第三十八話:後でも先でも


※軽めの性的描写あり


不覚にも誘拐されたその日の夜、家に帰ったら五条くんは有言実行の人だった。
帰宅して、五条くんが軽めに夕飯――美味しいパスタだった――を作ってくれた。食べ終えたら沸かしたてのお風呂に入り、体の隅々まで洗って煤を落とした後は、五条くんが用意してくれたアイスティーを飲みながら、髪まで乾かしてもらった。
至れり尽くせりとはこのことで、五条くんだって任務帰りで疲れてるはずなのに、こんなにしてもらっていいんだろうかと首を捻りたくなる。でも五条くんは「僕がしてあげたいんだからいいの、いいの」と言いながら、優しい笑みまで浮かべるのだ。
こんな出来た彼氏はそんなにいないと思う。これって今でいうスパダリなのでは?
顔良し、スタイル良し、ついでに最強、まあ性格は…置いておいても。
これで絆されない女はいないだろう。元々付き合ってたわけだし、逃げた形にはなってしまったけれど、あの頃はわたしなりに五条くんを好きだったわけだし。
だから最近、わたしはちょっとおかしい。いつものスキンシップのはずなのに、ちょっとでも触れられると、胸が勝手にドキドキと音を奏でる。
ブラシで髪をとかしてもらってるだけで、五条くんの指先が首を掠めていくだけで、そこからじんわりと熱が広がっていく。
そして寝る時間になった頃、いつものようにお仕置きという名の甘く痺れる波に、たっぷりと溺れさせられた。

「ん…んっ…も…ダ…ダメ…」
「…気持ち良くない?」

五条くんがゆっくりと腰を動かしながら、耳元で囁く。耳に吐息がかかるだけで、ゾクゾクとして、そこから快感が広がっていくのは下腹部に当たる硬い熱のせいだ。

(というか…これはもう…挿入なしのエッチ…なのでは…)

何度も達したせいで、朦朧とする脳内にチラっとそんな思いが過ぎる。
学生の頃、わたしが五条くんを好きになるまで一線は超えない。そんな約束の元、付き合いだして、再会した今もその約束は持続してるみたいだけど、最近はわたしの方がツラくなってきた。
何度イカされても、勝手に体のあちこちが疼くし、火照りがなかなか納まってくれない。
特にナカがどうしようもなく疼いて、奥が切ないくらいにジンジンしている。
ハッキリ言って、これは地獄だと思う。

「ご…ごじょ…うくん…」
「ん?」

色々切なくて彼を見上げると、甘ったるい視線が降ってくる。薄暗い室内に、美しい輝きを放つ瞳でわたしを誘惑してくるんだからタチが悪い。

「どうして欲しいの?言って」
「…ん…っ…」

また軽く腰を動かされ、ぬるりと敏感な部分を擦られる。それが凄く卑猥で、なのに物足りなさすら感じる自分が恥ずかしい。

…言ってくれないと分からない」

息も絶え絶えのわたしとは違い、五条くんは呼吸一つ乱れてないのが悔しい。だいたい言ってと言われてそんなの言えるわけがない。いい歳になって未だ未経験の女に何を言わせる気だ。
外じゃなく、もっと奥に欲しい、なんて口が裂けても言えない。

…こっち見て」

恥ずかしくて目を反らしたら、顎を指で捕らえられて強制的に戻されてしまった。五条くんの長い指がくちびるに触れて、優しく輪郭をなぞっていく。たったそれだけで肌が粟立つくらい、全身が性感帯のようになっていた。

「も…許して…」
「何を?」
「……だ、だから…ぁ…っ」

無防備にさらしている胸元へ手が伸びて、悪戯に先端へ触れられる。そこからまたじんわりと快感が広がって、触れあっている場所がジクジクと疼きを増した。

「…のここ、だいぶ感じやすくなったよね」
「…んっ…」
「こんなに感じるってことは、そろそろ僕のこと好きになってくれたってことかな」
「…や…ぁっ」

きゅっと先端をつままれ、強い刺激に襲われた。ビクンと腰が跳ねてしまうのも、全身で五条くんを求めてるみたいで恥ずかしい。

「す…」
「ん?」

好き、という一言を言えば、この甘い責め苦から抜け出せる。ふとそう思った。でも今更、こんな状況で言うのは凄く恥ずかしい。エッチなことを求めてると思われたくない。

(昔よりも…大人になったら尚更、好きの一言を言うのが恥ずかしいなんて…)

