lesson-04



驚きすぎて言葉も出ない。唖然どころの話じゃなかった。

「オマエ…仕事のしすぎで頭おかしくなったのか」
「至って正常です。もちろん婚前交渉をする気はないので最後までするわけではなく、もし五条先輩が引き受けて下さるなら座学も含めて、実践は"キス"と"指で触れるまではOK"というルールでお願いします」
「は…?実践ってオマエ…」
「わたしは今まで呪術以外のことは挑戦して出来ないことはありませんでした。来たるその時、冷静に対応できるように今から知識をつけ、トレーニングしておきたいんです」
「…トレーニング…って言われても…」

淡々と目的を説明するに、五条はもはや驚愕の域を軽く超えていた。

「昨日、五条先輩はあの看護師に言ってましたよね」
「…昨日?」
「はい。"それだけなら大歓迎"だと。なら、わたしに教えてくれるくらいは出来るのではないかと」
「オマエ…自分が何を言ってるか分かってる?」

口元を引きつらせつつ、五条が尋ねると,は真顔で頷いた。

「もちろんです。わたしは何事も無駄にせず合理的に進めたい。昨日のように、本番で震えて動けなくなるような失態は犯したくないんです」
「………」

あくまでは真剣だった。五条もだいぶ落ち着いて来た頃、今の話をもう一度頭の中で整理をしてから考える。いくらトレーニングと言われたところで、やることは男女のソレと変わらない。が真剣だけに、どうしたものかと五条は悩んだ。

「僕さ、これでも手を出す相手は選んでんの。高専内では女の子を口説いたり、昨日みたいなことはしたくない。ここは僕の大事な職場でもある」
「分かっています。なので最後までしてくれとは言ってません。免疫がつく程度に教えてくださるだけで構いませんので。これはあくまでトレーニング目的です」
「…トレーニングね」
「気まずくなるのが嫌ということであれば、気にしないで大丈夫です。わたしは何とも思いませんし、もし断られても五条先輩に対して態度を変えるつもりもありません」

断わってもいいのか、と五条は苦笑いを浮かべた。どっちにしろ冗談で言っているのではないと分かる。まさか真面目なからこんなぶっ飛んだお願いをされるとは五条も思っていなかった。いや逆に真面目すぎて少々暴走気味ではある。

「ちなみに…僕が断ったら、他の男に頼むつもり?」
「…それはまだ考えていませんが。七海くんや伊地知くん以外、親しい男友達もいないので、出来れば五条先輩には断って欲しくはないです。七海くん達は軽い気持ちでそういうことは引き受けてくれなさそうなので」
「…あ、そう」

(それは裏返せば僕なら軽い気持ちで引き受けてくれるかもしれない、と思われたわけか…)

五条は若干ショックを受けつつも、昨日あんな場面を見られたのだから当然か、とも思う。

「…どうでしょうか」

が返事を促すように五条を見上げる。その表情はいつもと変わらない。しかし、色白の頬が薄っすら赤くなっていることに気づいた。何とも大胆なお願いだと驚かされたが、本人もやはり普段よりは冷静じゃないようだ。本当なら断るべきだと五条は思う。高専内での色事は後々面倒なことになりかねない。しかしは何も気にしないと言い切った。どうせ自分が断ったとしても頑固な彼女は諦めずに他の男を探すだろう。そう考えるとやはり危なっかしいとも思う。誰もがの思うようにトレーニングと割り切ってくれる保証はない。最悪、興奮した相手が無理やり彼女を襲いかねないのだ。考えだせば色々と心配種が増えていく。やはり五条としては可愛い後輩をどこの馬の骨とも知れない男に託したくはない。そして五条が珍しく悩んだ結果…

「じゃあ…こうしよ」
「え?」
は勉強したいって言ったけど……僕、勉強は嫌いなんだよね、昔から」

五条は一歩、に近づき、「どうせなら楽しくやりたい」と言いながら、手を伸ばして赤みを帯びた頬へ触れる。スっと撫でるように指を滑らせれば、の肩がかすかに跳ねた。

「僕はを…惚れさせるつもりでやるけど、いい?」
「……え」

身を屈め、サングラスを外しての目線まで下がると、驚きで丸くなった瞳を見つめる。

「あの…それには何のメリットが?」
「僕が楽しいだけ。が勉強や仕事が好きなように、僕は楽しいことが好きなんだよね。セックスはそれなりに楽しいから好きだけど…とならそういうトレーニングも結構楽しそうではある」

頬へ触れていた指を、今度は綺麗な髪へ通し、指で梳いてそっと耳にかける。異性にこんな風に触れられたことはなく、落ち着かない様子で視線を泳がせていたは不思議そうに五条を見上げた。

