どうせただの戯れ-04



「おー何か知らねえけど部屋がいっぱいあんぞ」
「……は、入ってしまった…。彼氏でもない男と…」
「あ?何か言ったか?」
「べ、別に…」

笑って誤魔化しながら、無人のホテル内を探索した。多少気まずいものの、幸い部屋はたくさんある。一つの部屋を二人で使うわけじゃないのだから意識する必要もない。

「お、風呂もあるじゃん」

適当な部屋を見つけて入った鹿紫雲はキョロキョロしながらバスルームを覗いている。風呂と聞くともお風呂へ入りたくなった。夕べはアジト近くのビジネスホテルでシャワーを済ませたが、やはりビジネスホテルはユニットバスの為、狭くて湯に浸かることも面倒なのだ。

「あ、じゃあ…わたしはアッチの部屋を使うね」

鹿紫雲が入った部屋の向かい側の部屋にが行こうと歩き出した、その時。ぐいっと腕を掴まれた。

「何言ってんだ。オマエはオレのそばにいろ」
「…え?」
「ひとりになったら危ねえだろが。ここだって誰が入ってくるか分かったもんじゃねえぞ」
「あ、いや、でも…」
「あ?何か文句あんのかよ」
「……な、ないです」

鋭い目に睥睨され、は口元を引きつらせながらも渋々頷いた。鹿紫雲がたまたま選んだ部屋はランクの高い部屋なのか、全体的に豪華な造りだった。最近流行りのお洒落でラグジュアリー感満載なホテルであることは間違いない。あちこちトロピカルなオブジェが飾られ、どこかのリゾートにでも来たような気持ちになる。

「チッ。なーんかどこもかしこもケバケバしてんなぁ。何だ?この宿は」
「……さ、最近こういう派手なの流行ってるんじゃないかな」
「フーン…ああ、オレは風呂入るからオマエ、入口を見張ってろ」
「え、わたしもお風呂入りたい…」

無駄だと知りつつ、つい言ってみたものの、案の定鹿紫雲はジロリと睨みつけて来るだけだ。

「見張りは大事だろ。オマエはオレの後に入ればいいだろが」
「……そうします」

むっと口を尖らせながら渋々頷いたは、一応部屋の鍵をかけておいた。こういう形が残っている宿泊施設は他の泳者も利用するので、鹿紫雲の言うことに間違いはない。ただ、やはりレディーファーストの"ファ"の字も知らない鹿紫雲の態度に、は項垂れるしかなかった。

「まあ分かるけど…!大昔の人なんだし、男尊女卑なんて当たり前の時代だったんだろうし、こういう扱いされるのも分かるけども!でも少しは女の子を労わるとか優しくしようって気持ちないのかな、鹿紫雲くんはっ」

これまでの不満が一気に溢れ、ブツブツ言いながらベッドへダイヴをした。すると体がふわりとしたものに包まれる感覚で、「なに、このふわふわ」と思わず笑顔になる。疲れた体には沁みる柔らかさだ。

「はあ~最高の寝心地…今夜はここに泊まりたい…」

鹿紫雲は戦闘中、あちこち移動するので毎日アジトのデパートに帰るわけではない。その都度、遅くなれば近くの民家や休憩できそうな場所に泊まることもあった。
その時、腹が鳴っては空腹だったのを思い出した。

「あぁ…お腹空いた…このホテル食べ物とかあるかな…」

体を起こし、ベッドから降りると、はテーブルの上にあるメニューらしきものを手に取った。そこには飲み物やフードのメニューが載っていて、軽食などの写真もあった。

「やっぱり厨房とかありそう。あとで見に行ってみよ」
「どこ行くって?」
「あ、鹿紫雲くん――」

風呂に入り終わったのか、突然背後から鹿紫雲の声がした。が振り向く。次の瞬間、目が飛び出そうなほどに驚いた。

「き…きゃぁぁっ服!服着なさいよ!何で全裸なのっ?!」

バスタオルで髪を拭きながら歩いて来た鹿紫雲は何も着ていなかった。はすぐに背中を向けると、「はあ?風呂上りなんだから当たり前だろ」と本人は至って呑気に笑っている。

「か、仮にも女の私の前で失礼でしょっ」
「失礼って何がだよ」

鹿紫雲は全く動じる気配もなく、全裸のまま「あちーな、この部屋」とベッドに座った気配がした。はそのまま鹿紫雲の方を見ないようにバスルームへ行くと、そこに用意されているバスローブを手にして、それを鹿紫雲の方へ放り投げた。

