lesson-12



1.

――過去の経験上、デートは図書館で本を読んだり、家での映画鑑賞。今は寮住まいになったので映画はなし。ということは…
――じゃあ図書館でいいよ。
――いいん…ですか?
――が行きたいんだろ?僕もこう見えて読書は好きだし。

五条とのそんなやり取りを思い出し、は軽く息をついた。これまで付き合った相手には「また図書館?なら家で映画見る方がマシ」と言われることの方が多かった。だからこそ、こう言えば五条が「じゃあデートはやめよう」と言うのではないかと思っていた。なの五条は意外にもの意向を汲んでくれた。

(わたしは…五条先輩のことを誤解してたかもしれない…。と言うより何も知らなかったと言った方が正解かもしれないけど)

五条は会った時から軽薄でいて、更には今より数倍口も悪かった。

――オマエ、もうちょっと愛想よく出来ねえの?そんなんじゃー可愛い顔が台なしだしモテねえぞ。
――呪術を学ぶのに顔は関係ないと思いますけど。
――…そういうとこな。

そんな会話を何度交わしたかしれない。テキトーでケンカっぱやくて後輩イジメが大好き。にとって五条悟とは見た目の美しさに反して"厄介な先輩"という枠でしかなかった。どちらかと言えばもう一人の先輩で問題児と言われていた夏油の方が、とは気が合っていたように思う。でも予想外の夏油の裏切りで、も少なからずショックを受けた一人だった。それ以来、五条が変わったのはも気づいている。ヤンチャぶりはなりを潜め、近い将来高専で教鞭をとる為に目下、勉強中というのも家入から聞いて知っていた。何かを目標にして頑張っている人間は嫌いじゃない。の五条を見る目が変わったのはその時からだ。でも今、更に見る目が変わりつつある。

"…"
"声、我慢しないで"

あんなに甘い声で五条に何かを言われたのは初めてだった。

「………っ」

昨日の光景が鮮明に浮かび、カッと頬が熱くなる。触れられた時のくすぐったいようでいて、甘く痺れる感覚まで呼び起こされて、触れられたわけでもないのに体の中心が疼いてくるのを感じ、はピタリと足を止めて両手で顔を覆った。誰もいない高専校舎へ続く林道。恥ずかしさで叫びたい衝動に駆られた。初めて男の前で足を広げ、恥ずかしい部分を晒したあげく、触れられ、更には口淫まで許してしまった。セックスとは子孫を残すための行為だと思っていたの価値観が、大きく崩れそうになるほどの衝撃だった。しかも自身、まさか自分があんなにも乱されるとは思ってもいなかったのだ。我慢が出来ないほど淫らな声が洩れて、思い出すだけで顔から火が出そうなほどに赤面してしまう。あんなに恥ずかしいことをしなければセックスにまで辿り着けないのか、と将来が不安になってきた。

(なのに――不快じゃなかった…)

そう感じている自分にも戸惑いを覚えた。五条に与えられる甘美なまでの快楽は、の理性を簡単に崩してしまう危うさを秘めている。トレーニングを長引かせれば、自分がどうなってしまうのか分からない。

(早く習得しなければ…おかしくなりそう)

動悸の激しい心臓を抑えながら、は軽く深呼吸をして息を整える。なのにかすかながら火照った体のあちこちが疼きだして、は顔をしかめた。

(まただ…)

夕べ服が渇いた後ですぐに高専へ戻って来たが、寮の自分の部屋へ戻っても体の変なムズムズ感が消えず、しばらく悩まされた。家入に処方してもらった睡眠薬でどうにか久しぶりに熟睡したおかげか、起きた時には消えていたが、五条との行為を思い出すと再びそれが復活してきた。

(ダメ…考えるな、わたし!これから五条先輩とデートなんだから、こんなんじゃ身が持たない…)

すでにクラクラしていたが、思い切り頭を振って煩悩を消し飛ばそうとしたものの、余計にクラっとして足元がよろけた。その瞬間、背中からふわりと抱き留められ、ドキっとして後ろを仰ぎ見る。

「どーしたの。こんなとこで」
「ご…五条先輩…」
「待ち合わせは駅前じゃなかったっけ」

五条は苦笑気味にの体から手を放すと、サングラスをズラして微笑んだ。普段の制服とは違い、今は黒いシャツにラフなパンツスタイルの五条は、一見学生のようにも見える。元々数年前とさほど変わってはいなかったが、私服だといっそう若く見えて、は学生の頃のことを思い出した。

