愛も呪いのうちだから



「わたし、棘くんと別れようと思う」

任務の帰り、真希ちゃんが「腹減ったし何か食ってこうぜ」と言いだして、ふたりで入ったお好み焼き屋。わたしは豚玉明太子入り、真希ちゃんはイカ玉餅入りのお好み焼きを注文した。
冷たいウーロン茶を飲みつつ、アツアツの鉄板の上で、片面が焼けてきたそれを、いざひっくり返そうという、まさにその時。唐突にわたしの放った冒頭での一言が、真希ちゃんの手元を狂わせたらしい。宙に舞った物体は、真希ちゃんの驚愕の表情と共に、べちゃりと形を崩して鉄板の上に戻った。

「あー…」

みるみるうちに真希ちゃんのメガネが曇っていったのは、落胆というより、怒りの熱量みたいなものかもしれない。呪力はなくても、どことなく真希ちゃんの負の感情が、わたしを覆ってるような。
恐る恐る真希ちゃんを見ると、案の定ジト目を向けられてた。その目力の強い視線は"全てオマエが悪い"と言いたげだ。まあ、言われたけど。

「悪い冗談で驚かせんな」

最後はそう言いながら、すでに形を成してないお好み焼きを、悲しげに自分の小皿へ取っている。まあ見た目は悪いけど、お腹に入れば同じだよって言ったら、真希ちゃんの目が更につり上がったけど、ここは気づかないフリをして、わたしは綺麗に焼き上がった自分のお好み焼きを口へ運ぶ。

「棘と…ケンカでもしたのかよ」

真希ちゃんも諦めて、お好み焼き風の物体を食べ始めると、不意にそんな質問をしてきた。わたしが言ったことを、まだ一時の感情だと思ってるみたいだ。

「してない」
「…まあ、と棘がケンカしてんの見たことねぇしな」

真希ちゃんはウーロン茶でお好み焼き風のものをお腹に流し込むと、不意に真顔で「嘘だよな」と訊いてきた。否定するのに無言のまま首を振る。冗談でそんなことは言わないし、大好きな真希ちゃんに、わたしはこんな嘘つかない。

「…は?何でだよ」

わたしが本気で言ってると理解したらしい。真希ちゃんは心底驚いた顔をした。普段は冷静な真希ちゃんが、こんな顔をするのは初めて見たかもしれない。

「だって…お前らあんなに仲いいだろ。昨日だって任務帰りにデートで映画行くって…あ!そこで何かあったんだろ。棘が他の女に見惚れてたとか――」
「まさか!棘くんはそんなことしない。映画観てる間もずっと手を繋いでくれてるし、ポップコーンだってあ~んって食べさせてくれるし、時々ちゅってホッペにキスもしてくれる人だから、他の女の子なんて絶対見ない」
「………へえ」

一気に説明したら、真希ちゃんの口元が心なしか引きつって、目も半分くらいになってしまった。再び負のオーラを向けられてる。まあ、これは棘くんのことを話す時のお約束だから気にしない。

「いつも通りラブラブじゃねぇか。なら何で別れようと思ったんだよ」
「…それは…」
「何だよ。言いにくいことか…?」

真希ちゃんは少し心配そうな顔をした。口は悪いけど、本質は凄く優しい人だから、きっと色んな可能性も含めて考えてくれてるんだろう。

「言いにくいというか――」
「やっぱ…まともな会話が出来なくてキツイとか…?」

まず最初に浮かんだ理由はそれだったのか、真希ちゃんは困ったように溜息を吐いた。でもすぐに違うと否定する。確かに棘くんの術式が理由で、普通のカップルみたいな会話は出来ない。好きという言葉さえ、口にはしてもらえない。だけど、そんなの分かってて好きになったんだから、今更それを理由に別れようなんて思わなかった。
しっかり自分の気持ちを真希ちゃんに告げると、また少し呆れ顔をされたけど。
しばし沈黙が続く中、店員さんの「いらっしゃいませ~」と変に間延びした声が店内に響き、真希ちゃんがふと顔を上げた。

