lesson-14



1.

「……ん、悟…そこ…いい」

ギシ…ギシ…と軋む音と、女の甘い声が室内に響く。

「…ん。ここ?」
「……ぁっん…」

言われた通りの場所を突いてやると、また一層声に艶が増した。ここは都内某所にある女のマンション。女は五条の恋人、というわけではなく。お互いそういう気分の時に抱き合う、いわばセックスフレンドのような関係だった。以前、呪霊に襲われかけてるところを、たまたま任務帰りの五条が助けたことで知り合った。彼女も一般人にしてはそこそこ呪力があるようで、昔から変な生き物が見えていたという。そんなこともあり、五条が呪術師だということも知っているので何かと気楽な相手だった。特に彼女はバツイチで、資産家だった夫から慰謝料をがっぽり貰い、今は悠々自適な生活を送っている為、五条に何かを求めるようなこともしない。こういう不毛な関係を続けるには都合のいい相手だ。

「何か今日、機嫌いいのね、悟。まあ悪い時なんてないけど」

情事のあと、女がビールを口にしながら、ふと思い出したように言った。五条はベッドの端に腰をかけ、スマホを見ながらかすかに笑う。

「あーそうかも」
「えーなに?遂に好きな子でも出来た?最近、全然連絡なかったし、もしや彼女とか」
「んー。そういうんじゃないけど、今やってるゲームが面白くて」
「へーなんていうゲーム?」
「タイトル不明」
「あはは、何それ」

からスマホに届いた明日の任務情報のメッセージを確認していた五条は、昨日のデートを思い出しながらふと笑みを浮かべた。あの後、図書館の閉館時間まで互いに読書をし、軽く夕飯を食べて寮まで帰った。本当ならもっと色んな場所へ行きたかった五条だったが、最初から飛ばしすぎるのも良くないかと、結局最後まで普通のデートを楽しんだ。そして次のデートに繋げられたのはラッキーだったかもしれない。

――じゃあ次の休日は僕が行き先考えるから。
――え…次の…?
――あれ、僕、デートは一回だけって言ったっけ。嫌なら、またがギブアップするまでベッドに縛り付けるけどいいの?
――う……。

そんなやり取りのあと、も渋々ながら「トレーニングに繋がるなら…」とデートを承諾してくれたのだ。何だかんだとトレーニングを急ぎたがるに無理をさせないよう、ゆっくり進めてあげたい五条にしてみれば、このデートという名の前戯は必要不可欠だった。ただとのトレーニングで散々お預け状態が続いていた体はさすがに五条でも耐え切れず、遂にセフレに連絡してしまったのは致し方ないことだった。

「ね、悟」
「なに?遥さん」

背後で僅かに動く気配がして、背中にそっと彼女の手が触れた。

「もう一回しよ」
「いいよ」

後ろから抱きしめて来る遥に応えて、振り向きざまベッドへ押し倒す。今年30歳になるとは思えないほど滑らかな肌に口付けると、すぐに艶のある声が上がる。五条の愛撫で身をくねらせる姿はまさに女盛りで大人の女性特有の色香があった。当然経験豊富でテクニックもあり、五条をより楽しませてくれる女性だ。なのに、身体は反応するものの、今夜はに感じたほどの情欲は沸いてこない。あの身が焦がれるほどの欲は抱けないことから溢れて来るものなのか、それとも別のものなのか、五条にすら分からなかった。





2.

、こっち」

次の休日の午後、今度は現地の渋谷で待ち合わせとなったのは、五条がたまたま都内にいたからだった。高専から一緒に出かけたがらないにはちょうど良かったと言える。

「おー今日の恰好も可愛い!」
「そ、そうですか…?海外に行った時に買った安物ですけど」
「いや、でもそれアメリカ軍のM-65じゃない?そこそこ値段するよね」

薄曇りで肌寒い朝だったからか、はモッズコートを羽織っていた。それも本物のアメリカ軍が着用しているもので、それに細身のジーンズを合わせ、長い髪を一つに縛り、キャップを被っている。その姿は普段の印象よりもボーイッシュだ。なかなかのギャップ萌えに五条の顏がニヤケそうになった。

「五条先輩お詳しいですね」

は少し驚いたように五条を見上げた。特別にこだわって買ったわけではないが、以前、京都校の皆と海外旅行に行った先で気に入って購入したものだ。でもそのコートを本物かどうかを当てた人はいなかった。

「ああ、僕はアメリカ軍に知り合いがいるから分かっただけ」
「え、任務で知り合ったんですか」
「うん、そう。僕がたまに海外出張に行ってるのは聞いた?」
「はい。七海くんが付き合わされると前にボヤいてました」
「……あ、そう。(あのムッツリ眼鏡…後でマジシッペだな)」

