第二十話...わたしの素敵な旦那様



背中を向けた時、後ろからぎゅっと抱きしめられたのが嬉しかった。本音が零れ落ちそうなのを必死に耐えながら、悟が何かを言いたそうにしてたのは気づいていたけど、結局寝たふりをしてしまったのは、怖かったから。
好きなのに、本当は伝えたいのに、何一つ特別に思われてないと再確認したくない。それで泣いて迷惑にも思われたくなかった。悟の本音をこの前聞いたばかりで面と向かって好きといえる勇気はないから。

今は他の女性ひとはいないみたいだから、ならせめて――わたしだけを抱いてくれたらいいのにな。なんて思ってしまった。



「……えっ?お披露目パーティ?」

次の日、仕事終わりに迎えに来た悟にその話をされ、唖然とした。何故なら、パーティ当日にその話を聞かされているからだ。

「ごーめんごめん。夕べ話そうと思ってたのにすっかり忘れちゃって」

悟は頭を掻きながらヘラヘラ笑っているけど、わたしは全然笑えない。笑えなさ過ぎて体がぷるぷると怒りで震えてる。そんな大事な話をしないでエッチを仕掛けてきたのかと思えば思うほど怒りが湧いて来た。

「お、お披露目って、でも結婚式の時に披露宴だって…」
「ああ、だから今回その披露宴に来られなかった人達を招いてのちょっとしたパーティなんだよね」

シレっと応える悟を見て、わたしも遂にイライラがマックスに達してしまった。

「な、何でそういう大事なこと早く言わないのっ?わたし、何の準備もしてないじゃないっ」
「ああ、大丈夫だよ。ドレスは僕が見立てて注文したのがホテルにあるし、はそのまま行って着付けやメイクしてもらうだけで万事OKだから」
「………(何て手際がいいのかな、わたしの旦那様は)」

文句を言いたいのに、そこまで準備をされてるとなれば、これ以上言えなくなってしまった。ただ五条家の関係者を招いてるならぶっつけ本番で挨拶をすることになる。今度はソッチの方が不安になってきた。多分わたしはかなり難しい顔をしてたに違いない。不意に頭をポンポンとされてハッと顔を上げれば、悟は「そんな難しく考える必要ないよ」と微笑んだ。

「結婚式の時の客より、今日は普段から五条家が懇意にしてるような連中だから、そんなかしこまらなくていいし」
「わ、分かった…じゃあ何時にホテルに行けばいい?」
「今から一緒に行こう」
「えっ」

ニッコリと微笑みながらわたしの手を繋ぎ、そのまま歩き出した悟にわたしはただついて行くしかない。

(ほんとに今から行くんだ…っていうかドタキャンよりタチが悪いじゃない、これ!)

仕事終わりだし、出来ればシャワーを浴びてから出かけたかった。でも準備もあるからそれほど時間はないのかもしれない。でもそこでふと気づいた。

(ああ…夕べ話したそうにしてたのはこのことだったんだ…)

別に期待をしてたわけじゃないけれど、少しだけ。そう、ほんの少しだけガッカリしながら、伊地知くんの待つ車へ歩いていく悟の背中を見上げていた。








伊地知君の運転する車でホテルまで送ってもらい、すぐにドレスに着替えるのかと思えば。悟はこのホテルに部屋をとっていたようで「シャワー浴びて来ていいよ」とキーを渡して来た。なんて気が効くんだろうと少々感激しつつ、念願のシャワーを浴びて――しかもスイートルーム――バスルームから出ると、ちょうど部屋のインターフォンが鳴った。悟かと思ってドアを開けると、立っていたのはホテルのスタッフさん達で、「お部屋で全てやらせて頂きます」とのことだった。何でもスイートルームのオプションみたいなものらしい。まさかの至れり尽くせりで、どうにかパーティの時間には間に合わせることが出来た。

「それにしても…悟はどこ行ったんだろう…」

部屋のキーを渡されてからは顔を見ていない。結局ドレスを着せてもらい、髪やメイク全てが終わっても悟は部屋に顔を出さなかった。

(あ…もしかして出席者のお出迎え…?)