「…い、今から行くところです」
「なら一緒に行こうか。どうせ合流するんだし」

ニッコリしながら五条が前を歩き出すのを、は慌てて追いかけた。

「そ、それでは駅で待ち合わせした意味が――」
「別に誰に見られてもいいだろ。悪いことしてるわけじゃなし」
「そ、そうですけど…でも誰かに見られたら変に思われます。休日にふたりで出かけるなんて…」
「変に思われないって。先輩と後輩がデートするだけだろ」
「……激しく誤解される言い方しないで下さい」
「ほんとのことじゃん」

五条は特に気にした様子もなく前を歩いて行く。向かう方向は同じなので振り切るには五条より早く歩くか、走るしか方法がなかった。ただ元々五条とは歩く歩幅も違いすぎる。よって追い抜くのは無理と判断した。

「あれ、何で溜息?」
「いえ。あの…やっぱり車で出かけた方が…」
「ダーメ。一緒に電車に乗って出かけるのもデートのうち。まあ帰りは疲れるだろうからタクシーで帰って来よう」
「…疲れるって…図書館で本を読むだけなのに」

が苦笑気味に返すと、五条は「え?」と驚いたように振り向いた。

「僕、図書館だけって言ったっけ?」
「……え?」
「もちろん、図書館も行くけど、僕の行きたいとこにも付き合えよ」
「…五条先輩の…行きたいところ…?」
「言ったろ?デートはトレーニングの前戯だって。もっと僕と打ち解けてもらうのが目的。トレーニング中、がリラックスできるようになるためのものだから」

まさかの提案にが眉を顰めるのを、五条は楽しげに見ながら再び歩き出した。

(……ただ褒賞のためだけにこのゲームを引き受けてくれたのだと思っていたけど…)

"多分、にはこれくらいの速度が日常生活とトレーニングを進める上で限界値なんじゃない?"
"僕と仲良くなった方が、効率的にもいいんじゃない?"

五条に言われた言葉を思い返していると、それだけが目的ではない気もしてきた。

(五条先輩はわたしのペースに合わせようとしてくれている…昨日のトレーニングでも感じたけど、無理やり終わらせようと思えば出来るはずなのに…。それは五条先輩の優しさなのかもしれない…)

ふとそう思った。でも次の瞬間、五条が看護師の女と抱き合う姿が脳裏を過ぎる。

"セックスはそれなりに楽しいから好きだけど…とならそういうトレーニングも結構楽しそうではある"

ついでに五条の言葉を思い出し、軽く頭を振った。

(違うか…やっぱり褒賞のためかも…)

五条の心の中を考えても仕方がない。今は自分の目的の為に前へ進むのみ。
決意を新たに、は軽く息を吸うと、五条の後を追いかけて行った。




2.

「さっきから思ってたんだけどさー。今日の、可愛い」
「はい?」

ふたりで電車に乗り、都内にやってきたところで、五条が言った。

「スーツや制服以外の私服、初めて見た」
「そうですか?飲み会で見てると思いますけど…」
「いや、そういう時もはだいたいキッチリしたジャケットとパンツスタイルが多いし、こういうカジュアルな格好は新鮮」

今日のはキャップに薄手の白シャツと細身のジーンズ、足元は軽めのフラットシューズを履いていた。スタイルがいいので何を着ても似合うなと五条は思う。

「可愛い。何からしい」
「そうですか?初めて言われました。今までデートなのにパンツかよと言われてたので」
「へえ。別に似合ってるならパンツでもスカートでもいいと思うけど。他にどんなレパートリーあるの?」
「別に。季節によってトップスが厚手になるか薄手になるかくらいです」
「へえ、見てみたい」
「伊勢丹に行って下さい。だいたい、そちらで揃えてますので」
が着てるのが見たいんだよ」

五条が笑いながらの頭へポンと手を乗せた。いつもより少しテンションが高めの姿を見て、が怪訝そうに眉を寄せる。

「すごく楽しそうですね」
「ん?だってすごく楽しみにしてたし。とのデート」
「……今の五条先輩とわたしは先生と生徒。それ以上でも以下でもありません。今日はこんなことになっていますが――」
「えー好きなのに」
「さあ、サッサとデートしてしまいましょう」
「…サッサとって…悲しみ」

スタスタと歩いて行くの後ろ姿に、五条がかすかに苦笑いを浮かべる。に言ったことは冗談でもなく。意外とこの普通のデートを楽しんでいる五条がいた。

「んじゃーまずは僕に付き合って」
「…どこへ?」
「んーあ、あそこ!あそこ入ろう」

そう言いながら五条はの手を引いて、駅前にあるゲームセンターへ入って行く。もちろんは一度も入ったことがない場所だ。五条はその中のプリクラを取るスペースへを連れて行くと、「一緒に撮ろう」と言って中へと入って行く。

