lesson-13




そうめんで軽くランチを終えた後、五条とは約束通り、図書館へと向かった。都内でも一番と言われる図書館は港区にある。蔵書数は200万冊と言われ、圧倒的な書数を誇る中央図書館は五条も初めて来た。

「存在は知ってたけど初めて来たわ。めっちゃデカいね」
「はい。冊数も多くて、新しい本から古い本まで幅広く揃っているのでとても気に入ってます」

無数にある本棚を見ながら、が嬉しそうな顔で説明する。こういう顔も五条は初めて見る気がした。これまで知らなかったの素顔をほんの少し見れた気がして、五条は自然と笑みが零れた。

「では閉館まで各自自由行動ということで」
「え、何で?読む本を選ぶまでは別行動なしにしようよ」

ひとりサッサと歩いて行こうとするの腕を掴むと、も驚いたように振り向いた。

「で、でも…五条先輩が読む本とわたしの趣味は違うと思うので…」
「いいじゃん。が本を探すの付き合うし、僕は目についたの適当に読むから心配しないで」
「……」

ニコニコとしている五条を見上げ、はこれ以上抵抗しても無駄だと、すぐに頭を切り替えた。

「分かりました。では歴史書のあるコーナーに行きますが…」
「うん、いいよ。えっと…それだと…こっちの棚か」

案内書を見ながら、五条がの手を引いて歩き出す。さっきから繋がれたままの手をジっと見ながら、は気づかれないよう小さく深呼吸をした。五条に触れられている指先が酷く緊張している。こうして繋いでみると五条の手が自分より遥かに大きいことも、指が長いこともハッキリと分かってしまうだけに、やたらとドキドキしてしまう。

以前は五条の手を"戦う手"だと思っていた。呪霊を祓う為、掌印を結び、そこから膨大なエネルギーを放出する。初めてそれを見た時はも圧倒され、感動すら覚えたのを思い出す。

――世の中にはどれだけ努力しても、決して辿りつけない領域がある。

そう言ったのは夏油だったか。大事な任務を初めて失敗してなお、才能を開花させ、敵を圧倒した五条は確実にその領域へと達した存在だ。それがキッカケの一つになり、親友が去ってしまっても、五条は今も前を向いて夢を叶えようとしている。普段は軽薄すぎて分かりにくいが、それは決して楽な道じゃないはずだ。五条に並べる人間がいないのだとしたら、それは永遠に続く孤独とも言える。なのに普段はそんな顔すら見せない五条は、どれだけ心が強いんだろうとは思った。

(五条先輩は…寂しくないのかな…。恋人も作らず、適当に浮名を流して、任務に励む日々は空しくならないんだろうか。誰かひとりでも五条先輩の孤独を理解してくれる人はいるのかな)

自身、そんな存在がいないからこそ、ふと思った。他人より変わった価値観を持っているのは自分でも気づいている。それを理解してくれる人は、これまで皆無だった。それが寂しくなかったわけじゃない。もしかしたら五条も自分と似たような――いや。更に深い孤独を感じているんじゃないかと思ってしまう。五条だって、ひとりくらい自分を理解してくれる存在が欲しいんじゃないかと。

「…?どうしたの、難しい顔して」
「いえ…」

気づけば五条が不思議そうな顔でサングラスをズラし、を見下ろしている。慌てて首を振ったが、ばっちり目が合ってしまった。

「そう?何かジーっと僕の顔、見てたよね」
「…す、すみません」
「あー見惚れてたとか」

五条がふざけて言った言葉に、の頬が赤くなる。そんな反応をするとは思っていない五条は少し驚いた。てっきり「そんなはずないでしょう」と、いつものように冷たい反応が返ってくるものだとばかり思っていたからだ。は気まずそうに目を反らし、ふと目の前の棚から一冊の本を引き抜いた。

「こ、これにします」
「…え?、その本に興味あるの?」
「…いけませんか?」

気まずい気持ちを隠すように五条をキッと睨む。だが五条は怪訝そうに眉間を寄せて、の抱えている本の表紙をマジマジと見つめた。

「いけなくはないけど……"一魚一会いちぎょいちえ~マグロ一本釣りの方法~"って…、マグロも好きなの」
「……?!」

五条に指摘され、は慌てて自分の選んだ本を確認した。間違いなく、そこには五条の言った通りのタイトル、そして大きなマグロを前に満面の笑みを浮かべた漁師らしき中年男性が載っている。一瞬、目が点になったものの、