「…楽しい…?」
「そう。もし本当にが僕のこと好きになったらその時は…」
「その時は…?」

五条はすっと身を引いて、のスーツのネクタイへ指を引っかけた。

「褒賞としてをもらう。そういうトレーニングという名のゲームをしよう」
「……?それは…わたしとセックスをする、ということですか?」
「それしかないだろ」

五条の指がしゅるっとネクタイをジャケットから引き抜く。しかしは真顔で首を振った。

「わたしは最後までする気なんて全くないですけど」
「……惚れたならいいだろ」
「それはありません。仮にあったとしても結婚まではしないです」
「………おもしろい」

気持ちいいくらいにバッサリ切って来るを見て、五条のオスとしての本能に火がついた。の手を取り、それを自分の口元へ持って行くと、細い指先へちゅっと口付ける。その感触に驚いたのか、は慌てて五条の手を振り払った。頬の赤みがいっそう濃くなっている。

「…こんなんでビビってて大丈夫?」

苦笑気味に突っ込まれ、はハッと我に返った。

「きゅ、急に触るから少し驚いただけです…っ」

ジワリと頬に熱が集中して、は顔を反らした。キスをされた指先が落ち着かず、片方の手でぎゅっと握り締める。その手を五条の手が掴み、伺うようにを見つめる。

「…平気?」
「へ、平気です…っていうか…も、もう…始めるんですか?」
「まだ時間あるし…こんな微々たるスキンシップくらいは慣れてもらわないとトレーニングにならない」

ニヤリと笑みを浮かべた五条は、の手に再び唇を寄せて、今度は手の甲や手首に口付ける。そのたびの肩が跳ね、心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思うほどに体内で暴れ出した。

「……っ」

指先にキスをされたかと思えば、ぬるりとした感触に襲われた。舐められたと気づいた瞬間、五条の赤い舌がチラリと視界に入り、カッと頬が熱くなる。

「…逃げるなよ」

指にキスをされているだけなのに、勝手に足が後退していき、最後には背中が壁に当たる。ゆっくりと近づいて来た五条は、壁に手を置いてが逃げられないよう両手で囲ってしまった。

「ご…五条先輩…?」
「キスは…いいんだろ?」
「……っ」

綺麗な顔で見下ろしてくる五条を見上げたは、一瞬だけ彼に頼んだことを後悔しそうになった。さっきまでは驚き、渋ってた様子の五条が積極的になっている。今では獲物を狙う獣のように見えてしまうほど、男の匂いを漂わせていた。壁に押し付けられながらも、至近距離で見つめ合っていると、その熱の孕んだ綺麗な碧に、何もかも絡めとられてしまいそうで怖くなった。

「トレーニングって言うなら……はただ…僕がすることに"慣れ"ればいい」

言った瞬間、五条は身を屈め、の唇に自分の唇を押し付けた。柔らかい感触と共に、小さくちゅっと音が鳴る。ぎゅっと目を瞑ったは硬直したまま強く拳を握り締めた。他人の唇を受けるのは初めてで、心臓が口から飛び出そうなほどに早鐘を打っている。ゆっくりと五条の唇が離れていき、は瞑っていた目をそっと開けてみた。

「……っ」

目の前の碧い瞳と目が合い、ギョっとする。五条はかすかに笑ったようだった。その顏すら見惚れるくらいに美しいから嫌になる。

「くく…ガッチガチ」
「ま…まだ始めたばかりですから…っ」

真っ赤になりながらも反論すると、五条は体を離し、「はい。じゃあ少しずつ慣れてこうか」と笑った。は昨日と同様、足がかなり震えている。

「今日はここまでね。そろそろ任務の時間だし」
「は、はい。ありがとう御座いまし――」

と言いかけた時、顏に影が落ち、あ…と思った瞬間には、ちゅっという音と唇を軽く啄まれた感触。驚いて五条の胸元をドンっと押してしまった。

「じ、時間外ですっ」
「そこは"先生"が決めるから。じゃあ、任務に行こうか」

ニヤリと笑みを浮かべた五条は、サングラスをかけ直し、軽い足取りで医務室を出て行く。は震える足でどうにか踏ん張りながらも、よろけるように壁へ凭れ掛かった。

(師事する相手を間違えたかも……)

自分で頼んだものの、五条相手のレッスンはかなり刺激が強いことに気づき、早速後悔という波が押し寄せて来る。でもここまで来たら途中でやめる気は全くなかった。

(サッサと修得して…卒業しなくちゃ……)

高熱があるのかと思うほどに火照った頬に触れながら、よろよろとした足取りで、は五条を追いかけて行った。