なんて考えていると「」と後ろから呼ばれた。

「あ、圭吾…?どうしたの?その恰好…」

パーティ会場となる広間の扉の前に歩いて来たのは、悟の従妹の圭吾だ。普段はわたしの護衛に就いているけど今日は非番だと聞いていたのに、何故かスーツ姿で現れたから少しだけ驚いた。

「バーカ。オレも五条家関係者なの忘れたのかよ」
「え?あ…で、でも圭吾、結婚式の時、いたじゃない」
「あれは護衛でだろ?出席したわけじゃない。でも今夜は招待されてっからな。ってか、オマエそのドレス…いいじゃん。大人っぽくて」

圭吾はマジマジとわたしを見ながら、一人うんうんと頷いている。あまり褒めてくれたことはない相手にさらりと褒められ、またもちょっと驚く。

「あ…ありがとう…」

悟の選んでくれたドレスを誉めてもらえるのはかなり嬉しい。上品なデザインの黒いトップスに白い生地のスカート部分がシースルーとなっているロングドレス。Aラインがとても綺麗に出ているからモダンな花があしらわれたスカートは歩くたびにゆらゆらと揺れて、見た目的にも凄く気に入ってしまった。髪を緩めにアップにしてもらい、アクセントに大きな花のヘアアクセサリーを飾られたものの、なかなかに色っぽく仕上がっている。

「あ、ねえ、圭吾。悟見なかった?」
「悟くん?ああ、ほら来たよ」
「え?」

圭吾が私の背後を指さすので振り返れば、悟がシックなハイブランドのスーツに着替えて歩いて来るのが見えた。悟のスーツ姿は結婚式のタキシードを見たくらいで、思わずドキっとしてしまう。

「準備できた?…って、そのドレスやっぱりに良く似合ってる。すーごく可愛い♡」
「……あ…ありがとう」

見た瞬間、褒めてくれる悟に頬が熱くなる。前ならきっとこんな気持ちにすらならなかっただろう。

「何だかんだ仲直りしたようで良かったよ」
「おい、圭吾。蒸し返さないでくれる?」
「はいはい」

圭吾は悟にシッシと追いやられ、苦笑しながら会場へ入っていく。それを見ながら悟はわたしの手を握り、「僕らも行こう」と中へ歩き出した。その豪勢な会場を見た途端、ふと我に返る。今日は結婚式に来られなかった人達の為のお披露目会ということだった。ということはわたしも何等かの挨拶をしなければならないのでは、と思ったのだ。

「ねえ、悟。今日、わたしも何か挨拶とかするのかな」
「いや、そんな堅苦しいものじゃない。親戚や親しい関係者一同集まって、僕の可愛い奥さんを愛でる会だから」
「…は?」
「ん?」

驚いて顔を上げると、悟は小首をかしげて微笑んでいる。このどこまで本当でどこまで嘘か分かりにくい感じ出すのやめて欲しい。

「まあ簡単に言うと冒頭の挨拶は僕がする。あとは立食パーティだから適当に回って挨拶して食べて飲んで帰る。これだけ」
「……そ、そんなんでいいの?」
「いいのいいの。この子が僕の奥さんですよーって自慢する為だけのもんだと思ってもらえれば」
「………(自慢って…そんな関係でもないのに?)」

内心複雑な心境ではあったものの。わたしにとっては公の場で、悟の奥さんとして振る舞わなければならない。それはそれで緊張するというものだ。

「あ、じゃあ僕は挨拶するから少し離れるけど、ひとりで大丈夫?」
「うん。あ、話しかけられたら適当に挨拶すればいいんでしょ?」
「うん。まあ意地悪なことを言って来るジジイもいるかもだけど、そういうのはスルーでいいから」

悟はそれだけ言うと、五条家当主らしく颯爽と檀上へ歩いて行く。それを見送っていると、「だいぶ夫婦らしくなってきたじゃん」と、またも圭吾に話しかけられた。

「そ…そうかな」
「そうだよ。最初の頃は酷かったろ。特にが」
「………」

確かに、と内心苦笑した。結婚当初は最悪の政略結婚だと思ってたし、子供が産まれるまでは墓場みたいな結婚生活になると思っていた。なのに蓋を開けてみれば、わたしは大嫌いだったはずの悟を好きになり、違う意味で最悪の結婚になっている気がする。

「ああ、ほら。挨拶始まるぞ」

圭吾に促され、壇上へ視線を向けると、悟がマイクの前に歩いて行く。その堂々たる姿はひいき目に見ても凄くカッコいい、と思う。

「本日は忙しい中、僕、五条悟と妻のの為にお集まりいただき、誠にありがとう御座います」

気軽なパーティだと言ってたクセに、きっちりした挨拶を始めた悟に驚きつつ。

(カ…カッコいい…!何あれ…その辺のモデルや芸能人よりもイケメン度が神がかってるし)

