第三十六話:懐かしい声



「じゃあ予定通りに頼むよ」
「分かりました」

誰、だろう。どこか懐かしい声が聞こえてくる。
朦朧とした意識の中で、誰かの会話を耳が勝手に拾っていた。声で男だというのは分かる。気配を探れば、それは数人ほどいるように感じた。そしてその中の一人、命令している人物の声に聞き覚えがあるような気がした。

「ああ、それと…絶対に結界の中には入らないようにね。入れば最後、加熱されて死ぬよ?」

その言葉にドキっとした。この人物はわたしの術式を知っている。そしてやはり、この声はわたしがよく知る人の声に似ていた。でも、それはありえない。だって彼は――。

「お、目を覚ましたようだぞ」
「おい、あまり近づくな。あのお方もそう言ってただろ」

すぐ傍で今度は知らない男達の声がする。ゆっくりと瞼を押し上げた目を動かせば、膜が張ってるかのように視界がぼやけていた。

「う…」

少し動いただけで頭に殴られたような痛みが走る。でも殴られたわけじゃないということも、同時に思い出していた。

(薬…何か変な薬を嗅がされたんだっけ…)

七海くんを待っている時、後ろから誰かに襲われたことを思い出した。でも犯人に心当たりはない。そしてさっきの声の主のことも気になった。あれは――あの声は、夏油くんの声にそっくりだった…気がする。
まさか。ありえない。すぐに頭が否定をする。
意識がハッキリしていたわけじゃない。きっと気のせいだ。

「アンタ達…誰…?」

だいぶ視界がハッキリしてきたことで、人の気配がする方向へ視線を向けてみた。そこには思った通り、知らない男が六人ほどわたしを囲むように立っている。どれも知らない顔ばかりだ。けどこの男達が何者なのかは、彼らの気配で分かった。

「…呪詛師…?」
「へへ。その通りだ。お嬢ちゃん」

一人の男があっさりと認めた。何故、呪詛師がわたしを?という疑問が浮かぶのと同時に、よく見れば彼らは一定の距離を保って立っている。

(これは…結界…?)

わたしを中心に半径三メートルほどの帳が下ろされているのを見て、目を見張った。この様子だとわたしを閉じ込める結界なのかもしれない。

(さっき…結界の中には入るなって忠告してたっけ…)

ふとそのことを思い出して唇を噛む。これでは術式が使えないかもしれない。
でも、一体何のためにわたしを?殺すだけなら攫った時点で殺すだろう。

「目的は…?何でわたしを――」
「まあ、殺しはしねえから心配すんな。ちょっとしたテストだよ」
「テスト…?」
「あるお方が今も五条悟の弱点がオマエなのか知りたいそうだ」
「……っ?」

まさか、と思った。そして昔、五条くんに懸賞金がかけられていたという話を思い出す。五条くんは幼い頃から、こういった呪詛師に命を狙われていたということも。

(でも…誰も五条くんに敵う奴らはいない…なのに何でコイツらはそんな無謀な真似…)

と、そこまで考えて息を飲む。
違う、コイツらは別に五条くんを殺そうと思っていない。
そこでテストという言葉の意味を理解した。
わたしが今も五条くんの弱点かどうか。それを調べる為のテストなんだと。

(でも誰がそんなことを…)

だいぶ視界もハッキリしたことで、自分のいる場所を確認すると、ここは広い倉庫のような場所だった。わたしは建物の真ん中に転がされているけど、体は拘束されていない。きっと結界があるせいだろう。ということは中から攻撃をしても壊すことが出来ないかもしれない。

(この中にさっき命令してた男はいない…)

顔は見ていないが、何故かそんな気がした。

「アンタ達…五条くんに殺されるかもよ?」

ぐるりと見渡して挑発すると、男達は顔を見合わせて笑い出した。

「へっ、その前に逃げるから心配すんな。オレ達の仕事は五条悟が来るギリギリまで、この結界でオマエを拘束しておくこと。アイツにケンカ売るような真似はしねえ。命が惜しいんでね」
「ま、この埠頭に奴が来たら連絡が入ることになってる。簡単な仕事で大金が手に入るんだから、教祖サマサマだ」
「…教祖?」

