第五話



墓場のような結婚になるはずだった。結婚という晴れ晴れしい行事の中において、わたしの心はずっと雨が降っているかのように泣いていて。天気雨が降り出したのを見ながら、まるでわたしの心みたいだと、ふと思った。

「"狐の嫁入り"だったみたい。雨、止んで良かったわね」
「そう…ですね」

伊達さんが窓の方を見ながらホッとしたように呟くのを聞きながら、わたしはコッソリとスマホへ視線を落とした。夕べ注文したところからの確認メールでは荷物は今夜届くことが記載されている。明日の夜、彼も出張がないと話してたから、そこは少しホっとしていた。

――焦らなくていいから、ゆっくり関係を深めて行こう。

悟はそう言ってたけど、焦らずゆっくり――なんて悠長なことは言っていられない。いくら愛のない結婚でも、どれほど嫌いな相手でも、わたしの本来の"仕事"だけは済ませないと。

(結局、夕べも普通に食事をして映画を観ただけで終わったな…同じベッドに寝るから一応覚悟もしてたのにお休みのキスしかしてこないなんて…)

夕べのことを思い出して急に恥ずかしくなった。何となくキスをされた額を手で隠しながら、一気に動き出した心臓を静めようと小さく深呼吸をする。あんなスキンシップくらいでドキドキしてたら身が持たない。もっとそれ以上のことを彼としなくちゃいけないというのに。

「よ、新婚さん」

突然、ポンと頭に手が乗せられ、ハッを顔を上げれば、そこには白衣を着た硝子先輩が立っていた。

「硝子先輩…」
「どうした?浮かない顔だな。あのバカとケンカでもした?」

あのバカとは悟のことだろう。相変わらずの硝子先輩に思わず吹き出しながら「その逆です」と夕べのことを簡単に説明した。当然、昔から彼のことを知っている硝子先輩は驚愕と言った顔だ。

「は…?謝って来た?あの五条が」
「はい…本心かどうかは分かりませんけど」
「へえ…そりゃ珍しいこともあるもんだ。でもまあ…結婚したんだし、オマエ達の関係で仲直り、というのか分からないが出来れば私もその方がいいと思うよ」
「そう、ですね…。わたしもそう思います。じゃないと…」
「じゃないと?」
「いえ…何でもないです。それより今日はどうしたんですか?」

硝子先輩に子供の話をしたって変に心配をかけるだけだ。これはわたしや両家の問題なんだから。

「ああ、学長に言われてデータ化されてない過去の資料を持って来たんだ」
「あ、ありがとう御座います。わたしが預かりますね」
「ああ、頼む」

硝子先輩から資料を預かり、年数ごとに分けていく。その時、ふと視線を感じて顔を上げれば、硝子先輩が気だるそうな瞳でジっとわたしを見つめていた。

「…?他に何か――」
「いや…仕事のことじゃなくて…、アンタ…」
「え?」

何か言いたそうな顔をしていた硝子先輩は、そこで言葉を切るとゆっくりと首を振った。

「何でもない。まあ…今度またゆっくり女同士で飲もう」
「はい、是非」

硝子先輩はそれだけ言うと事務室を出て行った。

(何か言いたそうだったけど…大したことじゃないのかな?)

硝子先輩は昔も今もあまり余計なことは言わない。感情もそれほど激しい方じゃないから、いつガス抜きをしてるんだろう?と思ったことがある。今度お酒を飲んだ時に、愚痴でも聞いてあげよう。そう思いながら再び仕事を再開した。






今日の分の仕事を片付け、わたしはすぐに自宅マンションへと帰って来た。悟から今日は例の特級の生徒に呪具の扱いを教えるとかで少し遅くなると連絡が入ったから、まだ帰って来ないはずだ。マンションエントランスに入ると、まず部屋へ上がる前に郵便ポストのある一画へ向かった。このタワーマンションの郵便受けや宅配ボックスは外部の人間がチラシなどのポスティングなどをしないよう、オートロックの内側にある。配達員は専用のインターフォンを鳴らして管理人にドアを開けてもらい、荷物なり郵便物なりを投函していく構造になっていて、配達員の人からすると面倒だと思う。でも今回わたしは配達時間を午前中に指定して、荷物は宅配ボックスに入れるよう指定もしておいた。何故かと言うと、悟が絶対にいない時間帯、そして彼はいちいち宅配ボックスを確認しない人だからだ。こうすることで彼に見つかる可能性はだいぶ少なくなる

「あ、ちゃんと届いてる」

宅配ボックスから荷物を取り出し、今度こそエレベーターに乗り込む。郵便ポストにも入りそうな大きさの荷物は、今のわたしには必要なアイテムだ。まずは先にシャワーを浴びてから、早速試着してみようと袋から出してみる。