「…じゃあ、何でだよ。理由を言え、理由を。もう棘のこと好きじゃなくなったとか?」
「ううん、大好き」
「ハァ?なら別れる必要ねぇじゃん」

それはごもっともだ。でも、今のままじゃダメだって気づいたから、好きでもわたしは別れなくちゃいけない。だって、それが――。

「あ?棘のためって…何でそーなるんだよ。と別れたら、それこそ棘は生きてけねえだろ。のこと、あんなに大好きなのに」

真希ちゃんは呆れたように言って、お好み焼きの続きを食べ始めた。すっかり冷めてしまったようで、入ってた餅が硬いと文句を言っている。

「だから…それ」
「…あ?」

お好み焼きを口へ運ぶ手を止めて、真希ちゃんがわたしに視線を戻した。

「それが…理由なんだもん」
「それって…?」
「…棘くんの…わたしを想う気持ちが――」

棘くんとの出会いは高専入学当日。
呪言師の末裔だという棘くんは、懐っこいパンダくんや、態度と裏腹で面倒見のいい真希ちゃんとは違って、最初なかなか心を開いてくれなくて、話しかけてもくれないから、わたしは少し寂しい思いをしていた。
呪霊が視える、術式がある。家柄は普通なのに、そんな理由だけで高専に放り込まれた庶民のわたしは、みんなほど呪術師としての才能はなく、どんなに頑張ってもそれほど戦闘では役に立たない。
逆に、パンダくんは突然変異で人格を持った呪骸――それだけでスペシャルな存在だ――なんて、生まれた瞬間から呪術師としての力量があるし、真希ちゃんは名門御三家の禪院家出身――まあ、これを言ったらキレられるけど――だ。呪力がないことで悲惨な子供時代もあったみたいだけど、真希ちゃんは呪力がなくても、呪具の扱いに長けているし、体術を合わせた戦闘はかなり強い。
そして――呪言師の末裔だという才能の塊のような棘くんは、言わずもがな。

だから、わたしとみんなの間には見えない壁があるんだと、だから棘くんは心を開いてくれないんだと、そう思ってた。
だってパンダくんとは愉しげに話してるし、真希ちゃんとだって仲良く鍛錬してる。わたしだけが仲間外れだ。
これはわたしの完全なる被害妄想だったけど。
とにかく、そんな心境でいた頃、わたしと棘くんは何故か同じ任務に回された。都内にある廃校に、多数の呪いが発生、と"窓"から報告が上がってきたのだ。そこへわたしと棘くんが派遣されることになったのは、術式の相性がいいから、という理由だった。担任の五条先生が言ったことだけど、そう言われてみれば確かに、と思った。

わたしの術式は対象の聴覚に干渉するもので、範囲内であれば、数は関係なく攻撃できる。わたしの呪力に触れた対象の聴覚を消す、または増幅させることで、相手の脳を混乱させることが出来る。ただ弱い呪霊などは周波数の音波を爆上げすることで簡単に消せるけど、それなりに強い呪霊ともなると、簡単にはいかない。
弱らせることは出来ても、とどめを刺すともなれば、必然的に体術も必要になってくるからだ。どちらかと言えば体術は苦手だった。そこで五条先生は棘くんの術式を合わせたらいけるんじゃ…と考えたようだ。

わたしが相手の聴覚を上げてから、棘くんの呪言で刺せば、多分一級相当くらいの呪霊でも消滅させることが出来ると思ったらしい。
それを聞かされた時、目から鱗だった。そして妙に納得してしまった。
わたしの爆上げした呪力に中てられた時、敵にはその音が何倍にも膨れ上がって聞こえる上に、どんな音の攻撃も増幅させることが出来る。
その状態で、もし棘くんが呪言を唱えれば、それほど呪力消費をしなくても、彼の言葉の力はいつもの倍に膨れ上がるはずだ。まさに二人で一つみたいな相性だと思った。
だけど、一つだけ問題があった。


2.


