ボーダーラインを踏み越えろ-10



このゲームに参加させられてからどれくらい経ったのか、はよく分からなくなった。ポイントが大事だと聞いてからはちゃんとコガネに自分の成績を聞くのも忘れないようにしながら、毎日のように誰かと戦っては鹿紫雲の充電器として働く日々。廃墟や空き家、ホテルなど、その都度アジトが変わり、寝床が変わるのもだいぶ慣れては来た。それでもやっぱり最近変わった就寝タイムは慣れない。

「ちょっと…!どこ触ってんのよっ」
「あ?別にいーだろ。触るくらい」
「い、いいわけないでしょっ」
「チッ。うるせー女だなァ…充電してるくらいで毎回騒ぎやがって…」
「じゅ、充電すんのにお尻撫でる必要ないじゃない…っ」

は真っ赤な顔で鹿紫雲から離れようとジタバタもがく。でも力で敵うはずもなく、更に力を込めて抱き寄せられた。最近の鹿紫雲は時短と称してくっついて寝ながら充電する。その際ちょいちょいセクハラまがいのことをされるので、としてはおちおち寝ていられないのだ。ついでに変なドキドキまで襲って来るのも嫌だった。

(何でこんなヤツにドキドキさせられないといけないの…)

最初の頃よりも随分と鹿紫雲の態度が柔らかくなってきたことは嬉しい。やはり行動を共にする相手が優しいに越したことはないからだ。ただその優しさも荒々しい合間に不意をついて来るので、そのギャップに何故かときめいてしまう。それがにしてみれば困りものだった。このドキドキの行きつく先にどんなことが起こるのか、本能的に分かっているから。

一方、鹿紫雲は腕の中でガチガチに緊張しているの様子に気づいていた。何故かは分からないが、前と同じように充電してるつもりなのにの方がおかしな態度をする。だから緊張を和らげようと敢えてボディタッチを繰り返してはからかってみたりしても、前とは明らかに怒り方が違う。特に体に触れると過剰に恥ずかしがるようになった気がした。

(そういう反応されるとこっちも変な気分になんだけどな…)

前みたいに軽蔑の眼差しで見られていたら、鹿紫雲も「つまんねえ女」と一笑に伏すことが出来るのに、今では頬を染めて潤んだ瞳で睨んで来る。そんな顔で見られると、さすがにくっついてることもあり、鹿紫雲の男の部分が顔を出す。久しく女は抱いていないという感情はあるし、体は死んだ頃の自分よりも当然若い。となれば当然のごとく、男特有の疼きが腰の辺りに広がっていく。その気持ちに従って、触れていた尻から腰のラインを撫でてしまった。途端に腕の中のが暴れ出す。

「ちょ、手つきがやらしいってば…っ」
「そりゃエロい気分で触ってるし」
「…は…?」

がギョっとしたように顔を上げると、視線を下げた鹿紫雲と至近距離で目が合う。鹿紫雲の瞳は普段よりも熱を帯びているように見えて、は再び心臓が跳ねるのを感じた。これまで鹿紫雲がセクハラまがいのことをしてきても、こうもハッキリと欲求を見せたのは、例のラボホテルに泊まった時以来だ。あの時は嫌がるに興を削がれたようで、行為を中断してくれたし、それ以来、鹿紫雲もそんな素振りは見せなかった。でも今はハッキリとをそういう対象として見ている気がした。

「や、やめてよ…離して!」
「あ?まだ充電終わってねえし」
「手…手をつなぐだけでいいでしょ…?」
「それじゃ時間もかかるし寝ちまったら手なんかすぐ離れんだろ」
「じゃ、じゃあ縛っておけば…」
「へえ、はそう言うのが好みかよ?」
「は?」

途端にニヤつく鹿紫雲に、の顏が引きつった。

「そそそーいう意味じゃ――!」
「…しっ!」
「…んぐ…っ?」

突然、鹿紫雲がの口を手で塞ぐ。そして上体をゆっくり起こすと、建物の外に意識を向けだした。鹿紫雲の様子を見る限り、何かの気配を感じているらしい。はすぐに状況を察して自分の気配を殺した。