馬鹿みたいにペラペラと話していた男は「おっと。これ以上は喋んねえぞ」と肩を竦めて笑っている。でも少し分かって来た。ここはどこかの埠頭にある倉庫で、誰かが五条くんにこの状況を知らせる手はずになっているようだ。でもそんなことをして何になるというんだろう。わたしが五条くんの弱点かどうかなんて、調べてどうするのか。
その時、ふと過去のことを思い出した。わたしに危害を加えられて、攻撃を躊躇った五条くんの姿を。

(まさか…わたしを利用して五条くんに何かする気なんじゃ…)

この呪詛師たちじゃない。コイツらはわたしを閉じ込めておくことしか出来ないはずだ。普通に対峙すれば、わたし一人でもコイツら全員は殺せる。
やっぱり主犯はさっき話してた人物…コイツらが教祖と呼ぶ誰か・・に違いない。

(でも…待って。その男は今も弱点かどうかを知りたがってると言った…。今も?ならその教祖という男は、昔のわたしと五条くんのことも知ってるってこと…?)

そこまで考えた時、やはり脳裏に懐かしい顔が過ぎった。あの原宿任務の時、一緒にいた人物の顔だ。
でも、そんなはずはない。彼は去年、五条くんが直接――。
なのに、どうして彼の気配を感じる気がするんだろう。この世の中に声が似てる人なんて山ほどいる。
そう思うのに、何故かその想像をが消えてくれないのは、さっきかすかに聞こえた声が、彼の話し方までそっくりだったせいだ。
夏油くんが、生きてるはずはないのに――。

「お、五条悟にオマエを攫ったという電話をしたそうだぞ」
「……っ」

呪詛師の一人が自分のケータイに届いたメッセージを見て、薄ら笑いを浮かべた。

「さて、本当にあの五条悟が女一人の為にここまで来るのか…楽しみに待つとしようか」

男達が楽しげに笑いだすのを見ながら、わたしはどうにも出来ない苛立ちだけが募っていく。

(五条くん…来ないで…!)

そう願いつつ、それでも五条くんがわたしを見捨てないことだけは分かっていた。


△▼△



その電話を受けた時、僕はちょうど任務先に着いたところだった。

「お、七海から?珍しいな」

この後輩から僕に電話をかけてくるのは珍しい。この一年の間だと片手で足りるか足りないかくらいの回数しかない。かけるのは主に僕の方からだった。

「もしもーし。どうした?僕の声が聞きたくなった?」
『……ふざけないで下さい』

いつもの冗談なのに、ドライアイスかと思うような冷たーい声がスマホのスピーカーから響いてくる。これから夏だし、暑さに耐えられなくなった時は七海に電話しよう、とどうでもいいことを考えながら「どうした?」と苦笑交じりに尋ねた。七海はいつになく真剣な声で『五条さん…』と僕を呼ぶ。

『まさかとは思いますが…ご自分の任務に彼女を連れて行った…なんてことはないですよね』
「…は?」

滅多なことでは驚かない方だが、今は久しぶりに驚いた気がする。それは七海に驚かされるとは思わなかった驚きも含まれてるけど。

「何それ…と合流できなかったってこと?」

七海から僕に電話をしてきたこと。質問の内容。それらを聞いてすぐに状況を察した。案の定、七海は『はい』とだけ答えた。

『迎えに来たら彼女がいなかったので電話をしたんですが出ません。マンションのコンシェルジュに聞けば、私が到着する少し前には降りてきたと言ってました。なので部屋にはいません。五条さん、今朝、彼女と何かありましたか?』
「…それって僕とケンカしたかどうか聞いてる?なら答えはNOだし、そもそもはそんなことくらいで任務をすっぽかしたりしない」

