lesson-02



次の日、と五条は最初の任務先である都内の大学病院へと向かった。そこの旧病棟に特級呪霊が住み着いているらしい。帳を下ろしたあと、五条は危険だから、という理由でに比較的、近い病室に入っている新病棟の患者の避難をお願いして、ひとりで旧病棟へと向かった。

「まだ終わらないのかな」

少し経った頃、は腕時計を確認して首を傾げた。特級呪霊とはいえ、五条にかかれば数分で済むはずだ。なのに二十分経っても戻って来ない。危険だから来るなと言われたものの、患者を病室へ戻さなければいけないので、は様子を見に行こうと旧病棟へ足を向けた。旧病棟は新病棟5階の奥通路から行けるようになっている。今はすでに使われていない場所なので来年には取り壊す予定らしい。しかしその前に変な声がすると患者から苦情が殺到し、今回の依頼に繋がった。

「電話も出ない…何してるんだろう」

ケータイにかけても直留守になってしまうことを不審に思いつつ、今では人気のない旧病棟の廊下を歩いて行く。昼間だというのに薄暗く、自分の足音しかしない空間はそれなりに不気味だ。

(確か呪霊が出たのは7階だったはず)

エレベーターはすでに使えないので、資料を確認しつつは階段で7階まで向かった。

「いない…」

辺りを見渡しても五条の姿はなく、近くにいる気配もしない。廊下の左右にはずらりと病室が並んでいるものの、ドアが開いているところはないようだ。はゆっくり足を進めていった。

「……?」

真ん中辺りまで進んだ時、かすかに人の声が聞こえた気がして足を止める。付近を見渡したが、どこの病室から聞こえたのかが分からない。

(まさか…まだ祓ってない、なんてことは…)

今の声が人のものなのか、それとも呪霊のものなのか判断がつかず、は引き返そうかと思った。だがまたしても、今度はハッキリと女の声が聞こえて来た。

「…女性?何でこんなところに…」

と訝しく思った時、ふと思い出した。旧病棟へ案内すると、ひとりの看護師が五条について行ったことを。てっきり途中で帰したのだろうと思っていたが、まさかまだ一緒にいるんだろうか。それはいくら何でも危険すぎる行為だ。一般人を巻き込まないというのは、呪術師にとっては優先事項の一つに入る。でもあの五条がそんなことをするとは思えない。

(もしかして…勝手にくっついてきたんじゃ…)

そんな思いが過ぎったのは、先輩である五条悟が、異性にとてもモテる部類の男だと知っているからだ。学生時代から、任務先で女性がいた場合、100%の確率で言い寄られていると家入に聞いたこともある。もしかしたら今回もそれなのかもしれない、とは溜息をついた。五条は自分がモテるのを良く理解しているのか、その辺はかなり奔放らしい。当然、女性に対しても誠実ではないようで、言い寄って来る相手と軽い付き合いしかしないという話もは家入から聞いたことがある。まさか今回も?と心配になりつつ、声のした方向へ歩いて行く。その時、今度こそハッキリと女の声が聞こえた。

「…なの?」
「いや…」

よくは聞き取れないが五条の声もする。どうやら廊下奥の特別室から聞こえるようだ。はそっと足音を忍ばせ、歩いて行く。その部屋のドアが少しだけ開いているのを見ると、は中の様子を伺った。

「へえ。五条くん、そんなにカッコいいのに恋人いないんだ。意外」
「まあ、そんな暇もないし、凄く忙しいからね」

今度こそハッキリと会話が聞こえて来て、はこっそりドアを開けて中を覗いてみた。しかし特別室のドアの近くに衝立が置いてあり、奥の方は全く見えない。

「じゃあ…デートしてって言っても無理?」
「うーん…ちょっと厳しいかな」

そんな会話が聞こえて来て、は困ってしまった。出来れば五条に声をかけて、次の任務場所に向かいたいのだが、何となくそんな空気じゃない。

「じゃあ、僕はそろそろ行かないと。次の仕事が――」
「…待って!」

五条が戻ろうとしていることでホっとしたのもつかの間、女の方が五条を呼び止めている。は早くして欲しいと思いながら、特別室の中へ足を踏み入れた。五条が断り切れないのなら自分が間に入ろうと思ったのだ。だが次の女の言葉に、思わず足を止めた。