同様、あまり表情の変わらない後輩の顔を思い出しながら、五条は頬を引きつらせた。一度、術師をやめ、サラリーマンをしていた七海が出戻って来たことを一番喜んだのは五条だった。だからついつい任務に同行させてしまうのだが、七海にとっては少々迷惑だったようだ。

「まあ、いいや。せっかくのデート中に七海の顏なんか思い出したくもない」

五条は気を取り直しての方へ手を差し出した。

「んじゃー手、繋ごう」
「…はい」

もだいぶ素直になってきて、言われた通り五条の手を取る。あのラブホテル以来、トレーニングはしていないものの、この前のデートをしてから少しは異性に触れるということに関して慣れて来たようだ。いい傾向だな、と五条は思った。の顏は血色もよく、夕べもちゃんと眠れたのかスッキリした顔をしている。

、顔色いいね。体調いい?」
「はい。おかげさまで最近はよく眠れています」

家入に睡眠薬を処方してもらっているようだが、ここ最近は薬の量を減らしても眠れるようになっていた。それはトレーニングを中断しているのも原因の一つではある。けれども、五条がこうしてゆっくりと自分の我がままに付き合ってくれているという安心感も、少なからずの中にはあった。

「今日は五条先輩の行きたいところへ行きましょう」
「え?いいの?」
「はい。この前は半日もわたしに付き合って下さったので…」
「別にいいのに。僕も久しぶりにたくさん本が読めて楽しかったから」
「………」
「ん?どうした?」
「いえ…」

少し驚いた顔で見上げると、五条が首を傾げた。しかしは慌てて首を振って歩き出す。ただ、五条から楽しかったと言われるとは思ってもいなかったのだ。

――はあ?また図書館?本は好きだけどデートで行かなくてもいいだろ。だいたいデートで図書館ってどうなの。

以前、付き合っていた彼氏に言われた言葉を思い出す。付き合い当初からあまりいい顔はされなかったものの、何度か図書館デートをしたことがある。でも一度たりとも「楽しかった」とは言ってくれなかった。無理につき合わせたわけではないが、自分の趣味の中でデートをしてしまったことを後悔した苦い思い出だ。

(五条先輩は楽しんでくれたんだ…でも…それも褒賞のため…?)

そう思うと胸がかすかにチクリと痛んだ気がしてドキっとした。何故落ち込む必要があるのかと慌てて首を振る。五条とは先輩後輩であり、今は自分の将来の為のトレーニングをしてもらう関係。ただ、それだけだ。

「…?」

の様子を見て、五条が怪訝そうに顔を覗き込んで来る。その視線から目を反らし、は軽く咳払いをした。

「な、何でもありません…。それより…五条先輩はどこに行きたいですか?」
「ああ、えーと…じゃあ…ちょっと肌寒いし、まずは軽くお茶しない?」
「いいですけど…」
「そ?じゃあ行こう」

素直に頷いてくれたことが嬉しいのか、五条は笑顔で歩き出した。今日の為に五条も色々とプランを考えていた。ただがOKしてくれるかどうかが心配だったが、これなら大丈夫そうだとホッと胸を撫でおろす。そのまま手を繋ぎ、待ち合わせをした場所から数分ほど歩いたところで、五条は足を止めた。

「ここ入ろう」
「え…ここは?」

は目の前のお洒落な外観の建物を不思議そうに見上げた。木目調ルーバーのそのビルは、新築なのかかなり綺麗だ。

「ここの二階にの好きそうなカフェがあんの」
「…わたしの…好きそうな…?」
「まあ、とりあえず入ろう」

五条はの手を引いて楽しげな様子でビルの中へ入っていく。はどういう意味なのか気になったが、とりあえず五条について行った。

「いらっしゃいませ」

五条がを連れて入った店は今流行りの猫カフェならぬ、ウサギカフェだった。

「え、ウサギ…?」
「そう。、動物好きだろ?特にもふもふ系」
「だ…大好きです…!」

五条の予想以上に、の顏がパっと明るくなった。そこへ案内をする為、スタッフが歩いて来る。

「いらっしゃいませ。――ご、ご予約の五条様で…2名様ですね。こちらへどうぞ!」

可愛らしいエプロンをした若い女性がニコニコしながらふたりを奥へ案内する。このスタッフが五条を見た途端、頬を赤らめたのはの目にも明らかで、「いらっしゃいませ」の時より、案内する声が一オクターブ上がったのは気のせいじゃない。こういう光景はもこれまで何度も見たことがある。任務先でも然り。だいたい女性がいれば誰もが五条に見惚れてしまうのだから嫌になる。

