五条くんと再会した今夜は、都会にしては珍しく夜空に星の絨毯が出来上がっている。
細かい光がチカチカとおぼろげに点滅している様子は、こんな地上にいる私の目でも見ることが出来た。
五条くんは一緒に星空を見上げながらも、時折どこか遠くを見ているような、そんな顔をしていて。
今、彼が何を思いながら私との時間を過ごしてるんだろう、と思った。

「そういや…もう大丈夫みたいだな」
「…え?」

不意に口を開いた五条くんの声で我に返る。
隣りに座る彼へ視線を向けると、五条くんもまた、私を見ていた。

「オマエ、もう変なもん憑かなくなっただろ」
「え、分かんないけど…ほんとに?」
「ああ。しばらく俺が一緒だったからなんかな。会わなくなる少し前からそんな感じしてたけど、さっき会った時も何も憑いてなくてホッとした」
「そっか…良かったぁ…。少し気になってたの。でも自分じゃ何も感じないから忘れてた」
「いい度胸してるよ、オマエは」

少し呆れたように笑う五条くんに、私もつられて笑う。
ところどころに別れたワードが入る今の私達は、やっぱり昔とあまり変わらないようでいて全然違う。
前よりも少し距離を置いて座る五条くんや、今現在の話を二人で共有すら出来ないことに気づくたび、それを思い知らされる。
でも嫌いになって別れたわけじゃないから、それだけは違うから、あの頃の記憶が蘇るたびに、私の胸は切なさで潰れそうになるくらい苦しい。
この先、また別の人と付き合ったとしても、胸の奥に燻っている小さな火が完全に消える事はない。

「五条くん、そろそろ帰らなくていいの?おばさん、待ってるんじゃ…」
「ああ…別にババァが待ってんのは放置でいいけど、オマエも帰り遅くなるもんな」

五条くんはベンチから立ち上がると、私の方へ振り向いて「送るよ」と微笑んだ。

「え、い、いいよ、そんな…。せっかく帰省したんだし早く家に帰ってあげて」
「いーんだよ。どうせ帰ったってババァの下らない話に付き合わされるだけだし。ほら、行くぞ」

サッサと公園を出て行く五条くんに驚いて、私も慌てて追いかける。
こんな風に送ってもらうのも一年半ぶりだ。

「一応、も女だし夜道に一人は危ねぇからな」
「ちょと…何よ、一応って。これでも昔よりは女っぽくなったねって言われるんだから」
「あ?誰に」

五条くんに追いついて隣を歩きながら強がる私を、彼は顔をしかめながら見下ろした。

「だ、誰って…お…」
「お?」
「……お母さん」
「ぶははっ!親かよ」
「そ、そんな笑わなくたって!」

相変らずデリカシーがないと思いつつも、私は五条くんのそういう自然な姿が好きだった。
五条くんが前に話していた通り、少し人に対して冷たいと思われるようなところも、彼のせいではなく育った環境が特殊過ぎるのだ。
そう、きっと五条くんがそんな特殊な環境で生きている人でなければ、私達は別れる事はなかったかもしれない。
この想いを、例えば全て燃え尽きるまでは、貫けたかもしれないのに。





    






初めてのキスを交わした日から、二人で帰った日やデートをした帰りは五条くんが家の前まで送ってくれるようになった。
それに加えて別れ際には必ず「お休み」のキスをしてくれる。
最初の方こそ照れ臭そうにしていた彼も、今はかなり自然に唇を寄せてくるようになり、逆に私の方が毎回照れてしまう。
この日も、また映画デートをした帰りに家まで送ってもらった。
いつも「じゃあ、また連絡するね」と私が言った後で、少し乱暴に腕を引っ張られて抱きしめられる。
五条くんのその強引さが、まだ帰したくないと言ってくれてるようで、私は好きだった。

