った瞬間、五条くんに捕まった。

、こっち来て」
「え、でもわたし、これから仕事…」
「家に帰ってまで仕事しなくていいから」

五条くんの手にはドライヤーがしっかり握られていて、早く早くと手招きをされる。そんな光景に、ふと懐かしさを覚えた。
学生の頃も、お風呂上りは五条くんが髪を乾かしてくれていたんだっけ。
ソファに座る五条くんの足の間へ座ると、「濡れたままじゃ風邪引くだろ」と、前にも言われたようなことを言われる。そう考えると、大人になっても変わってない自分に、ちょっとだけ恥ずかしくなった。
昔と同じように、髪へ指を通し、ドライヤーの熱を満遍なく当たるように乾かしてくれる。五条くんの指の動きが気持ち良くて、自然と目を瞑っていた。ある程度まで渇くと、熱を弱めて今度はブラシを使ってブローしてくれるのも、昔と変わらない。

「はい。出来た」

カチッと音がしてドライヤーが止まる。ふっと目を開けると、後ろから手が伸びて体を抱えられてしまった。

「ちょ、な、何?」

ビックリして声を上げたものの、わたしは五条くんの足の間に座らされてしまった。

「今、一瞬だけ寝てなかった?」
「そ…そんなことない…」

と言ったものの、確かに数秒ほど違う世界にいた自覚はある。昔のことを思い出していたせいか、目を開けた瞬間、寮の部屋じゃない、と驚いたくらいだ。

、疲れてるんじゃない?引継ぎで大変なのは分かるけど、ちゃんと休まないと。僕がいない時とか夜更かししてるんだろ、どうせ」
「……う…で、でも時間ないし…あともう少しで終わるの」
「それは分かるけど…0時前には寝ないとお肌荒れるよ」
「…そ、それ言われるとツラい…ひゃっ」

お腹に五条くんの腕が回され、逃げるに逃げられない状態のまま、後ろから頬にキスをされ、変な声が出た。こんなに密着するのは未だに慣れないのに、五条くんはお構いなしにグイグイくる。

「は、放して…仕事しなくちゃ」
「えーもう少しいいでしょ。僕もこうして家でのんびり出来るの一週間ぶりだし」
「でも…」

と言いかけた時、彼の手がわたしの顎へ添えられ、強引に後ろを向かされてしまった。同時に重なるくちびるに、心臓がおかしな音を立てた。

「ん…」

何度か啄まれて、そのうち舌が催促するよう、くちびるの隙間へ動くのが分かった。思わず体に力が入って、五条くんの腕をぎゅっと掴んでしまう。自然と開いたその場所へ、するりと侵入してきた舌がわたしのに絡みつき、やんわりと互いの熱が交わっていく。こんな深いキスは、過去に一度されたきりだ。
大人になった五条くんのキスは、昔よりも丁寧で、こっちを酔わせるような甘さを含んでいる。慣れていなくても分かるくらい、体がゾクリと反応した。

(もしかしたら…この十年の間に他の女性ひとと――)

一瞬、他の女性とキスをしている五条くんの姿が脳裏に浮かび、胸の奥が何かに掴まれたみたいに苦しくなった。
あり得ない話じゃない。それだけの長い時間が、わたしと五条くんの間にはある。なのに、勝手な思いが胸を過ぎってしまった。

「…ん……ふ…」

苦しくなって身を捩れば、五条くんのくちびるが離れていく。至近距離で目が合い、よく分からない感情がこみ上げてきた。吸い込まれそうなほどに綺麗な瞳は、昔も今も、わたしを魅了する。

「…鼻で息しろって教えなかった?」
「…そ…んなこと…言ったって…」

わたしの頬に口付けながら、艶のある声が耳元で響く。首筋がやけにゾクゾクして、心臓がいっそう速くなった。少し乱れた呼吸を整えようとした時、またくちびるを塞がれる。今度は最初から舌を入れられ、熱が一気に顔へと集中していく。いつの間にか、体は横向きにされ、強く抱き寄せられた。

「…ん…あ…」

口内を余すことなく舌でかき回され、口蓋を舐められると肌が粟立つ。その初めての感覚に少しだけ怖くなった頃、不意に五条くんがわたしを抱えて立ち上がった。

「ご…五条…くん…?」

真っすぐ寝室に向かうのを見て、恐る恐る見上げると、やけに熱っぽい瞳と目が合う。

「心配しなくても一線は超えない」
「…え?」
「約束は守るよ。が僕を好きになるまではってやつ。だけど――十年も待たされて、そろそろ限界」

そう言いながら、五条くんはわたしをベッドへそっと押し倒した。

「一線を越えなければ、逆に何をしてもいいってことだよね」

上から見下ろしてくる五条くんの言葉に、わたしの頭が一瞬でフリーズした。