第三十七話:彼の思惑と、後輩の残業



外を見張っていた呪詛師めがけて、濡れ羽色のカラスが突進していく。体を貫かれた男が声もなくその場に倒れるのを見て、僕は「さーすが冥さん、お見事ー」と言いながら小さく拍手をした。

「隠密で行くのに冥さんの術式はほんと助かるわ」
「…そりゃどうも。それより…何で見つからない方がいいと思ったのかな?」

コンテナに身を隠しながら進みつつ、冥さんが振り返る。表情は髪で全く見えないけど、口元は弧を描いているのが見えた。
半人前のを育てたのは冥さんだ。いわばは彼女の弟子のようなもの。その弟子が誘拐されたというのに、この状況を楽しめるのが冥さんの冥さんたる所以かもしれない。

「いや、何となくそんな気がしただけなんだけどねー。それにがどういう状況か分からないうちに見つかって派手な戦闘になるのも避けたかったし」
「なるほど。で?この先はどうする?」

その問いに答える前に、僕はが監禁されてるであろう倉庫内を確認する為、アイマスクを指で引っ掛けてからゆっくりと下ろした。

「中には…呪詛師が数人、結界を作り出してる。その真ん中辺りにがいるけど動けないようだ。呪詛師が作り出してるこの結界はを閉じ込める為のものかもしれない。この場合、人数が多ければ多いほど結界は強力になる」
「なるほど…彼女の術式を警戒してのことだろうね。なら…私が解放してあげようじゃないか」

冥さんは自身の術式を発動し、まずは数羽のカラスを操って倉庫内へと侵入させた。視覚を共有しているのか、ジっとしたまま目を瞑っている。

「…視えた」

中の様子をハッキリとその"眼"で捉えたんだろう。冥さんの口元が再び綺麗な弧を描く。

「ふむ…五条くんの言った通りの状況だね…呪詛師が6人ほどの周りを囲んでいる。一人崩すよ」
「うん、頼むね。僕は近くで待機して――」

と言って歩き出そうとした瞬間だった。倉庫内から黒煙が一気に噴き出し、バリンっと窓ガラスが割れる音が響く。それを見た瞬間、僕は何が起きたのかを理解した。

「あー…」
「クックック…結界が弱まった瞬間…が術を解放したようだね」
「みたいだね」

冥さんの黒鳥が呪詛師の気を反らした瞬間、は全てを理解して自身の術を発動し、その場にいた呪詛師を全員燃やし尽くしたんだろう。

「奴ら、攫う相手を激しく間違えたな…ご愁傷様」
「おや、残念そうだね、五条くん」
「そりゃーこういう時は颯爽とカッコよく登場して助けた方が、に惚れてもらえるかなーと」
「ははは、まだその辺りなのかい?色男も形無しだね」
「耳が痛いなー…」

楽しげに笑う冥さんを睨みつつ、僕は倉庫の傍まで移動しての呪力を探った。黒煙が充満している倉庫内では息をするのも危ないが、僕には関係ない。心配なのはだ。自身の術式と言えど、狭い場所で一気に燃やしたのだから、相当な煙が発生してるだろう。冥さんのカラスや炎が窓を破ってくれたおかげで、かろうじて換気は出来ているが、急がないと彼女も危ない。

…!生きてるー?」
「…ゲホ…ご、五条くん…?」

の呪力を頼りに進んでいくと、彼女は煙の少ない床に突っ伏しながら移動していた。いわゆるほふく前進というやつだ。

「ったく…何で僕が助けにくるまで待てないかな」

彼女の前にしゃがみ、煤で汚れた頬を指で拭ってやると、は慌てたように外へ視線を向けた。

「…そ、外のヤツは…?」
「もちろん気づかれる前に倒してある。もう他にはいないよ、誰も。僕の眼で視たから間違いない」
「よ、良かった…」
「あ、おい…」

はグッタリしたように、その場に突っ伏した。すぐに抱き起こすと口元へ耳を寄せる。呼吸は乱れているものの、しっかりと息をしていてホっと胸を撫で下ろした。

「ご…めん…」
「いいよ。このまま運ぶ」

多少煙を吸ったことで朦朧としているものの、僕が触れたことで新鮮な空気を吸えたせいか、はすぐに意識を取り戻したようだ。彼女を抱えて倉庫の外へ出ると、壁にカラスの羽で貫かれたメモのようなものを見つけた。手に取ってみれば、それは冥さんからの伝言だった。

"いつもの口座に入金よろしく"

しっかり念押ししていくのが冥さんらしい。ってか何も先に帰らなくてもの無事な姿くらい、見てから帰ればいいのに。

「あ、あれ…冥さん…は…?」
「どうやら先に帰ったみたいだね。まあ、いいけど。このまま伊地知の待つ車まで飛ぶから、は僕に掴まってゆっくり休んでて」
「うん……って、え?と、飛ぶぅぅーーーぅ?」

彼女が応える前に逆バンジーの如く空中へ浮かぶと、は驚いたのか僕の首に腕を回してぎゅっとしがみついてくる。こんなにくっついてくれるなら、デートする時も空中移動にしてやろうかと思う。

「ご、五条くん…っもっとゆっくり…!」
「え、これでもスピード落としてるんだけどなぁ」
「お、落ちてない…!全然落ちてないぃ~~っ!」

更にぎゅうっとしがみつくが可愛くて顔がニヤケそうになるけど、耳元で叫ばれたせいで耳がキーンとする。

「大丈夫だって。落としたりしないから」
「…う、うん…分かってるけど…」
「ああ、ほら。伊地知が手を振ってる」
「え?」

埠頭から少し離れた場所に車を止めていた伊地知は、のことが心配なのか、車から出て辺りをキョロキョロしていた。でもすぐ空の上に僕らがいるのを見つけて、嬉しそうに両手を振っている。まあ、男がやっても可愛くないけど。

