お前は世界を許せるか?-08




"オマエを苦しめている過去のことを話せ"

心の傷を誰かに聞いてもらうことで、痛みがほんの少し和らぐことがある。自身、あの一件があってから自分の心を人に話すことは一度もなかった。
異変を感じ取った四年生が現場に駆け付けた時には、以外の生徒全員の死亡が確認され、肉片の散乱した場所で半狂乱になっていたは入院を余儀なくされた。
三年生を襲った一級呪霊は、が無意識に飛ばした電撃で動きが鈍っていたところを四年生の生徒が祓ったようだ。後で担任の五条からそう聞かされても、は素直に喜べなかった。

みんなが死んだのはわたしのせい――。

ポツリと言ったに、違う、と言う五条の言葉は届かなかった。
体力が回復しても、祓徐の任務にすら行けない状態が続き、内勤に回された。現場に出るのは無理だと判断されたのだ。補助監督のサポート的な仕事を回されたは、遂に卒業まで祓徐の任務に出ることはなかった。一年が過ぎ、だいぶ精神的にも落ち着いて来た頃、進路を決める時期になり、は五条に言った。

「わたし、呪術師にはなりません。卒業したら普通の会社に就職します」

決意の固いの目を見た五条は「分かった」としか言わなかった。心が折れた人間に、これ以上無理強いは出来ない。そう思われたのかもしれない。

「まあ…僕としては優秀な生徒が呪術師にならないのは悲しいけど、が決めたことなら応援するよ」
「優秀って…嫌味ですか」

これまで自分に呪術師の才能があると感じたことはない。思わず吹き出すと、五条は至って真面目な顔で「いや、オマエの力は鍛え方次第で強くなると僕は思ってる」と言った。

「呪力が特殊だし、術式を上手く応用すれば、かなり強力な武器になると思う」
「またまた…そんなこと言っても気持ちは変わりませんからねー!わたしは普通の会社に入って恋もしたいし結婚だってしたいもん」

五条の言葉が嬉しかった。訓練を受けていた頃は、言ってはもらえなかった言葉だ。でもこの時のに戦える気力は残っていなかった。
のおどけた言葉を聞いて、五条はふと笑みを浮かべた。

「…そんなオマエの未来を、僕らが守るよ」
「…五条先生…」

はそこで初めて五条も傷ついていたのだと気づいた。強い人だから、生徒が数人死んだところで何も感じていないんだろうと、そう思っていた自分を恥じた。

「塔子ね、絶対一級術師になって五条先生を見返すんだって言ってたの…。それで先生よりカッコイイ人を見つけてやるって」
「はは、僕よりカッコイイ男なんているはずないでしょ」
「わたしもそう言った」
「へえ。よく分かってるな、は」

五条が得意げな顔で笑う。

「でもわたしは見つける」
「え?」
「先生より、数倍カッコ良くて優しい人。一級術師の夢は無理だけど…もう一つの塔子の夢は、わたしが叶える」
…」

五条は困ったような笑みを浮かべて言った。オマエはオマエの人生を歩んでいいんだよ、と。

鹿紫雲に話しながら、はそのことを思い出した。
――わたしは自分の人生を歩めているんだろうか。
そんな思いが過ぎる。高専を卒業しても、自分だけが生き残ってしまったという思いは消えない。平和な日常に身を置き、普通の人達と仕事をして、少しずつ過去の記憶が薄らいでいっても、この生活は仲間の犠牲の上に成り立っているという思いは消えなかった。それでも数年が経ち、最近やっと悪夢を見なくなっていたというのに、そんな時に袈裟の男が現れたのだ。

鹿紫雲は黙っての話を聞いていた。想像した通り、は仲間の死を引きずっている。仲間の死が、自分のせいだと思い込んでいる。そうではないのに、仲間を救えなかった罪悪感から、その死の理由をどこかで自分のせいだとすり替えてしまったのだ。話し終えたは、どこか遠くを見ているような目で、窓に打ち付ける雨を眺めていた。