「…誰か…入って来たな」
「え…」
「静かにしてろよ?音を立てなかったら、まずここはバレねえ」
「う、うん…分かった」

小声で頷きながら、は鹿紫雲の方へ身を預けた。今夜の寝床は廃墟となった小学校だった。それでも教室や医務室など、そういった場所で休めば侵入者が来た場合は目立ってしまう。なので配電室の中で寝ることにしたのだ。廊下の壁にあった少し小さめの入り口から入ると、中はかなり広いことが分かり、鹿紫雲が「ここで寝よう」と言い出した。医務室から布団だけを運び、中から扉を閉めてしまえば、そこは真っ暗闇。外から誰かが入って来たとしても、一見誰もいないように感じるだろう。

しばらくすると足音と数人の話し声が聞こえて来た。

「うっひょー!夜の学校ってマジで怖ぇえ!」
「ってか、あんま荒らされてねーじゃん」
「学校って食いもんとかねーからじゃね?」

そんな会話が聞こえて来て、は一気に体が強張った。声の感じから相手は3人らしい。今見つかれば戦闘になるだろう。でも頼みの綱の鹿紫雲はさっき散々戦ったせいで呪力を使い切っている状態だ。だからこそ充電をしていたのだが、まだ半分も出来ていない。

「ごめん…わたしのせいで充電まだ足りないよね…」

ポイントの為にも当然、戦闘をした。少し強めの呪霊だったこともあり、意外と手こずってしまったせいで、も呪力を使い果たしている。いくら溜まるのが早い体質でも、今の状態で約半分といったところ。そんな状態で鹿紫雲の充電も遅くなっていた。完全に終わるには一晩かかる予定だったのだ。

「別に…こんな状況も想定してここに隠れてんだろ。いちいち気にしてんじゃねえ。それにこうしてくっついてりゃ自然と充電されてく」

鹿紫雲が呆れたようにの体を抱き寄せる。顔を胸に押し付けられ、またしてもの心臓が跳ねた。暗闇での密着にどうしても鹿紫雲の体温や強い腕の感触に意識が向いてしまう。

(こんな時に何考えてんの、わたしってば…意識しちゃダメ…!)

「で、医務室ってどこだよ」
「さあ?二階とかじゃね?学生の頃なんて忘れちまったわ」

男達はどうやら医務室に用があるようだ。薬か何かを探しているのかもしれない。でもたちが布団を取りに行った時、やはりそういった薬品の類は綺麗に盗まれていて棚は空だった。あの分では男達もすぐに出て行ってくれるかもしれない、とは思った。廊下を歩く足音は少しずつ遠ざかっていく。かすかに階段を上がるような音がした。

「…上に行ったか」
「ケガでもしてるのかも。医務室に用があるみたいだったし――」

と言いながら顔を上げると、鹿紫雲もふと下を向く。暗闇の中、目が合うのが分かった瞬間、今度は鹿紫雲の方がドキっとした。闇になれた目に映るのは、の驚きで揺れる瞳。触れそうでいて、重ならない唇。恥ずかしそうに伏せた瞼の先にはの長いまつ毛が見える。意識を研ぎ澄ましているせいか、普段なら気にならないの髪の香りが鼻腔を刺激してきた。思わず体を離そうとした鹿紫雲をとどめたのは、の方だった。背後に回ったの手が、鹿紫雲の腰へ添えられ押さえこまれる。ぞくりとしたものが背中に走った。

「動かないで…戻って来た」

その言葉で我に返った鹿紫雲が耳をすませてみると、確かに足音が近づいて来る。

「やーっぱ何もなかったなー!」
「チッ。布団くらいあると思ったんだけどなぁ」

その会話に思わずと鹿紫雲は顔を見合わせる。男達が探していた物はまさに二人が今かぶっている布団だったらしい。鹿紫雲は思わず吹き出しそうになった。この結界コロニー内では何でも早い者勝ちになるのだ。

