透明な手錠に囚われて-10



静寂が包む暗闇で互いの瞳を見つめあいながら、しばしの無言が続く。その場の空気に流されたというわけではないが、鹿紫雲に唇を許してしまったとしてはどう応えていいのか迷っていた。

――オマエを抱きたい。

ハッキリと男特有の熱を孕む鹿紫雲の瞳を見つめながら、の思考が固まる。しかしその沈黙をOKと捉えたのか、鹿紫雲はの着ている薄手のセーターへ手を滑り込ませた。

「ひゃ…ちょ、ちょっと…!」
「…あ?何だよ」
「な…何だよじゃない…!勝手に…や…ダメっ」

腹の辺りを撫でられ、そのまま滑らせた手が、下着の上から胸の膨らみを揉みしだく。は慌てて鹿紫雲の腕を掴んで服の中から引き抜いた。

「何だよ、今更」
「い、今更って…ほ、ほんとにこんな場所でする気…?!」
「別に誰もいねえし…真っ暗だし…問題ねえだろ」
「も、問題ある…!わたし、嫌だから…こんなとこでするの」
「はあ?今更かよ…」

てっきりOKを貰えたものだと思っていただけに、からはっきり拒否をされた鹿紫雲は不満げに唇を尖らせている。でついキスはしてしまったものの、こんな場所で抱かれるというのはさすがに抵抗があった。ついでに言えば、恋人でもない男と流されてしまっていいのか、という理性はまだ残っている。

「と、とにかく…ダメだから。もう勝手に触んない――」

と言いかけたの唇を、鹿紫雲が強引に塞ぐ。驚いたがジタバタと暴れたものの、頬を固定され、余すことなく口内を貪られた。強引ながらも優しく舌を絡めとられると、そこからジワリと全身に甘い疼きが広がっていく。器用に舌先での舌を舐り、時々やんわり吸われると、頭の奥が痺れていくような感覚に襲われた。一つ言えるのは、鹿紫雲はキスがとてつもなく上手いということだった。そこまで男女経験の多くないでは、遥かに上をいく鹿紫雲に太刀打ちできないほどに蕩けさせられた。

「…な…何する…」

やっと唇を解放された時にはすっかり呼吸が乱され、の顏は真っ赤に染まり、瞳には涙が溢れていた。鹿紫雲は悪びれた様子もなく「これは嫌じゃねえんだろ?」と笑みを浮かべている。先ほどキスをされた時、確かに嫌じゃないとは言った自覚があるだけに、も何も言い返せない。その間にも再び鹿紫雲の手が服の中へ侵入してきて、脇腹を撫でられた。

「ひゃ…ちょっと…触んないでってばっ」
「ムリ。もう頭ん中がソレ一色だし」
「は…?あ…っ」

するすると上がって来た手が、またしても胸の膨らみを揉んで来て、はたまらず身を捩った。久しぶりに男に触れられ、体が勝手に火照っていくのが分かる。だけどやはり女心としては場所の問題は大事だ。

「ダメ…っ」
「うぉ…っ」

力の限り、覆いかぶさっていた鹿紫雲を突き飛ばすと、一気に距離を取って乱れた服を直した。

「往生際の悪い奴だな…」
「そ、そういう鹿紫雲くんだって…」
「オレのキスに感じてたくせに」

ニヤリと笑う鹿紫雲の言葉に、の頬がカッと熱くなる。確かに鹿紫雲とのキスは悪くなかったし、悪いどころか、あんなに気持ちのいいキスは初めてだったかもしれない。それが自分でも分かっているだけに、の中で羞恥心があふれ出した。