抱きしめられて、彼の長い指先が顎をそっともち上げる事で上を向かされる。
そこへ降って来る五条くんの唇が、私の唇に触れる瞬間が好きだ。
一番ドキドキして、数えきれないほどの"好き"が溢れて来る、この瞬間が。
最初は遠慮がちな、掠る程度に優しく触れて来るだけ。
でも角度を変えて重なる唇が、次第に啄むようなキスへと変わって、全身が熱くなってくる頃には腰を抱き寄せられる。
その腕の強さが五条くんに求められてる証のような気がして、更にドキドキが加速していく。

「…ん、」

不思議なもので、何度かキスを交わすようになると、自然と舌が相手を求めるように勝手に動くようになった。
でもそれが何なのかは分からなくて、途中で気づいて恥ずかしくなる。
五条くんも同じなのか、キスをしている合間に、彼の舌が私の唇を掠めていくことがあった。
その瞬間、敏感な唇から甘い刺激がじんわりと広がっていくような気がして、鼓動が速くなってしまう。

「……、口あけて」
「…え」

触れ合っていた唇を僅かに話した五条くんが、掠れた声で呟いた時、何を言われてるのか分からなかった。
コツンと額がくっつき、視線だけを上げれば、五条くんの蒼い瞳がゆらゆらと揺れている気がした。
どこか熱っぽい視線にドキリと心臓が鳴る。

「口、あけて…」
「う…うん…」

再び唇を近づけてくる五条くんの言葉に、素直に口を少しだけ開けると、ぬるりとしたものが口内へ侵入してきた。
驚いた拍子に肩が小さく跳ねる。
初めて受け入れた他人の舌が、自分の口内でゆるゆると動き回るのがとても卑猥な行為のような気がして、一気に頬が熱くなった。
遠慮がちに絡められた舌先を軽く吸われ、くちゅりという音が鼓膜を刺激してくる。
自宅前でこんな事をしている背徳感に加えて、あまりの恥ずかしさで思わず五条くんの胸元にしがみついてしまった。

「ん、」

五条くんの舌が出て行くのを感じた時、ちゅっと音を立てながら離れた彼の唇は、すぐに頬や顎にも触れて来る。
そのまま五条くんは頬の方へ屈むように顔を下げて行くと、今度は髪を避けられ、露わになった耳や首筋へと口付けた。

「…ひゃ」

人に触れられた事のない部分に口付けられ、そのくすぐったくも甘い刺激に、今度こそ全身が跳ねる。
五条くんはそこへ強く吸いつき、同時にチクリとした痛みが走った。

「ん、五条…くん?」
「はあ…ヤバイ…」
「え…?」

五条くんはそのまま私の肩越しに顔を埋めると、小さく息を吐いた。
首元に彼の暖かい吐息がかけられ、ゾクリとしたものを感じる。
やけに自分の身体が敏感になってる気がした。

「…ヤバイって…?」
「これ以上、に触れてたら俺、暴走しそうでヤバイ…」
「……暴走?」

すると五条くんはゆっくりと顔を上げて、私の頬へ、ちゅっと口づけた。

「このままだと押し倒しちゃいそうってこと。まあ…外だからしねーけど」
「……えっ?」
「…んな驚くなよ。仕方ねーじゃん。好きな子にキスしてたら男はムラムラしてくる生き物なんだって…」
「む、むらむらって…」

あからさまな表現に、顏の熱が一気に上昇していく。

「つー事で、これ以上一緒にいるとマジでヤバイから、このまま大人しく帰るわ」
「…で、でも外だからしないって今…」
「いやそれは物理的に出来ないってだけで、この状態だとオッパイくらいは触っちゃいそうだし」
「オッ…なな何言ってんのっ?五条くんのエッチ…!」

