真っ黒な夢でこんにちは-01
ここへ放り込まれたのはいつだったろう。気づけばおかしな死滅回遊に参加させられていた。人間の形をした凶悪な奴らが普通に殺し合いをしている。いつもの日常と変わらない街なのに、そこはすでに戦場のようだった。破壊音、血の匂い、悲鳴、あらゆる非日常が目の前にある。どこもかしこも、殺意という悪意あるもので満ち満ちていた。
気づけば自分の手が痺れていることに気づいた。たった今、襲われかけたせいだ。術式なんてものを持っているせいで、こんな場所に放り込まれたことを心の底から呪いたい気分だ。
このおかしな状況は、きっと呪術師が関係してる。彼女もそれは分かっていた。
――元、高専生である彼女には。
いつものように仕事から帰宅後、お風呂に入って夕飯を食べて明日のデートの為、早々にベッドへ入った。以前から好意を寄せていた営業部の彼に食事に誘われたのだ。つい気合を入れて念入りに肌のケアをしてしまうのは仕方のないことだった。ここ最近は物騒な事件が世間を騒がせているのは知っていたが、平穏に暮らしていた彼女には遠い対岸の話であり、つい最近、渋谷でおかしな事件があったのをニュースで知った時は呪霊の仕業だと分かったものの、だいぶ前に呪術師をやめていた彼女は特に気にもしなかった。何があってもどうせ"最強呪術師"である男が対処して解決するだろう。当然のようにそう考えていた。まさかその最強の男が封印をされ、その結果生じた最悪の結末など知るよしもなく、彼女は呑気にこの日も深い眠りについたはずだった。
夜、夢の中に変な男が現れた。額に傷のある、袈裟姿の髪の長い男だった。どこかで見たことがある気もしたが、思い出せない。その男が言った。
《おや、君もなかなか面白い力があるね。術師ではないようだけど…あの男と相性が良さそうだ…。どうだろう。暇つぶしにゲームでもしないか?》
《あなたは…誰?》
《ただの通りすがりだよ。この場所は選ばれたんだ。ゲーム会場に》
《何で…私の家が会場に…?でも…面白そう》
最近は"e-sports"なるものも流行ってるし、それと似たようなものかな。彼女はそう思った。それにどうせ夢なのだから好きに遊べる。
《なら決まりだね》
袈裟の男はニッコリ微笑むと、彼女の手を引いて暗闇を歩き出した。リアルな夢だと思いながら、引かれるがまま、彼女は彼に着いて行く。
《さあ、ここからは君ひとりで行くんだよ》
《え、行くって…どこへ…?》
《好きなように中を歩けばいい。そうすれば自ずとやることが分かって来るさ》
その言葉だけを残し、袈裟の男は姿を消した。そして意識がハッキリした時、そこは自宅の寝室ではなく、何故か見慣れた街中。これも夢?と思っていたところへ、いきなり攻撃が飛んで来た。コンクリートの道路が抉られ、破片がバラバラと飛んで来る。それが体に当たって痛みが走った。
(え、痛い…リアル過ぎじゃない…?)
見れば腕や足に傷ができて血が滲んでいた。
「え、嘘でしょ…?」
呟いた刹那――目の前に2人の男達が舞い降りた。
「おい、女!オマエは泳者か?」
「…は?プレイヤーって…え?」
「つーか、そんな恰好で参加してんのかよ。呑気な女だな。一般人か?いや…呪力はそこそこあるか」
男のひとりに言われて自分の姿を見下ろす。普通にパジャマ姿で裸足だった。当たり前だ。家で寝ていたのだから。
「…え、これ…夢じゃないの…」
「へへ…オマエ、入ったばっか?ルールも分かってねえような顔してんじゃん」
「かーわいいねぇ。オレらがいたぶってやるよ。まずはその色気のない服を剥いで――あ…っおい!」
ジリジリと詰め寄って来る男達を見て、体が勝手に動いた。本能的なものだったのかもしれない。
「待ちやがれ!」
いきなり逃げたに驚いたのか、一瞬呆気に取られていた男達もすぐに追いかけて来る。訳が分からないが捕まればやられる。本能がそう囁いていた。
穴ぼこだらけの道路を走り、ひっくり返った車を遮蔽物にしながらは走った。こうしていると呪術師をしていた頃を思い出す。あの、忌々しい日々を。
(何でこんなのに巻き込まれたの…?)
