lesson-01



「…別れよう。もう限界だわ」

五年前の冬、十九歳の誕生日――。は一年付き合っていた彼氏に、あっさりフラれた。理由は簡単。

「キスくらい、いいだろ」
「キスだけで済むとは思えない。何度も言ってるけど、結婚前にセックスをする気はないの」
「またそれかよ?一年も付き合ってんのにキスもさせてくんねえとかありえねえだろ…。頭固いにもほどがあんだよ」

いつものようにキスを拒んだ瞬間、これまでの鬱憤を晴らすかのように罵詈雑言をに浴びせ、男は彼女の家を飛び出した。ちょうど次の年に高専を卒業し、補助監督として人手不足だという京都校への配属が決まったは、心機一転、新たな覚悟を持って東京を後にした。それ以来、男には見向きもせず、ただひたすら自分の仕事をこなしてきた。京都では歌姫のサポートに就き、優秀さと個性的な性格のおかげで周りには随分と可愛がられた。
そして失恋の傷もすっかり癒えた五年後の冬――。の母校である東京校への配属が決まった。

「ではではの帰還を祝しまして~カンパーイ!」

高専の先輩である家入硝子の号令で、集まった仲間がそれぞれのグラスを持ち上げる。は「ありがとう御座います」と真顔で言って、自身もビールの入ったジョッキを持ち上げた。今日集まったのは一つ先輩の家入。同級生の七海、後輩の伊地知といった顔ぶれだ。皆、学生の頃、同じ時期に切磋琢磨した仲間だった。

「いや~助かるわ、が戻って来てくれて。今はこっちが万年人不足だったのよ」
「学長から伺っています。京都校は今年に入って新人が数名、入ったので、わたしが戻れることになりました」
「そうみたいだねー。で、京都はどうだった?」

家入がの隣に移動して尋ねた。その分、七海が奥へ押しやられる。七海は渋い顔で伊地知の隣へ移動した。

「特に東京と変わりありません。まあ東京よりは町並みに情緒は感じられますが――」
「そうじゃなくて!」
「はい?」

淡々と応えるを見て、家入は苦笑を零した。真面目な性格は変わっていない。は学生の頃から優秀で、どちらかと言えば堅物。あまり感情を表に出すタイプでもないが、家入にとって信頼できる後輩だった。女子が少なかったせいか、家入は一つ下のを昔から可愛がっていた。

「あっちでは恋人とか作らなかったの?今回が東京に戻って来ることになって悲しんでる男がいるんじゃない?」

生ビールを煽りながら家入が興味津々といった顔で身を乗り出してくる。しかしは表情一つ変えず「いませんけど」と応えた。

「何よ。京男と恋愛の一つもしなかったわけ?」
「そんな暇はありません」
「またそんなこと言って…まだ五年前のアレ、引きずってるんじゃないでしょうね」

キスをさせないという理由で彼女を捨てた男に、家入も当時は多少の同情もしたものの、やはり可愛い後輩の方が心配だった。なのに当の本人は意外とケロっとした顔だ。

「いえ。互いの価値観が違い過ぎたので彼とは別れて正解でした」
ってば、まーだ婚前交渉しないって決めてるんだ」

家入は苦笑交じりで肩を竦めると、は至って真面目な顔でもちろんです、と応える。

「性交渉は子供を作る為にするものでしょう?その時にすればいいんです」
「頑固だなぁ。じゃあ何でその彼氏と付き合ったの?」
「わざわざ告白をしてくれたのと真面目な方で好感を持ったからです。そういう相手は将来を考えると、合理的に家庭や子供作りが出来るかと思いました」
「……徹底してるわね、

思わず呆気に取られて苦笑が洩れた。そうなると家入も何も言えなくなってしまう。この一風変わった後輩の恋愛観を初めて聞いた時は、家入もかなり驚いてしまったのだが、ここまでハッキリ自分を持っているのは普通に凄いと思う。

「でも恋人は欲しいでしょ?せっかく美人なんだし、まだ24なんだからもったいないよ」
「…もったいない?」
「そうよ。アンタ、まさかホントに結婚しか考えてないの?」
「いえ。そういうわけではありません。ただ恋人という関係になると、だいたいの人が婚前交渉をしたがるので続かないだけです」
「……そりゃ…我慢できる男は少ないだろうね。じゃあ、どんな男がタイプとかあるの?」
「いえ特には。わたしが嫌悪感を持たない相手なら容姿や性格などに拘りはありません。健康な遺伝子を持った方であればどなたでも」
「マジ…?健康なオスなら誰でもウエルカムってこと?なら伊地知や七海でもいいんだ」

枝豆を摘まみつつ、家入が笑うと、向かい側で飲んでいた男ふたりの顏が赤くなる。七海に至っては「そういう話で人の名前を出さないで下さい」と顔をしかめている。家入は「ごめん、ごめん」と笑いつつ、隣で黙々と酒を飲んでいる後輩を見て溜息をつく。

は誰もが振り返るほどの美人なのに、性格が真面目で、どこか堅物といったイメージだ。その分仕事はキッチリやるので上からの評判はすこぶるいい。しかし家入はにちゃんとした恋愛をして欲しいと思っていた。五年前の失恋以降、さっぱり浮いた話も聞かず、仕事ばかりしていたのは、京都校の教師で家入の先輩でもある歌姫からも聞いている。当の本人はあまり俗物的なことに興味はなく、恋愛よりも結婚をして子孫を残すことを重要視している今時珍しい考えの持ち主だった。その性格故に恋人と別れるはめになったのに、未だその考えは変わっていないらしい。

