第三十五話:惑う夜と甘い朝



※軽めの性的描写あり




「僕が出張でいない間、何してたの?」
「…んぁ…っ」

耳元での問いかけに意識を向けた瞬間、ナカに埋め込まれた彼の指がくいっと曲げられ、体内のどこかを刺激した。ピリピリとした甘い快感が走り抜け、軽く肌が粟立つ。

「ねえ、何してた?」
「ん…な、何…も…」

首筋にくちびるを滑らせて、ちゅっと啄まれると、今度はそこから全身に疼きが広がっていく。
五条くんと一緒に暮らすようになってからというもの、彼はこうして定期的にわたしへ触れるようになった。キスから始まり、体を弄りながら丁寧に愛撫を施しては、わたしを翻弄していく。そして最後には一方的に絶頂を与えられる。その快楽を覚えさせられた体は、五条くんに触れられるたび感度を増していき、今ではキスされるだけで、何かを期待するように反応してしまう。
そんなわたしを見て、五条くんは満足げに微笑うのだ。
一線を越えない。五条くんはその約束を守ってくれているけれど、わたしの身体を乱すだけ乱して、自分は涼しい顔をする。ある意味、拷問を受けている気がしていた。

「…ぁ…ぁあっ…」
「またイった?」

内壁を擦りながら、最奥を突かれた時、肌がぶわっと粟立った。電流のような快感が全身に広がって、足先までガクガクと震えてしまう。

、可愛い」

呼吸を乱すわたしのくちびるにちゅっと口付ける五条くんは、やっぱり普段と変わらない涼しい顔で微笑む。そして再び、首や鎖骨、胸元に甘いキスを繰り返した。
ハッキリ抵抗出来ないなんて、わたしもどうかしてる。

「も…ダメ…」
「ダメ?」

達したせいか、どこもかしこも敏感になっている気がした。五条くんのくちびるが触れていく先から疼いていく。
そして、またあの感覚・・・・が襲ってきた。

「どうしたの?モジモジして」

耳殻にその綺麗なくちびるを押し付けながら、五条くんが笑う。その刺激だけで、また下腹部の奥がジクジクと疼きだした。

「な…何でもな…い…」
「そう?物足りないなら、またしてあげようか」

低音で艶のある声が、わたしの鼓膜を刺激しながら誘惑してくる。再び首元がぶわっと総毛だつような感覚に、わたしは慌てて首を振った。
自分の体が最近おかしいと感じるようになったのは、ここ最近のことだ。
何度か達しているにも関わらず、まだ足りないと言うように疼きが酷くなるのは何なんだろう。こんな経験はしたことがないから、自分じゃ分からない。分からないから怖くなる。

(もっと…奥まで触れて欲しいなんて…どうしちゃったの?わたし…)

ふと頭に浮かんだ願望に恥ずかしくなった。でも自分ではどうしようもない疼きが体の奥から生まれてくる。

「…

五条くんが甘えたような声で胸元に口付ける。チリチリと肌を焼かれているような痺れが広がり、また快楽に溺れそうになるのを必死でこらえた。

「ダ…ダメ…!」

思い切り五条くんの肩を押して体から引きはがす。不意打ちだったせいか、五条くんは一瞬驚いたように目を見開いた。その隙にベッドから抜け出すと、乱された服を簡単に直していく。

「どうしたの?」

五条くんは上半身を起こして苦笑いを浮かべている。その落ち着いた様子を見て、わたしはムっとしつつも「そっちこそ…」と言い返した。

「な、何で…こんなことするの…?」
「何でって…が好きだから?」
「…す、好きだからって…」
「仕方ないだろ。好きな子と寝てたら触れたくなるのは男の心理だし」

シレっとした顔で言われて、また頬が熱くなる。

「…で、でも一線を超えなきゃ何してもいいなんて…言ってない」

思い切って心のうちを口にすると、五条くんはキョトンとした顔でわたしを見つめた。薄闇に見える蒼眼は神秘的で、心臓が小さく鳴ったのが分かる。
彼はかすかに微笑んだようだった。

「でもも本気で嫌がってないよね」
「…ひゃ…」

身を乗り出した五条くんに腕を引っ張られ、わたしの身体は再びベッドへ倒れ込んだ。腰を抱き寄せてくる五条くんの腕に収められ、くちびるを塞がれると、どうしても体の力が抜けていく。