「それを撮るのにどんな意味が――」
「いいから、いいから。学生の頃って無駄に撮ってたんだよなーこれ」
「無駄になるなら撮らない方がいいのでは」

小銭を投入口へ入れて、パターンを選んでいる五条を呆れたように見上げる。しかし五条は全く聞いておらず、「ほら、もこっち来て。早く」と腕を引っ張って来る。は仕方なしに五条の隣へ並んだ。

「ほら撮るよー」

五条が言ったと同時にパシャっという音が何度か鳴った。それを決定する前に全てを確認していくと、だけが無表情で映っている。

「少しは笑えよ」
「おかしくもないのに笑えません」
「いや、写真と同じ要領で――」
「写真も同じですけど」
「はいはい。じゃーもう一回撮り直しー」
「え?」
が笑ってくれるまでやり直すけど、それでもいいの?」
「な…」

ニヤリと意地悪な笑みを浮かべる五条を見て、の口元が引きつる。五条が唯我独尊男だというのをすっかり忘れていた。

「はい、撮るよー笑ってー」
「だ、だから笑えませんってば――」

と言おうとした時、頬に柔らかい感触とちゅっというリップ音が聞こえた。その瞬間パシャっという音が鳴る。

「ちょ…五条先輩…っ」

頬にキスをされたことで、の顏が一気に赤くなる。たったそれだけの行為で未だ赤面するの姿に、五条はふと笑いを噛み殺した。さっきより明らかに表情が出て来たことが嬉しい。

「はいはい。前向いて」

と言いながらの顔を前へ向けると、も諦めたのか、渋々カメラのある位置へ顔を向けた。連続してシャッター音が聞こえる中、五条はひとり楽しそうだ。

「お、良く撮れてる」

撮影後、プリントしたシールを確認しながら、五条が笑う。もそれを覗き込むと、そこには誰か分からない人物がふたり映っているだけだ。

「加工でもはや別人ですね。こんなもの撮る意味があるんですか?」
「まーアトラクションだと思ってさ。楽しいじゃん」
「…楽しくはないですけど、撮ってどうするんですか?」

ふとが尋ねる。五条はキョトンとした顔でを見ていたが、首を傾げつつ「考えたこともないな」と言った。

「今日の記念にと撮りたかっただけだから。あ、これ半分…」
「いりません」
「…悲し」

切り取ったプリクラを拒否され、五条は苦笑交じりでそれをポケットへしまう。他のゲームコーナーを不思議そうに見渡しているは、昨日よりも顔色がよく見えた。

「帰りはフラフラしてたから心配したけど…夕べはちゃんと眠れたようだな」
「…え?」
「昨日より顔色がいいから」

五条に指摘され、は頬を隠すようにそっぽを向いた。確かに昨日のトレーニングはまだには刺激が強すぎた。睡眠薬に頼らなければ、また眠れない夜を過ごしてたはずだ。

「硝子先輩に睡眠薬を処方してもらいました」
「あーそっか。でもその方がいいな。そろそろ倒れるんじゃないかと僕も心配だったし…昨日は特に」
「……っ」
「あ、赤くなった…やっぱちょっとすっ飛ばしすぎた?」
「も…問題ありません…っ」

不意に顔を覗き込んで来た五条と目が合い、は慌てて後退した。その様子に五条はポカンとした顔をしていたが、不意に小さく吹き出した。いちいち怯える姿が小動物のそれで、つい意地悪をしてしまいたくなる。

「じゃあ次、行こうか」
「は、はい…」
「ほら」
「…え」
「手、貸して」

歩きながら、の手を取ると軽く握りしめる五条に、はギョっとしたように手を引っ込めようとした。

「な…なんですか?」
「何って…デートで手を繋ぐのは定番でしょ」
「…こ…これも…前戯ということでしょうか…」
「まあ、そうかな。こういう些細な接触にも慣れておいた方がいいかなと」
「……」

は何やら考えている様子だったが、納得したのか五条を見上げて「そういうことなら…」と頷いてくれた。意外にもすんなり受け入れてくれたことで、五条もホっと息を吐く。荒療治のようなトレーニングよりも、こういった初期の触れあいは、初心者のにとっても次へ進む為には必要なことだ。

「さて。次はどこ行こうかなー」
「そろそろ図書館に行きたいです」
「え、早くない?」
「図書館をOKしてくれたのは五条先輩です」
「まあ…そうなんだけど、いざと遊び始めたら楽しくて」
「まだ謎の写真を撮っただけですけど」
「ぷっ…謎って…、面白い」
「……(面白がられている…)」

