lesson-05
"わたしに生殖行為の方法を教えてくれませんか"
"もし本当にエレナが僕のこと好きになったらその時は褒賞としてをもらう"
そうしてわたしと五条先輩の奇妙なゲームが始まった――。
1.
白々と夜が明け、窓の外から小鳥の囀りが聞こえて来て、はゆっくりと体を起こした。髪は乱れ、目の下には隈が出来ている。
(また…眠れなかった…)
昨日の任務先でもすでにヘロヘロで、五条とのトレーニング後ということもあり、歩くのがやっとという状態だったが、そこは五条がまたもフォローをしてくれ、どうにか乗り切ることが出来た。しかし自分の仕事がまともに出来ず、気分的には酷く落ち込んでいる。
"僕はを惚れさせるつもりでやる。そういうトレーニングという名のゲームをしよう"
昨日の五条とのことを思い出すだけで今も動悸が酷くなる。口付けられた感触を思いだすたび、頬が熱くなり、体が震えた。膝を抱えるようにしながら自分の体を強く抱きしめ、静まることのない心臓が早く落ち着くように、何回も深呼吸を繰り返した。
「………」
ふとテーブルを見れば、そこには報告書類の山。夕べ帰宅後にやるはずが、何も手につかずにそのままだった。
(座学の予習はもちろん…任務の報告書さえ出来なかった…まだ始まったばかりなのに)
自分からお願いしたこととはいえ、やはり何の知識も経験もない自分が、百戦錬磨であろう五条に教えを乞うのは刺激が強すぎたかもしれない。とはいえ、他に頼めそうな異性はいないので、やめる気などさらさらない。ただ自分への負担が大きいのは昨日のことだけでも十分に理解した。
(今日も五条先輩と任務がある。シッカリしなくちゃ…今から無心で動こう)
ガバっと顔を上げ、はすぐにベッドを抜け出し、無心のまま顔を洗い、出かける準備を始める。そして出かける前に提出しなくてはならない報告書を簡単にまとめた。それを手に寮を出ると、急いで校舎へ向かう。任務出発前に報告書を提出しておきたかったのだ。本来なら忙しい時は一週間以内までに出せばいいという暗黙のルールがあるのだが、の性格上、仕事を溜めるのは嫌いだった。任務の報告は当日か次の日までに出しておきたい。
「おっはよ~」
報告書を提出した後、車を門前に回そうと駐車場へ足を向けた時、背後からやたらと明るい声が聞こえてきて振り向いた。声で誰かは分かっている。
「お早う御座います。五条先輩。昨日はお世話になりました」
「……昨日のアレは仕事かな?」
いつも通り表情もないままバカ丁寧な挨拶をされ、五条の笑顔が引きつる。
「仕事です。わたしの将来の為の。それ以外でも任務中はご迷惑をおかけしましたし」
「はいはい…」
の真面目な対応に苦笑しつつも、五条が不意にニヤリとしながらを見下ろす。
「何ですか」
「いや…昨日はあーんなに可愛かったのになぁ」
「………」
五条が意味深なことを言っても、は眉一つ動かさない。なかなかに手強いなと思いつつ、五条は「仕事ね」と苦笑した。
「はい、仕事です」
「…昨日の可愛いは幻か…?」
余りに淡々としているに、五条はサングラスをズラして目を細めた。ジっと顔を見下ろせば、太陽を浴びて彼女の透明感ある肌を際立たせている。真っすぐに自分を見つめて来るを見て、五条は素直に綺麗だと思った。昨日のことがあったからなのか、こうして見つめ合っていると前から知っているのに、知らない女のようにも見える。
「今日…」
の頭へそっと手を置き、五条は少しばかり身を屈めて顔を近づけた。
「やる?トレーニング」
その瞬間、頭に置いた手をパシッっと振り払われた。
「…イテっ」
「医務室以外でこのようなことはしないで下さい。許可なく触れないようにお願いします」
「……わー…燃えるなぁ」
ハッキリ線引きをされ、思わず苦笑が洩れる。それでもに「では今夜、仕事が終わった時間に昨日の医務室で」と言われ、五条の口元が僅かに綻ぶ。
「いいよ」
「それでは車を取ってきます」
「りょーかい」
笑顔で片手を上げる五条に一礼すると、はそのまま駐車場へと歩いて行く。僅かばかり足がよろめいたのは不意に接近されたことプラス、寝不足が大半を占めているような気がした。
(このままでは体がもたない…)
この二日、まともに眠れていないせいで、いつ倒れてもおかしくないと感じた。幸い今日の任務は午前中に二件だけだ。五条のサポート以外にも仕事はあるものの、早々に終わらせて夜まで体を休めておこうと思った。
(でもそれも今夜トレーニングをしたら、また…)
は小さく溜息を吐きながら、何か体に負担がかからない方法はないかと考えていた。
2.
