2006年4月、呪術高等専門学校――。


日本に2校しかない呪術教育機関の1校で、表向きには私立の宗教系学校とされている。
多くの呪術師が卒業後もここを起点に活動しており、教育のみならず、任務の斡旋、サポートも行っている呪術界の要。
この高専に、遂にが入学してくる――。



△▼△


「おーい。いつまで着いてくる気だ?お前ら…」

学長室がある建物手前で足を止めて振り返れば、道端の植え込みから五条の同級生たち――と言っても二人しかいない――が顔を出した。

「あ、バレてた?」

ニヤニヤしながら歩いて来るのは家入梢子。彼女はこの若さで反転術式に長けている呪術師だ。

「だから私はやめようと言ったんだ」

家入の後から溜息をついて歩いて来たのが夏油傑。一般家庭で育ちながら、呪霊操術という術式を扱い、今では五条の唯一の親友でもある。

「何よ、夏油。"悟の妹がどんな子なのか興味が湧くな"って言ったのアンタじゃない」
「確かにな。まあ1週間も前からソワソワしてる悟を見てたら、さすがに気になるじゃないか」

人当たりのいい笑顔を見せる夏油を見て、五条はサングラスをずらして思い切り目を細めた。

「だからって着いてくんな。可愛いにお前らの性悪が移ったら困るだろーが」
「ハァ?五条にだけは言われたくないんですけどー」

五条が溜息交じりで言えば、家入の目が一気に極細になる。相変わらずウザい同級生だと五条は内心溜息を吐いた。絶対にと会わせたくない、とも思う。まあ、この高専は圧倒的に生徒数が少ないので無理な話だが。

「それで?その可愛い妹とやらはいつ出て来るわけ」
「まだ学長と面談してるんじゃないか?なあ?悟」
「だーからお前らには関係ねーだろ。サッサと教室戻ってろよ」

もうすぐに会えると言うのにコイツらの相手をして時間を無駄にしたくない。少々イラつきながら、五条は目の前の建物を見上げた。
今朝、来月に高専入学を控えているからメールが届き、昼前にはここへ来て学長との面談をするとのことだった。今はちょうど昼休み。そろそろ終わる頃だろう、と思ったその時、待ちわびていた相手の気配を背中に感じた。

「悟兄さま!」
「…!?」

慌てて振り返ると、学長との面談を終えたのだろう。が嬉しそうに笑顔を見せながらこっちへ走ってくるのが見えた。最近は五条も任務で忙しく帰省も殆ど出来なかった。と話すのも電話ばかりで、こうして顔を見るのは3か月ぶりだった。

――再会したらを思い切り抱きしめる。

そう決めていた五条は後ろにいる二人の同級生のことは綺麗に忘れ去り、両手を大きく広げ、駆け寄ってきたを思い切り抱きしめ――。

「さ…悟…兄さまあぁぁ?五条、妹にそう呼ばれてんの?キんもー」
「硝子…本当のことを言ったらダメだよ…ぷ…っ」
「あぁ?お前らなぁ…つーか傑!何笑ってんだよ?!」

背を向けながら小刻みに肩を震わせている親友の姿に、五条の脳内で怒りと僅かな羞恥心が刺激され、ブチッと何かがキレる音が聞こえた気がした。本能のまま怒りに任せて夏油の後頭部に制裁を加えようとした、その時。

「悟兄さま?」
「……!」

背後から声をかけられ、我に返った五条は慌てて振り上げた拳を下ろした。

…」
「良かった…元気そうで。最近忙しそうだったから心配で…」

五条の顔を見てホっとしたように微笑む彼女に、今まであった夏油や家入への怒りが一瞬で吹き飛ぶ。
そもそも今日という日をどんなに待ちわびていたことか。
は五条家にいた時のような和装ではなく、白いシャツに細身のジーンズといった軽装だ。その上から去年五条が彼女の誕生日にプレゼントをした淡いピンクベージュのコートを羽織っている。この一年で更に女らしくなった気がして、五条は改めてをこの手に抱きしめようと――。

「初めまして~ちゃん。私、家入梢子!このバカ兄貴と同じ高専の二年なの。来月から宜しくね~」
「って、おい、硝子!勝手に話しかけんな……って誰がバカだって?」

今度こそを抱きしめようとしていた五条を押しのけ、家入が割り込んできた。ついでに夏油までが愛想のいい笑顔を見せながら歩いて来る。

「私は夏油傑。硝子や悟と同じく高専の二年だ。宜しくね、ちゃん」
「初めまして。来月高専に入学する…じゃなかった…ご、五条です。まだまだ未熟ですが宜しくお願いします」