「そ、そーいうこと言わないでよ…ほんと鹿紫雲くんってデリカシーなさすぎ!」
「あ?事実だろーが」

鹿紫雲はに拒否されてスネているのか、口を尖らせジトっとした目で睨んで来る。の中でキスを許してその気にさせてしまったことは申し訳ないと思う気持ちはあった。それでもなし崩しにこんな場所でセックスをする、というのはの常識から大きく外れていた。
これまでは、好きな相手と普通につき合い、恋人として抱かれて来た。場所も高級ホテルの一室だったり、彼の自宅だったりと、ごく一般的なデートの流れでそうなった。言ってみれば、そういう"普通"しか知らない。こんな忍び込んだ学校で、恋人でもない男に抱かれるというのはの常識的に考えてあり得なかった。

「分かった?だから――」
「ふーん。じゃあ場所がここじゃなく、ちゃんとしたホテルならいーんだな」
「…へ?」
「そーいうことだろ?オマエの言ってることって」
「そ、それは…」

鹿紫雲にツッコまれ、は一瞬言葉に詰まった。の言い分では問題が殆ど場所に限定されている。鹿紫雲に抱かれることじたいを拒否したわけじゃない。

「えっと…そ、そういうことでもなく…」
「よし、分かった。じゃあ明日から場所探しな。まともな場所ならも足を開くんだろ?」
「な、そ、そういう言い方しないでっ」
「いてっ」

真っ赤になりながら鹿紫雲の背中を思い切り殴ると、「いてーなっ!」と苦情を言われた。

「ほんっとデリカシーの欠片もないんだから…」
「あ?さっきから何だよ。そのデリ…バリーとか何とか」
「それじゃ配達でしょ?デリカシー!要は気配りとか配慮が欠けてるって意味だから」
「…ああ。なら最初からに日本語で言いやがれ。ったく現代は横文字多くてかなわねえ」

鹿紫雲はブツブツ文句を言いながらも布団に横になった。どうやら今夜は本当に諦めてくれたようだ。はホっとして自分も布団を敷いた場所へ戻った。しかしすぐに腕を引き寄せられた。

「ちょ、ちょっと――」
「何もしねえよ。充電の続きだ」
「あ…そ、そっか…」

鹿紫雲の逞しい腕に包まれるように横になりながら、内心ホっと胸を撫でおろす。すると見下ろしてくる鋭い視線と目が合った。口元を見ればかすかに緩んでいる。

「な…何よ…その顔…」
「ま、お楽しみは次のアジトを見つけるまでとっといてやるよ」
「……っ」

そのまま鹿紫雲の胸元に顔を押し付けられ、口から洩れた苦情はもごもごとした音にしかならない。仕方なく少しの間ジっとしていると、そのうち鹿紫雲は寝息を立て始めた。

(…自分だけ気持ち良さそうに寝ちゃって…)

散々ドキドキさせられたは変に頭が冴えて眠気など吹っ飛んでしまった。しかも鹿紫雲の腕に抱えられているせいか、背中に回った腕の感触にすら未だ心音がうるさい。あげく先ほど鹿紫雲に触れられた場所は中途半端に疼きが残っていて、酷く落ち着かなかった。本音を言えば、あのまま鹿紫雲に抱かれてしまいたい、と一瞬でも思ってしまった自分に恥ずかしくなる。

(何で…あんなに腹立たしかった男に…)

そう思うのに、今では鹿紫雲を頼りにしている自分もいて。今の関係が前ほど嫌じゃなくなっていることに気づいていた。むしろ「抱きたい」と求められてときめいている。

(違う…こんな非日常にいるから錯覚起こしてるだけだよ…まともな思考が働いてないだけ…)

戦い続ける日々の中で、隣にいる鹿紫雲に少しずつ依存してるだけだ。そう思うのに、穏やかな顔で眠る鹿紫雲を見ていると、心臓は素直に音を立てる。ハッキリしているのは、この異常な世界の中での味方が鹿紫雲だけということだ。

(あんなキス…してこないでよ…)

オマエが欲しい、と全身で言われているような情熱的なキスを思い出し、は強く目を瞑った。まるで、見えない何かに囚われているかのように、鼓動だけが何度も音を刻んでいた。