「……でね…って、聞いてる?」
「……っ」
名前を呼ばれ、はハッと我に返って目の前の家入を見た。一瞬だけ記憶がない。
「す…すみません…頭がボーっとしてしまって」
そう言いながら瞼を軽くマッサージする。今は午前の任務を終わらせ、高専に戻って来ていた。ただ睡魔が酷く、目が霞むので家入に目薬を処方してもらいに来たのだ。
「いや、それはいいけど…本当に寝不足みたいね」
「はい…」
言いながらも気を抜けば意識が飛んでしまいそうで、は指で軽く目頭を抑えた。そんな状態を見せられた家入はさすがに少し心配になった。母校に戻って来たとはいえ、環境が変わったばかりだ。それに特級呪術師である五条のサポートは特に忙しい。その上、仕事以外の無茶ぶりをする五条の相手はにも負担になっているんじゃないかと思った。
「大丈夫?無理してない?」
「え?」
「五条に無茶ぶりされてるんじゃないの?」
「……五条先輩?いえ、そんなことはないです」
応えながらも無茶ぶりしたのは自分の方かもしれないと考える。いきなり後輩から性交渉のレクチャーをしてくれと言われ、さぞ五条も驚いただろうと少しだけ申し訳なく思う。だが五条が性に奔放なのを見込んだからこその無茶なお願いだ。引き受けてくれたからには自分もしっかり学ばせてもらわなければ、と心に誓う。
そんな事情を知らない家入は、それでも心配そうにを見ている。
「でも…珍しいじゃない。が寝不足で仕事に支障が出るなんて。五条が原因じゃないとしたら何か他に悩み事でもあるんじゃないの?」
「いえ…今、不慣れなことに挑戦しているので、きっとそのせいだと思います」
「え、に不慣れなことって何よ。呪術…じゃないか、今更」
「はい。呪術関連のことではなく、完全なるプライベートでの話です」
「プライベート…?」
不思議そうに首を傾げる家入を見ていたは、ふと"硝子先輩には話しておこう"と思い立った。家入は学生の頃から何かと気にかけてくれたり、良くしてもらっている先輩であり、にとっては姉のような存在だ。これ以上余計な心配をかけないよう、五条とのことを話しておいた方がいい。後々バレて驚かせるのも申し訳ない。はそう考えた。
「硝子先輩」
「ん?やっぱり何かあった?」
「驚かないで下さいね」
「…ん?」
「かみ砕いて言いますと…わたし、セフレというものが出来ました」
「………ぇ?」
たっぷり数十秒は経った頃、小さな声を発した家入の顔は、完全に固まっていた。は表情のない顔で家入を見つめながら、驚かせすぎたかなと心配になった。それほど家入は今の話を聞いて驚愕したようだ。
「砕き過ぎましたね…すみません」
「え…ちょ、ちょっと待って…冗談よね?え?私の聞き間違いかな。の口から"セフレ"って言葉が出てきたような…」
「いえ、聞き間違いではありません。言いました」
「……え…な、何で…そんなもの…」
最もな質問だった。家入の中で、という後輩は真面目で堅物。それだけじゃない。例え恋人であってもキスすら許さず、それを理由にフラれるくらい身持ちが硬く、しっかりとした将来設計を立てている今時珍しいくらいの子だ。そのがセフレという俗物的なものを作ったなど、家入には到底信じられない。でもがそんな嘘をつくような後輩じゃないことを誰よりも知っている。だからこその疑問だった。
もそう思ったのか、一つ息を吐くと、今は完全に青ざめている家入を見つめた。
「最近…性に対する免疫がないことに気づきました」
「は?」