「ほら。すぐそんな顔するし」
「……え?」

くちびるを離した五条くんを見上げると、綺麗な光を放つ瞳にとろんと呆けたわたしの顔が映っている。

「そんな顔されると止められなくなるけど?」
「…う…ダ、ダメ…もう…」

もう一度くちびるを寄せてきた五条くんの胸元をぐいっと押し戻す。これ以上キスをされたらまた流されてしまう。

「どこ行くの?」

すぐにベッドから下りると、五条くんは少しスネたように目を細めた。そんな顔をされると強く言えなくなる弱いわたしがいる。五条くんのそばにいると、自分が自分じゃなくなるようで怖いのだ。

「きょ、今日は自分の部屋で寝る」

今も早鐘を打ち続けている心臓のせいで、少し息苦しい。この苦しさが何なのかさえ、分からなくて不安になってくる。
五条くんは一瞬、不満そうな顔をしたけど、それ以上は何も言わなかった。

「一人で眠れる?」
「う、うん…大丈夫…」
「ならいいけど。じゃあ、はい」
「え?」

わたしの方へ手を差し出す五条くんを見て、わたしが首をかしげると、彼は早く早くと言うように手招きをした。一歩、足を踏み出すと、五条くんはわたしの頬へ手を伸ばし、触れるだけのキスをくちびるへと落とす。

「お休みのキス」

ふっと微笑む五条くんに、また心臓がおかしな音を立てた。ドキドキしたのは、五条くんがあまりに優しい眼差しでわたしを見るからだ。昔とはまた違う、大人の男の顔で。

「あ…あの――」
「お休み」

言いかけた言葉を遮るように、五条くんは布団へ潜り込んだ。それを見て「…お休みなさい」と声をかけてから、寝室を出る。
一人になると、自然と安堵の息が洩れた。うるさかった心音も少しずつ静まっていく。ただ顔は火照っていくばかりで、頬に触れるとかなり熱い。

(好きだから…か…。じゃあ受け入れてるわたしも五条くんのこと…やっぱり好きってことかな…)

高専を離れてから、わたしだって何も五条くんのことを忘れて生きてきたわけじゃなかった。というよりも、忘れた日など一日もなかったと言える。
自分の中にある苦しさとか、ツラい気持ちを吐き出すことが出来なくて、何も言わずに高専を飛び出してしまった時のことを思うと、申し訳なさでいっぱいになる。
子供だったのだ。あの時は自分で消化できないことが次々に起きて、わたしの幼かった心はパンクしそうだった。
結果、皆を傷つけてしまう方法を選んだことは、今も後悔している。その後ろめたさが消えないうちに五条くんと昔のような関係に戻ってしまったから、余計に後ろめたさを感じてしまう。

(全然、成長してないな、そこだけ)

自分の部屋のベッドに潜り込みながら、苦笑が漏れた。昔も五条くんに好きだと言われて、結果押し切られたように付き合いだしたんだっけ。
だけど、それが意外なほどしっくりきて楽しかった。あの頃のわたしは五条くんのこと、とっくに好きになってた。でも自分の中で気持ちを抑えていたのは、自分に自信がなかったからだ。自分の想いが思っていたよりも強いものだったのだとハッキリと気づいたのは、皮肉にも五条くんに会えなくなってからだ。
だから再会した時は、やっぱり怖かった。嫌われたと思っていたから。
なのに五条くんは昔と変わらない。それが嬉しかったのと同時に、不安にもなった。
こんな風に一歩進んだ関係になったことを、まだどこかで怖いと思ってるわたしがいる。
正直に言えば、今のわたしは五条君に触れられることじたいが嫌だと思ってるわけじゃない。ただ、そのことで生じる自分の心や身体の変化が怖いと感じる。
それに、未だ引っかかっていることがあった。

「ほんとにわたし…許されてるのかな…」

ポツリと零れ落ちた本音は、心のどこかで不安だったから。
まだ五条くんの本音を聞いていない。いつもはぐらかされてしまう。
再会してから、それがずっと心に引っかかっていた。