「…仲間の死は、オマエのせいじゃない」

呆れたように息をつき、鹿紫雲が言った。ゆっくりと、は視線を鹿紫雲へ移す。その顏は何を言っているんだという非難めいたものだった。

「もう一度言うぞ?仲間の死は、オマエのせいじゃない。突発的に起きた事故みたいなもんだ」
「…事故?」
「呪霊が現れるのに規則性はない。言ってみれば突然走って来た大型トラックに轢かれるようなもんだ」
「何よ、それ…」
「事実だ。オマエは自分のせいだと思い込んでるみたいだが、そもそも呪術師をやっている以上、どうしたって死とは隣合わせだ。それを理解して呪術師は戦う。その覚悟が必要だ。それでも死んだなら、それは誰のせいでもなく、自分のせいだ。弱いせいだ。誰のせいでもない。だから――オマエが自分を責める必要もない」

鹿紫雲は真っすぐにを見つめた。その鋭い視線には飲み込まれそうになる。だが鹿紫雲の持論は強者の思考だ。

「それは…鹿紫雲くんが強いから言えるんだよ…わたしみたいな弱者は――」
「オマエは弱くない」
「……え?」
「力の使い方を知らないだけだ」
「力の…使い方…?」

寝転んでいたが上半身を起こすと、鹿紫雲はベッドの上に胡坐をかいた。

「そうだ。お前の呪力はオレと同様、電気と同質。術式は違っても体に帯電させた呪力に術式を加えて発散させるパワータイプ。いくらでも応用は効く。体術なんかも加えれば何通りの戦い方が出来るんだよ」
「……へえ」
「オマエ…分かってねえな…?」

キョトンとした顔で自分を見ているの様子に、鹿紫雲の口元が引きつる。指摘されたはえへへっと笑って誤魔化し、「まだ暗いし寝ようよ」と再びベッドに寝転んだ。呪術師はすでにやめたのだ。今回こんなゲームに参加しなければ、戦うことなどない平和な世界で今も普通の暮らしをしていたはずだ。今更この力を強くしたいとも思わない。自分はただ鹿紫雲に力を与え、早くこのゲームから抜け出したい。それだけだった。



不意に名を呼ばれ、が目を開けた時、鹿紫雲が突然覆いかぶさって来た。

「ちょ…」

顔の横に手を置かれ、視線を上げれば真上から見下ろされる。その端正な顔立ちを間近で見て、の頬が熱くなった。

「な、何よ…どいて――」
「オレがお前に戦い方を教えてやる」
「……は?」
「は?じゃねえ。戦い方を教えてやるって言ってんだ」
「な…なな何いきなり…わたし、戦いたくなんかないんだけど――ちょ、近い…っ」

一気に距離が縮んで鼻と鼻の先が触れ合う。ギョっとしたようには体を起こそうとした。しかし簡単に手を拘束されると、ベッドに組み敷かれる。その体勢に心臓が大きな音を立てた。しかし鹿紫雲は真剣な顔で「言ったろ。に拒否権はねえ」と上から睥睨してくるのだから唖然としてしまう。

「オマエが心身ともに弱いのは戦う術を知らねえからだ」
「はあ?ど、どいてっ!わたしは戦いたくないんだってば!戦闘バカの常識を押し付けないでよっ」
「戦闘バカァ?!誰のことだよっ」
「か、鹿紫雲くんに決まってるでしょ…っ。いいから放っておいてよ…!わたしは平和に生きてたいのっ」
「バカはオマエだ。この世界のどこに平和なんてもんがあんだよ」
「……っ」

鹿紫雲の言葉を聞き、確かにその通りだと思った。この世界のどこにも、本当は平和なんて存在しないのかもしれない。ただ現実から目を反らし、平和なフリをしていた。テレビのニュースで不可解な事件が報道されるたび、自分の世界とは関係ないと何も知らないフリをしてきた。現実の裏側で、昔の仲間がどう戦っているのかさえ、想像しようともしなかった。

"そんなオマエの未来を、僕らが守るよ――"

自分の世界が平和なのは、きっとあの約束を、守ってくれてる人がいたからなのに。

「戦え、。オマエが、この世界を許せるくらいに、強くなれ」

鹿紫雲の力強い言葉に、の瞳から涙が一粒、零れ落ちた。