lesson-20



1.

初冬が近づいたある日、五条は任務の為、出張でと仙台に来ていた。五条に入る任務は殆どが一級以上の呪い案件だが、それでも数が少なければ単独で現地に向かう。補助の必要もないくらいサクッと終わるからだ。でもこの日、敢えてを連れだしたのはここ最近忙しくてデートの時間が取れていなかったからだ。はそんな五条の思惑など知らず、地方での特級呪霊祓徐の任務に少し緊張して現地入りした。しかしふたを開けてみれば10分もしないうちに仕事は終わってしまった。あげく補助監督としての仕事は帳を下ろしただけ。住民の避難の必要すらなさそうな人気のない場所だったこともあり、自分がくる必要はなかったのでは、と思いながらも帰りの新幹線の時間を調べ始めた。そこへ五条が一言。

、帰る前に美味しい牛タン食べに行かない?」
「…そんな時間はないです。早く東京に――」
「いいからいいから」
「ちょ、五条先輩?」

渋るの手を五条は無理やり引っ張りながら、自然の帳が下りる頃。仙台でも人気の仙台牛専門店のソファー席にと並んで座っていた。しかもの前にはちゃっかりと地ビール"伊達政宗"が置いてある。仙台らしく伊達政宗の黒い甲冑をイメージした店内も三日月の装飾が乗った伊達政宗を現わす兜がディスプレイされている。お洒落な店内を堪能しつつ、元々酒が嫌いじゃないはその地ビールを口にして「美味しい」と頬を綻ばせた。

「だろ?あとこの店の仙台牛は天下一品だから食べてみて」
「はあ。では…頂きます」

すっかり五条のペースに流されている、とは気づいたものの、最終の新幹線に乗ればいいかと脳裏を掠めたのは、やはり目の前に並ぶ美味しそうな料理と酒のせいだけではなかった。以前のなら絶対に五条の我がままを許さず、すぐに東京へ帰っていただろう。でも最近は五条とプライベートでも接するうちに本人も気づかないところで考え方が柔軟になったようだ。ただ明日は母に呼ばれて実家に顔を出さないといけない。あまり飲みすぎないようにしようと思っていた。

「ん、美味しい…」

コースではなく、好みの料理を好きに頼んでいた。まずが食べたのは牛タン寿司。牛タンで仕立てた生ハムでシャリをくるんだ特製寿司らしい。口の中で蕩ける肉とさっぱりとした触感のシャリが絶妙に合う。

「でしょ。僕もこれ好きなんだよねー」

言いながら五条も同じものをパクパクと食べている。その横顔にチラリと視線を向けて、は疑問に思っていたことを尋ねた。

「あの…」
「ん?何か食べたい物ある?あ、それか片倉小十郎の地ビールも飲んでみれば」

自分は下戸なのでソフトドリンクを飲んでいるが、酒好きのの為に五条が酒のメニューを広げる。しかしは「いえ…」と首を振りつつ、

「今日の任務のことですが…」
「え、任務…?ボク、何か破壊したっけ…」

いつも夜蛾やに注意されてることを思い出し、首を捻る。その様子に苦笑しながらは「大丈夫です」と応えた。

「ただ、思ったんですけど…わたしまで来る必要はなかったのではないでしょうか…」
「え、何で?」
「今回わたしがした仕事は帳を下ろしたのと祓徐対象が出没する付近に避難させる住民がいないか確認しただけです。五条先輩お一人で十分だったと思いますが」

当然、出張となるからには呪いが出る辺りの封鎖や許可証の申請、新幹線の手配など準備をすることはある。でもそれはわざわざ現地に出向かなくとも、出来る作業だ。なのに新幹線代を使ってまで自分が同行する必要があったんだろうかとが首を捻りたくなるのも当然のことだった。なのに五条はの質問に対し、楽しそうに笑っている。

「いいんだよ。最近忙しかったし、デートも出来なかったから、こうしてとのんびり地方でご飯食べたかっただけ」
「…え、それだけの理由でわたしを呼んだんですか…?」

ほぼ任務には関係のない理由で、はちょっと驚いた。

「うん。え、嫌だった?」

五条はあっさりと認め、特に悪びれる様子もない。前のならここで説教をしていたはずだ。でも今回はそんな苛立ちもなく、はただただ呆気に取られてしまった。確かに五条のマンションに連れて行かれて以降、五条の出張が立て続けに入り、忙しくなったことで前戯という名のデートはもちろん、トレーニングも中断している。しかしあの時の過激なトレーニングでもまた寝不足が続き、体がしんどかったことで、この中断は精神的なものを休める為にもちょうど良かったのかもしれない。