黙って見下ろしてくる五条くんを見上げたまま、喉まで出かかった言葉を飲み込んでしまった。ヤバい。
多分、わたしは自分が思ってた以上に五条くんのこと――。

…?」
「…も…もうダメ…!」
「わ…」

心を鬼にして五条くんを突き飛ばすと、慌ててベッドを抜け出す。床に散らばったパジャマや下着を抱えて、そのまま「お休み!」と振り返りもせず部屋を飛び出すと、すぐに自分の部屋へ飛び込んだ。

「…ハァ…」

そのままベッドへ倒れ込み、深く息を吐き出すと、自分の心臓の音だけがバクバクと激しい音を立てている。ついでに中途半端に体が火照っているのを感じて、頬が熱くなった。さっきまで触れあっていた場所がジンジンとする。認めたくないけど、体が五条くんを欲しいと思ってる証拠かもしれない。未経験なのにそんなことを思うなんて、すっかり五条くんの術中にハマってしまった気がする。
でも、それもきっとわたしが五条くんのことを好きだからだ。
自己中で強引で、いつも振り回されてる気がするのに、いつだってそばにいてくれたのは五条くんだけだ。酷い裏切り方をしたのに、どうしてって思うのに、待っていてくれたことが嬉しいなんて、わたしもたいがいだと思う。

「今更…どんな顔で好きって言えばいいの…」

大人になった分、その言葉が素直に言えなくなってる気がして、わたしは一人、悶々と夜を明かすはめになった。



△▼△



湯気がふわふわと立ち上がるのを見ながら、深々と頭を下げた。

「この度は大変ご迷惑を…」
「別に。迷惑だなんてないさ。報酬もたんまり五条くんに頂いたしね」
「…ほ、報酬…」

小首を傾げていた冥さんは、顔を上げたわたしを見ながらニッコリ微笑んだ。その赤いくちびるが艶めかしい、と思いながら、わたしも引きつった顔で微笑んでおく。

「ところで…を攫ったヤツの目星はついたのかな?」

ゆったりとした動作でコーヒーを口へ運びながら、冥さんが訊いてきた。その話は五条くんにも話したけど、彼には一つだけ言えなかったことがある。

「いえ…わたしを見張っていた呪詛師は全員死んじゃったし…その教祖って呼ばれてた人物のことを聞きだせなかったの」
「教祖、ねえ…。まあ、何かの宗教団体か、それともそれを装ってる誰かか…」
「でも仮に宗教団体だとして…何故、五条くんを狙うのかな…呪詛師なら分かるけど」
「さあね…今、この世に存在している呪詛師と呼ばれる連中もバカじゃない。五条悟に勝てないのは重々承知してるはずだ。だからこそ弱点となるものを知りたくて誰かに依頼した、とか」
「そっか…そういう依頼を請け負う団体があるのかも…」

しかも相手は昔のわたしや五条くんのことを知ってる人物の可能性が高い。

「ま…当分はも気をつけな。この前のことで懲りて相手も諦めたかもしれないけど、まだ分からないからね」
「はい…次は背後にも気を配ります」

マンション前だということで油断してしまった自分を諫めつつ、気を引き締める。これ以上、五条くんにも、高専の皆にも迷惑はかけたくない。

「それにしても…はまだ五条くんと友達以上恋人未満みたいな関係を続けてるのかい?」
「ぶ…っ」

コーヒーを飲んだ瞬間、冥さんがいきなり五条くんの名前を出すから吹きそうになった。ふと視線を戻せば、三つ編みの向こうでニヤついているのが分かる。冥さんがこんなことを聞いてくるなんて、また五条くんが余計なことを言ったのかもしれない。

「五条くんが何か言ったんですね…?」
「いや、特別そんな話を改まってしたわけじゃない。あの時は一瞬で終わったからね。五条くんがカッコ良く助けに行けばが惚れてくれたかもしれないのに、と嘆いていただけさ」
「……またアホなこと…」

そう言えば五条くんもそんなことを言ってた気がする。あの時は助けてもらう前に一気にカタをつけてしまったから。

「まだ惚れてないのかな?」
「…そ…それは…ですね…」

小首を傾げつつ、ふふっと笑う冥さんはどこか楽しそうだ。色恋沙汰なんて興味もなさそうなのに。

(ハッ…)

