第二話:合縁奇縁の同居生活


ふあ…っと大きな欠伸をしながら、はのっそりと起き上がった。まだ半分しか開いてない瞼を押し上げることもなく、眠そうにカーテンの方へ視線を向ける。煌々とした日差しが差し込んでいるのを見れば、とっくに昼近いことが分かった。眠ろうと思えば眠れるが、今は睡魔よりも空腹の方が酷い。仕方ない、とばかりにはベッドから足を下ろした。デカTシャツ一枚という格好で、床に散らばっている夕べ脱ぎ捨てた服を足蹴にしながらドアを開ける。

「…まーた朝帰り…いや、もう昼か…」

リビングを見渡し、二カ月前から同居している存在がいないことを確認しながら、はまず洗面所へ向かった。そこで歯を磨き、顏を洗う。少しスッキリして、今度はキッチンへ向かった。

「あ…おにぎり…」

カウンターテーブルの上には歪な形のおにぎりが二つ、お皿に乗っていた。きっちりラップまでかけてある。

「何だ…一度戻って来たんだ…」

夕べはおにぎりなどなかった。ということは同居人の男が作っておいてくれたんだろう。はスツールに腰をかけて無造作にラップを外した。

「…今日は梅カツオと昆布…甚爾くんてば意外とマメ男?」

絶対にそんなタイプではないのに、時々こうして食事を用意しておいてくれることで、も地味に助かっていた。
そもそもは家事が苦手だった。そこでよりは多少マシな甚爾が自分の食事を用意するついでに、の分も用意してくれるのだ。

(まあ…ヒモはマメだって言うしね)

普段の甚爾の素行を思い出しながら、は一人納得した。
同居してからというもの、だんだんと甚爾という男のことが分かってきたのだ。
最初はプラプラしていた甚爾が、そのうち女を見つけたとかで外泊が多くなった。どうやら自分は女に好かれるタイプと気づいたらしい。言葉巧みに女を引っかけ、相手の家に転がり込み、何かと世話をしてもらってるようだ。住む場所が見つかったのなら、サッサとマンションを出て行けばいいと思う。だが甚爾は外泊することはあっても、必ずのマンションへ帰って来ていた。

――オマエの義兄に頼まれてっからな。

皮肉たっぷりの笑みを浮かべながらそう言われた時は、余計なお世話だと言いたくなった。
だけど――甚爾が帰ってくればホっとする自分もいる。野良猫を拾った感覚と似ているかもしれない。気ままにどこかへ行き、時々フラっと顔を見せてくれると、ああ元気なんだなと安心するアレだ。

(まあ…我が家の野良猫はたまに料理までしてくれるけど)

最後の一口を口へ放り込むと、は軽く両手を伸ばした。同時にどこかでケータイが鳴り出して、スツールから下りる。床に散らばった衣類をかき分け、音の鳴る場所を探せば、ソファの隙間に挟まったケータイを見つけた。
甚爾がいる時はマシなのだが、いないとアッという間に部屋が乱雑になるのは彼女のデフォルトだ。

「もしもし」

そのままソファに腰をかけて電話に出ると、相手は他のブローカーから紹介されたという客だった。

「はい、わたしです。ええ。…え?呪具を飲み込まれた…?はい…。いえ、大丈夫です。ええ。ですが、そのケースは初めてなので一度見せて頂いてからでも宜しいですか?はい。はい…分かりました。では本日の夜、七時に伺いたいと思いますので、ご住所をお願いします。はい…。横浜市…青葉区…はい」

聞きながらテーブルの上にある邪魔な服やグラス、スナック菓子の袋などを手で避けながら、やっとメモとペンを見つけて住所を書きなぐっていく。

「――はい、分かりました。そちらには駐車場はありますか?はい…では車でお伺いします。はい。それでは失礼します…」

客との電話を切ると、はすぐに孔時雨へ電話をかけた。
二人は裏界隈の依頼を受け、それに適した相手に仕事を振るブローカーだ。時々他では受けきれないおかしな案件も引き受けるので、同業者からは何でも屋扱いをされている。

「あ、時雨?あのね、今、リーさんからの紹介だって人から依頼がきて…」

は今の内容を時雨へ伝え、誰に依頼を振るかを尋ねた。今回は呪霊が相手なので呪詛師が適任だろうと思ったのだが、時雨は『禪院に頼む』と言い出した。

「え、甚爾くん?でも今回は別に術師相手のもんじゃないけど…」
『いーんだよ。アイツ、最近仕事ねえってボヤいてたし、小さなもんでもやらせろ。どうせギャンブルか女のとこで遊んでんだから家賃分くらいは稼いでもらわねえと』
「まあ…そうだけど」
『んで、禪院は?』
「今朝帰って来た痕跡はあったけど、また出かけたみたい」
『ああ…んじゃー十中八九あそこだな』
「…あそこ?」
『ああ。最近新しくオープンした店だから、住所教えるしメモしろ』

は怪訝そうに眉間を寄せながら、時雨の言う場所を先ほど見つけ出したメモに書いて行った。


△▼△


その裏カジノはフロアごとに分けられていた。下層部分にはスロットマシン、ゲーミングテーブルが所せましと置かれ、上層部分にはルーレット、バカラ、ブラックジャックが楽しめる。そこへ集まる客達は全員が政財界の大物であったり、どこぞの教祖だったり、大会社の社長だったりと、一般的に言う上流階級の人間ばかりだ。それも半分は外国人が多い。
甚爾は下層部分にあるスロットで時間を潰していたものの、数百万が一瞬にして溶けていくのを見て、軽く舌打ちをした。多少でもプラスになれば御の字だと思ったが、これでは大赤字もいいところだ。