なのに今日の出張に呼ばれたことで、かなり大変な任務なんだろうと気を引き締めながら同行したものの、あまりに呆気なく終わったことで拍子抜けしてしまった。からすると、単に日帰り旅行のような形になったのだが、まさか自分が呼ばれたのがこうして一緒に食事をする為だったとは思わない。

「い、嫌とかじゃないですけど…」
「そう?なら良かった」
「で、でも…これって公私混同というやつでは…」
「え、そお?でも今日の移動費以上に稼いでんだし良くない?」
「そ、そういう問題では――」
「まあまあ。――あ、すみません。この片倉小十郎の地ビールお願いします」

五条はを宥めるように言うと、通りかかった店員に追加注文をし始めた。その姿を見て、これ以上何を言っても無駄、という言葉が頭に浮かぶ。五条は昔から良くも悪くもマイペースであり、言い出したら聞かないのはもよく分かっている。

「ほら、難しい顔してないで冷める前に食べなよ」
「…はい。じゃあ…頂きます」

肉を中心に並んでいる中から、三角ロース、伊達カルビ、仙臺せんだい五秒焼きロース等々。舌が蕩けるほどに美味しい肉を焼いてはも次々に食べていく。その姿を見ながら五条は笑みを浮かべた。美味しそうに食べてくれる姿は見ていて気持ちがいい。

ってこんなに細いのによく食べるよね」
「ちょ…つままないで下さい…」

いきなり脇腹をむにゅっと摘ままれ、は頬を赤くしながら五条を睨む。しかし睨まれた当の本人は「ここ肉、殆どないじゃん」と笑っている。相変わらずデリカシーのない先輩だと思いつつ、でも以前ほど不快じゃないと感じている自分に驚いた。そこに先ほど頼んだビールが運ばれてきて、五条が受け取り、新しいグラスをの前へ置いた。

「はい」
「あ…ありがとう…御座います…」

グラスを両手で持ち、少し傾けて差し出すと、五条がビールを注いでくれる。時々家入の呼びかけで行う飲み会でも、五条にこうして酒を注いでもらうこともあったのに、今は何故かドキドキしてしまう。二人きりで食事をしていると、まるでデートの続きをしているみたいだ。

「最近は?」
「…え?」
「ちゃんと眠れてる?」

ビールを注ぎ終わった五条がふとを見た。今はプライベートということで五条も目隠しを外してサングラスをしているが、下へズラしている為、宝石のように輝く瞳が惜しげもなくの目に飛び込んで来る。見慣れているはずなのに至近距離で目が合い、頬が熱くなるのを感じた。トレーニング中、男の熱を孕んだこの瞳で見つめられた時のことが脳裏に浮かんだせいだ。は慌ててその光景を打ち消した。

「ね…眠れてます…硝子先輩に薬も処方してもらってますし」
「そう?でもあまり薬に頼るのも良くないし、早く慣れないとな」
「…は…はい」

何を指して慣れると言っているのかが分かって思わず頬が赤くなる。将来の自分の為に、というよりは、自分の子孫を残すこと。これが一番重要だと、亡くなった祖母からも言われている。なのに子孫を残すどころか、操を守りすぎて男に免疫がなさ過ぎたのは誤算だった。慣れる為の手伝いを先輩である五条に頼んでしまったことも、もしかしたら誤算だったのかもしれないけれど。

「あ、帰りに行きつけの店でお土産買って行きたいんだけど寄っていーい?」
「はい。仙台と言えばアレですよね、分かってます」

この街には五条が大好物の大福が売られている。仙台に来た時、五条が必ず買うのはも把握していた。土産と言っても高専の仲間にではなく、もっぱら自分用だということも。

「さすが。僕のこと何でも知ってるんだねー」
「その言い方は語弊がありますけど…わたしがいなかった間の情報はしっかり伊地知くんから引き継ぎしてますので」

そもそも五条のことを知っている、というならば高専内では後輩の伊地知を置いて他にいないのでは?と思うほど、伊地知は五条悟のことを誰よりも知っていた。"五条悟・取扱説明書"なるものを渡された時のことを思い出すと、ちょっと笑ってしまいそうになる。