隣で肩を揺らして笑っている五条を見つつ、彼のツボが分からないと首を傾げる。こんな子供じみたことをしたがる理由がよく分からなかった。

「あ、じゃあ、何か食べてからにしない?」
「…そうですね。お腹空きました」
は何か食べたいものある?」

手を繋ぎながらのんびり歩きつつ、五条がを見下ろした。食べたいもの、と訊かれ、は僅かに首を傾げた後、「そうめんが食べられるとこならどこでも」と言った。その一言に五条の目が点になる。

「そう…めん?」
「はい。わたし、そうめんには目がないんです。毎日食べても飽きないくらい」
「…マジ?珍しー」

真顔で言い切るを見て、五条は軽く吹き出すと、すぐにケータイで"そうめん"を検索した。そこでヒットしたのが"そうめん専門店"だ。しかもちょうど今、ふたりがいる恵比寿にその店があった。マップで確認しながらをその店へ連れいていくと、そこは"そうめん専門店"とは思えないほどお洒落で、カフェのような店構えだ。

「こ、ここは……」
「そうめん専門店だって。そんな感じに見えないけど」

言いながら隣のを見て、五条はギョっとした。その涼しげな瞳が、今は喜びでキラキラと光り輝いている。頬も赤みを帯びて、嬉しいという気持ちをその滅多に見せない笑顔が現わしていた。

「え…そんな嬉しい?」
「はい……こんな店があったんですね」

うっとりとしながら応えるに、五条は少々呆気に取られていたものの。普段はあまり感情を見せてくれないがここまで喜んでくれている姿を見て、何故か感動にも似た思いが五条の中に込み上げて来た。

「そんなに好きなんだ…」
「大好きです」

が間髪入れず応える。その表情は無邪気な子供のようで、五条は可愛いと思いながら笑いを噛み殺す。

「じゃあ…入ろうか」
「はい!」

がここまで素直に返事をしてくれたことはなく、五条の方まで嬉しくなってきた。店内に入ると、昼時ということもあり、結構な人で賑わっている。ふたりは店員の案内で店の奥側の席へ座った。

「凄い…メニューがこんなに…!」

もはや何から突っ込めばいいのか分からないほど、は嬉しそうに瞳を輝かせながらメニューを眺めている。が高専に入ってきて以来、こんな笑顔を見せてくれたのは初めてだった。

「すげ…和洋中、何でもあるんだ」
「そうめん自体に栄養が含まれているわけではありませんが…喉ごしの良さがとにかく好きです…。仕事で疲れた時に少しのお野菜とめんつゆ、レモンで…たまりません」
「良かったね」

五条も笑いながらメニューを開き、沢山のメニューの中から"ふわふわ釜玉"を注文した。待つことなくそうめんが運ばれてくると、の頬が更に赤みを増していく。

「頂きます」

きちんと手を合わせてから箸を持つと、はドキドキしながらそうめんを口へ運んだ。ちゅるっと入っていく感じがすでにたまらない。

「…美味しい」
「そう?なら良かった」
「冒険できずにいつも食べているような和風を頼みましたけど、出汁の風味が豊かで凄く美味しい…」
「へえ。僕は釜玉。食べてみる?」
「いいんですか?」
「もちろん。ほら、まだ手つけてないから」

と、五条は自分のそうめんの器をの方へ差し出した。それをワクワクしたような顔で見ながら、は一口分の麺をとり、口へと運ぶ。

「これも美味しい…優しい味でそうめんならではの味わいが…」
「良かったねー」

うくくっと笑いつつ。まさかこんなに喜んでくれるとは思っていなかっただけに、自分まで嬉しくなってくる。

「…あの…」
「ん?」
「ありがとう御座います」
「え、何が?」

不意にが五条を見てお礼を言ってきたことで、五条も箸を止めて顔を上げる。

「感動しました」
「…そうめんで?」
「はい。ダメ元で言ったのに、まさかこんな素敵なお店を見つけてもらえるなんて思いませんでした」
「…いや…僕はネットで検索しただけだけど…たまたま近くにあったってだけだし」
「でもわたしは自分で調べようとも思いませんでした」
「……」

の口元がふわりと弧を描くのを見て、五条はしばし時が止まった。自分に対して、がこんなにも柔らかい笑顔を見せてくれたことはない。

「たまにはこうして外に出てみるのもいいものですね。新しい発見がありました。五条先輩には感謝してます」
「………何か、そうめんに負けた気分」
「そうめんには勝てませんね」
「勝てないのかよ」
「はい」

キッパリ言われたものの、それでもに感謝してると言われて悪い気はしない。そして思ったのは、がこういうもので感激してくれるという事実。

のことが一つ、分かった」
「…え?」
「そうめんが大好き」
「はい」

それが分かっただけでも、このデートを仕掛けた意味はあったな、と思いながら、目の前で美味しそうにそうめんを食べる後輩を、五条は優しい眼差しで見つめていた。