走りながら考えたが、思い当たるとすればあの男しかいない。額に傷のある袈裟を着た男。あれは、アイツは――。
「きゃ…っ」
の近くに大きな攻撃が飛んで来た。爆風で前へ飛ばされ、コンクリートの上を転がる。全身に痛みが走ったが、土煙の中すぐに起き上がり、再び走り出した。その時視界に入ったビルとビルの隙間へ滑り込む。大きな室外機の陰に身を隠し、肩で息をしながらも術師をしていた頃の経験を活かし、気配を断った。体中あちこちが痛む。特に裸足のまま走ったせいで足の裏が擦り切れ、ジクジクとした痛みがあった。だが幸いにも大きなケガはしていない。
「どこ行きやがった?!」
「気配を探れ!」
追って来た男達の罵声が聞こえる。さっきの攻撃で舞う土煙が目隠しの役割をしてくれたらしい。がここへ滑り込んだのは男達に見えなかったようだ。室外機からそっと顔を出して大通りの方を確認すると、すぐ近くをウロついているのが見えた。
(この場所は都合がいいかも…)
細い路地。もし男達が追って来るにしても一列にならないと通れないだろう。もし入って来たらその時は――。
「おい、そこの女」
「―――ッ」
突然背後から声がして、は小さく息を飲んだ。後ろはノーマークだった。振り向きもしないまま、すぐに逃げようとしたが、先に後ろの男の手がの腕を掴む。その時、瞬間的に自身の術式を発動した。は特異体質であり、体内をめぐる呪力は電気と同質。術式を付与して高電圧を発生させることが出来る。要はスタンガンと似た原理だ。普通の人間ならば軽く感電させることが出来る。この一撃で背後の男を気絶させたつもりだった。なのに――。
「え」
「あ?」
何の手ごたえもないことに気づき、は唖然とした顔で振り向いた。そこには派手な青緑色の髪をした背の高い男が立っていた。感電させたはずなのに未だの腕を掴んでいる。
「オマエ…今の」
「な…放してっ」
男も何故か驚いた顔でを見下ろしている。そこへさっきの男達が割り込んで来た。
「おー?そこにいたのか!」
「つーかカモがひとり増えてんじゃん」
細い通路を男ふたりが歩いて来る。前の男達と後ろの男は仲間ではないようだが、挟まれた――そう思った時、背後でバチバチと音がして青白い光が走った。
「え…」
一瞬にも満たない時間で、前にいた男ふたりは通路に重なるようにして倒れていた。は何もしていない。ということは…
「おい、オマエ」
「…あ、あんたがやったの?」
「あ?当たり前だろ。アイツら泳者だ」
「…泳者?」
またその名が出て、眉間を寄せれば、目の前の男が冷めた目で「オマエも泳者か?」と訊いて来た。一体何なんだ、とは思った。夢の中では確かにゲームに誘われた。でもこんな危ない遊びに参加すると知っていれば断ったのに。というかあの袈裟の男は何者なんだ。短い時間にそんな答えの出ないことを考えながら、目の前の男を睨みつけた。自分の攻撃をまともに喰らったはずなのにピンピンしているのも違和感があった。
「女、応えろ。オマエも術師なんだろ?」
「…ち、違う!私はただの一般人――」
「のわりに、さっきオレに攻撃したよなァ?」
「あ、あれは…っていうか攻撃喰らってないじゃないっ」
男の服を見ても焦げついてさえいない。そんなに手加減した覚えはなかった。
「あー何か知らねえけど…オマエの攻撃、オレが吸収した気がすんだよな」
「は?」
「コガネ」
《はい!》
男がおかしな名を口にしたと思った瞬間、背後に変な生き物が現れた。低級呪霊の蠅頭のような形をしたソレは矢印型の尻尾を生やし、男の横にふわふわと浮いている。
「この女、泳者か?」
《泳者デス!》
コガネと呼ばれた生き物が応えたと思えば、男が一気に殺気を放つ。同時にも瞬時に攻撃を仕掛けた。男の拳との放つ電圧がぶつかり合った。と、思った刹那、蒸発するように互いの攻撃が相殺された。
「え」
「やっぱな」
男はニヤリと笑みを浮かべ、いきなりの首に手をかけると、壁に思い切り押し付けた。
「…くっ…放し…てっ」
「オマエも特異体質ってか?オレと似たような力してやがる」
強い力で首を絞められ、呼吸が出来ない。空気を求めて開いた口からは声も出せず、は意識が遠くなっていくのを感じた。同時に体内から力を奪われて行く感覚があった。
「へえ、なるほどね。こりゃ便利だわ」
男の声がかすかに聞こえた時、は意識を失った。