「何ニヤニヤしてんの?」
「な…何でもありません」

不思議そうに顔を覗き込んで来る五条から視線を反らし、は残りの食事にとりかかった。でもそこで五条の女遍歴という項目のことを思い出す。伊地知は見て見ぬふりをしていたようだが、しっかり把握はしていたらしい。五条の女遊びのことまで詳しく載っていた。ただは任務に関係のないことだと、その項目にはパラパラと目を通しただけで詳しい内容は知らない。だからこそ、最初に二人で行った任務先であんな場面に遭遇するはめになったのだ。でも今更ながら少しだけ気になってきた。

(確か…"来る者は拒まず"だっけ…)

女遍歴の最初のページに書かれてあった言葉を思い出し、ふと隣の五条を見る。来るもの拒まずというのは理解できる。の無茶なお願いを引き受けてくれたのも、きっとそういうことだったんだろう。例の病院の看護師とのことも、それを考えると納得できた。でも何故かあの光景を思い出すと、最初のドキドキ感は消え、不快なものが胸にこみ上げて来る。自分の知らないところで、五条が知らない女とああいう行為を繰り返してるんじゃないかと思うと、驚いたことに心臓の辺りがキュっと変な感覚になった。

「…どうした?手が止まってるよ」
「な、何でもないです」

五条に指摘され、ハッと我に返ると、は再びお肉を焼きだした。今、一瞬だけ浮かんだ感情を打ち消すようにビールを煽り、五条が目を丸くしている。

「今日は良く飲むな」
「お、美味しいから…」
「ふーん。なら良かったけど。じゃあ、はい」
「あ…ありがとう御座います…」

再びグラスにビールを注がれ、はぎゅっとグラスを握り締めた。

(あり得ない……わたしが五条先輩の遊び相手に嫉妬をするなんて……)

未だ胸のずっと奥の方でモヤモヤと燻っている感情を振り払うかのように、は注がれたビールを、勢いよく一気に飲み干した。




2.

「ん……」

早朝と呼ばれる時間帯、は喉の渇きを覚えて目が覚めた。意識が戻って来た途端、砂漠を彷徨っていたのかと思うほどに喉がカラカラだった。ついでに言えば頭も体も酷く気怠い。出来れば動きたくはないが、どうしても水を飲みたいという欲求に駆られ、はもそもそと布団の中を動きながらベッドを出ようとした。でもその時、手に何かが触れた。ふと動きを止め、その手に触れているものが何なのかを確認しようとした。すると隣で何かが動き――。

「ん…くすぐったいよ、……」
「………っ?!」

すぐ近くで聞き覚えのある声がして、ぴたりとの動きが止まる。

「ふあぁ……まだ3時過ぎじゃん。始発まで時間あるよ」

隣の"誰か"が欠伸をしながら話しかけて来る。は今の今まで感じていた気怠さが一気に吹き飛んだ気がした。重たい瞼を押し上げ、声のする方へ顔を向ける。そこには思った通りの人物が寝ていた。

「ご…っ…」

と言いかけた時、腰の辺りをぐいっと抱き寄せられ、肌が密着する。の頬に五条の裸の胸板が押しつけられ、一瞬脳内がフリーズした。腰を抱き寄せられた時点で感じていた、直に触れられた感と、今現在、頬に触れている肌の質感。それは互いに何も身につけていない状態を現わしていた。

「ちょ…ご、五条先輩…っ?」
「んー?何…?」
「な…何で…わたし達は裸…なんですか…っていうか…ここはどこですかっ?」

よく考えてみれば室内に漂うのは知らない匂いだ。つまり、ここは自分の知ってる場所ではない。ついでに言えばシティホテルとかそういった類の匂いだった。その部屋のベッドで五条と裸で寝ている状況に、は軽くパニックになった。トレーニングをしたという記憶もない。
の問いに、五条は少し驚いたように目を見開き、僅かに体を離した。

「え……、まさか…覚えてないの…?」
「な…な何を…ですか?」
「え、だから…夕べのこと」
「ゆ…ゆゆ夕べって…」
「だから…食事しながら、後半はが結構お酒飲んじゃって、ビールに焼酎までは良かったけど、最後に肉を追加した時にワイン飲んでたでしょ」
「…え?ワイン…?」
「あ、それも覚えてない感じ…?」
「………」

口元を引きつらせた五条を見ながら、は困ったように頷いた。言われた通り全く持って覚えていない。いや、でも100歩譲って酒で記憶がないのはいいとして――家入と飲んだ時は時々あることだ――五条と全裸で寝ているこのおかしな状況の方が、にとっては大問題だった。