「じゃあ、二人とも~死なないでね~」

五条先生が無責任な言葉を吐いて、帳の外に姿を消した時、わたしは大事なことを思い出した。

「…ツナマヨ」
「え…?」
「高菜」

狗巻くんは古ぼけた校舎の方を指して、ひとり先に歩き出す。そこで「行こう」と言ったのかな?と自分なりに解釈して、彼の後からついて行った。同時に、狗巻くんの語彙が「おにぎりの具」のみ、ということを失念してたことで、この後の打ち合わせ的なものはどうしよう、と頭を悩ませる。
呪言師はその名の通り、言葉に呪いを乗せる。だからこそ、無駄に身近な人を呪わないよう、彼は普段の会話を「おにぎりの具」に限定してるということだった。
そんな相手とコミュニケーションを取れるのか分からないし、そもそも、狗巻くんはわたしと二人だけの任務に納得してるんだろうか、と不安になってきた。
五条先生のことだから、その辺の意志は確認してなさそう。

高専に入学してから、まだ狗巻くんとはまともに会話をしたことがないから、余計に心配になってくる。こんな任務、ひとりで余裕なのに雑魚がついてきた…くらい思われてたら、どうしよう。
そんなネガティブ思考のまま、問題の校舎に入っていく。埃っぽい上に、そこには帳が下りたことで、無数の呪霊が姿を現し始めていた。

「うわ…結構、多いね…。えっと…どうしようか…」

今、視えてる低級呪霊くらいなら、わたしでも簡単に祓える。どっちが攻撃する?という意味で訊いてみた。でも狗巻くんから返ってきた言葉は「おかか。いくら」のみ。何を言いたいのか、さっぱり分からない。もしかして気分を害した?と少しだけ不安になったのは、ネックウォーマーで口元を隠してる分、表情が分かりにくいからだ。今、狗巻くんが何を考えてるのかも伝わってこない。こんなんでコンビを組んでも大丈夫なのかなと思う。
誰かと共闘する場合、相手と意思疎通が出来なければ、致命的なミスにも繋がりやすくなるからだ。

(どうしよう…狗巻くんはどうしたいんだろう)

呪霊を前にしてるのに、わたしはそんなことばかりに気を取られていた。だから、数体の呪霊が天井から襲ってきた時、数秒ほど反応が遅れてしまった。

「…おかか!」
「わ…っ」

不意に突き飛ばされたと思った瞬間、今いた場所に攻撃が降ってきた。廊下の床が粉々になるのを、言葉もなく見つめる。その間に狗巻くんは動いていた。わたしの腕を掴み、呪霊たちから距離を取ると、口元のネックウォーマーを下げた。

「"爆ぜろ!"」

追いかけてきた呪いに呪言を唱えた瞬間、浮遊していた全ての呪霊が見事に消滅する。塵一つさえ、残ってなかった

「…え、凄い…」

跡形もなく消え去った大量の呪霊。しばし呆気にとられた。それに、狗巻くんが「おにぎりの具」以外の言葉を口にする声を、初めて聴いた。何気にイケボだったと思う。

「しゃけしゃけ」
「え…?」

不意に声がして顔を上げると、呪印のある口元が緩く弧を描いていて、更に視線を上げると、仄かに笑みを浮かべる狗巻くんと目が合う。心臓が変な音を立てた。
高専に入学してから、初めて狗巻くんが笑いかけてくれたから。この時、狗巻くんがまつ毛バサバサの美少年だというのも初めて認識した気がする。それまで持っていた彼に対する怖いイメージが、綺麗さっぱり消えていった。

「…高菜?」
「あ…うん…ありがとう」

狗巻くんの問いに対して普通に応えた自分に驚く。狗巻くんの言葉の意味を、自然に理解していたからだ。
"――大丈夫?"
そう訊いてくれたんだと、ハッキリ伝わってきた。狗巻くんは安心したように頷くと、「明太子」と言いながら、廊下の奥を指さした。そこには二階に続く階段。今度は上に移動しようと言ってるんだ。でもその前に――。

「あ、待って、狗巻くん!」

よく見たら、彼の右肘から出血してることに気づいて、慌てて腕を掴む。

「これ…さっきわたしを庇った時にやられたんでしょ…?」
「おかか。高菜」
「ダメだよ。ちょっと待って」
「…ぁ」

違う、大丈夫、とか多分、そんなニュアンスのことを言ってるに違いない。でも怪我をしたまま放置は良くないと思った。ポケットからハンカチを出して見せると、狗巻くんは慌てたように「おかか、おかか」を連呼したけど、それを無視して狗巻くんの肘に巻き付けた。これで止血くらいは出来る。