そうだ。いくら金の亡者でも、冥さんは大人の女。いや、わたしも大人の女だけれど、圧倒的に経験値がない。わたしの恋愛は五条くんに始まって、途中は長い休みが入って、そして現在進行中の相手も五条くんなのだから。
でも冥さんはきっと色々な大人の恋愛をしてるはず。なら、男女のことをわたしよりは知ってるんじゃなかろうか。ふと、そう思った。

「ん?どうしたんだい?そんな真剣な顔しちゃって」

少し前のめりになったわたしを見て、冥さんが笑っている。
ここは一発、大人の女性からアドバイスが欲しい。

「あ、あの…ですね…冥さんって…今、恋人いますか…?」
「恋人?」

冥さんはピクリと片方の眉を上げて、マジマジとわたしを見た。これは彼女が少し驚いてる時にする表情だ。

「おかしなことを聞くね。でもまあ…ベッドを共にする男はいるけど、恋人ではないな。私が愛せるのはお金だけだからね」
「…め、冥さん…らしい答えですね…」

ふふっと笑う冥さんの言葉に、わたしの笑顔も引きつる。いや、でも今の答えも想定内だ。一緒に暮らしてた頃、冥さんは時々外泊をすることがあった。弟の憂憂や、冥さんの荷物持ちだという弟子の凛々がやけに機嫌が悪くなっていたのは、きっと大好きな冥さんが男のところへ行ってたからに違いない。

「えっと…その…ベッドを共にする相手の人なんですけど…」
「ん?」
「そ、その…触れあってる…と…その人のことを好きだとか…思ったりします…?」
「…ふふ。そんなことが聞きたいんだ」
「き、聞きたい…というか…気になるというか…」
「まあ…好きとかは思わないよ。気持ちはいいけどね」
「……っ」

何とも大胆な発言に、わたしの頬がかすかに赤くなる。冥さんは更にニヤリと笑い「どうしてそんなことを聞くのかな?」と訊いてきた。
そこでわたしは失念していたことに気づく。
質問したからには、理由を聞かれることになる、ということを。

「えっと…ただの興味…と言いますか…」
「フーン…五条くんとはもうプラトニックじゃないんだ」
「…ぐ…」

何でそんなに察しがいいんですか、と聞きたくなった。でも誤解されないよう「エッチはしてません」と言っておく。するとますます興味を持ったらしい。冥さんは楽しげに笑いだした。

「なるほどねえ…それは五条くんに同情するよ」
「え…」
「好きな女が隣にいても抱けないなんて、蛇の生殺しで地獄だからね」
「……そ…そんなに…?」

ということは、この前の夜、途中で中断してしまったのは良くなかったかもしれない。

「でもまあ…その様子だと、も遂に五条くんに絆されたって感じかな」
「え…っと…」
「いいじゃないか。男女なんて人それぞれ。心から入ることもあれば、触れあって愛に気づくこともある。先でも後でも愛は愛。そうだろ?」

さすが年の功。冥さんはやはり大人だ。いや、大人すぎて、ちょっと恋愛初心者のわたしには過激な気もするけど、どっちにしろ間違ってない。

「ま、長いこと待たせたんだ。そろそろ五条くんに自分の素直な気持ちを伝えてあげてもいいと思うけどね」
「……そ、うですね」

冥さんの言いたいことは分かる。でもその簡単なことを簡単に出来ないから、困っていた。
だいたい、どのタイミングで言えばいいのかが分からない。
とりあえず、男よりお金を愛してるという冥さんに、その辺のことを聞いても仕方がない気がして、そこは聞かないでおいた。
そして次にわたしが会いに行ったのは、任務をすっぽかして迷惑をかけた七海くんだった。

「本当に…ご迷惑をおかけしました」

先ほどと同じように丁寧に頭を下げると、七海くんは小さな溜息を吐いた。

「いえ…無事で何よりですよ」
「…うん…ありがとう」

そう言いながら、七海くんの空いたグラスにビールを注いだ。
彼と待ち合わせをしたのは、六本木の居酒屋だ。居酒屋と言っても六本木なだけあって、どこか高級感溢れる空間になっている。七海くんがここを指定してきたのが、地味に意外だ。

「この前のお詫びにここは奢るし、いっぱい食べて飲んでね」

言いながらメニューを差し出すと、七海くんはふとわたしを見て苦笑を洩らした。

「え、な、何…?」
「いえ…言うことが随分と大人になったなと思っただけです」
「そりゃ…っていうか、同い年なんだから、そっちこそだよ」
「まあ、そうですね。こうして一緒にお酒を飲むようになるとは、あの頃思いもしませんでした」
「た、確かに…」

