lesson-09



「はあ…温かい…」

湯船に浸かると冷えた体にピリピリと刺激がきたあと、指先がじんわりと温まって来るのを感じて、はホっと息をついた。任務帰り、の初歩的ミスでガソリンがなくなったあげく、土砂降りの中、濡れ鼠となったことで、近くにあったラブホテルにやって来た。最初はも驚き、抵抗すらあったのだが、五条はに「風呂入って待ってて」と言い残し、一人でガソリンスタンドまで行ってしまった。ホテルの受付で詳しい場所を教えてもらったようだ。それを聞いては胸を撫でおろしたものの、自分のミスで先輩の五条を煩わせてしまったことは深く反省している。

「やっぱり硝子先輩に睡眠薬をもらおう…」

五条とのトレーニングは言ってみれば完全にプライベートのことだ。なのにこんなにも任務に支障をきたすなら、自分で対処しなければいけない。トレーニングをやめるという選択肢はないので、ならば寝不足を克服すればいいとは考えた。

「あ、そうだ…服がないんだった…」

風呂から上がり、バスタオルで体を拭いたはそこで思い出した。雨で濡れた服はホテル側に預けて急ぎでクリーニングをしてもらっている。は仕方なくバスルームに置いてあるワンピース型のルームウエアを身につけた。前にジッパーがついてるシンプルなデザインだ。服を脱ぐ際、一度身につけたがフリーサイズなのかには少し大きく、肩の辺りがずり落ちて来る。でも真っ裸でいるわけにもいかないので、スーツが仕上がるまでの間はこれで我慢するしかない。

「それにしても…ラブホテルってこんな感じなんだ」

部屋に戻り、改めて室内を見渡す。部屋はそれぞれデザインが異なるらしいが、五条が「ジャグジー付きの方がいいでしょ」と勝手に一番いい部屋を選んでいた。当然ラブホテルに来るのは初めてのに分かるはずもなく、その辺は「五条先輩にお任せします」と言ったら、この部屋に連れて来られたのだ。

「…宇宙がテーマなのかな」

壁全体が青っぽく、天井にはプラネタリウムの如く星がちりばめられている。ベッドのシーツもシルバーカラーのシルク生地で光沢があり、青いライトに照らされると、どこか宇宙船の部屋のような印象だ。

「面白い…」

は初めて入るラブホテルの部屋を興味津々で見渡した。そこへドアが開き、五条が戻って来た。

「お、風呂で温まった?」

の恰好を見て、五条がホッとしたように言った。

「はい。あの…五条先輩」
「ん?」
「今日は申し訳ありませんでした」

言いながら頭を下げるを見て、五条は「別にいいよ、そんなの」と笑みを浮かべた。真面目ながこういうミスをするのは珍しいので、五条もそれはそれで意外とこのトラブルを楽しんでいる。しかしは「よくありません」と首を振った。

「こんな初歩的なミス…」
「だーからいいって。人間なんだしミスくらい誰だってするよ。あ、ガソリンは入れておいたから安心して。意外と近くにガソスタあったし」

落ち込んだ様子のを元気づけようと、なるべく明るい口調で五条は言った。実際、五条にとってもこれくらいのトラブルはトラブルのうちに入らない。真面目で堅物な後輩が珍しくミスをしたのも新鮮で、むしろ新たな一面を見れたことは五条にとって嬉しいものだった。

「すみません…迷惑かけて」
「迷惑なんて思ってないよ。それよりもっと僕を頼って欲しいとは思ってる」
「頼る…?」
「そう。今回みたいな時でも、は何でも自分で解決しようとするけどさ。たまには甘えてくれると先輩としても嬉しい」
「…甘える、ですか…」
「ま、他人に甘えるなんての辞書にはないかもだけど」