「…おかか」
「いいの。洗えば済むんだし気にしないで」

何となく汚してしまうことを気にしてる気がしたから、そう言ってみた。狗巻くんは困ったように目を伏せたけど、その後に小さな声で「しゃけ…」と呟く。きっとお礼の意味で言ってくれたんだろう。

「それより…狗巻くん強いね。さすが呪言師。わたしの出る幕ないかも」
「お、おかか…」

さっきの感動を素直に伝えると、狗巻くんの頬が僅かに赤くなったのを見て、つい笑顔になった。何で今日まで彼のことを怖いと思ってたのか、自分でも謎だ。こうして見る限り、狗巻くんは凄く優しい。

「あ、あとイケボだよね」
「……っ!」

最後に付け加えると、狗巻くんの頬の赤みが更に増して、「…おかか」と呟きながら視線を逸らす。照れてる狗巻くんは可愛くて、また心臓が変な音を立てる。
この時はまだ、その意味が分かってなかった。

「しゃけしゃけ」

わたしを促すよう、狗巻くんが歩いていくから、すぐに後を追う。二階には最初の奴らよりも強めの呪霊がいたけど、そこは五条先生の言う通り、今度こそ二人の術式を合わせて戦って。結果、全ての呪霊を秒で祓うことに成功した。
以来、わたしは狗巻くんとコンビを組むことが多くなって、任務がない時でも一緒に行動することが増えたかもしれない。

3.

いつしか「狗巻くん」が「棘くん」になって、その頃には、自然と意志疎通も出来るようになってたっけ。
そして乙骨憂太くんが転校してきた頃、棘くんからメールが届いた。

のことが好きです』

たった一行のシンプルなメッセージ。これで絆されなきゃ女じゃない。いや、きっと違う。
わたしも、とっくに棘くんのことを好きになってた。

『わたしも棘くんが好きです』

迷うことなく、そう返信できたのはそういうことだと思う。
棘くんは言葉の問題などを気にして気を遣ってたらしく、絶対に「付き合って」とは言ってこなかったけど、後日、業を煮やしたわたしの方から「付き合って」と、半ば脅迫みたいな告白をしてしまった。驚いた様子の棘くんから「しゃけ」という肯定を聞けた時は、思わず泣いてしまったくらい嬉しくて、パンダくんや真希ちゃんには散々からかわれたことも、今ではいい思い出だ。
それからはお互いが、初めての彼氏、彼女という関係になったわけだけど、棘くんは想像以上にわたしのことを大切にしてくれた。
とにかく、棘くんはわたしを甘やかすのが上手い。その上、優しい。ついでにヤキモチ妬きだ。
何が心配なのか、毎日顔を合わせるのに、朝から夜までマメにメールをくれるし、任務が別の日は遅くなったら迎えにだって来てくれる。部屋へ遊びに行けば、わたしの好きなお菓子や飲み物だって用意してくれて、二人でDVDを観てる時もべったりくっついて離れない。ちょっと近所のコンビニに行く時も、心配して着いて来てくれるんだから重症だ。でも、そんな棘くんの優しさに甘えてるわたしがいて、これでいいのかなと思い始めた。
別に日常のことだけなら良かった。棘くんがわたしを大事にしてくれるのは凄く嬉しいし、わたしも棘くんに同じくらいの愛情を返すのが幸せだから。
だけど――それが彼の命を脅かすようなら、わたしは彼女失格だと思った。

棘くんは一緒の任務の時、常にわたしを守ろうとする。実際、強敵が相手の時はわたしをかばって怪我をしてしまったくらいだ。なのに「しゃけ、いくら、高菜」と、わたしの無事を喜んでくれる。最初はわたしもそれが棘くんの愛情の証みたいに思って嬉しかったけど、それじゃダメなんだと、気づいてしまった。

任務の後、一緒に映画へ行った帰り道。最終電車に乗り遅れそうで、わたしはつい車通りの激しい道を、信号もないところで渡ろうとしてしまった。一時、車の流れが途切れたのもあって、わたしは後ろにいる棘くんに「駅まで走ろう」と言いながら、ひとり道路へ走りだした。そこへ急にトラックが曲がってきたのは不運としかいいようがない。一瞬、自分の死を覚悟した、その時。