「…デートがダメなら…ここで…どう?」
「へえ…大胆だね、君も」
「だって…五条くん凄くタイプなんだもの」

女の鼻にかかったような甘えた声に、は嫌な予感がした。

(今時の看護師は自分の職場で男の人を誘うのね…。いくら旧病棟とはいえキスを強請るなんて…大胆すぎる。いや、でも五条先輩がチャラいとは言っても任務中そんな誘いにのるはずが――)

そう思った時、五条がかすかに笑った。

「いいよ。それだけなら大歓迎」

五条の言葉に、は耳を疑った。

「僕も嫌いじゃないし」

さらに続く言葉に、本気で動揺してしまった。

(ちょ…本気?五条先輩…会ったばかりの人と…)

バレないようにそっと足を動かし、は衝立の隙間から奥を覗いてみた。

「―――ッ?」

の視界に、五条が看護師の女を抱き寄せ、キスをしている光景が映り、大きく目を見開く。

「…ん…ふ…」

熱い吐息や、ふたりの唇が交わるくちゅっという水音が、静かな空間に響き、の鼓膜を刺激して来る。カッと頬が熱くなり、その場から逃げ出したい衝動に駆られた。なのに足が完全に固まり、は動けないままふたりのキスシーンを延々と見せつけられていた。

「…ん…五条くん…うますぎ…」

キスの合間に女が呟く。顔から火が出ているのかと思うほどに火照り、は頭がクラクラしてきた。男女のそういうシーンを直で見るのは初めてだ。キスの経験すらないの目には、あまりに生々しく映った。心臓が早鐘を打ち、全身が強張って震えが止まらない。

(早く…終わって…!)

脳内で叫びながら、どうにか見つからないよう足を動かそうとした。その時、女の声がいっそう高くなった。

「…ん…ぁっ」
「―――?!」

思わず視線を戻した時、五条の手が女の制服の中へ吸い込まれていくところだった。

(うそ…待って…キスだけじゃないの…?!)

衝撃的な光景を目の当たりにしたことで、足が震えて動けない。五条の手が女の服の中で動いているのが見える。そのたび切ない声で女が喘ぐ。そして遂にスカートをたくし上げた五条の手が、女の太腿の間へ消える。ドクンと心臓が跳ねて、は思い切り目を瞑った。空気を吸うことさえままならず、息苦しい。経験がないとはいえ、ここまで動揺してしまう自分自身にもひどく驚いた。

「…ぁ…ん…そこ…あ…っ」

次第に女の声が大きくなり、大胆に喘ぎだした。合間に卑猥な音まで交じり、思わず耳を塞ぐ。そのうちギシッギシッという鈍い音が混じり出し、その音が何なのかを理解した時、全身の震えが止まらなくなってしまった。とにかく顔が熱くて逆上せてしまいそうなほどに火照っている。その間も、女の嬌声と、ベッドの軋む音がの耳に嫌でも入って来た。