「せ、せめてそれ着て!風邪引くしっ」
「あちーんだよ、オレは」
「いいから着てよっいい?わたし、お風呂入って来るからっ」
「あ、おい――!」

一方的に言いたいことを言ったはすぐにバスルームへ飛び込むと、中から鍵をかけた。今更ながら心臓がバクバクとうるさいほど早鐘が鳴っている。

「な…何考えてんの、アイツっ」

一瞬だけ視界に入った逞しい身体と、足の間に何か揺れていたもの――直視できなかった――を思い出し、顏が熱く火照って来た。これまで鹿紫雲と行動を共にしてきたものの、粗暴な性格だけに強いボディガードという対象でしか見ていなかった。なのに、いきなり男を意識させられ、動揺してしまったのだ。

「ダ、ダメだ…意識するな…アイツは過去の呪術師であって現代の人間じゃないし、呪物なんだから…」

一応、元呪術師のはしくれであるもその意味くらいは分かっている。呪物は特級に指定されている危険なものだということも。とはいえ、受肉した呪物には自我があり、もちろん心も感情もある。肉体がある以上、人間と何ら変わらないのが困りものだ。

「はあ…早く家に帰りたい…」

ゲームに参加するなんて言わなければ良かった、と今日まで何度も後悔したが、また今も同じ気持ちが襲って来る。と言ってもの自宅マンションは死滅回遊のフィールドに入ってしまっていることは袈裟の男の言葉で理解していた。無事であって欲しいと願いながら、明日様子を見に行くだけでも鹿紫雲に頼んでみようかと思った。

「原型があればいいけど…」

溜息交じりでシャワーを出し、今日一日の戦闘で汚れた髪や身体を丁寧に洗った。そしていざ出ようと思った時、着替えの入れたバッグをベッドの脇に置いて来たことを思い出す。

「ウソでしょ…」

一応、外に行く時は何があるか分からないので多少の着替えは持って歩いていた。そのバッグが今、鹿紫雲のいる部屋にある。

「どうしよう…」

キョロキョロと見渡しても、ここにあるのは先ほど鹿紫雲にも渡したもうひとつのバスローブのみ。は仕方ないとそれをキッチリ着込むと、バスルームを出た。

「あれ…?」

そこに鹿紫雲の姿はなかった。

「鹿紫雲…くん?」

随分と年上の相手にくん付けもないものだと思うが、受肉体はどう見てもと同年代か年下くらいだ。つい見た目の印象で決めてしまいがちなのは仕方がない。姿かたちは生前の若い頃の自分と変わらないとも鹿紫雲は話していた。400年前にもイケメンは存在したのか、と感心してしまったくらい、鹿紫雲は言ってみればかなり端正な顔立ちをしている。あれで粗暴でなければ、も多少好意的な印象を持っただろう。

「いない…」

広い部屋ではあるが、鹿紫雲がいないのは一目瞭然だった。あの恰好でどこに行ったんだろうと首を傾げる。

「まあ…今は一般人もいないし全裸で外に出ても警察に捕まることはないか…」

鹿紫雲がどこへ行ったのかは知らないが、とにかく今のうちに着替えてしまおうと、は自分のバッグから下着や服の代えを出して、バスローブを脱いだ。

「おーいい眺め」
「―――ッ?!」

突然、背後から声がしては心臓が飛び出そうなほどに驚いた。咄嗟に脱いだバスローブで胸元を隠し、布団の中に潜り込む。

「何だよ。隠さなくてもいいだろ」
「ななな何で急に戻って来るんですか!」

布団の中から文句を言うと、鹿紫雲は笑いながら手に持っていた物をテーブルに置いた。今は全裸ではなく、先ほどが放り投げたバスローブを羽織っている。

「下に食いもん探しに行ってたんだよ。腹減ったって言ってたろーが」
「え…?」

食べ物と聞いて、もそもそと顔だけ出した。テーブルの上にパンや缶詰、他にレンジで温められそうなパスタの類が置いてある。それを見た瞬間、の腹が鳴った。

「何してんだよ。食わねえの?」
「た、食べるけど…あっち向いててよ」
「はあ…ったく…んなもんサッサと服着て出りゃいいだろ」
「み、見られてたら着替えられないし…!」
「ふーん…」

鹿紫雲はベッドの方へ歩いて来ると、を上から見下ろした。その顏は楽しげな笑みが浮かんでいる。

「な…何よ…」
「オマエ、オレに襲われるとか思ってんのかよ」
「は?そそ、そんなこと思ってないし…っ」
「じゃあオレが見てようが気にしないで着替えろよ」
「な…何それ…イヤに決まってるでしょ――」