顏から火が出るかと思うくらいに血液が一気に顔へと集中した。
慌てて五条くんから離れると、彼は「そこまであからさまに逃げられると傷つくんですけど」と苦笑している。

「それに男なんてエッチでスケベな生き物なんだよ」
「…何か開き直ってる…」
「いや事実だからね?」

ジトっとした目で睨むと、五条くんは笑いながら肩を竦めた。

「まあ…俺としては今すぐと色々したいとこだけど…」
「…い…ろっ?」

いきなりそんな大胆な事を言われて、私の心臓は騒々しいくらいに激しく動いている。
キスから始まってずっと酷使しているせいか、そろそろ苦しくなって来た。

はまだ覚悟も出来ねーだろうから、もう少し我慢してやるよ」
「が、我慢…?」
「ああ、でも―――」

と五条くんは上半身を屈めると、私の顏の前でニッコリ微笑んだ。

「卒業後は何もしないって保証は出来ねーから、そん時までに覚悟は決めておいてね」
「―――ッ」

またしても、さらりと大胆な事を言う五条くんに、私の心臓も限界だった。
卒業後、私は五条くんに襲われるかもしれない。
そう思うだけで変な汗とドキドキ感がグチャグチャで、やっぱり顔は火照っていた。

「んじゃーそういう事で。ちゃんと暖かくして寝ろよ。あ、お休みメールも忘れずに」

私の頭をくしゃりと撫でた後、最後にもう一度、軽く唇へキスをすると、五条くんは手を振りながら家路についた。
心を乱すだけ乱して、あっさりと帰っていく五条くんを見送りながら、本当はさっき少しだけ触れて欲しい、なんて思ってしまった事を思い出す。
五条くんに触れられるだけで、そこが心臓になったみたいに血液が集中する気がするのだ。

「はあ…卒業後…」

ふと脳内で自分と五条くんが裸で抱き合う場面を想像してしまい、慌てて打ち消した。
経験もない私が想像するものではなかったようだ。

「ダ、ダメだ…。心臓がバクバクで死ぬかも…」

フラつく足取りで家のドアを開ける。
だが不意に誰かの視線を感じて、ふと後ろを振り返った。

「……誰も、いない?」

かすかに人の気配というか、視線を感じた気がしたのに、そこには誰もいない。
おかしいな、とは思ったが、寒い事もあり、私はすぐに家の中へと入る。
でも五条くんとの約束は、卒業後も叶えられることはなかった。
卒業式前に、私と五条くんは別れる事を決めたからだ―――。




    




"悪い!あと10分で着く"

五条くんからのメールを確認して、私は首を窄めながら公園のベンチに座った。
今日は朝から仕事だったらしく、五条くんとはこの公園で待ち合わせをしたのだ。

「…さぶ」

二月下旬とはいえ、まだまだ北風が冷たい時期だ。
私はしっかりマフラーを巻きなおし、ポケットに手を突っ込んだ。
それでも好きな人をこうして待つのは楽しい。
五条くんは寒いから家で待ってて、と言ってくれたが、一度家に帰ってしまうとこの時間では出かけにくくなる。
彼氏できたの?なんて最近は母親から詮索されているのも理由の一つだ。
別に隠さなくてもいいとは思うけど、絶対に家に連れて来いと言われるだろう。
それがやっぱり照れ臭いのと、五条くんの家は近所だから当然母親も"大きなお屋敷の五条さん"は知っている。
そこの息子だとバレたら更に根掘り葉掘り聞かれる事は目に見えていた。

「はあ…でもそのうち紹介しなくちゃなぁ…」

五条くんも何度か家に誘ってくれた事はあったが、私はまだあの大きな門をくぐる勇気はなかった。
話に聞けば五条くんの母親は意外と能天気で気を遣う必要はないとの事だったが、歴史と格式のある家らしいから、やっぱり普通に友達の家に行く感覚にはなれないのだ。

(これがドラマとかだとウチの息子と別れて下さい!なんて言われそうなくらい、歴史がある家みたいだしなぁ)

なんてバカなことを考えてると、五条くんが到着するまで残り五分を切っていた。
そろそろかな、と思いながら、いつも彼が来る方角を見る。
私が覚えているのはここまでだった。
この時、背後から何かを嗅がされた私は、一瞬で意識を失った。