は未だ言い慣れない苗字に照れ笑いを浮かべながら、二人に頭を下げている。五条からすれば気に入らない。こんな奴らに挨拶なんていいのに、と言おうとした瞬間、

「か~わいいぃ。五条の妹とは思えないねー」

サラリと嫌味を言った家入はに思い切りハグをした。

「おいコラ…硝子…!何でお前が先にとハグすんだよ!離れろっ」
「いーじゃん、少しくらい。ねー?ちゃん」
「は、はい」
「はい、だってえ~。マジ可愛い。ほんとに五条の妹?」
「え、あの――」
「硝子、前に聞いたろ?彼女は養子だから実際には悟と血は繋がってないんだよ」

夏油の説明を聞き、家入も「あ、そうだった」と笑いつつ、未だにをぎゅうぎゅう抱きしめている。家入の迫力に驚いたのか、は戸惑いながらもされるがままだ。

(はあ…こうなるから嫌だったんだよ。こいつらにを紹介するの…)

久しぶりの再会だというのに、とゆっくり話も出来ないこの状況に、さすがの五条も苛立ちが募る。どれだけこの日を待っていたと思ってるんだ。そう文句を言いかけたちょうどその時、3階教室の窓から"助け船"が顔を出した。

「おい!傑!硝子!お前ら何してる!とっくに時間過ぎてるぞ!!」
「夜蛾先生…!」
「あ…」

教室の窓から2年担当の夜蛾正道がゴツい顔を出して叫んでいる。これから午後の授業だということを夏油達はすっかり忘れていたようだ。このチャンスに五条はニヤリと笑い、二人に向かってしっしと手を払った。

「んじゃー君たちは早く教室に行きなさい」
「は?五条は?」
「オレは当然、早退届を出してある」(!)
「はあ?早退届ぇ?」
「当然だろ?今日、が学長のとこへ面談に来ると聞いたから前もって出しておいたってわけ」

得意げに言い切る五条を見て、家入と夏油は徐に目を細めて背を向けると、何やらヒソヒソ話し始めた。

「五条ってこんなキャラだっけ?妹バカすぎない?」
「全くもって同感だ。同感しかない」
「妹が入学して来るからって、わざわざ早退届出す?フツー」
「いや聞いたことがないな。俗にいうシスコンか?」
「五条のくせにシスコンってマジキモ」

「………聞こえてるぞ」

二人の会話を聞きながら五条は口元を引きつらせた。だがしかし。ここでモメたら更にとの時間が減りそうだと、殴りたい衝動を必死で我慢する。だけが隣で不思議そうな顔をして五条や二人のことを交互に見上げていた。

「悟兄さま、早退するんですか?」
「そりゃーせっかくが来てくれたんだし入学前に色々案内してあげようかなと」
「え、でも授業があるのに…」
「いーんだよ。授業っていうのは、あの二人みたいな出来の悪~い生徒の為にあるんだから」

そのあからさまに煽るような発言にギョっとしているの頭を、五条が優しく撫でていると、出来の悪い生徒二名が怖い顔で振り向いた。

「誰が出来悪いって?」
「心外だな、悟。私は悪くない。それは硝子だけだろ」
「はあ?夏油、あんた裏切る気?」
「最初から手なんか組んでないだろ?」

今度は二人がモメだし、五条は溜息をついた。これが普段の日なら笑って見ていられるが、今日だけはダメだ。

「いーから早く行けよ、お前ら。夜蛾先生がキレかかってんぞ?」

そう言って上を指させば、同時に「早くしろ!硝子!傑!何分待たせる気だ!」という怒鳴り声が降ってくる。夜蛾は時間にうるさく、待たされると見た目通りの性格になるのを五条はよーく知っていた。

「今行きますよー。はあ、何で私たちだけ授業受けなきゃいけないわけ」
「仕方ない。夜蛾先生が窓から飛び降りてくる前に戻ろう」

そう言いながら家入と夏油はじっとりとした目で五条を睨みつつ、

「悟…後で覚えてろよ?」
「秒で忘れてやるよ」

渋々戻っていく二人に舌を出して手を振れば、家入も口を真一文字にした。ついでに五条に向かって「い~~」っとしてくる。小学生か、と思わず突っ込みそうになった。

「じゃあまたね、ちゃん」
「はい。授業頑張って下さいね、硝子先輩」
「先輩…いい響き。ちゃんやっぱ可愛いぃぃ~」

の可愛さにすっかりやられた家入は、二人に見せたこともないような優しい笑顔でに手を振っている。その態度の違いにムっとはしたものの、五条はホっと胸をなでおろした。これでとゆっくり話すことができる、と開放感に浸りながら空に向かって両腕を伸ばすと、隣にいるを見た。

