七話:ランチにて




――今後も覚悟しておいてね。

念願(?)だった、本当の意味での初夜を迎えた夜。わたしは五条悟という男の本質を、まざまざと見せつけられた気がした。昔はあんなに冷たい男だったくせに、どこで方向転換したんだろう。

(やっぱり…夏油先輩の件からかな…)

あの男が唯一、自分の隣に置いた人間、夏油傑。良くも悪くも二人が揃うと最強で。タイプは全然違うのに互いを認め合っていた仲間であり、親友同士だった二人は、ある事件をキッカケに袂を分かつことになった。どちらかと言えば悟よりも常識的で、優しい夏油先輩のことを、わたしは好きだった。あの頃のわたしは自分の呪われた運命に心底嘆いていて、いつまで経っても態度の変わらない悟にも絶望していた。そんな時、夏油先輩がいつも何かしら声をかけてくれた。

――ねえ、。人は誰しもが宿命とやらを与えられて生まれて来るんだよ。そして必ずそれには意味がある。だからもう少し視点を変えて自分の宿命を受け入れることは出来ない?そうしたら楽しいことが見つかるかもしれないし。
――楽しいなんて思えない…
――そう思い込んでるからじゃないか?凝り固まった常識に囚われず、まずは見方を変える努力からしてみたらどうかな。
――見方を変える…?
――そう。まずは悟。アイツは君の目にはとても意地悪な男に映ってるかもしれないけど、私から見ればただの素直になれない小学生男子だからね。
――小学生男子…?
――そう。好きな子に優しくしたいのに出来なくて、つい意地悪をしてしまうアレだよ。
――あはは!そんな感じ。クラスに一人はいるやつだ。
――そうそう。だから…から優しくしてやって。そしたらきっと何かが変わる。
――えー…嫌だよ。アイツ、顔を合わせるだけで睨んで来るし…
――それはが最初からしかめっ面をしてるからじゃない?今度、笑いかけてやって。
――ぜーったい、いや!
――ふむ…悟の言ってた通り、ちゃんはなかなか手強いな。
――え?何?

いや、何でもないよ、と夏油先輩は笑ってた。あの頃はそうやって話を聞いてもらえるだけで嬉しかった。

――出来ることなら私がちゃんと結婚したかったかな。

いつか、そんなことを言われた時はちょっとだけときめいてしまったのは硝子先輩にしか話したことがない。悟なら絶対に言ってくれないような言葉を、夏油先輩はわたしにくれた。だから、彼が非術師を殺して高専から離反したと聞いた時は信じられなくて、悲しくて、ツラくて。唯一の味方がいなくなったような、そんな寂しさを覚えた。でもわたしなんかよりも、きっと悟や硝子先輩、七海先輩の方がツラかったと思う。あの時ばかりは悟にも同情したっけ。見たこともないくらい元気のない悟を見た時、つい声をかけてしまうくらいには。

(そう言えば…悟の態度が軟化したのって、あの後くらいからだっけ…)

よほど親友をあんな形で失ったのがきつかったのか、それ以来、悟は随分と変わった気がした。飄々としてるとこは変わらないけど、どこか刺々しい部分が減って来た気がする。

(いや、でもだからって…ここまで豹変しなくても良くない?!)

高専の中にある食堂。普段は生徒や事務員、補助監督といった関係者が食事を賄う場所だ。術師の人達も時々来ることは来るけど、大人組はだいたい出払っている為、殆どが外食で済ませている。なのに――。

「どうしたの?。何か不機嫌そうだけど」
「………(何でアナタが食堂にいるんでしょうか?!)」

目の前でニッコリ微笑む怪しい目隠し男――もとい。わたしのバカ夫である五条悟は、いきなり「ランチしない?」と事務室までやって来たのだ。

「せっかく夫婦でランチしてるのに」
「そんな約束してな――」
「何か問題でも?」
「…う…(クソめ…!!)」※心の声

いつもは出先のお洒落な店のランチに行くって伊地知くんも言ってたのに。っていうかフツーに目立つのよ、悟は!せっかくの自由時間が台なしだ。
すでに周りで昼食をとっている事務員や生徒、補助監督たちの視線と神経がこちらへ全集中している。これは何の呼吸かしら。好奇心の呼吸?!どうでもいいけど何で悟もニコニコしてるんだろう。いったい何が目的なの?ハッキリ言って邪魔なんだけど――!

「どうしたの?そんなに唇尖らせて。キスされたいならしてあげようか♡」
「…っ…(されたくないしっ)」

というか皆がいるところでセクハラはやめて欲しい。みんなの耳がこっちの会話を全て拾っている気がして恥ずかしくなった。こうなったら悟はいないものとしてサッサと食事を終わらせて仕事に戻ろう。悟も午後からまた任務だって言ってたし。だいたい午前中は群馬県での任務だって言ってたのにアッという間に終わらせて高専に戻って来たようだ。そこまでして一緒にお昼を食べなくてもいいのに。

「あれ、珍しいじゃん、二人一緒なんて」

特に会話もなく黙々と食事を続けてると、そこへ悟の生徒の禪院真希ちゃんと見たことのない男の子が歩いて来た。

「おー。真希、憂太。任務は無事に終わったみたいだねー」

二人が隣の席に座ったのを見て、悟が明るく話しかけている。彼が生徒にとっていい教師なのかは知らないけど、こんな風に優しい笑顔を彼らに向ける姿を初めて見た時は結構驚いたっけ。