スポットライトを浴びて堂々と大勢の客の前で話す悟は、想像以上にカッコ良かった。大人になってうさんくさいイケメンと化してた時は何とも思わなかったのに、今は一際輝いて見えるんだから不思議だ。

(あれ…わたしヤバい…?これ末期なのでは…)

自分の夫を見て頬を赤くする妻なんておかしいかも、と思うけど、胸のドキドキが止まらないのは確かだ。悟は普段の軽薄さを隠し、きちんと五条家当主としての挨拶を済ませると、わたしのところへ戻って来た。

「お、お疲れ様」
「久しぶりに真面目に挨拶したら肩凝っちゃったよ」

首をコキコキしながら悟が苦笑した。それでも「じゃあ一応挨拶に回ろうか」とわたしの手を繋ぐ。悟の気持ちはどうあれ、彼の妻として五条家に関わる人たちに挨拶できるのは、私は嬉しかった。ただ――。

「ああ、。こちらは五条家の分家に当たる家のご当主で――」
「この度はご結婚おめでとう。悟くん、さん」
「ありがとう御座います」

…このやり取りを何回も何回も繰り返し、覚える人の多さといったら脳みそが爆発するんじゃないかと思ったほどだった。挨拶のたび頭を下げていたから、気持ち腰が痛いし、普段あまり穿かないハイヒールで足が痛くなって来た。ドレスの裾を踏まないよう気を遣ってたせいもある。

、大丈夫?疲れたろ。飲み物でも飲んで少し休もうか」
「う、うん。ありがと…。あ、その前にレストルーム行って来るね」
「分かった。あ、じゃあ飲み物もらっておくし、は何がいい?シャンパン?」
「うん、ありがとう。お願いする」
「りょーかい」

悟はそう言いながらわたしの頬にちゅっと口づけて来るからビックリしてしまった。

「こ、こんなとこで…」
「別に夫婦なんだし誰も気にしないよ」
「で、でも恥ずかしいよ…」
「………」

頬を抑えつつ、誰かに見られてないか辺りをキョロキョロしていると、悟はジっとわたしを見つめている。今日は当然、目隠しもサングラスもしていないから、もろに澄んだ海のような碧眼と目が合う。

「な…何…?」
「いや…があまりに可愛いから今すぐベッドに攫おうか真剣に悩んでる」
「……は?!」

また突拍子もないことを真顔で言いだす悟に呆気にとられる。今のどこに可愛い要素があったというんだ。そもそも招待客を放置して主賓ふたりが消えたら、それこそ何を言われるか分かったものじゃない。

「いや、だって、ホッペ赤いし、恥ずかしそうな顔がやたらと可愛いからムラっとするよね、普通」
「さ、悟の普通は他の人から言わせたら非常識なのっ」

シレっと言いのける悟に恥ずかしくなったわたしは「トイレ行って来るっ」と言って、その場から逃げるように廊下へ出た。きっと今頃悟はひとり笑っているに違いない。

「全く…すーぐエッチなこと考えるんだから…!」

悟の怖いところはアレが冗談じゃなく、ちょっと本気で言ってるところだ。いくら何でも出先で襲われたくはない。

「はあ…つ、疲れた…」

幸いレストルームには誰もいない。一人になったところでホっと息を吐いた。知らな人達に囲まれて会話をするというのは、案外疲れるのだ。子供の頃からこういった場には連れて行かれてたけど、子供の時の方が何も分からず、ただ親の言う通りにしていた分、まだ楽だったと思う。どうしたって大人になれば子供の時みたいにはいかない。

「さ…後半もがんばろ…」

鏡に映る自分を見ながら、にこっと笑顔の練習をしておく。明日になったら顔の表情筋が筋肉痛になってる気がして来た。
その時だった。背後でくすくすっと笑う声が聞こえてハッと顔を上げた。するとレストルームに入って来た人物が鏡に映っている。その女性には見覚えがあった。

「あ…あなたは…」
「こんばんはー。ちゃん。元気にしてはった?」
「…季利子さん」

振り向くと、そこには艶やかな着物を着た悟の元婚約者、阿久津季利子さんが蠱惑的な笑みを浮かべて立っていた。