「…!」

棘くんが初めてわたしの名前を呼んだ瞬間だった。
気づけばわたしは棘くんとふたりで道路に転がっていて、曲がって来たトラックはどこにもぶつかることなく、歩道に乗り上げた状態で停止していた。

「バカ野郎!死にてーならよそでやれ!」

ノーブレーキで曲がって来たにも関わらず、運転手の男はそう怒鳴って去って行った。でもそんなことより、わたしを抱きしめたまま動かない棘くんを見て、全身が総毛だったように震えてしまった。このままだと、わたしが棘くんを危険に巻き込んでしまう。本気で、そう思ってしまった。
棘くんは優しいから、きっとわたしを優先することをやめてくれない。それがいつか、取り返しのつかないことになりそうで怖かった。
大好きな棘くんを、自分のせいで失いたくない。
だから――。

「――つーか、夕べ棘に会ったけどピンピンしてたぞ」
「………」

わたしの話を一通り聞いた真希ちゃんは、耳ほじ状態で言いのけた。

「まあ、心なしか制服がほつれてた気はしたけど、任務帰りじゃよくあることだし。それ以外はアイツ、めちゃくちゃ浮かれてたな。とデートって知ってたから、まあ触れないでおいたけどなー」

真希ちゃんはゲラゲラ笑いながら言うと、「すみませーん!豚玉、明太子入り一つ下さい。あ、あとウーロン茶も」と、追加注文し始めた。っていうか、わたしの一大決心をスルーしないで欲しい。

「ちょっと真希ちゃん!わたしが泣く泣く大好きな人と別れようって話をしてる時に、おかわりしないでっ」

バンっとテーブルを叩けば、カランカランっと間抜けた音を立てながら、小皿へ引っ掛けてたヘラが飛び上がった。お好み焼きをひっくり返す器具にまで馬鹿にされた気分だ。それを見た真希ちゃんも、ケータイを弄りながら笑っている。人の一大決心をスルーして、お好み焼きまで追加して、あげく誰かとメッセージのやり取りまでするなんて、わたしへの対応が雑すぎるのでは。
だいたい夕べはただのかすり傷だけで済んだし、棘くんもわたしを抱えて地面を転がった痛みが取れたら、すぐに「高菜」と言って笑顔を見せてくれたから、心底ホっとしたけども。
わたしの鬱々とした呪いを感じ取ったのか、真希ちゃんはメッセージを打ちながら、チラリと視線を向けてきた。

「腹減ってんだよ。さっきは誰かさんのせいで、お好み焼き味の何かを食わされたし、次はちゃんと焼いたやつ食べてやる」
「む…勝手に驚いたくせに…」

ブツブツ文句を言ってる間に、店員さんが新しいお好み焼きの具を持ってきて、真希ちゃんは早速中身を掻きまわし始めた。
わたしはと言えば、すっかり食欲もなくなり、手持無沙汰に小皿に残ったお好み焼きの残骸を見つめる。真希ちゃんは「食わねえの?」と言いながら、アツアツの鉄板に混ぜた具材を綺麗に流した。ジュウゥっと焼ける音がして、香ばしい匂いが漂い始めたけど、さっきみたいにそそられることはない。それはいつも隣にいる大好きな人がいないせいだ。

「…棘くんがいないと食欲でない…」
「あ?」
「いつもは棘くんが食べさせてくれるし」
「…ポップコーンだけじゃねえのかよ。ってか、飯くらい自分で食え」
「だって断ったら棘くん、悲しい顔するし…わたしが食べると嬉しそうに笑ってくれるの。その顏が可愛くて――」
「別れるんじゃねえの…?」
「………」

嬉々とした笑みを浮かべたわたしを見て、真希ちゃんがボソリと呟く。そうだった。今はその話をしてたのに、何を呑気に惚気てるんだ、わたしは。
今のままじゃ棘くんを危険に晒しちゃうから、死ぬ思いで別れるというツラい選択をしたというのに。

