01.深夜の訪問者



恋とは消耗品と同じだ。出会った頃は毎日のように会いたいと恋心を募らせたりしたのに、時が経つにつれ、お互い新鮮なときめきも忘れて、好きだと言う気持ちを消耗した後は、目の前の存在が億劫なものに変わっていく。わたしの元カレも最後はそんな感じだった。いつかの結婚を夢見て付き合っていたはずが、わたしも最後はどうでも良くなった。ハタチの時から6年も付き合ったのに最後は呆気ない結末を迎えた。ただただ脱力しかない。これが結婚していたならば、もっと悲惨だったと思う。

汗に濡れた服が気持ち悪い――。目を覚ましてまず思ったことだ。ここ最近は熱帯夜のせいで夜中に目を覚ますことが多い。就寝用として使っている扇風機が面倒そうな音をさせながら気持ち程度の風を送ってくれるから、汗で濡れた首元が少し冷んやりとした。でも起き上がるとやっぱりじっとりとした蒸し暑さが襲ってきて、すぐに汗がじわりと浮き出る。隣には誰もいないベッドから足を投げ出し、床に落ちていた夏掛けの布団を踏みつけてベッドから這い出す。寝られない時は起きてしまうのが一番だ。扇風機の風を顔に当てると火照った顔が少し冷やされた。

タンクトップとパンツだけの格好でカーテンを無造作に開けると、裏の空き家の庭が見える。外灯すら当たらないその場所には今、ボコボコに穴が空いている。夜に見るとより不気味だ。前の住人が引っ越してからかれこれ2年は放置されてるその家は、きっともう誰も入らないだろうと思っていた。窓を開けて縁側に出るとタバコを一本吸う。外に出れば幾分かはマシで、少しだけ冷たい風が頬を撫でていった。ふわりと煙を吐き出しながら裏の家の庭に空いた大きな穴を眺めていると、先日コレを作った人物のことが頭に浮かんだ。

(変な子だったなぁ…かなりのイケメンだったけど。何だかんだで一時間近く話し込んだっけ)

彼の飄々とした言動を思い出しながら、また煙を燻らせる。

――また来てもいい?

なんて言ってたけど、多分それはない。何が悲しくて、若いイケメンがアラサーに片足を突っ込んだ女のところへ会いに来る?あんなのはその場の空気が言わせたような本心と言う名の嘘みたいなものだ。
それにしても背中に垂れた汗がタンクトップにへばり付いて気持ち悪い。

(シャワー入ろうかな…その方がスッキリして眠れそう)

タバコを灰皿に押し付けた後、干しておいたバスタオルを取って風呂場に向かう。きゅっと蛇口を絞ると冷たい水が勢いよく落ちて来る。シャンプーで泡立てて髪や頭皮を念入りに洗って、よく流してから、次に体の汗を流した。丁寧に洗って泡を流してから水を止めると、静かな風呂場にポチャンと水滴が垂れる音が響いた。この家もかなり古い平屋だから風呂もそれなりに古い。追い炊き機能は後付けみたいだけど壁なんかはカラフルなタイルが埋め込まれてるから昭和を感じさせる。まあその辺は気に入ってるけど。

バスタオルを体に巻きつけた格好で出ると、冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターのボトルを取り出して渇いた喉を潤す。気分的にはビールが飲みたいと思ったけど、さすがに深夜すぎともなると気が引ける。まあ、どうせ明日は会社も休みだからいいんだけど。彼氏と別れてから休日の予定は何もなかった。このまま歳をとっていくのかなと思うと、漠然とした恐怖が襲って来る。孤独死が怖いわけじゃなくて、もう誰かを愛せないかもしれないことが怖いのだ。

「あ、忘れてた」

開けたままの窓とカーテンに気づき、閉めようと手をかけた時。何の前触れもなく玄関のチャイムが鳴り、ビクっと肩が跳ねた。時計をチラリと見れば夜の0時半。こんな時間にチャイムを鳴らす人は一人しかいなかったけど、今は来るはずもない。他に心当たりもない。じわりと恐怖が忍び寄って来た時、ドアの向こうから「さーん」という聞き覚えのある声が聞こえて来てドキっとした。

「この声…この前の…」

と思いながら、つい自分の恰好を忘れてドアを開けていた。通り沿いの外灯を背に来客が逆光で浮かび上がる。スラリとした長身に、夜でも目立つ白髪の男。学校の制服なのか、変わった形の黒い服を身に纏い、深夜にも関わらず真っ黒なサングラスをかけている。思った通り、この前の男の子だ。

