02.世界なんてひとりきりで完結してる


わたしは子供の頃から"視える"側の人間だった。自分がそうだと気づいたのは近所のおじいさんが亡くなった時だ。お葬式をしている家の門の前に、まさにお葬式の主役とも言えるおじいさんが立っていた。最初は双子の兄弟かと思った。それともソックリな親戚とか、、それこそ息子だとか。でもアレコレ考えながら、そのどれもが違うと感じていたのは、おじいさんが薄手の浴衣を着ていたからだ。今は真冬なのに、夏の浴衣に足元は裸足。どう考えてもおかしい。そして極めつけは弔問客が誰一人、その存在に気づいていなかったことだ。

「この度はご愁傷様です」

家の人に挨拶をしている間も、すぐ横にいるおじいさんには目もくれない。いくら子供でもおかしい光景に思えた。極めつけは、私の見ている前でおじいさんは姿を消した。文字通り、何の前触れもなく忽然とその場から消えたのだ。何度も目を擦ってみたけど、数秒前までそこに存在していた人が消えたのを見た時は心底驚いた。そして家に帰って母親に自分の見たものを伝えた。

「アンタの見間違いでしょー?何バカなこと言ってるの」

母親は笑うだけで信じてくれない。あまりにあっけらかんと言われたので、わたしも幻を見たのかな、くらいに思えて来てしまった。だけどその後も事故の多い交差点を透け透けの人が歩いていたり、ただ立っていたりするのを見かけるようになって、少しずつわたしも気づいて来た。

"わたしは他の人には見えないものが視えるんだ"

それが世で言うところの幽霊なのかは分からない。でもこの世のものではないことだけは確かだ。現に友達に教えても誰一人、わたしと同じものが視える子はいなかった。逆に変なことを言うから不気味がられて、少しずつ友達は減っていく始末。何とも寂しい学生時代だった。
あげく大人になるにつれ、幽霊以外のものも視えるようになってしまった。それまでは人型のザ・幽霊と言いたくなるようなものばかりだったのに、ある日、異形のものが浮遊していることに気づいた。どう考えても人型の幽霊には見えず。どちらかと言えば妖怪のようなものに見えた。それは大小さまざまで、その辺の公園、学校、病院と、人が多く集まるような場所でよく見かけるようになった。目が合うとヤバい空気はあったから、いると気づいた瞬間からわたしは無になる。極力視界も狭めて、存在を消すようにその場から離れるよう心掛けていた。

でも先日の深夜。暑さで寝苦しい夜のこと。ふと目が覚めたわたしは乾いた喉を潤すのにベッドから抜け出した。冷蔵庫からミネラルウォーターを出して一気に飲むと、少しは火照った体が冷えていく気がした。ついでに裏の窓を開けて夜風に当たろうとカーテンを開けた。その時に視界に入ったのだ。青白い体をした異形の者に。

(あー…こんなとこにまで湧いてる…)

ソレを見た時の感想はこんなもんだ。裏の家は長いこと空き家で、時々若い子達が忍び込んではお酒を飲んで騒いだりしてるけど、侵入者がいない日は静かなもので、なかなかに不気味な家ではあった。わたしの家の庭と、裏の家の庭の間には目隠し目的でつくられた植木が仕切りのように存在している。けれども、それほど高さはなく。そしてその異形はとてつもなく大きかった。わたしの家も裏の家も平屋という二階のない家屋だ。その異形は裏の家の屋根辺りまであったのだから、人の倍以上の大きさだろう。でもわたしはこれまで視線を合わせないことで回避をしてきたせいか、それほど怖いとは感じなかった。カーテンを閉めてしまえば目が合うこともない。そう思った時だった。

「見~つけた!逃げてんじゃねーよ、雑魚が」

ハッキリと人の声が聞こえて、わたしは閉じかけたカーテンをもう一度開けてみた。すると裏の家の屋根の部分に人が立っているのが見えた。

(え、何あの人…何で屋根の上に?)