「え、えっと……夕べ…も、もしかしてトレーニングを…?」

どっちから言い出したかは分からないが、最悪酔って気が大きくなった自分が、五条にトレーニングをお願いしたのかもしれない。それか五条が言い出したのを自分が承諾したか。どちらにせよ、トレーニングなら問題はないはずだ。そう思いながら縋るような目で五条を見つめると、五条は唖然とした様子のまま「え、マジで記憶ないの」と頬を引きつらせた。

「確かに…トレーニングは…した」
「え…っ」
「夕べ、結構酔ってたし、だから東京には帰らず泊まることにしたんだよ。で、駅前のこのホテルに部屋とってチェックインした。ああ、今時期は混んでてシングル二つは取れなかったし、ダブルなら空いてるってことで部屋も一緒になったんだけど…だったら久しぶりにトレーニングお願いしますってが言うから…した」
「そ…それで裸のまま寝ちゃったって……そういうことですか」
「いや…まあ…え…ほんとに何も覚えてない…?」
「な…何を…ですか…?」

五条が視線を泳がしながら困り果てたように頭を掻いている。

「トレーニング中…、凄く感じてくれて――」
「な…何…」

いきなり恥ずかしい説明をされ、の顏が真っ赤に染まる。それを見て五条は苦笑しながらも「3回くらいイってたかな」とあっさり言った。その瞬間、かぁぁっと首まで赤くなり、は固まった。

「前に経験したせいで今回はすんなりオーガズム感じてたし、その余韻で…」
「よ……余韻…で…?」
「最後までして欲しいって……」
「……な…っ」
「はあ…マジで覚えてないの…?」

五条が上半身を起こしてを覗き込む。綺麗な双眸を見上げたまま、は完全に固まっていた。

「と…い、言うことは…わ、わたしと五条先輩は……」
「あー……うん…エッチ…した。最後まで。ごめん」
「―――ッ?!」

あっさりと認めた五条は溜息交じりで項垂れた。にとってはまさに青天の霹靂。寝耳に水。全くもって予想していなかった展開に言葉を失った。




3.

「はあ……」

深い溜息と共に、は重たい足取りで生家の門をくぐった。未だに信じられないと思いながら、ふと五条のことを考える。あの後、始発で東京まで戻って来たが、終始無言が続き、重苦しい空気の中での移動はなかなかキツかった。五条も気まずい思いをしていたに違いない。いつもと違って元気がないように見えた。
結局、ロストヴァージンをした記憶は戻らなかったが、から五条を誘ったというからには五条を責めるわけにもいかない。あの様子だと五条が嘘を言っているとは思えないからだ。もしトレーニングで気分が盛り上がっているところへ、の方から「最後までして下さい」と言われれば、男の五条に拒む理由など思い当たらなかっただろう。

(まさかわたしから先輩を誘って、しかも結婚まで守るはずだった貞操を五条先輩にあげるなんて…何考えてるの、わたし…しかも全く覚えてないなんて最悪じゃない…)

最初に聞かされた時は本気で驚き、ショックをうけた。それでも冷静になってくると、ショックというよりも全く覚えていないことの方が落ち込んだ。あそこまで酔うほど飲んでしまった自分が悪い。
夕べは確かにお酒が進んで色々と飲んでしまった自覚だけはある。きっと最後のワインがいけなかったんだろう。少しずつ酒を飲んだ辺りのことは思い出しつつあるものの、未だに泊まろうとなった経緯や、トレーニングをしようと言ったことは思い出せなかった。ただ、記憶はないものの、体が全体的に気怠いのも、下腹部に違和感があるのも確かで。やはり五条の言うように、夕べ自分は五条に抱かれたんだろうと思った。

(五条先輩も元気なかったな…)

結局、高専に着くまで無言のままだった。は実家に用があった為、すぐに寮へ戻ろうとしたが、五条が何かを言いかけてはやめるといったことが続いた。五条はどう謝っていいのか分からないといった様子だったので、の方が申し訳なく思ってしまったほどだ。

(せめて抜け落ちてるわたしの記憶が戻ればいいのに…)

そう思いながら家の正面玄関まで歩いて行く。でも、そこでふと気づいた。頑なに守って来た貞操を結婚相手でもない五条にあげてしまったことに対し、それほどショックを受けていないことに。ショックを受けるどころか、それを覚えていないことに対して落ち込んでいる自分の方に驚いた。

(何で…わたし…)

珍しく元気のなかった五条を思い出すだけで胸が痛む。

――を惚れさせるつもりでやる。

その時、いつか五条に言われた言葉を思い出した。

「…ありえない」

まさか、そんなはずはない。そう思うのに、それ以外、五条に体を許した理由が、には思い当たらなかった。