「………す…好きですよ」

引くに引けず、どうにか応えて五条に背を向ける。だが後ろで笑いを噛み殺している五条の気配が伝わり、顏が赤くなった。

「ご、五条先輩は何を読むんですかっ」
「…んー?ああ、僕は…これにしよっと」

五条は近くの棚から適当に目のついた本を手に取る。どうやらここは自伝コーナーらしい。

「"イケメンはこうして作れる!"。まあ僕には必要ないけど面白そう――って、、置いてかないでよ」

パっと手を放し、スタスタと歩いて行くを五条は苦笑交じりで追いかけた。いちいち反応が面白いと思いながら、空いてる席へ座るの隣に自分も腰を掛ける。今日は休日ということもあり、図書館の中はかなり混みあっていて、それでも場所柄、賑やかな空気とは程遠く、静かな空間となっていた。

、マジでそれ読むの」

五条が小声で尋ねると、は「よ、読みます」と言って本を開いている。どう見てもマグロの一本釣りに興味があるようには見えないが、は真剣な顔でそれを読みだした。どんな内容であれ、本を読むのが好きなのは本当らしい。本に向ける眼差しは凛としていて綺麗だと思った。五条はしばし頬杖をつきながらの横顔を眺めていたが、どういう環境で育ったらみたいな価値観になるんだろう、と今更ながらに興味が湧く。

(確か…名家の出っていう話だったよな…その上、戦闘向けじゃないにしろ術式がある…ってことは、五条家うちとも何か繋がりがあってもおかしくないか…?)

そんなことを考えていると、が本から目を離さないまま「読まないんですか?」と訊いて来た。五条の視線に気づいていたのか、その頬はかすかに赤い。

「…読むけどさ」
「わたしがこの本をちゃんと読むのか確認してるようにしか見えないです」

言いながら、はそこで初めて五条へ視線を向けた。

「いや…そういうわけじゃないんだけど…っていうか聞いてい?」
「…何ですか」

頬杖をついたままの五条を見ながら、が首を傾げる。

って両親は健在だっけ」
「はい。世田谷に住んでいます」
「へえ…術師…ではないんだった?」
「父はわたしと同じ補助監督として働いてましたが、母は術師でした。でも術式が弱かったので二級にも上がれずやめたと聞いています」
「そうなんだ。で、は何で高専に?」
「父からオマエはサポート役に向いてると言われ、高専に来ました。一応、術師を目指そうとしましたが、やっぱり術式的にサポートが向いてると思ったので補助監督になる道を…って、今こんな話をして何か意味あるんですか?」

話してる途中でふと疑問を感じ、黙って聞いている五条を見た。これまでそんな話を聞かれたこともない。特に面白い話などなく、何でこんなことを聞かれるんだろうとは思った。
五条はその問いに「知りたくなったから」と答えてニッコリと微笑む。その言葉に嘘はない。この一風変わった後輩が、どんな理由で高専に来たのか、若いのに何故あんなにも貞操観念が強いのか、知りたくなったのだ。

「知りたい…?わたしのことを…ですか?」
「他に誰がいるんだよ。っていうか、が貞操観念強いのって…お祖母ちゃんの影響だっけ」
「はい。祖母は厳格な方で、女は嫁に行くまで操を守るのが当たり前という考えでした」
「…操って。でも…昔はそれで良かったかもしれないけど…今の時代じゃキツイんじゃない?現にもそれで苦労してるし」
「そ…そんなことは…」

五条に指摘され、が初めて動揺したように視線を反らす。確かに操を守れとは言われたものの、他のことは何も教わっていない。だからこそ、こうして五条の指導を受ける羽目になっている。知識だけがあってもダメだということを、昭和初期生まれの祖母には分からなかっただろう。

「む、無駄なお喋りはこれくらいにして、五条先輩も本を読んだらどうですか」
「はいはい」

五条は笑いながらも素直に頷くと、先ほど適当に選んだ本を開く。イケメンがいかにして作られるのかという自伝に興味はないが、今のがどうやって作られたのかは大いに興味が湧いて来る。また後で聞いてみようと思いながら、五条は本へ視線を戻した。