(五条先輩、顔面偏差値は特上だから仕方ないけど…そもそも女の人には困ったことないんだろうな)

自分の手を引きながら歩いて行く五条の横顔を見上げて、ふとそんなことを考える。こうしての好きそうなカフェをちゃんと予約してあったのも、万が一から承諾を得られたら連れて来ようと思っていたに違いない。そんな気遣いを見せる五条に、は少しだけ驚いていた。それは後輩のでも知らない五条の姿だった。

「こちらの個室になります」
「…個室…?」
「はい、当店は完全個室となっておりまして、全て時間制とさせて頂いております」

ではなく、何故か五条に説明しだした女性スタッフ。五条は調べた際に知っていたのか、「予約は2時間だったよね」と言った。

「はい。フードやドリンクは部屋に設置されているお電話からどうぞ。メニューはテーブルの上にあります。そしてメインのウサギちゃんですが、あちらの小部屋にいますので、ごゆっくり可愛がってあげて下さいね」

終始ニコニコしつつ頬を染めながら説明していたスタッフも、それだけ言うと部屋を出て行った。急に静かになり、個室にふたりきりという状況が出来上がる。

「ほら、、コート脱いで奥のウサギ見てこいよ」
「あ…は、はい」

五条がコートを脱がせてくれるのに身を任せつつ、視線を奥へと向ける。奥の壁にはウサギの出入りする入口なのか、丸い穴が開いていた。靴を脱いで上がり、がゆっくり歩いて行くと、その丸い穴からひょこっと白いウサギとベージュカラーのウサギが顔を出す。その瞬間が破顔した。

「可愛い…!見て、五条先輩!ウサギがいっぱい出て来た!」

最初の2匹の後から、3匹目、4匹目と次々に顔を出す。グレーや白黒と色も様々で、つぶらな瞳をふたりに向けてくる姿は、五条から見ても愛くるしい。ただそのウサギ達よりも五条の胸に響いたのは、普段の落ち着いた姿からは想像もつかないのはしゃぎようだった。

「おいでー怖くないよ、ほら」

ウサギの前に座り、そっと手を差し出す姿は、普通の女の子と何ら変わらない。なのに普段とのギャップがありすぎて、五条は内心ひどく驚いていた。

(この前のそうめんの時も思ったけど、今日はあの時以上に感情豊かで、あんな笑顔も出来るんだ…)

自分のジャケットとのコートを壁にかけながら、五条の顔にもかすかな笑みが浮かんだ。

「わ、懐っこい」

数匹のウサギがの周りに集まり出し、膝の上に乗ったりしている。一匹が乗って大丈夫なんだと安心したのか、他のウサギまでの膝に乗ろうと大渋滞を起こしてる光景は、何とも微笑ましい。

「ほら、。クッション」
「あ…ありがとう御座います」

部屋の隅に置いてあった大きなビーズクッションを渡すと、はその上にゆったりと座った。五条ももう一つのクッションを隣に置き、同じように腰を掛ける。そのうち五条の周りにもウサギが集まり出した。

「すーごく可愛い!猫カフェには行ったことあるんですけど、ウサギは初めて」
「そう?まあ…気にってくれたなら良かった。ああ、何か頼もうか。一応カフェだし」
「はい」

ピンク色の可愛いメニューを開くと、そこにはウサギの顔をした色んな種類のドーナツや、ワッフル、マカロンなどがあり、ドリンクメニューも豊富だった。

「寒いから温かいもの飲む?」
「そうですね。じゃあ、わたしはミルクティを。五条先輩は?」
「僕はまずココアかなー」

いつものように糖分がたっぷり入ってそうなものを注文し、軽食はがチョコワッフル、五条はドーナツのセットを頼んだ。それらは数分で別のスタッフが運んで来た。

「ん、美味しい」

ウサギを膝に抱きながら、が美味しそうにワッフルを食べている。五条ほどではないが、も甘い物はいける口らしい。

「はー幸せ…こんな可愛い子達に囲まれて。高専の寮じゃ飼えないですし」
「あーそうだな。まあ、夜蛾学長の呪骸で我慢するしか」
「あ、あの子達も可愛いですよね」
「え、可愛いか…?の好みが謎すぎるんだけど…」

笑いながら突っ込めば、も楽しそうに笑っている。こんなに笑顔を見れるとは思わなかった。今日のは随分とリラックスしているように見える。こうして並んで座っていると、本当にデートをしている気分だ。五条はビーズクッションを枕にして横になると思い切り両手足を伸ばした。