あの頃はコーラで乾杯してたのに、今じゃビールで乾杯してるなんて、ほんと変な感じだ。もしここに灰原くんがいたら、彼もビールなんて飲んでたんだろうか。そんなことが頭に浮かんだけど、口には出来なかった。きっと七海くんも同じようなことを考えてる気がしたから。

「ところで…誘拐犯の主犯は誰か分からなかったんですか」

適当に食べ物を注文した後で、七海くんがふと思い出したように言った。彼なりに心配してくれてるのかもしれない。

「それさっき冥さんにも訊かれたんだけど…まだ分からないの」
「そうですか…。まあ…五条さん絡みということですし、今後はもっと気をつけなくては」
「うん、分かってる…これ以上、迷惑はかけられないし」

わたしがそう言うと七海くんは僅かに眉間を寄せた。

「迷惑なんて思ってないですよ。不可抗力の時もある。相手はこちらを調べ尽くして襲ってくるんですから」
「うん…ありがとう…」
「まあ今回は敵の目的は達成できなかったようですし、があの人の弱点にはなりえない、と思ってくれてるといいんですけどね」

七海くんはそう言って、わたしのグラスにもビールを注いでくれた。
その時――背後で「お待たせ~」と明るい声が聞こえてギョっとした。

「ご…五条…くん…っ?」
「あれ、何その顏。僕も来るって聞いてない?」

振り向けば五条くんがサングラス姿で立っていてビックリしてしまった。

「き…聞いてない…」
「言ってませんから」

そこで間髪入れず七海くんが応える。

「え、言ってよ」
「いや、てっきり本人から聞いてるものと」
「聞いてない。え、どうして…」

当然のようにわたしの隣に座る五条くんは、少し拗ねたようにサングラスをズラして目を細めた。

が今夜は七海と飲みに行くから遅くなるってメッセージ送って来たからさー。僕も誘って欲しかったなーと」
「だ、だってこの前のお詫びだし…」
「この人、その後に私に電話してきて僕も行くから店予約しとくね、と一方的に言って切ったんですよ」

七海くんが呆れたように教えてくれた。まあ、五条くんらしいと言えばらしいけど。でもそうか。この店は五条くんがチョイスしたんだ。納得。
五条くんは下戸のクセに、こういう場所が好きみたいで、結構色んなお店を知っているみたいだ。

「ってことで、カンパーイ」

ちゃっかりソフトドリンクを頼んでいる五条くんに付き合い、もう一度グラスを合わせる。こうして揃って食事をしてると、ちょっとした同窓会気分になった。

「硝子先輩も誘っちゃう?」
「えー止めといたほうがいいって。アイツ来ると長くなるから」
「同感です」
「えー…」

今では一番お酒の強くなった硝子先輩は、確かに飲みだすと朝までコースだと言ってたっけ。最近はお互い忙しくて高専でもなかなか顔を合わせることはない。

(明日は任務も入ってないし、久しぶりに会いに行こうかな)

ふと誘拐の件で心配したとメッセージが来てたことを思い出した。
他にも色々話したいこともあるし、ランチに誘ってみよう。

、これ頼んでシェアしない?」
「うん、それ美味しそう」
「じゃあ頼もうか。七海は?」
「私はこちらの焼き鳥セットで」
「それも美味しそうだな…」
「今夜はがご馳走してくれるらしいですよ」
「え、マジ?」
「うん。この前のお礼とお詫びをかねておごっちゃう。OLの頃より給料も上がったし」
「じゃあ、ご馳走になろーかなー」

五条くんは笑いながら言って店員さんを呼んでいる。こんな風に先輩後輩でたまに食事をするのもいいかもしれない。

(まあ…ほんとは七海くんにも冥さんにしたような話を聞いてみたかったんだけど…)

と思いつつ、隣の五条くんを見る。そして冥さんに言われたことを思い出した。

――長いこと待たせたんだ。そろそろ五条くんに自分の素直な気持ちを伝えてあげてもいいと思うけどね。

五条くんはそのことでわたしを責めないけど、きっと心に蟠りは残ってるはずだ。だからこそ、余計に言いづらいのはある。だけど、日に日に積もっていくこの想いに名前をつけるとしたなら、やっぱりそれは冥さんの言ってた通り、愛情ってやつなんだろう。
隣で楽しそうに七海くんをからかう五条くんを見ていると、ふとそう思った。