(まーたアイツにギャンブル運がねえんだから止めておけとか嫌味言われんな…)

憎たらしいひげ面を思い出し、甚爾は苦笑を洩らした。

「ハァ…帰るか…」

時間潰しがえらく高くついた気がして、甚爾はフロアを突っ切り、出口へ向かって歩いて行く。
ここは裏の仕事で知り合った人物に一度招待され、それ以降たまに顔を出すものの、未だに勝ったことはなかった。

「おや、甚爾さん、もう帰るんですか?」

エレベーターを待っていると、流暢な日本語で後ろから話しかけられた。振り返ると、ここへ招待してくれた男がニコニコしながら立っている。
スラリとした高身長で口ひげを生やした渋みのある男。
この裏カジノのオーナー。ラウ・シェンだ。中国系アメリカ人のラウは表向き実業家だが、裏の顔は呪詛師の元締めみたいなことをしている。要は普通の殺し屋では殺せない人間の殺しを請け負い、日本で荒稼ぎしている男だ。甚爾は時雨からこの男を紹介され、ラウの抱えている呪詛師では手に負えない術師を数人殺したことがあった。それ以来、ラウにすっかり気に入られ、この裏カジノへの自由な出入りを許されている。

「オマエんとこのスロット、あれ壊れてんじゃねーの」
「ははは、まさか。ああいうものは時の運ですよ」
「オマエからの依頼料をここで溶かしちゃ意味ねえな」
「それは申し訳ない。ならばお詫びにこの後どうです?食事でも」
「…やめとく。男と食事を楽しむ趣味はないんでね」

苦笑交じりで言いながら、到着したエレベーターに乗り込もうとした。だがラウが「女性がいいなら最高ランクの子を呼びますよ」と言われ、ピタリと足が止まる。だが別に最高ランクの女に釣られたわけじゃなく。足が止まったのは、ちょうど到着したエレベーターに知ってる顔が乗っていたせいだ。

「あ、甚爾くん見っけ」
「…げ、…オマエ、何でここに…」

そこには、いつもの黒スーツに身を包んだが呆れ顔で立っていた。

「時雨に聞いたの。ここにいるだろうって。一緒に来て」
「は?」

唐突に一緒に来てと言われ、さすがに甚爾も驚く。そこへラウが歩いて来た。

「おやおや、さんじゃないですか」
「どうも。ラウさん。こちらの新しい店も盛況みたいですね」

孔時雨と懇意にしている相手なので、当然もラウとは顔見知りだ。普通のテンションで挨拶を交わす。

さんが相手では甚爾さんをお引止めするわけにはいきませんね。残念だが食事は今度にしておきましょう」
「すみません。仕事がない時なら、いくらでも甚爾くんはお貸ししますので」
「オイ…オレを抜きに勝手に決めるな」

ふたりの会話を聞きながら、甚爾が溜息を吐く。これからパチンコにでも行こうと思っていたが、どうやら仕事らしい。甚爾はラウに「今度は勝てるマシンを用意しとけ」と告げて、が待つエレベーターへと乗り込んだ。

「…で?仕事?」
「うん。今から横浜に行く」
「ハァ?今から?オレ、腹減ってんだけど」
「ご飯も食べずにギャンブルしてた甚爾くんが悪い」

は皮肉たっぷりに言いながら見上げると「でもおにぎりのお礼に肉まんおごってあげる」と微笑んだ。

「チッ…肉まんかよ…」
「中華街の肉まんだから美味しいよ」
「どうせならテーブル回す店に連れてけよ」
「甚爾くんの奢りならいいけど」
「バーカ。ヤってもない女に奢る趣味はねえんだよ」

苦笑しながら壁に手を付き、を見下ろす。もジっと甚爾を見上げると、盛大に溜息を吐いた。

「この二カ月ですっかりチャラ男になっちゃって」
「いいだろ、別に。自由を満喫してんだよ」
「このクズが何でモテるんだか」
「そりゃーやっぱ顔がいいからじゃねーか?」

顎に指を添えてキメ顔を作る甚爾を見て、の目が極細になった。

「ハァァァァ…」
「てめ…デカい溜息つくな。この干物女」
「干物じゃないもん。ちゃんと仕事してるし」
「ああ、オマエが面倒なのは部屋の片づけだけだもんなー?」
「うるさいなぁ…最近はそんなに汚してない」

髪をグシャグシャと乱され、は甚爾の手を振り払った。痛いところを突かれたのが気に入らないようだ。

「嘘つけ。今朝帰ったらすげーことになってたぞ、リビングもキッチンも」
「…あれは…ここんとこ忙しかっただけで…」
「またかよ。オマエ、忙しいと言えば許されるとでも――」
「あ、ほら着いたよ!路駐なんだから早く行こ!」

甚爾の説教が始まりそうな気配を察知し、は一階に到着したエレベーターを飛び出していく。その後ろ姿に呆気にとられながらも、甚爾は「仕方ねえなあ」と苦笑いを浮かべた。

「ったく…あれでも女かよ…」

踏んでた踵を元に戻して靴を履き直すと、甚爾は頭を掻きつつ、の後ろから歩いて行く。その表情は言葉とは裏腹に、薄っすら優しい笑みが浮かんでいた。

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