    




次に目を覚ました時、私は見た事もない部屋に寝かされていた。
かすかにお香の香りが漂ってくるのを感じ、ゆっくりと目を開ければ、そこは広い和室のようで、傍にはグラスと水差しが置いてあるのが見える。
私はその和室の真ん中に敷かれたフカフカの布団に寝かされているようだった。

「…ここ…どこ…?」

さっきまで公園にいたはずなのに、と思いながら、白昼夢でも見てるのかと目を擦りながら体を起こした。
異変にすぐ気づいたのは、自分がコートを着たままの姿で布団に寝かされていたからだった。

「え、何で…っていうか夢じゃないの…?」

辺りを見渡しても人がいる気配がない。
ただ頭のところに自分の鞄が置いてあるのを見て、慌ててコートのポケットからケータイを取り出した。
五条くんから何か連絡が入ってないかと思ったのだ。
その時、大きな声が部屋の外から聞こえて来た。

「―――って何でそーなんだよ!アイツは俺が守る!」
「…悟!!待ちなさいってば」

この声は五条くんだ、とホっとしたのもつかの間。
突然、障子が開き、五条くん、そしてその後ろから和服姿の綺麗な女性が入って来た。

…気づいたのか」
「ご、五条くん、私どうして―――」

と、そこまで言った瞬間、五条くんに強く抱きしめられて驚いた。
彼と一緒に来た和服の女性もまた、驚いたように目を見開いている。

「やだわ、悟ってば…。見せつけないでちょうだい」
「…うるせぇな。二人にしてくれ」

五条くんの言葉に、その女性は深く息を吐くと「少しだけよ?お父様も待ってるんだから」と言って静かに障子を閉めた。

「あ、あの…五条…くん…」
「悪い…」
「え…?」
のこと…守れなかった…」
「……何のこと?」

ゆっくりと体を離した五条くんを見上げると、彼の瞳はどこか悲しげに揺れていて、そんな顔をはこれまで見た事がなかった。

「五条…くん…?」
「…はさっき…公園でさらわれたんだ。呪詛師の奴らに」
「え、さらわれたって…何?じゅそ…?」
「きちんと説明する」

五条くんは真剣な顔で私の前に座ると、私の身に起きたことを全て話してくれた。
公園で五条くんを待っている時、呪詛師という奴らが私をさらった、と彼は言った。
犯人の呪詛師は子供の頃から五条くんの命を狙っている奴らであり、五条くん本人を殺せないからと彼女である私を人質にして彼を殺そうと企んだらしい。
公園に私がいないことで、焦る五条くんのケータイに、そいつらから私をさらったと言われた五条くんは言われるがまま、指定された場所へ向かった。
そこで全員を返り討ちにし、薬を嗅がされ眠っていた私を助けてくれたそうだ。因みにここは彼の家らしい。
眠っていた私には一切の記憶がなく、そんな話をされても「まさか」としか言えなかった。
だけれど、その後に五条くんが言った言葉に驚いた。

「オヤジに…オマエと…別れろって言われた」
「…え?」
「俺がの傍にいれば、また同じ事が起こる。だから別れろってさ…」
「嘘…だよね…」

まさかそんな、さっき想像してたバカみたいな話が現実になるなんて、と私は笑ってしまった。でも五条くんだけは真剣な顔で、ただ悔しそうに目を伏せている。
彼のその表情を見ていると、今聞いた話は全て本当なんだと、理解した。

