第二十三話...幸せな眠り



「今朝、五条さんと歩いてた女性って見たことある?」
「ああ、京都からサポートに来てくれた一級術師の人だろ?すんごい美人だったよなー」
「五条さんと並んでると凄い目立つ二人だよな。お似合いって言うか」

ランチ時の食堂。補助監督たちのそんな会話が聞こえ来た瞬間、分かる!と大きく頷きたくなった。(※五条家当主(一応)妻)

(まさか季利子さんがサポートに高専に来てくれたなんて…しかも一級?美人な上に強いなんてカッコいい)

黙々とランチをしながらも未だ続く会話に聞き耳を立てる。彼らは悟の妻であるわたしが近くにいることを全く気づいていない。

「彼女、阿久津家の人間らしいぞ」
「え、阿久津って御三家にも並ぶ名家じゃないか」
「しかも五条術師とその彼女、昔は婚約してたって話もあるし」
「へえ、そりゃ通りでお似合いだよなー……ぁう?!」

「…………」

食べ終わって椅子から立ち上がった瞬間、補助監督の一人がわたしに気づいた。もろに目が合っ瞬間、その男の人は顔面蒼白になっている。何ともいたたまれない気持ちになったわたしは軽く会釈をしてその場から急いで立ち去った。

――そりゃ通りでお似合いだよな。

分かってる、そんなの。誰がどう見たって悟と季利子さんはお似合いだ。戦うスペックが違いすぎる。術式はあれど、わたしは一級術師どころか術師になることを避けてしまったわけで、季利子さんとは人類とミジンコくらい違う気がする。

「五条さんと京都から来た季利子さんって幼馴染なんですって」
「将来を約束してたってホントかしらね~」

事務室に戻ってもその話題が耳に入る。でも事務員さん達はわたしを見て、そそくさと自分のデスクへ戻って行った。

「………」

悲しい気持ちになってる場合じゃないのに、目頭の奥が勝手に熱くなってじわっと涙が溢れて来る。世間から見ればあの二人はやっぱりお似合いで、その二人の邪魔をしたのがわたし。"狐憑き"というだけで悟の妻に納まった女と見られたとしてもおかしくはない。自分の運命を聞かされてから何度となく憂いて来たけど、今日ほど狐憑きに生まれて来たことを恨めしく思ったことはないかもしれない。

(こんな力…いらなかった)

術式を丸ごと継承できる狐憑きは強ければ強い者ほど手に入れたがると聞く。五条家と同じ御三家の禪院家や、加茂家からも話は来てたと後で聞かされたことがあるけど、父も母も六眼の悟を娘の夫に選んだ。そのせいで悟と季利子さんの婚約は白紙に戻ったと聞いている。

「はあ…ダメだ」

落ち込んでても仕方ないのに、周りが騒がしくて嫌でも二人の話が耳に入って来る。
今朝、高専に来たら季利子さんが3カ月の間だけこっちで任務を手伝ってくれることになったと夜蛾学長から話を聞かされた。一緒にいた悟も驚いてたみたいだけど、今時期は忙しいわりに人手不足だから「助かるなー」と喜んでいて。わたしはわたしでやっぱり複雑な気持ちだった。

――やっぱり季利子の方がいいから離婚しよう、

…なんてことになったらどうしよう!悪いことばかりが頭に浮かんで胸の奥がざわざわする。

(まあ…どうしよう案件はまだ他にもあるんだけど――)

夜になってマンションに戻ると、またすぐインターフォンが鳴らされる。夕べ同様、ドアを開けると色んな宅配業者の人が列をなしていた。

「…どーすんのよ、これ」

とりあえず全てを受けとって空いてる部屋に運ぶと、盛大な溜息が洩れた、目の前にはズラリと可愛いラッピングをされたお祝いの品が積まれてる。この中身が何かって、これ全てベビーグッズなるものだ。

「もとはと言えば悟がパーティであんなこと言うから…」

――ウチの妻は妊娠中でして。

あの大嘘のせいで散々だった。っていうか、わたしは妊娠してなぁぁい!と叫びたい。おかげで父と母は大喜びだわ、悟のご両親に至ってはただでさえ良くして頂いてるのに騙してるのはツラすぎる。肝心の悟は繁忙期に入って祓徐任務の依頼が立て続けに舞い込み、超多忙を極めてるからほぼ会話すら出来てないし、今朝だって久しぶりに朝、学長室で顏を合わせたほどだ。むろんエッチなんてしていない。2週間何もなし。こんなんじゃ妊娠なんて夢のまた夢だ。

(季利子さんと…何もない、よね…)

ふと一人になるこんな時間は不安がこみ上げて来る。二人は一緒に任務へ出てるわけじゃないけど、地方を飛び回っているのだから何かがあったとしてもわたしには分からないし、呪術師という職業は浮気にもってこいなんじゃないかとさえ思ってしまう。特にわたしみたいな術師でもない妻は、術師の夫が外で誰と何をしてるかなんてわかりっこないんだから。

(わたしだって本当は悟とお似合いだって思われたい…)

あの人みたいに綺麗じゃないけど、自分に自身なんて全然ないけど。

「ずっと…隣にいたいのになぁ…」

悟の反応が怖いからって「好き」という気持ちさえ伝えられていないわたしに、そんなことを思う資格すらないのかもしれないけれど。







「あら、悟も今お戻りなん?」
「季利子…?オマエもこんな時間まで働いてたの」
「初日やし10件ほどあったわぁ。私も今から学長さんに報告書、届けに行くとこ」

高専の校舎内、廊下でバッタリと顔を合わせた季利子は楽しげな笑みを浮かべながら歩き出す。

「京都も忙しいけど、東京もえらい多いなあ。大都会は呪霊の宝庫やわ」
「特に今時期はね。おかげで2週間ほど、まともに家に帰れてない」
「あらあら。身重・・の奥さん、放置したらアカンやないの」
「………嫌味かよ」