「仕方ねえからその辺の家に片っ端から侵入して寝れるとこ探そうぜ」
「そうすっかー!なかなか泳者にも会わねえしなあ」
「あーフカフカの布団で寝てえ~」

男達の会話はどんどん遠く離れていく。どうやら感知機能は低い連中らしい。鹿紫雲はホっと息を吐いて警戒を解いた。しかしは未だ鹿紫雲の胸元をぎゅっと掴み、腰に回した手に力を入れている。これではさっきと逆だな、と苦笑しながら鹿紫雲はに「おい」と普通のトーンで声をかけた。

「もう行ったから平気――」

と言いかけた時、自分の胸元を掴んでいるの手が、かすかに震えていることに気づいた。よほど緊張していたらしい。ホッとしたのと同時に力が緩んで今頃震えが来たようだ。鹿紫雲はそっとの手首を掴んで胸元から引きはがした。

「もう平気だって」
「…う、うん…でもちょっと怖かった…」

顔色までは見えないが、きっとの顏は青ざめているに違いない。鹿紫雲は俯いたの顎を掴んで上へと向かせた。

「オレがいんだろ。別に呪力なんか足りなくたって今の雑魚なら何人いようと余裕で倒せるし、一人くらい守れる」
「…鹿紫雲くん…」

鋭い瞳でを射抜き、力強い言葉をくれた鹿紫雲にまたしてもドキっとさせられる。ついでに言えば、互いの顔の近さに頬が熱くなってきた。だが、それは鹿紫雲も同じだった。至近距離に見えるの頬が薄っすら色づいたのは何となくだが分かった。あげく潤んだ瞳を向けられると、さっきの疼きが再燃してくる。邪魔な侵入者も去り、静寂が辺りを包む暗闇の中、密着している男と女。下地も出来て、そういう空気になるには状況も揃いすぎていた。だからというわけではないが、鹿紫雲も自然な動作で唇を寄せ、の唇に自分のを重ねる。ほんの少し触れたそれは、柔らかい感触を脳にはっきりと伝えて来た。僅かにの肩が跳ねたのは分かった。しかし一度触れてしまえば二度目は容易く。角度を変えて再びの唇を塞ぐ。今度はさっきよりも少しだけ深く、互いの唇が交わるような口付けを仕掛けた。

「ん、かし…もくん…」

何度も唇を啄まれ、合間にが声を震わせる。

「…嫌か?」

キスの合間に鹿紫雲が呟くと、の瞳が更に潤みを帯びた。

「ふ…不思議と…嫌じゃ…ない…」
「…ぷ…何だ、そりゃ」

身を硬くしながらもが鹿紫雲を見上げるのを見て、軽く吹き出した。さっきまで冷んやりとしていた秋の空気が、二人の放つ熱で少しだけ温度が上がった気がする。鹿紫雲はの両頬を掴んで、もう一度唇を塞いだ。久しぶりの口付けは酷く甘ったるく、鹿紫雲の心臓が素直に早鐘を打ち出す。

「ん…ぁっ」

触れるだけじゃ物足りなくなって来た頃、強引に唇を割って舌を滑り込ませる。鹿紫雲の背中に回ったの手がぎゅっと服を掴むのが分かった。逃げ惑うの舌を器用に絡め取り、自分の熱と交わるほどに貪る。片方の手を彼女の後頭部に添えて固定すると、唇の熱も混ざり合った。絡めた舌を吸い上げ、舌先で口内を刺激しながら、鹿紫雲はの脇腹をゆっくりと撫で上げていく。その感触にぴくりと反応したは、鹿紫雲から離れようと身を捩ったが、胸の膨らみへ上がって来た指先に服の上から揉みしだかれ、「んっ」と小さく声を洩らした。その瞬間、体が後ろへ傾き、敷いた布団の上に押し倒される。

「か…鹿紫雲く――」
「…オマエを抱きたい」

あまりにストレートな物言いと、意外にも真剣な眼差しで見下ろされ、の心臓が大きな音を立てた。