「…や…やだ…。別れるなんて…。ねえ、五条く―――」
「俺だって別れたくねぇよ…!けど…オヤジが言ってることも間違ってねーんだよ…」
「…五条くん…」

彼は辛そうに息を吐き出すと、ふと私の頬に手を伸ばした。
その手の冷たさに、ドキっとする。

「一口に呪詛師つっても今日の奴らだけじゃない。まだ他にも俺の存在を疎ましく思ってる奴らはいる。そういう奴らがを狙わない、とは…保証出来ない…」
「……っ」

五条くんはその特異な力のせいで、幼い頃からそういった類の奴らに命を狙われて来たと言った。

「迂闊だった…。俺本人を狙って来るヤツはどうとでも出来る。だけど…俺のせいでを危険な目に合わせた…ごめんな」
「だ…大丈夫だよ、私は…。ほ、ほら、ケガもしてないし…。それに五条くんが傍にいれば平気でしょ?」

別れたくない。別れたくなんかない。
嫌だ…こんな事で、当人同士の問題でもなく、そんな卑怯な奴らのせいで別れなきゃいけないなんて、そんなの絶対に―――。

「俺が守るって…そう言いたい。けど…卒業したら俺はここを離れる。今まで通りには会えなくなるし傍にだっていてやれな―――」
「やだ…!私なら平気だから…そんな奴ら怖くなんか―――」
「ダメなんだよ!今日はたまたま無事だったけど、もっと手荒なことをする奴らだっている…俺を殺す為ならどんなことをする奴だって」
「五条くん……」

守るなんてオヤジに言ったけど、結局ずっと傍にいてやれない俺には無理だって気づいた。だからオマエを守る方法は、一つしか思いつかない。

五条くんはそう言ってた気がする。あまりに的確過ぎて、私には何も言う資格なんてなくて。
嫌だって言いたいのに、もうそんな我がままを言える状況ではないんだと、思い知らされた。
その後、五条くんのお母さんが私のところへ来て、泣きながら謝ってくれた。

「悟の大切にしてる子を危険な目に合わせたくないの。ごめんなさいね…」

凄い家の奥様なのに、中学生の私なんかに頭を下げてくれた。
五条くんはいつも「ババァ」なんて悪態ついてたけど、凄く素敵なお母さんだった。
私は泣くことしか出来なくて、五条くんと会えなくなるのが怖くて、ただ震えてただけ。
その後は五条家の人が家まで送ってくれて、最後は五条くんと話す事も叶わなかった。
でもまだ暫くは安心できない、と五条家の術師の人達が私の警護をしてくれてたようだった。
おかげで何事もなく学校に通えたけど、それ以来、五条くんは一度も学校に来ることはなく。
クラスメートに色々聞かれたけど、遠くの高校に行くからだよ、としか説明できなかった。

五条くんに会いたくてあの公園にも通ったけど、一度も彼は姿を見せる事はなかったし、でも私が誰かに襲われることもなかった。
きっと陰で守ってくれてる人達がいたんだと思う。
一週間経って、二週間経って、少しずつ五条くんと付き合う前の自分の生活に戻して行った。
お互い好きなのに、何故別れを選択しなきゃいけないんだ、という悔しさは、あの日からずっと心の奥に残ったまま…私は、卒業式を迎えた。

さん、五条くんってば卒業式にも顔出さないの?」
「あ、うん…。もう次の学校の寮に入ってるみたいだから」
「そーなんだー。じゃあさんも寂しいね」

クラスメートの子達はそんな事を言いながら、今度は入学する高校の話をし始めた。
でも私は主のいない机を眺めながら、五条くんは今、どこで何をしてるんだろうと考えていた。
クラスの人に別れた事は話していなかった。
理由を尋ねられても、どこか現実味のない話で、うまく説明できる気がしなかったからだ。
どうせ今日で卒業してしまえば、高校の違う人達とは会う事もなくなる。

(最後に…五条くんと一緒に卒業したかったな…)

卒業式には一緒に写真を撮りたいね、なんて他愛もない約束を交わした。
五条くんは恥ずかしいなんて言って渋ってたけど、でも最後は折れて、仕方ねぇなーと苦笑いしながらもOKしてくれた。
そんな小さな約束でさえ、愛しさを連れて来る。