隣でケラケラ笑う季利子にムっとしつつ、自分の巻いたデカい種をどうしようというのが目下の悩みだ。こんな忙しければ子作りする暇すらない。

「悟があんなホラを吹くからやないの。どーするん?これから」
「そりゃー…嘘を本当にするしかないよね」
「2週間も奥さんを放置してるのに?」
「言われなくても…今から帰って愛しい奥さんと濃密な時間を過ごすよ」

その為に今日の任務は巻き巻きで終わらせて来たというのに、無駄なお喋りに付き合わされている。季利子は更に笑いながら、そっと僕の肩へ手を乗せた。

「エッチしはるより、少しは身体を休めたらええのと違う?何や顔が疲れてはるけど」
「肉体的な疲れはなくとも精神的なものはあるからな」
「何や欲求不満ってことかいな。嫌やわ~悟ってば」

わざとらしいくらいの笑みを浮かべる季利子は、本当に憎たらしい。

「それより阿久津さん。高専ではその呼び方やめてくれる?少しの誤解も人に与えたくないんでね」
「…あら。"人"にじゃなしに"さん"に、やろ?ほんまにえらい変わりようやね~。

わざわざ、また名前で呼んで来る季利子に僕も口元が引きつった。これ以上コイツの相手をしててもイラつくだけだ。僕は手に持っていた報告書を季利子へ差し出すと「これ、夜蛾学長にわたしておいて~」と言いながら踵を翻した。

「ちょっと。私は悟の補助監督とちゃうのよ。こんなん自分で――」
「言ったろ?僕は家に帰って子づくりしなきゃだし、少しの時間も無駄にしたくない。じゃあ、それ頼むね~」

ひらひらと手を振りながら元来た道を戻っていくと、後ろから盛大な溜息が聞こえて来た。







夜、予想外の時間に悟が家に帰って来た。でもやっぱりどこか疲れた顔をしてる。

「だ、大丈夫?悟…」
「…問題…ない」

聞けばこの2週間まともに寝ていないらしい。いくら反転術式を常に脳へ循環していても、肉体の疲労はそれなりにたまる。悟は珍しく欠伸をしながら、それでも「眠くないし」と強がっている。

「いや、眠いって顔に書いてるけど…」
「眠いんじゃない。精神的な疲れがたまって脳が寝たいなーと思ってるだけで、僕は眠くない」
「………(それを眠たいというのでは)」

ベッドに並んで座っている悟の頭がガクンとなるたび、本人はハッとしたように顔を上げるから、出来ればこのまま休んで欲しいと思う。なのに――。

「…もう2週間だよ。僕は2週間もに触れられてないのに、寝てられると思う?」
「え…」

思わずドキっとしてしまった。本音はわたしも触れて欲しい、なんて思ってしまってる。でもやっぱり家にいる時くらい、ゆっくり身体を休めて欲しい。悟の身体はわたしだけのものじゃない。この呪術界にとって…いや全世界にとって悟の存在は貴重なのだ。この並々ならぬ性欲を見せるスケベな男でも人類全ての救世主であることに変わりは――。

…何かとてつもなく失礼なこと考えてない?」
「…う……」

つい思っていることが顔に出てしまってたらしい。目隠しを外した悟の青い瞳が、ジトっとした目つきに変わる。それでも腕を伸ばしてわたしの背中を抱き寄せると、肩越しに顔を埋めてホっと息を吐くのが分かった。

の匂い…安心する…」
「…悟」

耳元で話されると少しくすぐったい。思わず首を窄めたものの、熱い吐息がかかってゾクリとした。ついでに急に肩がズシっと重くなって悟の全体重がかかったと思ったら後ろへ倒れ込んでしまった。

「ちょ、悟。ダメだってば――」

と押し戻そうとしたけどビクともしない。あれ?と思って首元に埋まったままの顔をそっと横目で見てみれば。いつもの皮肉めいた笑みはなく。無邪気な寝顔が見えた。

「え、うそ…寝ちゃった…?」

良く聞けばスーっという小さな寝息が聞こえて来て、わたしは一瞬呆気にとられた。襲われるのかと勘違いした自分が恥ずかしい。

「も、もう…眠いなら素直に寝ておけばいいのに…」

文句を言いつつ、ゆっくりと身体を動かしてどうにか悟の下から這い出ると、ホっと息を吐く。ベッドにうつ伏せのまま熟睡してる姿に、こういう悟は初めて見るかもと思った。普段からそれほど睡眠をとらなくても平気だとは言ってたけど、さすがに2週間ぶっ続けで起きてたら肉体の方が限界だったのかもしれない。でもそれだけ忙しかったということだ。悟にしか出来ない任務は山ほどある。

「まあ、でも…4時間も寝たら起きちゃうんだろうけど」

苦笑しながら悟にタオルケットをかけると、滅多に見られない悟の寝顔を眺める。抱き合った後もわたしが先に寝てしまうから、悟の寝顔を見れるのは貴重だ。柔らかい白髪に指を通してそっと撫でると、悟の額へ軽く口付けた。

「…ゆっくり休んでね」

言いながら、わたしも悟の隣に横になって静かに目を閉じた。投げ出された大きな手に触れていると、少しずつ体温が交じり合っていく。いつも抱き合うベッドで、たまにはこうして穏やかな気持ちのまま、一緒に寝るのも悪くない。それくらい幸せで静かな夜だった。