lesson-15



1.

「連れて来てくれてありがとう御座いました。凄く癒されました」

ウサギカフェを出て、は五条にお礼を言った。その顏には自然な笑みが浮かんでいる。普通の会話でが笑顔を見せることなど今まで殆どなかった。以前よりもだいぶ打ち解けてくれたような気がして、五条の顏にも笑みが浮かぶ。

「まだデートは終わんないけどね」

今は午後3時を少し過ぎた頃で、五条は時間を確認してからの手を繋いで歩き出す。今日は五条の行きたい場所につき合うと言ったことは嘘じゃあないようで、は素直について来た。それにしても、とは疑問に思う。五条の行きたい場所に行こうと言ったのに、結局は自分が一番楽しんでしまった感が否めない。そもそも五条がウサギカフェに行くほどウサギ好きとも思えなかった。

「五条先輩、次はどこに行きたいですか?」

気になって尋ねてみると、五条はポケットから何かを取り出し、へ見せる。それは映画のチケットだった。しかもが観たいと思っていたミステリー小説を映画化した作品だ。少し驚いて五条を見上げると、五条は「これ観たかったんだろ?」と笑った。

「どうして…知ってるんですか?わたしが観たいと思ってた映画も、もふもふした動物が好きなのも…そんな話、五条先輩にしてないのに」

そう、ウサギカフェに行った時から不思議だった。

――、動物好きだろ?特にもふもふ系。

確かに五条はそう言った。あの時は嬉しさのあまり深くは考えなかったものの、今もこうして観たいと思っていた映画のチケットを用意されてるのを見て、その違和感に気づいてしまった。
五条はの問いに軽く首を傾げたが「そりゃーデートする相手の好みをリサーチするのは大事でしょ」と笑う。その理由はにも理解は出来た。でもこのデートは普通のものとだいぶ違うし、トレーニングをより円滑に進める為の形だけのものだ。少なくともはそう受け止めていた。

「そういうのは本命に対して行うものでは?」

素直に思ったことを口にすると、五条は一瞬、足を止め、何かを考えるようにを見下ろした。サングラスで表情までは良く分からない。

「うーん…そうかもしれないけど…僕はを知りたいと思ってこのデートを提案したってのも一つの理由だから、やっぱりその過程で好きな物を知りたいと思ったし。別におかしくはないよね」
「…そう、ですか。情報源は…硝子先輩ですか?」
「まあ、硝子とか、七海とか?」

どちらもに近しい存在だ。五条がのことを知りたいと思ったならば、どちらも確かに五条よりはを知っている人物には違いない。でも――。

「直接わたしに聞いてくれたらいいのに…その方が早いし――」
「それじゃー意味ないでしょ。にえ?って思わせたいのに」
「…どうして、ですか?」

そんな効率の悪いことをしてまで、何故自分を驚かせたいのかには分からなかった。五条はその問いにちょっと笑うと、繋いでいる手に少しだけ力を入れた。

「そりゃのさっき見せてくれたような顔が見たいから」
「さっき…?」
「そう。無防備な笑顔」

それくらいの笑顔は僕にしてみれば貴重なんだよ。そう言って五条は優しい笑みを浮かべた。そんな五条の笑顔も、にとっては貴重だと思う。過去に何度となく向けられた嘲笑でもなく、苦笑いでもなく、慈しむような笑顔を向けられたのは初めてだった。

「…い、急ぎましょう。映画を見るなら次の回まで残り15分です」

ケータイで上映時間を調べ、が慌てたように歩き出す。でもその頬はかすかに赤い。不覚にも五条の笑顔にときめいてしまった自分に動揺し、いつもより表情筋がおかしなことになっている。やけに耳が熱い。
一方、五条は繋いでいた手を放して一人スタスタと歩いて行くを見ながら笑いを噛み殺していた。これまで打てど響かずだったが、トレーニング以外で耳まで赤くしている姿はなかなかにレアだなと思う。

、待って」

五条は後から追いかけ、再び繋ごうとの手に自分の手を伸ばした。その時、五条のケータイとのケータイが同時に鳴り響いた。一瞬振り向き、五条と目を合わせたは、すぐに自分のケータイを確認する。相手は後輩の伊地知からだった。

「伊地知くんからです」
「僕は夜蛾学長から」

これは只事ではないと、ふたりはそれぞれ道の端に移動して互いに電話へ出た。

「もしもし…夜蛾学長?オフの日にまで何の用――」
『悟…!オマエの受け持った生徒が任務先で行方不明になった』
「…は?行方不明って…」

と事情を聞こうとしたが、後ろから「五条先輩」とが声をかける。

『詳しいことは伊地知に聞け。今、オマエを迎えに行かせてる。あとも呼ぶように伝えたから今回は3人で現場まで向かってくれ』

そう言われて五条がを見ると、彼女は軽く頷いた。伊地知から同じような話を聞いたんだろう。五条はすぐに分かった、と言って電話を切った。

「伊地知はなんだって?」
「はい、現場は東京郊外にあるホスピス跡地。低級呪霊を確認したと"窓"から報告があり、実力に見合った一年の生徒3名が伊地知くんと現場に行ったようですが、帳内にいた生徒と連絡が取れなくなったと…。この場所を伝えたので駅まで伊地知くんが迎えに来るそうです」
「何でそんな…引率の術師はっ?」
「それが…窓の報告によると低級だった為に、今回は伊地知くんだけだったようで…」
「チッ…そんな廃墟、何が起こるか分からないってのに…!」

伊地知が迎えに来るという駅までまで戻りながら、五条は苛立ちを隠すこともせずに吐き捨てた。行方不明になった生徒は最近まで五条が指導をしていた生徒だった。まだ教師ではないものの、教育実習と称して夜蛾から預かった子達だ。

「アイツら、まだ体術だって完ぺきとは言えなかった…」
「…急ぎましょう」

も想定外の事態に緊張した様子で言うと、駅前の道のりを必死に走り出した。





2.