「うわ…生地うっす…!これであの値段ってぼったくりじゃないの?」

とは言え、ふわふわのサラサラで良質な手ざわりだから生地はいいものらしい。とりあえず見てもよく分からないから身につけてみることにした。

「うわ…何かスケスケ…?」

あまりに手を出されないから通販でエッチな下着を買ってみたものの、身につけて驚愕した。別に着なくてもいいんじゃないの?と思うくらい透けていて、生地の向こう側が丸見え状態だった。

「これじゃいくら何でも…大事なとこまで透けちゃう…」

胸を手で隠し、ガックリと項垂れる。わたしの場合、巨乳でもないから何となく胸元が寂しく見える気がした。やっぱり通販だと載っていたモデルの着用感と、自分が実際着たのとでは同じようにはならないらしい。

(そう言えば昔アイツにガリガリのペッタンコ、なんてバカにされたっけ…こんなの着てたらまた言われそう…)

色気が足りないんだと思って買ってみたものの、何かガッカリ感しかなく、この作戦は諦めよう…と思った時だった。突然、何の前触れもなく寝室のドアが開けられ、悟が入って来た。

「――――ッ?!」

一瞬、目が合い、自分の顏が火を噴いたのかと思うほどに熱くなったのが分かった。なのに悟は真顔で一言――。

「あ…ごめん」

と、踵を翻して寝室を出て行こうとする。それには二度目の驚愕に襲われた。

(何で?嫁がこんな格好してるのに…何も感じないわけ?それはさすがに傷つくんですけど!)

この時のわたしは冷静な判断が出来なかったと言っていい。恥ずかしいよりも頭に来て、思わず彼の腕を掴んでしまった。

「待ってよ…悟っ」
「…何?」

こっちを見ないまま応える彼を見て、何故か喉の奥が痛くなった。この態度を見ると、やっぱり昨日言ったことは全て嘘なんじゃないかと思ってしまう。

「どうして…わたしを抱かないの…」

思い切って言葉を絞り出すと、悟はゆっくりと振り向いて目隠しを外した。薄暗い室内に澄んだ青空のような瞳が輝きを放ち、その目を見ただけで、また頬が熱くなる。

「…抱いて欲しいの?」
「…っさ、悟だって…跡取りのことを言われてるんでしょう?その為にわたしと――」

と言った瞬間、腕を掴まれてベッドの方へ連れて行かれると、その勢いのまま押し倒された。柔らかいスプリングが軋んで顔に影が落ちる。恐る恐る視線を上げると、悟が上から見下ろしていた。心臓が尋常じゃないくらいドキドキとしていて、恐怖が襲って来る。思わず目を瞑ると、頬に彼の手がそっと触れた。

「親の為、家の為…好きでもない僕と結婚して、子供まで作ろうとして…君はたった一人でどこまで犠牲になるつもりなの、
「……え?」

驚いて目を開けると、悟が今まで見せたこともないくらい優しい眼差しでわたしを見つめている。

「もう、一人で頑張りすぎなくていいから」
「……~…っ」

その一言が、わたしの心を揺らした。
悟に、何が分かるの?望んでなかった政略結婚の相手が、何を考えてるか分からないアナタが、大嫌いなアナタが――何でわたしが一番欲しい言葉をくれるの。

「……っ…」

堪えてた涙がポロポロと落ちて、頬に添えられた彼の手を濡らしていく。零れ落ちる涙をそっと指で拭ってくれるだけで、ほんの少し、悟と心が歩み寄れたような気がした。

「……ん…?(何だろう、これ)」

その時、太腿の辺りにごりっという何か硬いものが当たった気がして首を傾げる。

「あの…」
「ん?」
「…わたしの太腿にデカくて硬い何かが当たってるんだけど…」

そう言ってもう一度悟を見上げると、彼は「ああ、ごめん…」と言ってニッコリ微笑んだ。

「"好きに抱いていい"と言われたから下半身がめちゃくちゃ暴走してる」
「そ…そんなこと言ってな――んっ」

いきなりくちびるを強引に塞がれ、声が途切れる。その隙間からぬるりと柔らかい舌が滑り込んできて、わたしのに絡みついた。息も絶え絶えになりながらしがみつくと、彼の指が下着の肩紐を引っかけて下げていくのが分かる。いきなりの展開に驚いて身を捩ると、くちびるが僅かに離れた。

の許可がおりるまではひたすら待とうと思ってたけど…許可が出た以上、もう待たなくていいってこと?」
「……っ!」

まさかの質問に驚いて、わたしは言葉もなく全身が固まってしまった。