どちらかと言えば異形を見た時よりも驚いたかもしれない。しかも庭にいた異形が屋根の上にいる人物に向かって唸り声を上げたのを聞いた時は、さすがのわたしもギョっとした。異形VS人。こんな構図が目の前で繰り広げられている現実になかなかついていけない。しかも屋根の上にいる人間はかなり若く見えた。

(え、高校生…?着てる服は制服っぽく見えるけど…嘘でしょ。あの化け物と戦う気?)

その時、屋根の上の男が異形に向かって手を翳すのが見えた気がした。気がした、というのは次の瞬間、辺りが轟音と青い光に包まれて何も見聞きが出来なくなったからだ。どれくらい続いたのか、気づけば辺りは静けさを取り戻していて、わたしは塞いでいた耳から手を放し、そっと目を開けてみた。

「…え」

立ち上がって裏庭の方を見たけど、すでに異形の者はなく。代わりに芝生に大きな穴がいくつか空いているのが見えた。

「な…何…あれ…」

唖然として思わず窓を開けると庭先に出る。でも辺りはシーンとしていて、屋根の上にいた男の姿はすでにない。まるで狐に化かされたかのような気分だ。

「あーあー見られちゃったか」

その時だった、すぐ近くで人の声がしてビクっと肩が跳ねた。声のした方に視線を向けると、隣の庭に誰かがしゃがんでいたらしい。その人物はのっそりと立ち上がると、仕切り代わりの植木を乗り越え、わたしの庭へとやってきた。

「だ…だだ誰…っ」

あまり物事に動じないわたしでも、さすがにこの時間帯、それも見知らぬ男が家の敷地に入ってくれば恐怖心を抱く。目の前に歩いて来た男は思っていたよりもずっと若く、そして変わった髪色をしていた。しかも夜中だというのに真っ黒のサングラスをしている。

「あれ。呪霊を見てもビビってない感じだったのに僕にはビビるんだ」

その男はかなりの高身長で、思わず見上げてしまった。ケラケラ笑う男の様子を見ていると、何となくわたしに危害を加えるようには思えなかったせいか、彼の言った言葉につい耳を傾けてしまう。

「…は?じゅ…じゅれ?」
「呪霊。呪いだよ。さっきオバサンも見たでしょ。大きな化け物」
「…ッ誰がオバサンよ!わたしはまだ26だから!」
「26~?僕より8つも上じゃん。オバサンで良くない?」
「や、8つって…アンタ…18歳?高校生がこんな時間にウロウロしていいと思ってんのっ?」

年下だと分かると何故大人は強気になってしまうんだろう。この時のわたしもまさしくそれだった。今の時代、年下でも危ない奴は腐るほどいるというのに。でも不思議と目の前の男からはそれほど危険な香りはしなかった。

「ははは。高校生って何か平和な響き」
「はあ?」
「まあ…普通の高校生だったら補導もんだろうね。でも僕は高専の生徒だから」
「……こう…せんって何よ」
「え、オバサン、視える側の人なのに高専知らない?あーでもそっかー。術式ないみたいだし一般人のちょっと視えるだけの人ってわけね」

その男はぺらぺらと喋りだし、あげくまた人のことをバカにするような言葉を吐いた。苛立ちが増すばかりで、今すぐ警察に通報してやろうとした時、その男が言った。

「警察?無駄だよ。だって今日は警察からの依頼だし」
「は…?依頼って…」
「だから呪霊がこの辺で悪さしてるから近隣からの通報が絶えなくて困ってるって」
「そ、そのさっきから言ってるじゅ…じゅれ何とかって何よ」

警察から高校生に依頼するなんてある?と疑いの眼差しを向けつつ、気になったことを尋ねると、男は呆れたように「そこから?」と溜息を吐いた。
呆れてたわりに、その後は彼の呪霊という化け物講座が始まり、何故わたしはこんな夜中に見も知らぬ侵入者からファンタジーな話を聞かされなければいけないのかと首を傾げてしまう。ただ彼が普通の高校生じゃないことだけは分かる。現に警察から預かったという証明書みたいなものを見せられた。