伊地知と合流し、車で渋谷から約30分ほどの街にあったその場所は廃墟と化して長いこと放置されていたのか、建物全体を覆うように蔦が巻き付いていた。すぐ傍には新興住宅があるものの、まだまだ未開発の場所が周りには点在している。その廃墟もその中の一つだった。

「帳はそのまま…中で何かあったんだ」

五条は六眼で中を見通すように凝視し始めた。すると奥の方に生徒達らしき呪力が固まっているのが視えた。

「いた…あそこは…西側E棟だな」

伊地知の持っていた見取り図で生徒達がいる場所を確認すると、五条はサングラスを外した。

「伊地知は外で待機。は僕と一緒に来てくれる」
「はい」
「分かりました」

五条の指示で伊地知は少し離れた場所まで移動し、は五条の後ろから廃墟の中へと入っていく。本来なら補助監督は現場まで連れて行かないが、守るべき対象がいる場合、の術式は役に立つ。

、アイツら見つけたらすぐに結界を張れ。僕は呪霊を始末する」
「分かりました。あの…彼らの近くにも呪霊がいるんですか?」

六眼で呪力が見える五条とは違い、気配はするもののには壁の向こうがどうなっているのかまでは分からない。足場の悪い廊下をどうにか歩きながら、は五条の背中を見つめた。

「いや、近くに数体見えるが、生徒達のすぐそばってわけじゃない。多分…アイツら隠れてるんだと思う。ってか…低級呪霊がわんさかいて見づらいな。クソ」

やはり低級呪霊はいるらしい。でも量が多いと却って見えすぎる六眼がネックになる場合もある。五条ひとりだけなら呪霊を建物ごと吹き飛ばせばいいだけの簡単な任務だ。でも今は近くに生徒達がいるので、あまり乱暴なことは出来ない。

、生徒達はこの辺りにいる。近くには低級だけど呪霊もいる。この中を探せるか?」
「はい。大丈夫です。低級呪霊くらいなら自分に結界を張れば身は守れます。伊地知さんに念の為の式神も貰いましたし」

簡単な術で攻撃を加えることの出来る式神を見せると、五条は小さく頷いた。殺傷能力はなくても怯ませることくらいは出来るものだ。

「分かった。でも…ここにいるのはやっぱり低級呪霊だけじゃなかったみたいだ。ありゃ…見た感じ一級相当。アイツらには祓えない」

問題のある呪霊を特定したのか、五条が苦笑した。この場所で"窓"が低級呪霊を確認した時にはいなかったのか、もしくは育ってなかったのか。どっちにしろ心霊スポット化していた場所だ。近所の若者が連日忍び込んで騒いでたという報告もある以上、色んな可能性はあったはずだった。

「ったく…いくら人手不足だからってこんな場所に生徒達だけを向かわせるなんて無謀だろ」

自分が教師になれば、こんな判断はしない。呪術師はそれこそ貴重であり、大事に育てていくべき人材だ。こんな使い捨てみたいなことをさせる上層部に、五条は苛立ちを覚えた。

(傑も…きっとこういうジレンマに押し潰されそうだったのかもな…)

ふと親友と最後に交わした会話を思い出し、五条は溜息を吐いた。星漿体の任務失敗の後、可愛がっていた後輩も今回と似たようなことで失った。一緒に任務にあたっていた七海も大きなケガをして帰って来た。あの時のことは五条も忘れてはいない。それは同級生を失ったも同じだ。

「あの子達のことは任せて下さい。それより五条先輩はその呪霊をお願いします」
「…分かった。はアイツらと合流したら即結界張りながら移動して外に出ろ。絶対無茶だけはするなよ」
「…分かりました」

が普段のように表情も変えず頷く。でもの手がかすかに震えていることに気づいた五条は、その手をそっと握り締めた。

「大丈夫。オマエの結界は多少の攻撃を受けても破壊されない。僕の"赫"でも壊せなかった。そうだろ?」
「は、はい…」

五条の言葉に、はその時のことを思い出した。まだ、夏油も灰原も高専にいた頃のことだ。今より口も態度も悪かった先輩の五条に、防御の術式しかないことを、いつもバカにされていた。

"結界術しか使えねえの?それって術師として終わってんじゃん"

自分の母もそれを理由に術師を辞めたことを知っていたは、さすがに五条の言葉にカチンときた。どんな思いで母が呪術師を引退したのか、その悔しさを知っていたからだ。

"わたしと勝負しませんか、五条先輩"

珍しく感情的になったから、そんな言葉が飛び出し、その場にいた家入や夏油は酷く驚いていた。

"は?オレと、オマエが…?バカ言うな。勝負になんねーわ"

反転術式を使えるようになり、自他ともに認める最強へと上り詰めたばかりの五条は、後輩の、それも結界術しか使えない女の言葉にカチンときた。

"やってみなければわかりません"

普段は冷静な後輩が、挑むような強い眼差しで五条を射抜いて来た。一点の曇りもなく澄んだ瞳は、少なからず五条を苛立たせたことは間違いなかった。

"分かった。受けて立ってやるよ。その代わり大怪我してもしらねーからな"

あの日のことは五条もよく覚えている。出来れば消し去りたい過去の一つだった。