深夜に近い時間、五条は懐かしの我が家の敷居をまたいだ。
と言っても正門じゃなく、延々と果てなく続く塀の目立たない場所にある裏門からだ。まだ五条が幼かった頃、使用人用として使われていた。だがやはり不便だったのか、別の場所に出入り口が造られ、この裏門は忘れ去られたかのように錆びついていた。しかし五条は頭より遥かに高い塀を難なく超え、警備の一番手薄な裏庭の草花に隠れながら、の部屋へ向かった。
使用人扱いではあるが、代々続く巫女の家系の娘であり、五条悟の巫女として五条家に入ったは、他の使用人とは別の離れの部屋を与えられていた。
五条がまだここに住んでた頃は、よく深夜に忍び込んでいた場所でもある。昼間ならともかく、は深夜に五条の部屋へ入るのを渋ることが多かったせいだ。
他の人間が五条の部屋へ来ることはないと言っても、気分的な問題だと言って譲ることはなかった。

(結構、頑固なんだよな、アイツ…)

暗い裏庭を足早に進みながら、のいる離れの裏口へ向かう。ポケットから鍵を出し、ドアを開けて滑り込むように中へ入った。
離れは全体的に暗いが、五条は迷うことなくの眠る寝室へと歩いて行く。ここへ入るのは半年ぶりだった。例の空き家を借りてからは、家で忍んで会うこともなかったせいだ。

今日、五条の受けた任務は生家の近くだった。同級生の夏油と途中まで一緒だったものの「実家に寄ってから帰る」と告げ、夏油とはそこで別れて家に帰ってきたのだ。せっかく近くに来ているのだから、一目の顔を見てから帰りたい。そう思ってしまった。
ただ堂々と正面から帰れば面倒なのは分かっている為、こっそり忍び込むことにして今に至る。

(つーか、こんなに簡単に侵入できんのヤバいだろ、五条家)

我が家を皮肉るように苦笑を洩らす。と言っても五条には特殊な眼がある為、見回りをしている呪術師の動きが手に取るように分かるだけだ。

「…

忍び込んだ寝室。はベッドの上で眠っているのが見えた。しかし何故か端っこへ寄っている。これは五条が忍んで部屋に来る時の、彼女のクセだった。

「まーだオレの場所、空けて寝てんのかよ…」

すっかり習慣になっているのか、もう五条が深夜にここへ来ることはないはずなのに、未だ一人分のスペースを空けて寝ている彼女が可愛いと思う。
前のようにベッドへ潜り込み、を起こさないようそっと抱き寄せて腕の中へと収めると、久しぶりに優しい匂いが五条の鼻腔を刺激した。

「…会いたかった」

の髪へ唇を寄せれば、つい本音が零れ落ちた。
毎日のように電話で話そうが、会えなければ意味がない。
たった数か月、離れていただけだというのに、五条にとっては心がすり減るような時間だった。

「ん…」

抱く手に少しだけ力を入れると、彼女が小さく寝返りを打ち、五条の胸元へ顔を寄せた。これも無意識のクセなんだろう。寝ている時でも自分のことを感じてくれているなら、こんなに幸せなことはない。
五条はの額に唇を押し付けた。
このまま寝顔を見つめていたいという思いと、起こしてしまいたいという思いが交差する。
でも夜明けを迎える前には、ここを離れなければならない。

も明日は学校だもんな…その後は修行して、夜はこの家の人間にコキ使われて…だからこんなにも疲れてる)

だから起こせない――。
その代わり、腕に納まったの華奢な身体を抱きしめた。また次はいつ触れられるか分からないから、この体温を少しでも肌に刻みたい。

「ったく…気持ち良さそうに寝てんな…」

オレのいない夜を一人でも眠れるのかと思うと、少しだけ憎らしく思う。でも眠れないなんて言われたら酷く心配になるから、これはこれでいいとも思った。

「もう行かなきゃ…」

いくら高専が自由な校風といっても、朝帰りはマズい。五条はそっと腕を離して、静かにベッドを抜け出した。

「またな…

身を屈め、その可愛らしい寝顔を見つめながら、唇を重ねると、柔らかい髪を優しく撫でてから立ち上がった。それからポケットへ手を突っ込むと、小さな包みを出して枕元へ置く。それは色とりどりの金平糖。まだ幼い頃、五条がによくあげていたものだ。
今日の任務先で、依頼主から頂いた時は懐かしくてちょっとだけ驚いた。

(あー…だから余計にの顔見たくなったのかもな…)

はこの京都の老舗店の金平糖が大好きだった。目を覚ましてこれを見つければ、きっと誰が置いたのか分かるはずだ。

(喜ぶ顔が直接見れねえのは寂しいけどな…)

それでも嬉しそうに微笑む顔を想像しながら、五条はの部屋を後にした。