「なーんか落ち着くな」
「そうですね。ここ静かですし…」
「そうじゃなくて」
「え?」
「こうしてといると落ち着くって意味」
「……っ」

素直な気持ちを口にしたものの、返事がない。天井を見上げていた視線をに向けると、頬を赤くした横顔が見えた。

「…な、なに言ってるんですか」
「なにって…本心だけど。ってさーそういう空気を持ってんだよね」
「…空気?」
「そう。こうして静かな空間にふたりでいても変に気づまりしないし、自然体のまま隣に居てくれるから、何か…落ち着く」
「ちょ、寝ないで下さい」

ふと見れば五条が気持ち良さそうに目を瞑っている。は抱いていたウサギを五条のお腹へ乗せた。可愛いウサギに起こしてもらおうと思ったのだ。なのに――。

「寝ないけど…この子が僕のお腹で寝そう」
「ほんとだ…」

五条が目を開けて自分のお腹に乗っているウサギを見れば、大きな目をとろんとさせ、ウトウトしている。に抱っこされてた余韻が残っているようだ。

「可愛い…」

は両手をついて五条のお腹で寝そうになっているウサギを覗き込むと、柔らかい笑みを浮かべて微笑んでいる。だが五条の目には、そんなが可愛く映った。その気持ちを素直に行動へ移す。床についている彼女の腕を掴んで自分の方へ引き寄せると、胸元にが倒れ込んで来る。それに驚いたウサギが目を覚まし、ピョンっと飛びおりて走って行った。

「ご…五条せんぱ――」

驚きの表情で顔を上げたのくちびるを五条が塞いだ。逃がさないよう背中に腕を回すと、の体が僅かに強張ったのが分かる。仕方なくちゅっと軽く啄んで解放すれば、真っ赤なと目が合う。その表情はやはり文句を言いたげだ。

「な…なにして…」
「なにってキス」
「ここここんな公共の場で――」
「個室だし誰も見てない」

あまりに動揺するを見て、五条は軽く吹き出した。トレーニング中はもっと凄いことをしてるというのに、ただ触れるだけのキスをしただけで身を震わせている。そんなが可愛いと自然に思う五条がいた。

「だ、だからって普通にしないで下さい…今は時間外――」
「でもこういう触れあいも前戯のうちだよ」
「…う…で、でも急にするのは…」

は真っ赤になりながら上半身を起こそうとする。しかし五条はそれを許さず、背中に回した腕に力を入れた。

「じゃあ今からキスするって言えばいいの?」
「………」

その問いにの目が落ち着きなく左右に泳ぐ。そんな表情ですら可愛らしく、五条は必死に笑いを堪えつつ、の答えを待った。しかし一向に返って来る気配がない。だんだんと焦れてきた五条は、もう一度訪ねてみることにした。

…キスしていい?」
「………」
~?」

何度名前を呼んでも視線を合わせてもくれず、さすがに五条の目も細くなってしまう。これ以上の返事を待っていたら時間がどんどんなくなってしまう。仕方ないと、五条は実力行使に出た。背中に回していた腕で更に抱き寄せ、もう片方の手をの頭の後ろへ回す。

「んぅ…ぅ」

後頭部を引き寄せられたがギョっとしたように離れようとしたが時すでに遅し。ガッチリとホールドされ、またもくちびるを塞がれた。しかも今度は触れるだけのキスじゃ済まなかった。くちびるをこじ開けられ、半ば強引に口内へ侵入してきた五条の舌が、逃げ惑うの舌を器用に絡めとる。逃げようにも頭を押さえつけられている為、に逃げる術はなく。五条の好きに舌を弄ばれるだけだった。

「…ん…ちょ…五条先輩…なに…するんですか、いきなり…」

やっと解放されても呼吸が乱れ、息苦しい。なのに五条は涼しい顔で微笑んだ。

「いきなりじゃないでしょ。ちゃんとキスしていい?って聞いたし」
「い、いいなんて私は一言も…」
「でもダメとも言わなかったからいいのかなぁと思って」
「………」

悪びれもせず言いのけた五条に、の言葉も詰まる。こんな場所でいきなり深いキスをされ、一気に心臓が仕事をしだしたおかげで体が火照っているのが分かった。すっかり五条のペースになっているのが腹立たしい。
なのに――今のキスは嫌じゃなかった。そう感じている自分には驚いた。だからなのかもしれない――。

「今夜…久しぶりにトレーニングしようか」

五条にそう言われた時、は素直に頷いてしまった。