明日になれば他人になるような関係だから-09




"戦え、。オマエが、この世界を許せるくらいに、強くなれ"


鹿紫雲に言われた言葉を思い出しながら、はそれでも許せない、と思った。

「…許せるわけない…こんな――」
「あ?」
「こんな連戦するなんて聞いてない!見て!わたしのネイルが遂に全部折れたわっ!鹿紫雲くんのせいよ!」

ずいっと自分の爪先を鹿紫雲の顔の前に突き出したは、ふんっと鼻息荒く鳴らした。鹿紫雲が視線をゆっくり下ろせば、確かに昨日まで生き残っていた爪が見事に折れて、全て短くなっている。今度は鹿紫雲が鼻を鳴らした。この場合、嘲笑に近いものだったが。

「サッパリして良かったじゃねーか。そもそも戦闘すんのにオマエの爪は長すぎた」
「はぁ?わたしがどれだけネイルのお手入れにお金と時間をかけてきたと思ってるの?ここに放り込まれて、それが全てパァよっ」
「ねいる…?なに言ってんだオマエ」
「…鹿紫雲くんってパチンコとかどうでもいいことに関しては詳しいくせに、21世紀ではもはや常識にもなってる女の嗜みのことは何にも知らないのねっ!って、耳をほじらないで!」

すでに半目で耳をホジホジしている鹿紫雲を見て、の目が更に吊り上がる。

「っせえなあ…。伸ばした爪なんて耳をほじる以外に何の使い道があんだよ」
「…最悪」
「どうでもいいけどサッサと次、行くぞ。さっきのオマエの攻撃は良かったが、攻撃したあとの防御姿勢が遅い。常に気を抜かず、次の攻撃に備えろ――」
「あーっちょっと!耳をほじった手で触らないでってばっ」
「…うるせえ!黙ってついてこいっ」

アドバイスも聞かないでキャンキャン吠えるに、今度は鹿紫雲が目を吊り上げた。戦闘センスの欠片もなかったに戦い方を教えようと、今日は遠出して敵を見つけては戦いを仕掛けていたが、集中力が足りないのか、だいたい最後は鹿紫雲が手を貸していた。おかげでポイントがアホほど溜まっていく。

「おい、コガネ!」
《はい!》
「今、オレのポイントはどれくらい溜まった?」
《今の戦闘で145ポイントデス!》
「ふん…今日明日で200はいくかどーかってとこだな」

戦闘するのは楽しいからだが、ついでに溜まっていくポイントで、鹿紫雲はあることを考えていた。

「…ねえ」
「あ?」

渋々ついて来ていたが鹿紫雲の服を引っ張る。

「前から気になってたんだけど…時々鹿紫雲くんが出してるその蠅頭ようとうみたいなヤツはなに?」
「ああ、コイツは…死滅回遊に参加している泳者に憑いてる式神だ。各泳者の行動や生死などを監視しながら管理者ゲームマスターに情報伝達したりもする。、オマエにも憑いてんぞ」
「……は?」
「呼び出してみろよ。コガネって呼べば出てくる」

鹿紫雲の説明には訝しそうに首を傾げている。

「前にも説明したが、このゲームのルール8に"19日間ポイントの変動がない場合は術式を剥奪される"って制約がある――」
「えっ?なにそれ!聞いてない!」

がギョっとしたように叫ぶ。

「最初に会った時に話しただろが!」
「え、はく奪されるとどーなんの?」
「さーな!てかあの羂索がただ術式をはく奪するわきゃねぇし…最悪死ぬんじゃね?」
「……し、死ぬ?!」
「だーから、コガネに聞きゃーオマエに入ったポイントとか、どのくらい変動したか分かんだよ」
「ポイント…ってそんな大事だったんだ…。てっきりゲームの懸賞金くらいに思ってた…」
「ハア?金なんか入るわけねーだろ。殺し合いのゲームだってのに」