△▼△


「あれ、、あまり眠れなかった?」

次の日の朝、五条くんに起こされるまでグッスリ寝ていたわたしを見て、五条くんは心配そうな顔で訊いてきた。

「ね、寝たよ、ちゃんと」
「そう?ならいいけど…何か眠そうだからさ」

五条くんは朝食をカウンターテーブルの上に並べながら苦笑した。
いや、正直本当はあまり眠れなかった。あれこれ考えていたら、気づけば朝方に近い時間になっていたのは覚えてる。でもその後に寝落ちしたらしい。
とりあえず歯を磨いて顔を洗ってからリビングに戻ると、五条くんは先に朝食を食べていた。

「今日は七海と一緒に横浜だっけ」
「あ、うん…何か潰れた遊園地らしいんだけど、敷地が広いから二人で行けって夜蛾先生が…あ、今は夜蛾学長だったっけ」

ついうっかり昔のように呼んでしまい、慌てて言い直す。
わたしがいた頃から、次期学長は夜蛾先生だ、なんて五条くんと夏油くんが噂してたけど、本当に学長になっていたのを知った時は驚いてしまった。わたしの中では未だに二年の担当教師なのに。
夜蛾学長もまた自身の術式を鍛えたようで、面白い呪骸を山ほど作っていた。その中に突然変異したパンダの呪骸がいるらしい。
何でも自分の意志があって言葉も分かるし、今は高専二年の呪術師になっているという話だ。聞いただけじゃ、呪骸が呪術師になっているなんてサッパリ意味が分からない。
早く会いたいけど、二年生は現在、任務で出ていてしばらく不在ということだった。

「しっかし何で僕だけ単独任務なんだよ。七海に代わってもらおうかな」

五条くんはブツブツ言いながら、コーヒーカップに砂糖をドバドバ入れている。朝からよくそんな甘いものを飲めるなと感心してしまう。

「同じ一級案件なら代わっても良くない?」
「え?あ…ダメだよ。五条くんの方は同じ一級でも数が違うもん」

隣に座ったわたしの顔を覗き込んできた五条くんは、少しスネているようだ。

「えー…」

五条くんは不服そうだけど、彼に回される任務は他の術師じゃダメなものが多い。一人でも余裕で祓えるのは彼しかいないのだ。

「たまには僕もと一緒の任務に行きたいんだけど」
「…わたしを殺す気?」

思わず顔を引きつらせると、五条くんが楽しそうに笑った。その自然な笑顔を見ると何故かホっとする。

「もし危ない状況になれば僕がを守るよ、もちろん」
「…ちょ…ん…」

隣から手が伸びて、顎を掴まれた。でも抗議をしようと思った途端、くちびるを塞がれる。何度も角度を変えて触れながら、次第にやんわりと啄まれる。最後にちゅっと可愛い音を奏でた五条くんは「ご馳走様」なんて言ってスツールから立ち上がった。見れば朝食はとっくに食べ終わってたようだ。
それより、朝からこんな甘ったるいキスをしないで欲しい。

も早く食べて」
「わ、分かってるよ…」

寝起きの頭が今のキスですっかり覚醒したらしい。やけに顔が熱くて慌てて顔を反らした。きっと五条くんには何もかもお見通しなんだろうけど。
案の定、肩を軽く震わせながら、五条くんは自分の食器をキッチンに運んでいる。

「じゃあ僕は先に出るけど、も遅刻しないようにね」

五条くんのケータイが一回だけ鳴ったのを見て、わたしは頷いた。あれは伊地知くんがマンション前に到着したという合図らしい。

「いってらっしゃい」
「行ってきます。――あ、そーだ!」

リビングを出て行きかけた五条くんが、ふと足を止める。

「今日はアイツらに夕飯ご馳走する約束したから、もそのつもりで用意しておいて」
「え?アイツらって…伏黒くん達?」
「そー。都会に来たばっかの悠仁と野薔薇の歓迎会」
「わたしも行っていいの…?」
「当たり前でしょ。は僕の婚約者みたいなものだし」
「…また勝手にそんな…」