「これでは将来、子供を作る時に時間がかかってしまう。なので慣れている人から教えを受けて今から予習をしておこうと考えました。結婚した時にスムーズに子供を作れるように」
「…………嘘、でしょ?」
「本当です」
家入は今度こそ絶句したのか、ポカンと口を開けたまま固まっていた。
「すみません。驚きますよね…」
「い、いや…の決めたことだから意味はあることなんだろうけど…でも…いや、しかしいつか何か凄いことをしそうだとは思ってたけど…そういうことじゃ…!」
家入は混乱したのか、頭を抱えて数分ほど無言が続いた。
「……相手は…誰?一般人?」
頭を抱えたまま家入がついに口を開いた。ここまで話したのだから最後まで正直に言おうと思ったは「他言無用に願います」と前置きをした。
「言えないわよ、そんなこと――」
「五条先輩です」
「ご…っ」
さらりと名前を出され、今度こそ家入は唖然とした。まさかその名前が出て来るとは一ミリも想像していない。
「え…ご…ごじょ…う…?五条って…あの五条悟…?」
「はい」
「な…なんてこと…何でアイツ…?!」
さすがに信じられず、家入は椅子を蹴り倒して立ち上がった。しかしは眉一つ動かさず、家入を見上げた。
「五条先輩は性に奔放な方のようですが、人類繁栄には有用な方だとお見受けしました。五条先輩なら適任だと思ったんです」
「だ、だからって……で、で…アイツはなんて?」
「快く引き受けて下さいました」
「は?!あんのエロ目隠し…っ」
握り締めた拳を震わせ、家入は恐ろしい形相で吐き捨てている。だがふと我に返ると、真っすぐ自分を見上げているの両肩に手を乗せ、「そ…それって…」と声を震わせた。
「ご、五条と…その……エッチ…するってこと…?」
「いえ、最後まではしません。過程のレクチャーを体を使って受けるだけです」
「そっ…それをエッチって…言うんじゃ…」
家入の顔色が徐々に失われ、終いには力なく椅子へ腰を下ろし、頭を項垂れてしまった。少しショックが大きかったらしい。
「…私は反対だよ。には好きな人とそういう時を迎えて欲しい」
「硝子先輩…」
真剣な顔の家入を見て少し驚いたが、はふと笑みを浮かべた。
「ありがとう御座います。心配してくれてるんですね」
「そうよ。お願いだからそんな危ないことは――」
「意志は固いです」
「………そう、よね。泣き落としはきかないか…」
はあっと溜息を吐きつつ、家入は苦笑した。この後輩が頑固なのは家入も良く知っている。
「分かった…やめて欲しいけど…のその気持ちは理解した」
「ありがとう、硝子先輩」
珍しくにっこり微笑むを見て、家入はがっくりと肩を落とした。
「だって絶対折れない時の顔してたもん…」
「すみません」
「でも……ホント危険なことに変わりはないから、危ないと思ったらすぐやめて。分かった?五条だって男なんだから、いくら後輩でも間違って襲わないとは限らないし」
「肝に銘じておきます」
と応えながら、ふと五条に言われたことが脳裏を過ぎった。
"もし本当にが僕のことを好きになったら…その時は褒賞としてをもらう――"
「どうかした?」
「いえ…何でも」
(これは言わなくていいわよね。実現しないんだし…)
「ほんと大丈夫…?寝不足になるなら無理なことはしないでね」
「平気です。これを乗り越えないと前に進めないので」
「もう…ほんと頑固なんだから」
頑ななの態度に、家入は心配しかない、と思いながら深い深い溜息を吐いた。