「分かった?怪しいもんじゃないから」
「……(十分怪しいわよ」
「まあ例の如く"帳"下ろすの忘れた僕も悪いんだけど。まさかこんな時間に起きてる人がいるとか思わなかったし――」
「帳って…?」
「ああ、結界だよ。他から見えなくするね」
「…はあ。結界ね…」

ますますファンタジー。いや、ホラー?あの異形がまさか人間の念が作り出したものだったなんて、それはそれで本気で驚いた。

「ねえ、オバ――」

「え」
「アンタ、さっきから失礼。オバサンじゃなく、わたしにはという可愛い名前があるの」
「あー…そりゃ失礼」

ムスッとしながら名乗ったわたしを見て、男が軽く笑いを噛み殺している。最近の18歳は礼儀も知らないのか。いや、知ってたら人の家の敷地にズカズカ入り込んでこないか。

さんね。僕は五条悟」
「…五条、くん」
「まあ呪霊関連で何か困ったことが出来たら連絡してよ。はい、これ。僕のケータイ番号~♡」
「…は?いらないし」

五条と名乗った男の子は胸ポケットから名刺のようなものを出してわたしに差し出す。でもこんな怪しげな勧誘に乗ってたまるかと思いつつ、そっぽを向いた。そんなわたしの態度を見て五条くんは心底ビックリしたようだった。

「え、マジでいらない?これでも普段は女の子の方から教えて~♡って強請られるんだけど」
「何それ。モテるって言いたいわけ」
「まあモテるし実際」

彼はニヤリと口元に笑みを浮かべた。そう言われてマジマジと五条くんを見れば、確かに身長は高いしスタイルもいい。でもこんな胡散臭い子がそこまでモテるの?と思っていると、彼は思い切り吹き出した。

「疑ってる疑ってる!さん、思ってること全部顔に出るよねー」
「…な…」
「あ、一仕事したら喉乾いちゃった。何か飲み物ない?」
「はあ?」
「あ、出来れば甘いものがいいかな」
「………」

知り合ったばかりでズーズーしい、と思いつつ、さっきの化け物はあのままだとわたしのことも確実に襲ってたと言われれば文句も言えなくなった。とりあえずは命の恩人ということにしてあげよう。

「はい」
「え、何。この茶色い飲み物」
「夏は麦茶でしょ」
「えー僕はコーラとかミルクティーとか期待したんだけど」
「そんなものウチにないもの。わたし甘い物苦手だし。いらないなら――」

と彼の手から麦茶の入ったグラスを奪おうとすると、彼はサっと手を避けてそれを一気に飲み干してしまった。

「はぁー生き返る」
「…飲めるんじゃない」
「僕、飲めないなんて言ったっけ。おかわりー」
「……チッ」
「舌打ちは良くないよ、女の子なのに」
「さっきはオバサンで今度は女の子に昇格?呆れた」

溜息交じりで言いながらグラスを受けとると、また新しい麦茶を注いで彼に渡した。すっかり目が覚めてしまったわたしは缶ビールを飲む。縁側に並んで座りながら、麦茶とビールを飲む高校生の男の子と社会人の女。何だ、これ。昨日までのわたしの人生プランには入ってなかったメニューだ。

さんはこの家に一人で住んでんの?」
「え?あー…まあ。この前までは同居人がいたけど出てったから」
「へえ。彼氏?」
「……どうでもいいでしょ」
「あー彼氏なんだ。別れたの?」
「うるさいなあ…君に関係ないよね、そんな話」

人のプライベートに土足で踏み入ってるくるとはこのことだ。隣の男は「こわ」と言いながら笑っている。

「女の子は怖いとモテないよー?僕の先輩でもいっつも怒ってる人がいてさー。会うたび殺気丸出しで睨んで来るから参るよ、ほんと」
「はは。五条くんが生意気だからじゃない?想像つくわ」
さんも相当だけど」
「何が」
「そんなんだから彼氏、出てっちゃったんじゃないの」
「関係ないでしょっ」