「わお、いい眺めー」
「え?あっ」

風呂上り、バスタオル一枚という格好だったのを思い出して慌ててドアを閉める。

「えっと…邪魔じゃなかったら入ってもいーい?」
「…ダ、ダメ!ってかちょっと待ってっ」
「僕はそのままでもいーけどー?」
「バカ言わないでよ」

ふざけた調子で言って来るから思わず突っ込みながらも、すぐにクローゼットから新しい下着を出して身につけた。でも風呂上りの寝る前にブラジャーはつけたくない。「ノーブラでいっか」と言いつつ、一応黒のタンクトップにショートパンツを穿く。そしてエアコンのスイッチを入れた。ざっと室内を見渡せば、とても片付いてる状態とは言えない。別に彼は赤の他人なんだし、いきなり夜中に尋ねて来る不届き者だから汚い部屋を見せることには何の抵抗感もない。

「どうぞー」

そう声をかけると、彼はニヤニヤしながらリビングに入って来た。ふと見ればテーブルの上にはさっき食べた裂きイカの袋とビールの空き缶が置いてある。彼を気にしたわけではないけれど、一応は片付けて、少し残ってた缶ビールの中身はキッチンのシンクに流した。彼はキョロキョロと部屋を見回しながらソファに座っていた。改めて室内で見ると、やっぱりかなり身長がある。

「何か飲む?」
「あー…うん。適当で」

冷蔵庫に高校生の飲めるような飲み物ってあったっけ?と思いながら確認すると、先週珍しく買ったコーラが入っていた。普段は飲まないけど夏はホントに時々無性に飲みたくなるから何本か買ってストックしておいたやつだ。別にこの前彼に言われたから買っておいたとかでは断じてない。多分。
コーラを2人分、氷の入れたグラスに注いでから彼に渡した。氷の鳴る音が冷房で冷えて来た部屋に数回響く。

「どーも」

彼はニヤっとした笑顔を浮かべながらサングラスをズラすと、隣に座ったわたしを見た。

「風呂上りだったんだ?」
「…まあ。例の如く暑くて起きて、汗が気持ち悪かったから。っていうか何しに来たの?こんな遅くに」
「何って、お姉さんに会いに来た。また来るって言ったでしょ」
「は?ほんとに?」
「っていうのは半分でー」
「何よそれ」
「まあ、近くでまた任務があって。通りかかったら電気点いてるの見えたから起きてるんだと思ったらつい足が勝手に」

彼はそう言ってヘラヘラと笑いながらグラスの中に残った氷をカラカラと回して黙り込んでしまった。確か呪術師?とかいう仕事をしてると話してたけど、こんな若いのに深夜まで仕事をさせるなんて、どんなブラック企業だよ、と思わず突っ込みたくなる。何となく気まずくて、わたしは立ち上がるとさっき閉めようと思っていた窓をまず閉めた。彼はわたしを黙って見ているだけで、何も話そうとはしない。さっきまでの明るさはなく。この前の夜と同じように、どこか寂しげな顔をしていた。わたしが何となく裏庭の方を眺めていると、彼がこっちにやって来るのが見えた。

「もうあれから何も出てこない?」
「んん?」
「ほら、この前みたいな呪い。教えたでしょ」
「ああ…うん。あれ以来、庭では見かけてないかも」

顔を上げないで応えると、閉めた窓をもう一度開けた。

「ほら、いないでしょ」
「…だね」

五条くんはその澄み切った空のような青い瞳で特殊なものがよーく見えるそうだ。今も闇を見つめながら「うん、この辺はもう大丈夫そう」とかすかに笑みを浮かべている。わたしは彼のその瞳から顔を逸らしてソファに戻った。

「えっと…五条…くんだっけ」
「何?」

彼、五条くんはそう言いながらわたしの隣に座ってコーラの入ったグラスを、艶々したくちびるへと運ぶ。やっぱり綺麗な子だなぁなんて思いながら、ほんとに何しに来たんだろうと首を捻る。こんな夜中に女の一人暮らしの家に突然やって来る高校生。これはどっちが非常識と言えるのか。彼なのか、それとも招き入れてしまった社会人で年上のわたしなのか。
そもそも彼と知り合ったのは10日ほど前の、今夜みたいな蒸し暑い夜のことだった。