と言った矢先だった。何を思ったのか、鹿紫雲はが被っている布団を一気に剥いだ。

「…何するの!」

慌てて起き上がり、バスローブで身体を隠しながら後ずさると、鹿紫雲はニヤニヤしながら這うようにベッドへ上がって来た。

「そんなに意識されると…オレもその気になっちまうけど、いいのか?」
「……は?」
「この世界じゃ闘争欲しかねえと思ってたけど…こうして目の前に裸の女がいると、やっぱそっちの欲も出て来るもんだな」
「や、何…来ないでってばっ」
「オマエ、さっきからオレのこと煽ってるって自覚あんの?」
「きゃ…っ」

少しずつ近づいて来た鹿紫雲がの方へ手を伸ばし、ベッドへ体を押し倒す。抵抗しようとした両腕はあっさりと片手で拘束され、の頬が僅かに引きつった。薄暗い照明の中に、の白く滑らかな裸体が晒され、羞恥で顔が熱くなる。

「へえ、綺麗な身体してんな」
「み、見ないでよっ!放して!」
「さっきもオレの身体、見たろ」
「…そ、それは…」

最もなことを言われ、言葉に詰まった、ついでにその時の光景を思い出し、ますます顔に熱が集中していく。

「どうだった?」
「…なな、何が――」
「オレの身体」
「し、知らない。そんなにじっくり見てないしっ」

ニヤニヤしながら訊いて来る鹿紫雲からプイっと顔を反らす。早くこの体勢から脱出しなければ、と思うのに、鹿紫雲の力が強すぎて全然振り払うことが出来ない。心臓がドキドキと音を立てるせいで息苦しい。

…こっち見ろよ」
「ちょ…近い…っ」

ぐっと顔を近づけ、互いの吐息がかかるくらいの距離で囁く鹿紫雲に、は強く目を瞑った。鹿紫雲の手が滑るようにの脇腹を撫でていく。そのやんわりとした刺激で軽く身震いした。

「やめて…っ」

無遠慮に肌の上を這う手のひらに、羞恥心が煽られる。逃げ出したいのに思うように身体を動かせない上に、顔を背けたことで露わになった耳元にくちびるを押しつけられた。鹿紫雲の濡れた髪が頬を撫でていく。冷んやりとした感触が伝わり、これが現実なのだと知らしめてきた。

「ん…っや…」

冗談ではなく、本気で抱こうとしているのかと少しだけ怖くなる。ぎゅっと目を瞑って覆いかぶさって来る鹿紫雲から逃れようと、必死に身体を捩った。

「……?」

身体にかかっていた重みがなくなり、そっと目を開けてみると、鹿紫雲は髪色と同じ翡翠のような瞳を僅かに細めてを見下ろしていた。

「やっぱ…やめだ」
「……っ?」
「嫌がる女を抱く趣味ねえんだよ」

鹿紫雲は軽く舌打ちすると、の上から避けてベッドの上に寝転んだ。が慌てて鹿紫雲から距離を取ると、煩わしげに睥睨して「散々煽っておいて被害者ヅラすんな」と悪態をついてくる。

「あ、煽ったつもりは…」
「あ?あんだけ男をその気にさせておいてよく言うな。現代の女、こえー」
「そ、そっちが勝手に盛ったんでしょ…っ」
「どうでもいいけどサッサと服着ろ。また襲われてえのかよ」

指摘され、はハッとしたようにバスローブを手にすると、素早くそれを身につけ、着替えを抱えてベッドから飛び降りた。そのままバスルームへ飛び込むと、ドアを背にずるずるとその場に座り込む。さっきの余韻で心臓が痛いくらいに鳴っていた。

「な、何よ、アイツ…あんな目しちゃって…」

鹿紫雲が一瞬だけ見せた、情欲を孕んだ目。あんな目で見つめられたら、どうにかなってしまいそうだった。

「はっ…ち、違う違う…わたしが好きなのは笹谷さんだもん…」

笹谷とはが死滅回遊に参加させられた次の日、デートをする約束だった同じ会社の男だ。結局ここから出られないことで行けなった。きっとすっぽかしたことになっているだろう。

「はあ…せっかくデートに誘ってもらえたのに」

とはいえ、今日まで忘れていた。今、の脳内を締めているのは、忌々しい鹿紫雲のことだ。乱暴で口が悪くて態度も最悪。初対面からしてそうだった。散々の力を利用しては人を殺していく危険な過去の呪術師。なのに、さっきから静まらない鼓動に、は戸惑っていた。