ムカっときてつい声を荒げてしまった。ハッとしたけど、五条くんは特に驚いた様子もなく「あー寂しいんだ。だから機嫌悪いとか?女ってすぐ怒るよな」と笑っている。その台詞を、あの人にも良く言われたのを思い出した。約束したことをなかなか守らないとか、自分が言われるのは嫌な言葉を、他の人には吐けるんだ、とか。小さなことが重なると、だんだん我慢も限界にくる。だから最後は結局わたしが怒る形になっただけだ。

「怒りたくて怒る人なんてそんなにいないよ」
「…え?」
「わたしだって、可愛い女のままでいたかったし。ずっとそばにいた人が急にいなくなる寂しさなんて、君には分かんないよね」

これまで耐えてた心の重しみたいなものを吐き出すように言葉にしたら、少しだけスッキリしたのと同時に、わたしは寂しかったんだという事実に気づく。こんなこと彼に言ったところで仕方ないのに。でもどうせ五条くんのことだから「下らね」なんてバカにしてくるんだろうな、とそう思ってた。

「…五条、くん?」

いつまで経っても憎まれ口が聞こえてこないから、ふと顔を上げて隣を見ると、彼は何故か黙ったまま俯いていた。さっきまでの空気とは違う気がして、怒らせちゃったかなと少しだけ気まずい。これじゃただの八つ当たりだ。

「あの…五条く――」
「…分かる、かな」
「え…?」

思わず声をかけようとした時、不意に彼は顔を上げて夜空を見上げた。新宿からほど近いこの場所の空には星なんか見えなくて、今はただ真っ黒な絨毯が広がってるみたいだ。

「僕もさー。大事な親友、失ったんだよね、最近」

一緒に空を見上げていると、五条くんがポツリと呟いた。その声はさっきまでのふざけた感じのものじゃなく、どこか寂しい響きに聞こえる。

「…五条くんの…親友…?」
「僕が唯一認めた…信頼できる仲間でもあった。でも…アイツは訳の分からない理由を吐いて僕の手の届かない場所に行った…だから…さんの気持ち少しは分かるわ。だから…ごめん。失礼なこと言って」

まさか五条くんから謝られるとは思ってなくて、次に返すべき言葉を考えていなかった。何となく気まずくて縁側に両足を乗せるとそれを抱えるようにして座る。だいたい初対面の相手とする話じゃない。なのに何故か自然と互いに互いの心の傷を口にしていた。そう思うと何となくおかしくなって小さく吹き出したわたしに、五条くんも釣られて笑ったようだった。

「変なの…何話してんだろね。会ったばっかの他人に」
「…うーん、だからじゃ…ない?」
「え?」
「知らない相手だからこそ…人に言いたくないこと言えちゃうってやつ」
「あー…」

彼の言うことも何となく分かる気がした。全く知らない相手なら、変に後のことを気にすることもないし、例え恥ずかしいところを見られてもその場で終わる。わたしと彼はそれが可能な他人だから。

さんって仕事は何してる人?」
「小さな貿易会社の社長秘書」
「え、マジで?カッコいいじゃん」
「カッコ良くないよ。ほんと小さな会社だし社長秘書なんて聞こえはいいけど雑用ばっか。まあ、そろそろ辞めようと思ってるんだけどね」

溜息交じりで缶ビールを煽ると、五条くんは「何で辞めるの」とかけていたサングラスをズラして身を乗り出して来た。

「…………」
さん?」

顔を覗き込んで来た五条くんの顔を見て、わたしは一瞬だけ息が止まったかもしれない。ずっとサングラスに隠れていた彼の瞳は、この世のものとは思えないほど、綺麗だったから。