そう応えながらも、一瞬また逃げたのか?という思いが過ぎる。でもすぐに打ち消した。今朝の彼女は至って普通だったし、心の迷いや乱れなどは感じなかった気がする。いや、あくまで気がする、というだけで、がまたゴチャゴチャと何かに悩んでいなかったとは言い切れない。
少々強引な僕のアプローチのせいでは悩んでいたかもしれない。
でもそれはないだろうとも思ってる僕がいた。
大人になったとはいえ、が素直なのは昔と変わらない。そこまで悩んでいたなら、絶対に何かしらの兆候が出てたはずだ。過去になにもしてやれなかったせいで、今回は僕も慎重にの様子をチェックしている。
今朝もおかしなところはなかったはずだ。

(となると…は自分の意志で消えたわけじゃない…?)

そんな考えが浮かんだ時、七海が心配そうな声で訊いてきた。

『五条さん、心当たりは?』
「…ない、こともない」
『どっちですか…』

ウンザリしたような七海の声が聞こえて、僕は苦笑を洩らした。
もし、他人の手によってが何等かの方法で攫われたのなら、それは間違いなく呪詛師の類だろう。多少のブランクがあるとはいえ、今のがそう易々と呪霊に後れを取るはずがないからだ。だいたい七海とコンシェルジュの話を合わせれば、に何かがあったのはマンション前ということになる。
あんな場所にを襲うような呪いが発生するとは考えられない。
その時――キャッチが入った音がした。

「七海、他に電話が入ったから後で連絡する」
『彼女のことは任せても?』
「もちろん。僕もこっち終わったら探しに行く。七海は通常通り任務に向かって。多少数は多いと聞いてるけど、オマエなら一人でも大丈夫でしょ?」
『…分かりました。まあ…仕方ない。時間外労働になりそうですが、そこは頑張らせてもらいますよ』
「うん、頼むね」

そこで七海との電話を切ってキャッチでかかってきた電話に切り替えた。念のため相手を確認したが、そこには公衆電話と表示されている。今時公衆電話?と思いながら「もしもし」と応答した。

『オマエ…五条悟だな?』
「そうだけどー。君は?」
『オマエに伝言を頼まれた者だ』
「伝言?」

また回りくどいことを、と内心苦笑しつつ「どんな?」と尋ねた。この人物の声に聞き覚えはない。男ということと、話し方の雰囲気から呪詛師ではない感じがした。

『オマエの恋人を預かっている』
「…恋人?僕に恋人なんかいないけど」
『…え?』

僕の一言に電話の男は酷く慌てたような声を上げた。

『……予定と違うぞ…?え、どうすんだよ、これ…』
「もしもーし。君さー。伝言を頼まれたって誰に頼まれたの?」
『あ?か、関係ないだろ…!ただのバイトだし』
「バイト…ねえ」

なるほど、と苦笑が漏れた。コイツは普通の非術師で、裏バイトか何かで僕に電話をかけるように言われただけなんだろう。予定通りの返事をしなかったことで、酷く動揺してるようだ。

「ちなみにどんな内容の伝言?」
『え?だ、だから…恋人を預かってる。返して欲しくば芝浦ふ頭まで来い。ってやつだ』
「芝浦ふ頭…ね。サンキュー。おかげで行き先が分かったわ」
『は?で、でもさっき恋人はいないって――』
「恋人はいないけど婚約者ならいるんだよね」
『な…っ…』
「あ、それと…こういう電話は犯罪だから通報しといたし、そこの公衆電話の位置も特定したから、もうすぐ警察が行くと思うよ」
『ハァ?!つ、通報しただと…っ』
「じゃーねー」

と、そこで電話を切ってからべっと舌を出した。だいたい電話で話したまま通報できるはずもなければ、そんなすぐに居場所を特定できるはずもない。でも今の脅しだけでしばらくは今の男もビクビク過ごす羽目になるだろう。

「ったく…面倒な真似しやがって」

わざわざ一般人を雇って電話をかけさせる辺り、敵も慎重だということだろう。それとも僕をからかってんのか?