「一つ、聞きてーんだけどさー」

自分で自分に言い聞かせてると、真希ちゃんが今度こそお好み焼きを綺麗にひっくり返しながら、わたしを見た。

「もし棘と別れたとして…そうなると、お前らはただの同級生って関係に戻るわけだが…」
「う、うん…そう、だね…」
「そうなった時、棘がまた他の誰かを好きになるっつー可能性は考えたのかよ」
「…え?」
「普通にあるだろ、そういうの。まあ、しばらくはのこと引きずるかもしれねえけど、時間が経って、その気持ちも薄らいできた時、また誰かと出会ってその子を好きになることだってあんだろって話」
「そ…それは…」

そうだ、とは言えなかった。だって、そんな先のことまで想像してなかったから。
棘くんがわたし以外の女の子を好きになるなんて、そんなの想像できるわけがない。

「何だよ。考えてなかったのか?男なんて最初は未練タラタラで落ち込むだろうけど、また別に好みの子が現れたら、次に行くような生き物だろ」

真希ちゃんは当然といった顔で、そんなことを言う。だけど、わたしはつい「棘くんはそんな男じゃない」と言ってしまった。棘くんは一途だから、そんな簡単に好きな人をつくるなんて思えない。わたし以外の女の子を好きになるはずが――。

「本当に?」
「え…?」

真希ちゃんは不意に真顔で訊いてきた。茶化すような笑みは、もうなかった

「本当に棘はに振られても、ずっとお前を想い続けて独り身を貫き通すとでも?」
「そ…んなの…分かんない…けど…」
「じゃあ質問を変えるわ。もし二人が別れたとして、いつか棘に新しい彼女が出来た時、はそれを見ても平気なのか?」

真希ちゃんに言われて、改めて想像してみた。棘くんの隣にわたしじゃなく、別の誰かがいるところを。
わたしにしてたみたいに、その子と仲良く手を繋いで高専の敷地を歩いてたり、食堂でご飯を食べさせてあげたり、部屋でくっついて映画を観たり、合間にキスを交わしたり。
自分がされたことを別の誰かに変換しただけだから、やけに鮮明に想像できてしまった。同級生のわたしは、高専を卒業するまで、その光景を見せつけられることになる。最悪だ。
おかげで――。

「何で泣くわけ」

呆れたように真希ちゃんが溜息を吐く。
でもこの何とも言えない痛みは、わたしの涙腺を容赦なく刺激してくる。ポロポロと零れ落ちる涙が、テーブルの上を濡らしていった。

「だ、だって…棘…棘くんが他の子とイチャイチャしてんの想像したら死にたくなったんだもん…」

最初はどこにそんな出会いがあるんだ、なんて思ったけど、来年は新入生だって入ってくるだろうし、その中に可愛い女の子なんかがいた日には、わたしは心配で眠れなくなるかもしれない。そこまで想像してしまった。
真希ちゃんはメソメソと泣き出したわたしを見て、大きなため息を一つ落とすと、困ったやつだと苦笑いを浮かべた。

「ってことだけど――はどーしたい?」
「…へ?」

泣くのに集中しすぎて、よく聞き取れずに顔を上げた。
わたしに言った感じじゃない。誰に言ってるの?と思いながら、目の前の真希ちゃんを見つめる。その時、背後で「こんぶ!」と聞きなれた語彙が、わたしの鼓膜を突き抜けた。

「え…」

考えるより先に振り向くと、わたしと真希ちゃんが座るテーブル席じゃなく、座敷席のところにいるはずのない白黒の巨体と、小柄な美少年が視界に飛び込んできた。

「……何で」

涙で滲んだ視界に、今の今まで会いたいと思っていた相手がいる。この予想外の状況に、溢れて止まらなかったはずの涙がピタリと止まる。

「と…棘くん…」
「おかか」
「……っ」

わたしと目が合うと、棘くんは立ち上がって真っすぐこっちへ歩いてくる。その顏はいつもの穏やかな表情ではなく、見たこともないような厳しいもので。呑気なわたしでも、彼が怒ってるんだと気づいてしまった。