「さーてと。邪魔者もいなくなったことだし、まずは寮でも案内しよーか」

そう言いながらの手を引いて歩き出した。学生は全員同じ寮住まいであり、来月から毎日に会えると思うと嬉しくて仕方ない。隣にがいるという幸せに浸っていると、彼女は小さく笑いながら五条を見上げてくる。

「邪魔って…悟兄さまのお友達でしょ?」

公の場だからなのか、口調が五条家にいる時に戻っている。相変わらずだな、と内心苦笑しながら「友達、ねえ」と肩を竦めた。二人とは高専で知り合い、数少ない同級生であり、術師仲間でもある。

「でも…」

は不意に足を止めると、可愛い笑顔で五条を見上げた。

「悟兄さまのあんな楽しそうな顔、初めて見た」
「え…?」
「お互いに好きなこと言い合ってるって感じで。それに…」
「…?それ、に?」
「悟兄さまにあれだけ何でも遠慮なく物を言う人たちを見たのも初めてで凄く新鮮でした」
「あ~まあ…確かにね」

の指摘に納得しながら教室を見上げると、夏油たちが到着したのか夜蛾の説教が漏れ聞こえてきた。
ガキの頃から周りにいたのは"六眼"を持つ跡継ぎとしての五条しか見ていない奴らばかりだった。もそれを隣で見て来たからこそ、遠慮のない言葉をぶつけている夏油や家入を見て驚いたんだろう。この高専にもそういう目で見てくる人間もいることにはいるが――特に上層部――生徒の中には殆どいない。おかげで呪いを祓う任務以外では意外と五条もフツーの高校生みたいな交友関係を楽しませてもらえている。そして来月からは、その生活の中にもいる。今はそれだけで充分だ。
そう思いながら目の前のを見ていると、五条は不意に大切なことを思い出した。

「…あ!」
「え…?」
「忘れてた」
「え…?何を…?」
「こーれ」

五条は繋いだ手を強引に引き寄せると、今度こそを抱きしめた。ずっとこうしたかったのに邪魔者のせいで、すっかり忘れていた。

「さ、悟兄さま…何して―――」
「何って…再会のハグ。んで、そろそろ兄様ってのいい加減やめろ。ここは五条家じゃねえんだから」

呆れたように言えば、は腕の中ですぐに暴れだした。

「こ、ここ学校だし…」
「いーじゃん。みんな授業や任務に出てて誰もいないって」
「で、でも誰か来たら…って言うかすぐそこに教室が」

はいつも以上に慌てて五条の腕から逃げ出そうとする。どうやら校内で抱きしめられるのは相当恥ずかしいらしい。五条としては誰に見られたところで何一つ困ることはないが、逆にに変な虫が寄り付かないよう、高専の男どもを抑制出来れば万々歳てところだ。

「さ、悟…?」

暴れる彼女を強く抱きしめながら髪にそっと口づければ、が抗議するように顔を上げる。その赤く染まった頬にも口づけ、苦情が来る前に一言だけ口にした。

「呪術高専へようこそ」

頬にキスをしたことで真っ赤なっていたも、その言葉には嬉しそうに微笑む。彼女の可愛い笑顔に五条も思わず顔が綻んだ。

「じゃあ歓迎の印にもう一度熱いちゅーを今度は唇に――」
「ダ、ダメですッ」
「えぇー…」

が腕の中にいるという安堵感と幸せな時間に浸っていた五条は、一部始終を親友に見られていたことに全く気づかなかった。



△▼△


「あ~あ…デレデレだな、悟のやつ」

頬杖をつきながら窓の下でイチャつく二人を見て、夏油はかすかに口元を緩めた。

「え?何か言った?夏油」

隣の席で眠そうに欠伸をしていた家入が顔をあげると、夏油は「いや…」と首を振り、

「春、だなぁと思ってさ」

と呟き、これまで見せたこともないような優しい表情でと話す親友を見ながら静かに微笑んだ。