「ところで…五条先輩はお元気ですか?」
「ん?ああ、五条ね。アイツは元気よ、相変わらず。今日も声かけたんだけど、アイツ任務で東北にいるらしくて」
「そうですか」
「あ、そう言えば、こっちでは五条のサポートに就くんだって?」
「はい。人手不足なのに無理難題を押し付けるせいで誰も彼につきたがらない上に、伊地知くんひとりで五条先輩のサポートをしてると学長が心配されていました」

言いながら伊地知を見るに、家入は軽く吹き出した。伊地知は向かい側の席で申し訳なさそうに頭をかいて「私がいたらないばかりに…」と項垂れている。伊地知はの一つ後輩だ。学生の頃、呪術師か補助監督か迷った時にも相談に乗ってあげたことがある。

「いや、伊地知はよくやってるよ。五条の我がままにあそこまで食らいつけるんだから。ただ伊地知も他の仕事があって全てのサポートを出来るわけじゃないからね」
「その分はわたしがフォローします」

その言葉に伊地知のつぶらな瞳がじわりと涙で潤む。五条の相手をひとりでするのは相当にツラかったようだ。

さん…ありがとう御座います。でも五条さんの無茶ぶりは相当ですけど…」
「大丈夫よ。京都校にもそれなりに無茶ぶりする術師の方はいたし」
 「へえ~それって誰のこと?」
「誰って――」

と言いかけた時、は背後から覗き込むようにしている人物へ視線を向けた。家入と伊地知も思わぬ人物を見てギョっとしている。七海に至っては大きな溜息を吐いていた。

「「ご、五条!」 さん!」
「よ。お疲れー」

家入との間に割り込んで来たのは、今日来ないと思っていた五条悟その人だった。

「アンタ…出張って言ってなかった?」
「まあ地方にいたけど、皆で集まるって言うし、ソッコーで終わらせて帰って来た。久しぶりににも会いたかったしね。――ああ、僕、カルピスソーダとから揚げ」

早速、通りかかった店員を捕まえて自分の注文を済ませる五条に、は「お久ぶりです、五条先輩」と挨拶をした。五条はしっかり隣に腰を下ろすと、かけていたサングラスをズラし「久しぶり~」と魅力的な笑みを浮かべた。

「せっかくの美人さんなのに相変わらず表情硬いよねーは」
「そうですか?」
「ほら、久しぶりだってのにニコリともしないし」
「今、笑うとこありました?」
「うくく…そーいうとこ変わらないねぇ。やっぱ、面白いわ」

五条はのローテンションがツボなのか、肩を揺らして笑っている。しかし当の本人は何故五条が笑っているのかが分からない。でも昔から五条はつかみどころのない先輩だったので、もそこはスルーしておく。

「それより、今度から五条先輩のサポートをさせて頂くことになりましたので、よろしくお願いします」
「あ~そうみたいだね。うん、よろしくー。まあは昔から優秀だし、僕は心配してないよ」
「期待に応えられるよう頑張ります」
「硬い硬い。もっと気楽にしてよ」
「これが普通ですけど」

五条に頭を撫でられても表情は変わらず、が淡々と応える。学生の頃からこういうところは変わらない。五条は苦笑しながら「とりあえず、乾杯」と運ばれて来たカルピスソーダのジョッキをのジョッキにコツンと当てた。

「五条先輩は相変わらず下戸なんですね」
「もちろん。は相変わらずお酒好き?」
「硝子先輩ほどではありませんけど好きですね」
「オマエは飲んでも変わらないよなー」

以前、が京都校へ行くことが決まった時も、こうして皆が送別会をしてくれたことがある。五条はその時のことを思い出しているようだ。

「で?あっちでは彼氏、出来た?」
「出来ません」
「五条、それ私がとっくに聞いたー」

と、そこで家入が口を挟む。

「あっそ。もったいないよなー?こんな美人さんなのに」

身を乗り出し、五条がの顔を覗き込む。至近距離に見えるキラキラとした碧眼を見ながら、は軽く首を傾げた。

「もったいない、とは…どういう意味でもったいないんですか?」
「あはは!そーいうところも変わらないねー」

真面目に返してくるに、五条はまたしてもツボったように笑いだした。

「ま、明日からの任務が楽しくなりそうだ」
「…はあ。明日は都内の病院が最初でしたね。その後は郊外にある廃墟になったお寺と、墓地」
「へえ、もうスケジュール入ってんだ。さすがだね」
「わたしが車を出しますので、時間になったら出立口に来て下さい」
「りょーかい。ま、今は仕事の話はやめて飲もう」
「そうですね」

急に仕事モードで話し出すに苦笑しながら、五条はカルピスソーダを美味しそうに飲み干した。隣で家入の枝豆に手を伸ばして叩かれている五条を見ながら、相変わらず軽い人だと思いつつ、もビールを口へ運ぶ。この時はまだ、先輩後輩というふたりの関係が、このあと一変することなど、は知る由もなかった。