と笑いながらベッドへ座ると、も隣に腰を掛けて、五条を見上げた。

「でも…わたしは今、五条先輩にすごく甘えてると思いますが…」
「え、そーお?」
「無茶なお願いをきいてもらってます」
「…あー…まあ、最初は驚いたけど…今は僕も前に言った通り楽しんでるし…気にしてないけど?」
「……」

にっこり微笑む五条に、の頬がかすかに赤くなる。将来の為のトレーニングなのに楽しまれても困るとは思うが、五条にとってとの今の関係はゲーム感覚なのだと理解はしていた。

「あ、あの…」
「ん?」
「連日お付き合い頂いてますが、五条先輩にも都合があると思うので、もしデートなどの約束があるようでしたら、そちらを優先して頂いて構いませんので…」
「…ないよ、そんなの」
「え、でも五条先輩、しょっちゅう朝帰りをしてると硝子先輩が話してましたけど…」
「前はね。でも今はしてないよ。ひとすじ♡」
「…な、なんですか、それ」

サングラスをズラして微笑む五条にドキリとした。以前ならそんな笑顔を見せられても何とも思わなかったはずなのに、今はやたらと心臓を攻撃される気がする。それもこれもトレーニング中に五条の男の部分を意識させられてしまうからかもしれない。ただ、そんな甘い言葉もきっと"ゲームの褒賞"の為だろうとは思った。

"が僕のこと好きになったらその時は…褒賞としてをもらう"

トレーニングを始める際、五条がそう言っていたのを思いだす。あの時は何をバカなと思ったが、意外と本気なのかもしれない。

「そ、それより…五条先輩はよくこういう場所に来るんですか?」

五条と見つめ合っていると顔の熱が上がって行くような気がして、そんな話を振ってみる。ここへ入って来る時はかなり慣れた感じに見えたのだ。五条は一瞬、驚いたような表情をしたが、すぐに吹き出した。

「まあ否定はしないけど、こういう場所は数えるくらいかな」
「意外ですね。しょっちゅう来てるのかと」
「オマエ、僕をなんだと思ってるの」

さすがに五条も目が細くなった。には変な場面を目撃されてしまったとはいえ、あまりにチャラいと思われるのも悲しくなってくる。それにあれ以来、五条は本当に女と遊んではいなかった。

「すみません。五条先輩、慣れてる感じだったので…」
「別に慣れてるわけじゃ…」
「わたし、こういう場所は初めてでよく分からないんですけど…このボタンが並んでるのは何ですか?」

五条が苦笑していると、はベッドの上を這っていき、ヘッド部分にあるスイッチを不思議そうに見ている。

「ああ、それは照明用のスイッチとかだろ、多分」
「照明…」

は試しにずらりと並んでいるスイッチを押してみた。すると室内が真っ暗になり、「わ」と驚く。だが天井に見えていた星が輝き出し、本当にプラネタリウムのようだった。

「綺麗…ですね」

天井を見上げながらが呟く。五条は笑いを噛み殺しつつ、ベッドへ寝転がった。でもこういう女の子が好きそうなものに興味を持つのか、と可愛く思った。

「こっちのボタンは…」

は面白くなったのか、今度は隣のスイッチを押している。すると天井だけじゃなく、壁にまで星座が映し出され、キラキラと光り始めた。

「…凄い。こんな装置があるなんて…ラブホテルって凄いんですね」
「そう?楽しんでるようで何より」

色々とスイッチを入れては感心しきりのに、五条はひたすら笑いをこらえながら背中を丸めて肩を震わせていた。だが、次にがヘッド部分にあるミニチェストへ手を伸ばすのを見て「あ」と思わず声が出てしまった。

「…何…ですか、これ」
「……ちょ、

チェストの中からが手に取ったのは、まさに大人の玩具。いわゆるバイブという器具だった。しかし見た目が可愛らしいカラフルな色合いで、一見ソレとは見えない。は気づかないまま不思議そうに眺めている。何も知らないが手にしていると、やたらとエロく見えて、五条は少しばかりおかしな気分になってきた。