「…僕のに手を出したらどうなるか分かってないところは間抜けだな」

目の前に現れた呪霊を祓いながら、この誘拐にどんな意味があるのかを考える。
普通に呪詛師が前のように懸賞金に目がくらんで僕を帯び寄せようとしてるのか、それとも他に目的があるのか。どちらにせよ、彼女に触れた罪は重い。

「いや…待てよ…。いくらを人質にしたところで僕を簡単に殺せると思うか…?」

数分で全ての呪霊を祓い終えると、僕はすぐに伊地知へ電話して車を回すよう頼んだ。

「他に何か目的があるのか…」

とにかく、どんな状況かも分からない上に、を攫ったとなると、そう簡単にも行かない気がした。

「仕方ない。あの人に協力してもらうか…」

あまり頼りたくはないが、この際仕方ない。
溜息交じりで相手の番号を表示して、重苦しい気持ちで発信をタップした。



△▼△



わたしが意識を取り戻してから、二時間は過ぎた。
呪詛師の男達も、そろそろ待ちくたびれたのか、最初のような雑談すらしなくなり、皆が時計ばかりを眺めている。

「クソ…五条悟はまだか…!」
「おっせーよなァ…電話はしたって連絡来たんだろ?」
「ああ。さっきバイトからメッセージが届いた」
「にしては来んの遅くねえか?」
「この女、本当に五条悟の恋人なのかよ」

そんな会話をしながら、ウンザリするような顔でわたしを見てくる。そんな顔をされたところで、わたしだって疲れてるのに。

(五条くんは任務に行った。そんなすぐに来れるはずがない…)

こんな状況とは言え、五条くんが任務をすっぽかして駆けつけるとは思えない。きっと伝言を聞いて、わたしが殺される可能性は低いと考えたはずだ。

(ここにいる呪詛師の他に外を見張ってる人物もいる…ソイツが五条くんが来たかどうか知らせる役目…)

その連絡が入ればコイツらは速攻で逃げる算段なんだろう。今回の目的はただ五条くんが来るかどうかだけだ。
出来れば…来ないでほしかった。そうすれば教祖とかいう人物の思惑は外れて、何かを仕掛ける材料を減らせる。
五条くんが来なければ、この呪詛師たちもいつかは諦めて、この結界は消える。その時、わたしはすべきことをすればいい。
大丈夫。わたしは一人でもこの状況をどうにか切り抜けられる。
だから――来ないで、五条くん。
そう祈った時だった。倉庫にある窓を破って数羽のカラスが入って来た。

「うわ、何だ、このカラス!!」
「クソ…誰かの攻撃か?!」

頭上を飛び回るカラスに驚きながら、呪詛師たちが騒ぎ始めた。その中の一人は「カラスくらいで慌てるな!いいから結界に集中しろっ」と怒鳴っている。確かに気を反らして結界の一部でも壊れれば、彼らはわたしの術式範囲内だ。いつでも瞬殺出来る。
そしてカラスを見た時、わたしはその意味に気づいていた。

(五条くんと…冥さんが来てる…!)

このカラスは冥さんの術式"黒鳥操術こくちょうそうじゅつ"なのを確信した。きっと倉庫内を偵察してるんだろう。ということは外にいる呪詛師は倒したのかもしれない。

「うわ、また来たー!」
「こ、殺せ!サッサとしろ!」
「いてぇっ!コイツら襲ってくるぞ!」

一羽、また一羽とカラスが増えていき、男達を襲い始めた。カラスに突かれたり、突撃されるうち、一人がたまらないといった様子でカラスに向けて攻撃を仕掛ける。そのおかげで一つの結界が消えた。

(今だ…!)

わたしを閉じ込める結界が崩壊したことで、わたしはすぐさま術式を呪詛師の男達へ向けた――。