「あ、あのね…わたし――」

何か言わなきゃ、と思って口を開いたわたしの目の前に、棘くんは自分のケータイを無言のまま突き出した。その画面には文字が打ってある。

『絶対に別れない』

告白された時と同じく、たった一行。でもそれは揺らいでいたわたしの決心を、粉々に砕くくらい威力があった。

「棘くん…」

わたしの涙腺がまたしても決壊するのを見て、棘くんはケータイに何やら打ち込み始めた。そして数秒後、それを再びわたしに見せた。

『俺はが大好きで、誰より大事だから、を守ることは絶対にやめない。出来るだけ怪我もしないようにするし、死なない努力もする。でもと別れたら、生きていける自信はないから、ずっと一緒にいたい』

最高に愛のこもったメッセージ。それを突っぱねるほど、わたしは強くない。

「棘く~ん…!」

溜まらず席を立って抱き着くと、すぐ背中に腕が回って、ぎゅううっと強く抱きしめられた。どこからともなく「ひゅ~」という口笛の音がしたけど、全く気にならない。棘くんの匂いが、腕の強さが、わたしの愚かな決意を綺麗に消し去っていく。

「ごめんね…」

耳元で呟くと、棘くんは「しゃけ…」と頷いて、涙でぐちゃぐちゃの頬に、愛情たっぷりのキスをしてくれた。

「ったく…結局こうなるんだよな。まあ、分かってたけど」
「まあまあ。良かったじゃん。雨降って地固まるってやつだろ」
「パンダのクセに」

そんな同級生の会話が背後で聞こえてきたから、ふと思い出して訊いてみた。

「そう言えば…何で棘くんとパンダくんはここにいたの?わたし、今日は任務後の連絡してないのに」

いつもは任務が終わったら棘くんに必ずメールを送ってた。でも今日は別れる決心をしたから、敢えて送ってない。
その問いに棘くんは「あ~」と言いながら、視線を真希ちゃんへ向けた。

「ああ、棘に頼まれたんだよ」
「え…何を?」
「だから…棘が夕べからの様子がちょっと変だし、今日も連絡が来ないから心配だっつって…わたしがその理由を聞きだす役目だった」
「えっ」
「まあ、でもその前にが先にとんでもないこと言いだしたから、こっそり棘にメール送ってたんだよ」
「それで急いでここに来たってわけ。ま、どうどうと入って来たのには全然気づいてなかったけどな~」

パンダくんもそんなことを言って笑ってるけど、わたしは全然笑えなかった。まさか、今までの惚気から別れの決心まで聞かれてたなんて思わない。っていうか、パンダくんは着ぐるみのフリをしてるっぽいけど、周りの客からガン見されてるからね?

「酷い…信用して真希ちゃんに相談したのにっ」
「仕方ねえだろ。棘だって死ぬほど心配してたし。それに――」
「あ~ん」
「え、ここで?は、恥ずかしいよ…」

気づけば隣に座ってた棘くんが、真希ちゃんの前で堂々お好み焼きを口へ運んでくるからビックリした。真希ちゃんの目が一瞬で虚ろになっていくのが怖い。

「しゃけしゃけ」
「う…」

棘くんは何も気にせず、いつものノリでわたしに食べさせようとしてくるから、仕方なくそれを口へ入れる。ただ、さっきまで食欲がなかったのに、やっぱり棘くんがいると何でも美味しく感じるんだから、人間の心って不思議だ。

「棘くんも食べる?」
「しゃけ」
「じゃあ、はい。あ~ん」

今度はわたしがお好み焼きを口へ運ぶと、棘くんが素直に食べてくれる。その姿はやっぱり可愛いし愛しい。
棘くんはわたしのものだから、やっぱり誰にも渡したくない。
棘くんも相当だけど、わたしの愛情もなかなかに重たかったんだと自覚してしまった。寮に戻ってから、そう真希ちゃんにこっそり耳打ちしたら、彼女は呆れたように一言。

「それ気づいてないのだけだから」

どうやら、わたしと棘くんは似た者同士だったらしい。でも、それでいいと思った。
今は隣でわたしを抱きしめながら眠っている棘くんがいれば、それだけで。

「棘くん、大好き」

耳元で呟くそれは、間違いなく棘くんへの愛の呪言だった。


 BACK

メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで
現在文字数 0文字