「おーい、さーん?聞いてる?」
「え、え?」

目の前でぶんぶんと手を振られ、ハッと我に返る。今わたしは完全に現実世界から飛んでいたかもしれない。

「どうしたの?」
「な…何でも…っていうか…五条くんって…ハーフ?」
「いや、違うけど」
「え…じゃあ目の色はカラコンか…ビックリした」

そうだ。このご時世そういう便利なものが発売されてるし、若い子の中でも見た目体型共にザ・日本人なのに目の色だけ日本人離れしてる子なんていっぱいいるじゃない。彼もきっとそれだ。ただ五条くんはスタイルも日本人離れしてるから一瞬ほんとにハーフかと思った。なのに五条くんはあっさり。

「いやカラコンでもないけど」
「えっ?」
「僕の目は特殊でね。それもあって生まれつきこの色」
「そ…そう…なんだ」

この後、簡単に説明されたけど「呪力」とか「六眼」とか、よく分からない話をされて、わたしはただただ頷くだけで精一杯だった。だいたい18歳の子に任務と称してあんな化け物狩りをさせてる学校があるってだけで驚きなのに、特殊能力みたいのを使えるとか、またしてもファンタジーな話を上乗せされたから余計にわたしの脳みそはパンク寸前だった。

「――ってことなんだけど…って、さん聞いてんの?」
「え?あ…う、うん…聞いてるけど…」
「ぷ…っその顏じゃよく分からないって感じだ」
「う…ご、ごめん」
「いやいいけど。それが普通だと思うし。まあさんは視える側の人だから話したけど、さっきも言った通り、呪霊を見つけたら速攻で離れた方がいい。まあ目を合わせないって方法はかなり有効だから今まで通りこれからもそうして」

五条くんはそう言いながら、ふと時計を見た。すでに午前2になろうとしている。知らない人とこんな時間まで話し込むなんて何やってんだろう。

「ごめん、遅くまで付き合わせて」
「ううん…明日は会社休みだし」
「そっか…」

五条くんは両腕を伸ばしながら立ち上がると「そろそろ帰るよ」とわたしを見下ろした。すでにサングラスを戻しているから綺麗な瞳は隠れていてよく見えない。

「じゃあ…」
「うん」

お互いその後の言葉が続かない。そりゃそうだ。今日会ったばかりの相手だし「またね」とか友達にする挨拶なんか言えるわけもない。ここはいたって普通に「さよなら」だろう。そう思って歩きかけた彼に「さよなら」と声をかける。その時、五条くんは足を止めて振り向いた。

「また、来てもいい?」
「…え?」
「眠れない夜があれば僕が話し相手になるから」

少し薄暗いところへ移動した彼の表情は良く見えない。目すら見えないから、どんな顔をしてるのかは分からないけど、声はどことなく真剣だった。

「な…何それ。わたしと話してたって退屈でしょ」
「いや、その逆で楽しかったし」
「た、楽しい…?」

そんなに楽しい話をした覚えはないぞと首を捻れば、五条くんがかすかに笑った。

「僕さぁ、ガキの頃からあんま呪術師以外の人と接したことないんだよね。だからさんと話してたら新鮮っていうか」
「ふーん…そんなもんか」

何となく分かるような気もしてそう言えば、彼は楽しそうに笑って「そう。そんなもん」と微笑む。でも現実問題、高校生の彼とOLのわたしは共通するものなんて何一つないのに。
でも彼の年齢なら、きっとこんな都会の片隅で会った女のことなんてすぐに忘れるだろう。今は親友を失ってひとりが寂しく感じるだけだ。でもその寂しさも忙しい日常に溶けてすぐに消えていく。それくらい十代の時間はめまぐるしく進んでいくから。

「いいよ、来ても。ひとりが嫌な夜があれば」

だから――そうは言っても、また彼が来るとは思っていなかった。

「じゃあ、今度来る時は可愛いブラジャーでも買ってきてあげるよ」
「……は?」

またしても一瞬だけ時が止まる。わたしの聞き間違いだろうか。今、彼はブラジャーって言った?ふと彼を見上げれば、五条くんの口元には綺麗な弧が描かれていて。明らかにニヤニヤしている。