「……会いたい」

五条くんの笑顔を思い出すたび、死ぬほど会いたくなる。

「…誰にぃ?」
「―――ッ」

その頭上から降り注いだ声を聞いて、弾かれたように振り返る。
でも私が声をかける前に、クラスメート達が「あれー?五条くんじゃん!」と声を上げた。

「今日、来ないんじゃなかったのー?」
「卒業式くらいは顔出すよ。なぁ?
「あー五条くんってばさんに会いたかっただけでしょ!」
「あーバレたー?」

クラスメートにからかわれて、いつものように応えてる五条くんを、私はただ茫然としたまま見つめていた。

「ど、どうして…?」

隣の席に座った五条くんを見ていると、ついそんな言葉が零れ落ちる。
五条くんはもう、この学校には来ないんだと思ってた。

「どうしてって…今、アイツらに言ったけど?」
「…え?」
に会いたかったから最大の我がまま言って、卒業式だけはOKが出た」
「…五条くん…」
「久しぶりだな、。元気だった?」

前と変わらない調子で笑顔を見せる五条くんに、目頭が一気に熱くなる。
こんな不意打ちは、辛いけど、やっぱり嬉しいから。

「まだ式の前だぞ。泣くの早くね?」
「う、うん…そう、だね…」

慌てて零れた涙をハンカチで拭こうとしたら、五条くんの手が伸びて、その綺麗な細い指が私の濡れた頬に触れる。
前なら当たり前のように感じていた五条くんの体温が、今は凄く懐かしく思えて、また涙が溢れた。

「そんな泣くなって…」
「だ、だって…五条くんのせいだもん…」
「…俺かよ」

苦笑しながらも、頭をクシャリと撫でるその大きな手が、私は大好きだった。
もう会えないと思っていたから、最後に五条くんの顏が見れて幸せだった。
この先、もう会う事すら叶わなくても、この日の思い出があれば生きていける。
本気で、そう思った。

それから卒業式に出て、卒業証書を受け取って、五条くんと校門のところで約束通り写真を撮った。
私は泣いてばかりだったから、目が充血してて凄くブスに映っていたけど、隣で私の肩を抱く五条くんも、本当は泣きそうな顔をしてたんだね。
後で写真を見て、気づいたよ。
最後はやっぱり一緒に帰って、あの公園でさよならをした。
嫌いあって別れたわけじゃないから、またいつかどこかで会っても、普通に話せるねって私が言ったら、五条くんは「が知らない男と歩いてたら無視すっけどな」なんて言われた。
私だって、五条くんが知らない女の子と歩いてたら、きっと同じことをすると思うから、それは笑うしかなかった。

あの時はきっと五条くん以上に好きな人なんて出来ないと思っていたから、他の誰かと付き合う自分なんて想像すら出来なかったし、他の人と付き合う事は出来たけど、やっぱりその気持ちは変わらなかった。
ただ寂しさを埋めたかっただけで、五条くん以外の人なら誰だって同じだと思ってたから。
忘れたいと思うけど、忘れられなくて。あんなに切なくなるような恋なんか、二度と出来ないと思う。
心が燃えるような、熱いくらいの想いは、他の誰にも持てない。

「じゃーな、。元気で」
「うん。五条くんもね」
「変な霊に憑かれたら、また俺が祓いに来てやるよ。金額増し増しで」
「お金取るのかよ」

五条くんの口調を真似して言い返したら、彼は楽しそうに笑って、そして最後に私を抱きしめた。
その腕の強さが、まだ同じ想いなんだと言われてる気がして、胸の奥が痛くなる。

「オマエが好きだ…。今も、きっとこれからも」
「…うん。私もだよ。五条くんのことずっと好きだよ」
「いつか―――」

と、五条くんは言いかけた言葉を飲み込んで「いや」と首を振った。
そして最後に触れるだけの優しいキスを唇にひとつ。
それで本当に、私達の初恋は、終わりを告げた。




    