「あ…ほんとだ…」

知ってる顔が見えたことでホっとしたのか、はさっきよりも手の力を弱めると、嬉しそうな笑みを浮かべた。相手が伊地知ってのが気に入らないけど、彼女が少しでも安心したならいいかと思う。
そのまま車の近くに、今度こそゆっくり降下すると、伊地知が「お帰りなさい」と後部座席のドアを開けてくれた。

、煙吸っちゃったみたいなんだ。近くの病院まで行ってくれる」
「わ、分かりました!」

グッタリしたを見て察したのか、伊地知がすぐにエンジンをかける。ここからさっきの倉庫方面を見れば、未だにモクモクと黒煙が立ち上っているのが見えた。

「ああ、あと警察にも連絡頼むよ。このままじゃ倉庫内にある炭と化した呪詛師の死体が6体も発見されて猟奇的殺人事件に発展しちゃうから」

と一緒に後部座席へ乗り込みながら言えば、伊地知はバックミラー越しに頷いた。

「了解です。さんを病院に運んだらすぐに手配します」

伊地知は仕事が早くて助かる。まあ絶対本人には言ってやらないけど。とりあえず、こんな状況になったことは彼女にも注意しないといけない。

「ったく…何であんな無茶なことしたの」

を寝かせて、膝枕をしながら彼女の前髪を払う。煤で汚れた顔で僕を見上げたは「だって…」と目を伏せた。

「冥さんが来てるって思ったらチャンス逃したくなくて、それで…焦ったかも…」
「…せめて僕が行くまで待つとか、結界防止で一人だけ殺るとかでも良かったのに」
「五条くんに…来て欲しくなかったんだもん…」
「……何で」

せっかく助けに来たって言うのに、来て欲しくなかったと言われ、さすがの僕もへこみそうになった。でも彼女の説明を聞けば、敵は僕が助けに来るかどうかのテストだと言ったらしい。

「テスト…ねえ…」
「わたしが五条くんの弱点だと思われたら…またきっと何か仕掛けてくると思って…」
「それで僕が助ける前に自分でどうにかしようと、あんな無茶したんだ」
「…ごめん。アイツらに姿を見られない方がいいと思ったし、一気に倒せばそれだけリスク減ると思って…」

「はあ…だからって…自分が煙に巻かれちゃ意味ないでしょ」

今回は僕がそばにいたからいいものの、もし誰も中へ助けに入れない状況になった場合、の命に係わる。まあ、僕もあの場に来てると見越してやっただけかもしれないが、やっぱりには無茶な戦い方はして欲しくない。
はしゅんとしたように、もう一度「ごめんね…」と言った。
そっと髪を撫でてやれば、恥ずかしそうに見上げてくる。

「い、いいよ…五条くんの手が真っ黒になっちゃう…」
「そんなの気にしてないよ」

そう言って頬を撫でると、彼女の瞳がかすかに揺れた。一瞬、甘い空気が流れてついキスをしたくなったけど、前には当然、眼鏡の後輩くんがいるから我慢するしかない。
なのには別のことを思い出してたようだ。急に「あ」と声を上げた。ムード台なし。

「な…七海くんはっ?任務、すっぽかしちゃった…」
「あー…七海?アイツなら…ちゃんと一人で任務に行ったから心配しないで」
「え…っ?一人でって…でも凄い数の呪霊だって聞いてるけど…」
「大丈夫、大丈夫。七海は一級術師だし、そんなのパパっと祓ってくれてるから」

僕がニコニコしながら言えば、は何となく複雑そうな顔で「そう、かなぁ…」と首を傾げた。まあ、アイツのことだからブツブツ言ってそうだけど、はわざと攫われたわけでもないから仕方がない。

「それより…後で攫われた時の状況や、奴らの会話とか聞かせてもらうけど、いい?」
「う、うん…分かってる」
「それと…」

と言いながら、身を屈めると、彼女の耳元へ口を寄せた。

「心配させた罰として…今夜はお仕置きね」
「な…」

小声で言った後、彼女の頬に口付けると、は一瞬で真っ赤になった。お仕置き、と聞いただけで何をされるのか、すでに身体が覚えてるようだ。僕の思惑通りの反応に、つい笑みが零れる。

「その前にお風呂に入って綺麗に煤を洗い流そうか」

ダメ押しで言えば、彼女の瞳が潤んでいく。もう、あと一歩。彼女との10年という空白を埋めるのは、何も心からじゃなくてもいい。
あの頃とは違う。僕らは――大人なんだから。





――横浜某所。(オマケ)


「…124体…125体…クソ…祓っても祓ってもキリがない…」

話に聞いていた通り、その場所は低級から中級くらいの呪霊が腐るほど湧いていた。

がいれば一瞬で100体は祓えたのに…」

まあ、そんなことをボヤいても仕方がない。彼女も誘拐されたくてされたわけじゃないからだ。
でも先ほど五条さんから無事に救出したとのメッセージが入っていたし、そちらはあの人に任せておけばいい。

「ハァ…18時を過ぎましたね…」

額の汗を拭いながら、時間を確認してネクタイを外す。
こうなれば私も本気を出すしかないようだ。こんな下の下の呪霊相手に時間を割くなどもったいないことこの上ない。

【あ~あぁ~そ~ぼぉぉぉぉー】

130体目を祓った時、またしても別の呪霊が近づいて来るのを見て、ウンザリした。外したネクタイを右手に巻き付け、溜息を吐く。

「ハァ…今日は朝の10時から働いてるので…そうですね。残念ですが、ここからは時間外労働です」