五条くんが周りにわたしとの結婚を匂わすせいで、最近は色んな人から誤解をされている。ただ、結婚なんてこれまで意識したこともなかったけど、気づけばわたしも27歳。会社勤めをしてた頃は、よく「結婚しないの?」なんて聞かれたりしたけど、誰とも恋愛するつもりもなかったから、結婚なんて余計に縁遠いものだと思っていた。

「だってもいい歳でしょ。そろそろ諦めて僕にしたら?」
「な…何それ…仮にも五条家当主ともあろう人が、そんな簡単に結婚相手を決めて言いわけ…?」

苦笑している五条くんを思わず睨むと、彼は「問題なし」と肩を竦めた。まあ、五条家は元々五条くんのワンマンだと聞いていたけど。

「むしろ早く身を固めろと思ってるよ、五条家の皆さんは。まあ相手が強い術師なら文句も言わない」
「…わたし、五条くんほど強くないけど」
「いや強いでしょ、は」
「………」

ふと真面目な顔で言うからドキっとした。

「冥さんに相当鍛えられたよね。呪力量も昔と桁外れ」
「……まあ。勘が鈍らないように定期的に冥さんの任務を手伝わされてたから…」

あの地獄のような日々を思い出し、溜息を吐く。呪具訓練から始まり、体術、術式と、あらゆることに冥さんは長けている。おかげでわたしも前よりは体術、術式は向上したと思う。特に――。

「術式反転、使えるようになってるもんね」
「…ほんと反則みたいな眼だよね、五条くんは」

やっぱり気づいてたのかと苦笑が漏れた。意図して隠してたわけじゃないけど、高専に復帰するに当たって申告はしていない。単に前の情報のままになってるのか、何も聞かれなかったから忘れてただけだけど、五条くんの六眼にかかれば、そんなことすら見破られてしまうようだ。
その時、再び五条くんのケータイが鳴った。どうやら伊地知くんが待ちくたびれて鳴らしたようだ。五条くんはチラっと確認すると「そろそろ行くよ」と肩を竦めた。

「じゃあ、夜。ちゃんとお洒落してね」
「お洒落って…生徒と食事なのに?」
「僕はとデートのつもりで行くし」
「デ、デートって――」
「じゃあ行ってきまーす」

反論する前に、五条くんはわたしに投げキッスをしながら慌ただしく出かけていく。その素早さに呆気にとられつつ、ふと我に返った。

「デートって…生徒がいるのに…?」

深々と溜息を吐いてると、今度はわたしのケータイが鳴った。電話ではなく、七海くんからメッセージが届いている。七海くんは補助監督の新田さんの車で迎えに来ることになっていた。

――え、今、五条さんと住んでるんですか…?

先日会った時に話の流れでバレてしまった際、七海くんは何とも言えない顔をしていたことを思い出す。七海くんからすれば、五条くんは相変わらず困った先輩なんだろうなと思うと、ちょっと笑える。

『あと10分ほどで着きます』

相変わらずの端的なメッセージに苦笑しつつ、すぐに出かける準備をした。

(今日、早く終わればいいけど…)

わたしは七海くんと二人で広い敷地に溢れてしまったという呪霊を全て祓わないといけないので、そんなに難しくないとはいえ、数分で終わるものでもないはずだ。

「祓ってから報告書を書いて、帰ってきてからシャワーに入って出かける準備…お洒落ってどんなのがお洒落…?」

ブツブツいいながらマンションのエントランスを突っ切って外へ出る。車はまだ到着していないようだ。

(マズい…しばらく仕事仕事でお洒落して出かけるなんてことしてないから、何着てけばいいのか分かんないかも…)

普段、五条くんと外食することはあるけど、その時はいつも高専の制服のままだった。私服で出かけることは殆どない。

(その前に…あたし、外出用の服なんてあったっけ…)

長いこと男なしの生活をしてきたのだから、デートを意識した服など当然持っていない。任務前だというのに、すっかり五条くんの言葉に惑わされていた。
それがいけなかったのかもしれない。背後を全く意識していなかった。
突然後ろから伸びてきた手に、布のようなものを口へ押し付けられた。

「…んぐ…っ?」

驚いたものの、咄嗟に反撃した、つもりだった。でも腕が動かせない。ツンとした匂いを認識したことだけは覚えている。
けれど、そこからぷっつり、わたしの意識は途絶えてしまった。