「…はあ……」

――どれくらい経ったのか、軋む音が止まり、衣擦れのような音がしたことで、はハッと息をのんだ。

「…凄く良かった。ねぇ…五条くん、やっぱり私と――」
「僕は…あまり恋愛とか興味ないんだよね。毎日忙しいしやることが山ほどある」
「……そう。残念」

そんな会話が聞こえて、看護師の女が自分の方へ歩いて来る気配がした。隠れなければと思うのに、やはり体が固まって動けない。

「…きゃ。な、何よ、アンタ!」
「あ…」

看護師の女が衝立の向こうから姿を現し、に気づいて驚いたように声を上げる。だが女も相当気まずかったのか、顔を真っ赤に染めると慌てたように部屋を飛び出して行った。

「…あれ、いたんだ」
「…ご…五条先輩…」

そこへ五条も歩いて来た。しかし特に驚いた様子もない。もしかしたら、いや。五条のことだ。自分の気配に最初から気づいていたんじゃないかと思った。

「参ったなあ…気づかなかった。もしかして…見ちゃった?」
「………」

悪びれた様子もなく、笑みさえ浮かべている五条を睨む。それでも五条は笑みを絶やさず「待たせてごめんね」と壁に凭れてしゃがみこんでいるの方へ手を伸ばした。

「…お、おかまいなく…ひとりで立てま――」
「危ない!フラフラしてんじゃない。大丈夫?」

よろけた体を支えられ、はゆっくりと立ち上がったものの、足に力が入らない。まるで生まれたての小鹿だ。さっきから激しく打っていた心臓のせいで、息をするのもままならないほど動揺していた。そんなの様子を見て、五条は困ったように頭をかいている。

、真っ赤…もしかして…免疫なかった?っていうかオマエ…24だよな…マジで経験ないの」
「……ご、五条先輩には関係のないことです。そ、それより…任務中にああいうことはやめて下さい。時間のロスです…っ」

てっきり任務中、女に手を出したことを注意されるかと思えば、変なところで叱られた五条は一瞬呆気に取られた。

「ぶはは…ロスって…そりゃ悪かったけど、次の任務までまだ時間に余裕あるでしょ」
「そ、そうですけど…ぁっ」

五条の手を放した瞬間、またしてもよろけてしゃがみこむ。完全に腰を抜かした状態だ。知識として知っていたはずが、それを生で見たのはさすがに刺激が強すぎた。五条は苦笑交じりでしゃがむと、真っ赤になって固まっているの顔を覗き込んだ。

「あーあー。ほんと大丈夫?悪かったよ。変なもん見せちゃって。他人のセックスなんて見たくはないよね」
「…べべ別にそのことでは謝らなくて結構です…!わたしが勝手に来てしまっただけなので…」
「でもオマエ、そんなんじゃ運転できないだろ。僕が変わろうか」
「だ、大丈夫です…!と、とにかく行きましょう…。次の約束まで時間が…」
「あーんじゃ僕に掴まって。オマエ、足にきてるみたいだから」
「……す…すみません…かたじけないです」
「…さむらい?」

の本気とも冗談ともつかない返しに、五条が思い切り吹き出している。本当なら手を借りるのを断りたいところだが、このままでは歩けない。仕方なく五条に手を貸してもらい、どうにか立ち上がったは、深い息を吐き出した。笑われようがどうでもいい。とにかく今は脳内の記憶を全て消し去りたいと思った。先輩の行為を生で見るものじゃないと、心から後悔する。ただ――見ただけでこれほど動揺してしまったことは、にとっても予想外だった。

(震えが止まらない…映画やドラマで見たことはあるのに……実際、あん…あんなことするなんて知らなかった……)

またしてもふたりの重なっている姿が浮かび、息が止まりそうになったはぎゅっと拳を握り締めた。心臓が更に早鐘を打ち、息苦しい。頭に血が上りすぎているせいで視界も霞むような気がした。

(こんな状態で…もし…実際することになった時…本当にあんなことが…出来るの…?子作りどころじゃないかもしれない…固まって…震えて…きっとわたしは何も出来なくなる…いきなり本番を迎えるなんて無理だ…)

支えられて歩きながら、はそっと五条を見上げた。さっきは外していたサングラスも、今はきっちりかけている為、その奥の蒼い目は見えない。

"いいよ。それだけなら大歓迎"
"僕も嫌いじゃないし"

さっきの五条の言葉を思い出し、未だ震えている自分の手を見下ろすと、は小さく息を吐き出した。