「あ、これにもスイッチがあります」
「は?あ、いや、ダメだって――」

手元にスイッチを見つけたが五条の制止も聞かずにそれをオンにしてしまった。瞬間、ブイーーンという独特の振動音が鳴り、ついでにバイブが震えだしたせいで、が「きゃっ」と驚いたように手を放した。

「なな…何ですか、これは…」
「あーあ…だからそれは…大人の玩具ってヤツ」
「お、大人の…おもちゃ…?」

やはりは何も分かっていないようだ。とりあえずベッドの上で延々と振動しているソレを五条が拾うと、すぐにスイッチを切った。

「そ。まあ…には100年早いかな。こーいうのは」

苦笑交じりで言いながら、五条はバイブを元の場所へとしまう。だがバカにされたと思ったのか、の目が僅かに細められた。

「……む。どういう意味ですか」
「どういうって…だってアレ、処女の子に使うもんじゃないし」
「…使う?」

五条の説明に今度は眉間を寄せて首を傾げている。そして何かに気づいたのか、みるみるうちに顔が赤くなっていった。

「な…なな何でそんなものが、そんなとこに…!」
「だってここラブホだし普通あるでしょ」
「ふっ?普通……なんですか…?そんなものが……」

シレっと応える五条に、は目を回しそうになっている。座っている体をふらふら揺らして今にも倒れてしまいそうだ。

「大丈夫?やっぱにはこーいう場所って刺激強すぎたか」
「な…へ、平気…です!たかが…ラブホ…ですよね。今のわたしには…どうってことは…」
「って言いながら倒れそうじゃん。耳まで真っ赤だし」

五条はフラついてるの背中へ腕をまわし、後ろへ倒れそうな体を引き戻した。そうすることで距離が縮まり、至近距離で目が合う。もだが、五条も一瞬鼓動が跳ねた。

「オマエ…そーいう顔すんなよ…変な気分になる…場所が場所だし」
「え…ど、どんな…顔…ですか」

指摘されたは慌てたように手で両頬を隠した。顔がかなり火照っているのか、手のひらに熱が伝わってくる。

「だから…真っ赤だし目が潤んでて…誘ってんのかなって思うような顔…」
「そ…そんな顔してません…っ」

ぶんぶんと首を振りながら否定したは、振りすぎて更にクラっとしている。その姿を見て五条は軽く吹き出した。

「どーでもいいけど…、あんま免疫ついてなくない?」
「えっ?そ、そんなはずは――」
「だってこれくらいで真っ赤になってるし…触れることもそうだけど、こういう会話も慣れた方がいいんじゃないの」
「は…っ…」

五条の一言で、が気づいたように目を丸くした。これまで接触する方を慣れようと必死になりすぎていたせいで、他の部分は全くと言っていいほどノータッチだった。

「生殖行為を覚えるのも大事だけど…普通に会話したり、たまに触れ合ったり、そーいうことも大事だと僕は思うけど…」
「で、でも…そういうことは結婚相手が見つかれば自然に…」
「まあ、それが一番いいけど。今のを見てたら自然に慣れるようには見えないかな」
「……そんな…」

五条の指摘を受けては唖然としたように項垂れてしまった。慣れるようには見えないと言われ、かなりショックだったようだ。でも五条が言ったことは本心だった。普段からの何気ない会話やスキンシップも男女には必要不可欠であり、またそれらがその後のセックスを盛り上げるスパイスにもなったりする。いきなりただ触れるのでは、愛撫のないセックスと同じで、女からすれば苦痛を伴うこともある。今のの状態はそういうことも原因があるんじゃないかと五条は思った。

「だからートレーニングにも前戯は必要じゃないかなと思うんだけど」
「…トレーニングの…前戯…とは?」

が話に乗って来たところで、五条は前から考えていた案を口にした。

「デート、しよう」
「…は?」
「僕とデートしよう」
「………」

ニッコリ微笑む五条を見て、は僅かに眉間を寄せた。何故トレーニングの前戯がデートをすることなのかと言いたげだ。

(ああ…褒賞の為かも…)