「…やっぱコッチの方が断然あっちーな」

不意に五条くんが言った言葉にハッと我に返った。
私の頭の中は、あの別れた寒い日を思い出していたから、現実に戻った途端、蒸し暑さで息苦しさを感じる。

「でもお盆が過ぎれば涼しくなるよ」
「まーなー。でも今度は寒くなんだよなー。高専のある場所ってコッチより三℃くらい気温低いし」
「え、そうなんだ…。どんだけ田舎なの?」
「うるせーよ」

五条くんは笑いながら昔のように私の頭をぐりぐりと揺さぶる。
その大きな手に、触れられるのが大好きだった。

「はい、到着」
「あ…うん」

気づけば私の家の前で、五条くんは笑顔で振り向いた。
でも私は何となく「じゃあ」という言葉が口に出せずにいた。
あの別れの日以来、初めて五条くんに会えたから、少し欲が出てしまったのかもしれない。

「入らねーの?」
「え?あ…は、入るけど…」

帰りたくない、と、そう思ってしまった。
その時、ふと五条くんに昔言われた言葉を思い出す。

"まだ帰りたくないの。五条くん♡って言ったら俺、ヤバいかも"

あの頃は恥ずかしくて言えなかった。
デートをした帰り際、何度も帰りたくないって思ってたのに、一度も言えた事がなかった。

「…?どうした?」

黙ったままの私を見て、五条くんが私の顔を覗きこむ。
私は決心をして、顔を上げて、五条くんを真っすぐに見上げた。

「まだ…帰りたくないの、五条くん…」
「…え?」

このまま、どこかへさらって欲しい―――。

そう言葉を続けたいのに、口を開く前に何故か涙が零れ落ちた。
五条くんは酷く驚いた顔で、私を見下ろしている。

「……?」
「全然…ダメだよ…」
「え?」
「五条くんとの思い出が大きすぎて…全然消えてくれない…」

付き合っていたのは、ほんの短い間だったのに、彼との思い出がどうしたら消えてくれるのか分からない。
他の人と付き合って忘れたつもりになっても、ふとした瞬間に思い出す。
寂しいと思ったこんな夜に、何で五条くんに会えちゃうんだろう。
神様はズルい。私から五条くんを奪っておいて、なのに今日また会わせるなんて。
ずっと会えないままだったなら、いつか思い出すら遠い過去になっていったかもしれないのに。

…」

泣いてる私の頭に彼は手を置いた。
もう遅い、とか俺は忘れたとか、そんなことを言われるんだと思った。

「あと一年半、待てる?」
「………え?」

何を言われてるのか、一瞬分からなくて、ゆっくりと顔を上げると、いつの間にか五条くんはサングラスを外していた。
綺麗な碧い輝きは、あの頃のまま少しも変わっていない。
私を見つめる、その優しい眼差しも。

「オマエが…高校卒業するまでの間、俺も待ってるから」
「五条…くん…?」
「今は…まだ心配だから傍にいてやることはできない。だけど…が高校卒業して…社会人になったら…」
「な、なったら…?」

五条くんはふと笑みを浮かべて、私の瞳に溢れた涙を指で拭った。

「俺と一緒に住まねえ?」
「え…?」
「あと一年半、俺は待てる自信しかねぇけど…は?」

何を言ってるんだろう、と夢かと、そう思った。
だけど、頬に触れて来る五条くんの体温は、これが現実だと伝えて来る。

「ま…待てる…。私も…待てる自信しかない…」

そう言った私に、五条くんはあの頃と同じような優しい笑顔を見せてくれた。
私の大好きだった、彼の笑顔だ。
その笑顔に見惚れていると、不意に腕を引き寄せられ、奪うように抱きしめられた。
昔と変わらない力強い腕を背中に感じながら、これが夢なら覚めないで欲しい、なんてベタなことを思った。
額に唇を押し付けられ、そこから熱が生まれる。
目尻、頬、と下りて来る五条くんの唇が、私の唇へ触れそうになった時、彼が「あ」と小さく声を上げた。