またしても鹿紫雲に鼻で笑われ、はムっとしつつも自分のポイントの変動が気になってきた。鹿紫雲にくっついてポイントを稼いでる気がしていたが、思えば術師や非術師、呪霊を殺しているのは殆ど鹿紫雲だ。はその合間に雑魚い呪霊を数体祓ったくらいで、人は殺していない。

「名前呼べば出て来るのね?」
「おう」
「えーと…コガネ!」

その名を呼ぶと、のそばにポンっと小気味いい音と共に鹿紫雲のと同じような小さな式神が現れた。

《はい!》
「え、えっと…わたしの今の…ポイント教えて」
《はい!さんの現在のポイントは―――8ポイントデス!》
「は……はち…ポイント…?」

鹿紫雲に付き合い、かなりの戦いを強いられてきたのだから、もっと稼いでいると思っていたは、その点数に愕然とした。

「ぶははは!オマエ、それっぽっちしか稼いでねーのかよ」
「う…うるさいな…!ほとんど鹿紫雲くんが殺してるじゃないっ」
「あーオマエは雑魚呪霊しか祓ってねーからな。因みに術師を殺せば5ポイント、非術師で1ポイントだ。雑魚呪霊は非術師と同じ点数なんじゃねーの」
「そ……そんな…じゃ、じゃあ…わたしが最後にポイントを稼いだのは…何日前…?」

とにかくポイント数は問題じゃない。が聞きたかったのはそこだ。

《アナタが前回ポイントを獲得したのは――15日前デス!》
「げ…」
「ぶ…ははは!ギリギリじゃねーか、オマエ」
「そんな…わたし、そんなに祓ってなかったっけ…」
「まーオレがトドメ刺してっからなー」

鹿紫雲が苦笑交じりで肩を竦めた。確かに、戦闘で弱らせたものの、その後に手こずることが多く、しびれを切らした鹿紫雲が結果、トドメを刺す場合が多かった。このゲームのルール上、泳者を殺した者にポイントが加算されるため、には入っていないのは当然だった。

「これで分かったかよ?このゲームじゃ戦わないなんて選択肢はねえ。殺してポイント稼がないと自分が死ぬ運命だ」
「…そそんな…じゃあ…泳者なら雑魚呪霊でもいいのね?」
「術師も非術師も殺したくねえってか?」
「だ、だって…人間だし…」

呆れたように笑う鹿紫雲は「バカじゃねーの」とひとこと吐き捨てた。

「オマエと会った時、オマエはその人間に殺されそうになってたじゃねーか」

言われて、は自分がこのゲームに放り込まれた瞬間のことを思い出した。あの時は突然現れた男ふたりの攻撃を受けるまで、リアルな夢だと思い込んでいたのだ。あの場に鹿紫雲が来なければ、今頃自分はここにいない。そう考えるとさすがに足が震えてしまう。

「言ったろ。戦い方を覚えれば、術師も難なく殺れる」
「じゅ…術師は殺さない」
「そりゃ元お仲間がいるからか?」
「……元仲間の呪術師はわたしなんかに殺されるような弱い人はいないもん」
「ふーん…ま、オレはどっちでもいいけど、今日中にポイントは稼いでおけよ?あと今度からトドメはオマエが刺せ。コガネにもマメに近況をきくこと。分かったか?」
「…わ、分かった」
「よし。んじゃー何か食いもんでも探しに行くか」

鹿紫雲はニヤっと笑みを浮かべると、の頭をくしゃりと撫でた。

「え…いいの?まだ近くに敵がいるかも…」

普段の鹿紫雲なら一度戦い始めるとなかなかやめてくれない。気づけば午後はとっくに過ぎているといったことが多かった。なのに今はまだ昼前。珍しいことがあるもんだとは思った。