五条は自分を好きにさせると言っていた。これもその作戦の内なのでは、と思った。

「何故…デートなんですか?」
「何でって…そりゃー…互いをもっと知る為?」
「…知ってどうするんですか?」
「まあ、僕とは昔から先輩後輩ではあるけど、あまりお互いのこと知らなすぎだろ。それに僕と仲良くなった方がもリラックスしてトレーニングが出来る」
「…今のままでも大丈夫ですけど…デートなんかしなくても――」

と言いかけた瞬間、視界が動き、気づけば天井を見上げていて、五条がを見下ろしていた。サングラスを外し、その綺麗な瞳には妖しい熱を孕んでいる。

「ご…五条…先輩?」

突然、押し倒された格好になり、の口元が引きつった。心の準備もしていなかったことで脳内が混乱したまま見上げると、頬に五条の指が触れてビクリと体が跳ねる。

の無茶なお願いを聞いてあげてるだろ?なら、今度は僕のお願いを聞いて欲しい」
「お…お願いって…」
「だから、デート」
「そそ、それは必要ないと…」
「そう?でも、これだけで震えてるし、ガチガチじゃん。まあ、いつもそうだけど」
「い、今は時間外だからです…」
「でも場所的にはトレーニングするのにいい環境だと思うけど。声も抑える必要、ないし?」
「……っ」

五条の言葉にの顏が赤くなる。だがこれは五条の駆け引きでもあった。

「こんな風にいきなり触れるより…デートをしてスキンシップや会話に慣れてからトレーニングに入った方がはリラックスできると思うんだけど」

これは五条にとっても賭けだった。が眠れなくなるのは、互いの関係も深まっていないうちから触れ合うからいけないのかもしれないと考えた。少しでも彼女の負担を軽くしてあげたいと思ったからこそ、まずは普通の男女がするようなデートからトレーニングを始めてみるのもいいんじゃないかと思ったのだ。しかしは必要ないと言い張っている。さて、どうしたものかと考えていると、は「わかりました…」とひとこと言った。

「え、じゃあ――」
「デートはしません。今、ここでトレーニングをするという意味で分かりましたと言いました」
「えぇ…?」
「五条先輩が言ったんです。この場所はいい環境だと。わたしもそう思いました。なので…お願いします」
「あ、そう…」

五条としては少しビビらせるために言ったことなのだが、には通じなかったらしい。そう来たか、と項垂れつつ、ならば彼女の望む通り、いつものトレーニングをしてやろうじゃないかと思った。

「…確か早急に慣れたいって言ってたよな」
「はい…それでお願いします…」

言ったそばから震えている姿はいじらしく見える。だがこの頑固で可愛い後輩をどうにか分からせるために、今から行うトレーニングを五条は手加減しないことに決めた。

「もし…」
「え…?」
「途中でオマエがギブアップしそうになったら…僕とのデートをするってことでいい?」
「な…そんな勝手に――」
「さっきも言ったけどさ。のお願い聞いてる代わり、たまには僕のお願いを聞いてくれてもいいと思うけど?」

そう言われては言葉に詰まった。五条の言うように、散々自分の都合に付き合わせているのは確かだ。

「わかり…ました」
「え…いいの?」
「はい…もし…わたしが今から行うトレーニングにギブアップするようでしたら…デートという前戯をお願いします」

その言葉を受けて、五条はニヤリと笑みを浮かべた。こうなったら絶対にをギブアップさせなくてはならない。身体だけじゃなく、精神的にも慣れさせる為のデートなのだ。

「なら、始めるよ」
「…は、はい」

が覚悟を決めたようにぎゅっと目を瞑る。五条は制服の上着を脱ぎ捨てると、ゆっくりとに覆いかぶさり、その赤い唇を指でなぞっていく。それだけでの体が硬くなるのが分かった。