「その前に…今の男ときっちり別れて来いよ…?」
「…え」

目を細めて、不機嫌そうな顔をする五条くんに、私は思わず吹き出してしまった。

「何笑ってんだよ…。ちゃっかり彼氏なんか作りやがって…マジ腹立つ」
「だ、だって…五条くんとはもうダメだって思ってたし、一生恋もしない人生になったら嫌だなって…」
「はあ?俺は今日会わなくてもオマエが高校卒業したら迎えに来るつもりだったんだけど?」
「…えっ?そ、そんなの知らないもん…」
「チッ…。やっぱ俺だけかよ…ヨリ戻す気満々だったの」
「そ、そんなの言ってくれなきゃ分かんないじゃない…っ」
「あ?俺、最後に言ったよなぁ?オマエが好きだって。今も、きっとこれからもって、そこまで言ったし」
「そ、それは―――」
「それにだって涙目で五条くんのことずっと好きだよ…なーんつってたくせに、他に男なんか作って、薄情な女だよ、ったく」
「な…だ、だって、それは初恋の思い出として言ってくれてるのかと―――」

と、そこまで言って言葉を切った。
家の前でこんなに大騒ぎをしていたら、親が出てきてしまう。
私は恐る恐る五条くんを見上げると、彼は未だ不機嫌そうな顔で私を見ていた。

「で…ソイツとはどこまでしたわけ?」
「……え?」
「あ、オマエ、まさか処女やったとか言わねえよな?!」
「ちょ、な、何言ってんのよ、こんなとこでっ!あげるわけないでしょ?あんなクズ男に!」
「…クズって…ひでえな、オマエ。一応、ソイツにやる為にケーキ焼いたくらいは好きだったんじゃねえのかよ」

五条くんが手に持っているケーキの箱を持ち上げる。
それを言われると何も言えなくなるけど、でも五条くんが怒るほどに好きだったわけじゃない。

「また人を好きになれるのか知りたかっただけだよ…。五条くんの言う通り、薄情な女でしょ?」
「いや、俺以外の男にならどんだけ薄情でも許す」
「…何よ、それ」

その言い草にちょっと笑うと、五条くんは「笑い事じゃねーから」と口を尖らせた。

は俺のもんなのに、一時でも他の男がオマエのこと、彼女って言ってたんだと思うとムカつく」

五条くんは仏頂面でプイっと顔を背けながら、そんな事をボヤいている。
でも私が彼の立場だったなら、きっと同じ事を思うはずだ。
五条くんが私じゃない子と付き合ってて、その子が五条くんのことを彼氏、なんて言ってるのを想像するだけで、ムカつく。

「彼とは…ハッキリ別れる。もうきっと向こうもそう思ってると思うけど」
「あーそれ、会わなくていいから、電話かメールで済ませろよ?」
「…わ、分かった」
「何、笑ってんだよ、テメェ」
「五条くん、更に口が悪くなったんじゃない…?」

怖い顔で私を睨む五条くんに、苦笑交じりで言えば、彼は悪かったな、と言いながらも私を抱きしめた。

「またしばらく会えなくなるけど…俺は浮気もしねーし、オマエもすんなよ…?」
「……するわけないでしょ」

前より嫉妬深くなった五条くんの言葉に笑いながら顔を上げると、熱を孕んだ瞳と視線がぶつかる。
五条くんは今度こそゆっくり身を屈めると、昔のように私に甘いキスを落とした。
触れるだけのキスから、次第に深まる唇の熱に、五条くんと別れてから、ずっと燻っていた小さな火が今、燎原りょうげんの火の如く、鮮やかに心に広がる。



それは貴方にだけ、燃える想いの熱量
燎原の火

皆様に楽しんでいただければ幸いです。
日々の感謝を込めて…【Nelo Angelo...Owner by.HANAZO】