「いーんだよ。どうせこの辺に戻ってくりゃ、誰かしら泳者が来るだろ。それに飯食わせねえと、オマエうるせえからなー」
「人を食いしん坊みたいに言わないでよ…」

ケラケラ笑う鹿紫雲を追いかけながら、が不満げに口を尖らせた。ただ朝から何も食べていないのは確かで、言った矢先からお腹が鳴る。

「誰が食いしん坊じゃないって?」
「う…こ、これは…朝食抜きのせいでしょっ」
「だーから今から食おうぜって言ってんだろ。は何が食いたいんだよ」

鹿紫雲の隣に並んで歩くと、首に腕を回され、軽く絞められる。でもその腕はどことなく優しい気がした。何となく甘えてもいいような、そんな空気を感じる。

「……お寿司」
「テメェ…そんなもんが無人の店にあると思うか?あっても腐ってるっつーの」

鹿紫雲は呆れたように笑った。でも前ならもっと険のある物言いしかしなかった。その小さな変化がふたりの間には確かにあった。

「…カップ麺飽きたなぁ」
「レトルトもあんだろ。ああ…今夜はどこ寝床にする?もうあの街には戻らなくていーだろ」
「そうだね。鹿紫雲くんのせいで停電してるからシャワーもお湯が出ないし」
「……悪かったな」

散々水しか出ねえと文句を言っていた鹿紫雲だったが、元を糺せば自分が暴れたせいだと分かり、少し気まずそうだ。

「この街で代わりになりそうな宿泊施設あるかなぁ」
「ラブホテルくらい、その辺にたくさんあんだろ」
「そりゃまあ……って、え…?」

鹿紫雲の言葉に頷いたものの、待てよ?と首を傾げて隣に居る男を仰ぎ見る。その表情には意味ありげな笑みが浮かんでいた。

「ちょ…まさか鹿紫雲くん…」
「あ?オレ、ラブホ知らねえなんて言ったっけ」
「……っ?!」

ニヤリと笑う鹿紫雲に、の口が大きく開いた。過去の呪術師は現代のアレコレを知らないとばかり思い込んでいたは、その顔を見てすぐに気づいた。

「し、知らないフリしてたの?!」
「オマエが意識してモジモジしてっからだろ」
「……っ!」

そんなところまで気づかれていたという事実に、の顏が真っ赤に染まる。これでも鹿紫雲と中へ入るのは勇気がいったのだ。でもどういう場所か知らなそうだったからこそ、何とか意識せずに済んだというのに、鹿紫雲は最初から分かっていたのだと思うと変な恥ずかしさがこみ上げて来る。

「最低」
「あ?オレの優しさだろーが」
「どこがよ。どうせ変に緊張してるわたしを見て笑ってたんでしょ」
「いや、むしろ――」
「……なによ」
「可愛いヤツって思ってたけど?」

シレっとした顔で言いのけた鹿紫雲の言葉に、の足がピタリと止まる。予想外にもドキっとしてしまった。というより、久しぶりに胸がキュンと鳴ってしまった。、一生の不覚。こんな過去の呪術師にときめいてしまうなんて。

「何だよ、その顔…」
「……べべべ別にっ」

熱中症かと思うほど顔が火照っているのを自覚しながら、は再び歩き始めた。今度は鹿紫雲がを追いかけていく。

「オマエ……耳まで赤いけど…もしかして照れてんの」
「てて、て照れてないっ」
「どもりすぎだろ」

ぷっと吹き出した鹿紫雲が隣を歩きながらの顔を覗きこむ。至近距離で目が合い、また心臓が跳ねてしまった。意外にも、その眼差しが優しかったから。

「で…?何を食いたいんだよ」
「………ラーメンライス」
「ってことはカップ麺とチンご飯だな」

鹿紫雲は笑いながら、の髪をくしゃくしゃっと撫でていく。その後ろ姿を見ながら、は張りつめていた糸が切れそうになるのを堪えるように、火照った頬をそっと隠した。心を許してはいけない。鹿紫雲は現代に存在してはいけない存在だ。このゲームが終われば、どうなるのかも分からない。明日になれば、他人になるような関係だから。