「だってさん、色気のない下着干してるし――」
「え?あ!」

彼の指さす方へ視線を向ければ、部屋干しにしている洗濯物がカーテンの隙間から見えてしまっている。慌てて立ち上がると、それを隠すように窓の前へ立った。部屋の中に干していたからすっかり油断していたことを後悔する。

「い、いちいちそんなとこ見ないでよ」
「いや、だって見えちゃったし。ってか26なんだから、もっと色っぽいの選べばいいのに」
「うるさいなぁ。毎日つけるものに色っぽさを求めないでよ。普段用なら楽なのがいいの。これだから男は…」
「へえ。じゃあさんも勝負下着はあるんだ」
「は?」
「ああ、でも僕が可愛いの買ってあげても彼氏いないから使い道ないか」
「……っ!(コ、コイツ…やっぱ生意気!ちょーっと人より顔面偏差値高いからって!)」

ヘラヘラ笑う五条くんは本当に憎たらしい。でも悔しいけど何も言い返せないから余計に腹立たしいものがある。

「勝負下着とかいらない。もう誰とも付き合う気ないし」
「え、その若さで?」
「さっきオバサン扱いしたくせに」
「いや、だって最初に見た時は寝癖ついてて色気のないTシャツ着てるし、一瞬そう見えたからさ」

あまりにドストレートにディスられて呆気に取られる。確かに色気も何もないのは自覚してるけど、いちいち指摘しなくたっていいのに。

「うるさいなあ。寝る時はこんなもんだよ、どんな美女でも!毎回毎回可愛い恰好してる子なんてほんの一握りか十代の女の子くらいだから。仕事してると色気より楽な方に走りたくなる日が来るのっ」

って、わたしも何ムキになってるんだろう。相手は8つも年下だっていうのにバカみたいだ。五条くんは見惚れるくらい綺麗な顔立ちで、身長もあるしスタイルもいい。きっと望むものは何でも手に入れそうな空気を感じる。っていうかいい香りまでするし、完璧かと突っ込みたくなるくらいに完璧だ。話に聞けば呪術師の中でも、いやこの世界で人類最強だと豪語してたし、わたしみたいな一般ピーポーの漠然とした将来への不安とか、世の中の不条理に対する憤りとか、そんな心情は分からないはずだ。自分を磨くこともお洒落に対する熱も忘れて、生きることに必死になってしまう年齢が必ず来る女の弱ささえ。ああ、生きるって面倒だなって、ふと思う瞬間が大人には沢山あるんだよ。

「…ごめん。わたし、もう寝るね。ああ、じゅ…れい?祓ってくれてありがとう。じゃあ、お休み」

一方的に言って窓から部屋に入ると、ふわりと夜風が吹いて髪がサラサラ頬をくすぐっていく。深夜を過ぎて、だいぶ寝やすい気温になってきたようだ。

「また来るよ。お休み、さん」

窓を閉める瞬間、そんな声が聞こえて、今日会ったばかりの不思議な男の子はそんな言葉と柔らかい香りを残して帰って行ったらしい。振り向くとそこには誰もいなくて、いつもの静けさが戻っていた。彼は本当にいたんだろうか。寂しさが見せる幻だったんじゃないかと、つい疑ってしまう。

「ふぁぁ…眠い…」

ひとりになった途端、欠伸が連発で出てしまうくらい睡魔に襲われる。彼が出て行ってからは色々と考えてしまうせいか、自然な睡魔はなかなか訪れなかったというのに、今夜は久しぶりに眠たいと感じる。これならぐっすり朝まで眠れそうな気がした。
寂しいなんて言ったところで、そんなものは日々を過ごしていくうちにすぐ慣れる。元々人間なんて生まれる時も死ぬ時もひとりなんだから。
そう思えば、このひとりきりの夜も、乗り越えていけそうな気がしていた。