「無事にっつーか、まあ例の如くコイツがモタついたけどなー」
「す、すみません」

真希ちゃんは悟の生徒の中でも口が悪く、思ったことはハッキリ言うタイプの女の子だ。一緒にいる男の子は逆にオドオドして全部飲み込んでしまう性格に見える。悟はふと思い出したように生徒達とわたしを交互に見ると「紹介するね」とニッコリ微笑んだ。

、この子が乙骨憂太。最近、高専に入った僕の生徒だよ」
「初めまして、乙骨くん」
「あ…は、初めまして」

この子が例の特級の子か。わたしが話しかけると彼はホっとしたような笑顔を浮かべて挨拶をしてくれた。かなり素直そうな子だ。こうして見るとそんなに危険人物には見えない。でも彼の纏う呪力は禍々しく、肌に刺すような視線を感じた。もしかしたらコレが――。

「んでー彼女は僕の愛妻の♡」
「ちょ、その言い方…っ」
「えっ!!!」

愛妻なんて思ってもないクセにシレっと生徒に嘘をつく悟に思わず文句を言おうと腰を浮かした時、乙骨くんが物凄く驚いた顔でわたしを見た。

「ご…五条先生って結婚…してたんですか」
「うん、最近したばっかりの新婚ホヤホヤ~!ね?♡」
「………ッ(ムカっ)」

嬉しそうな笑みを向けて来る悟を見て、何故か分からないけど腹が立つ。それでも乙骨くんに「え?新婚?!あっ!そ、それはおめでとう御座います!」とお祝いを言われて、わたしもすぐに笑顔を取り繕った。というかおめでたくはないんだけども。

「あ…ありがとう。乙骨くん、もう高専には慣れた?」

新婚の話から気を反らせたいとばかりに質問をすると、乙骨くんは小首を傾げながら「まだ慣れるところまでは…ははは」と頭を掻いている。隣では真希ちゃんが「やる気あんのかよ」と軽く舌打ちをしてるから、この前まで普通の高校生だった彼には大変な環境かもしれない。

良くも悪くも呪術師たちは周りから色んなことを求められる。だからこそ厳しい訓練の他に座学といった勉強、他にも普通科目の授業も受けないといけない。その合間に危険な任務も入るから、子供の頃から呪術師の家系だった悟や真希ちゃんに比べれば、乙骨くんの毎日はほぼ学ぶ時間に費やされて行くはずだ。わたしでさえ子供の頃から色んな勉強や習い事をやらされてきたから分かる。それを16歳でいきなり全部やれと言われても、ついて行くのもやっとだろう。

「無理しないで少しずつ出来ることから覚えていって」
「は、はい!ありがとう御座います」
「……(素直…可愛い)」

ニコッと笑顔を見せて返事をする乙骨くんに癒されていると、隣で仏頂面をしていた真希ちゃんが「~甘やかすなって」と口を尖らせている。この子は会った時から「え、五条先生の婚約者?!」と驚きつつも「かわいそ~」と初めからこんなノリだった。友達みたいに話してくれるのも親しみやすくて、わたしはそういう直球型の彼女のことが大好きでもある。

「あ、甘やかしてるわけじゃないけど…」
「そーだよ、。甘やかすなら僕を甘やかしてよ」
「……(黙れ)」

相変わらずニコニコとわたしを見ている悟にイラっとして、ジロっと睨むと「そんな見つめられたら照れるってー」とふざけた返しをされた。不快指数が3メモリは上がった気がする。

「じゃあ…わたしは仕事があるので失礼します」
「あれ、もう行っちゃうの」
「悟さんもこれから名古屋へ出張ですよね。どーぞお気をつけて」※棒読み
「あれ、心配してくれるんだ」
「じゃあ真希ちゃん、乙骨くん、またね」
「おー」
「はい。お疲れ様ですっ」
「いや、ちょっと!無視しないでよ、

悟の戯言をサクッとスルーして生徒達ふたりにも声をかけると、悟は悲しそうな声を上げている。それを更にスルーして食堂を出ると、思い切り息を吐いた。

「もう…少しは察してよね…」

そうぼやきながら食堂を振り返ると、さっきまでの寂しげな顔はどこへやら。今は真希ちゃんと乙骨くんにちょっかいをかけては真希ちゃんにウザがられている。

「何よ…。スルーしたって元気じゃない…」

悟の笑顔を見てボヤくと、わたしはゆっくりと事務室へ歩き出した。いくらわたしが色んなことに耐性がついているとはいえ、初体験を済ませた次の日の真昼間から悟の顔を見るのはどうにも照れ臭いものがある。それが例え嫌いな男だとしても、だ。なのにあの男は堂々とわたしの前に現れて、平然とランチに誘って来る。それが何となく悔しかった。

(そりゃあ…悟は何かも初めてだったわたしと違って、ああいうことに慣れてるだろうし…別に何とも思わないんだろうけど)

きっとこれまで手を出して来た女の子とのセックスと同様に考えてるだろうし、例え結婚したからと言ってもわたしだって悟が抱いて来た女の子達の中の一人に過ぎない。それがまた何とも言えず腹立たしい。

「何が愛妻よ…バカにして」

子供が出来たら、それこそ二度とわたしのことなんか抱こうとも思わないくせに。

――まずは見方を変える努力からしてみたらどうかな。

見方を変えるって、今更どうすればいいのか分からない。ここに夏油先輩がいたなら、どう応えてくれたんだろう。懐かしい笑顔を思い出しながら、ふとそう思った。