半間修二⑵





――オレにしとけよ。いっぱい可愛がってやっから。

その言葉の通り、彼氏になった半間くん――改め、修二は、あの日からわたしのことを凄く大事にしてくれてる。

「ど…どう、かな」

「ひゃは♡ すっげー可愛いし、超似合ってるわ」

浴衣を着て待ち合わせ場所まで行くと、先に来て待っててくれた修二は顔をほころばせて褒めてくれた。今日は新宿諏訪神社で開催される夏祭り。修二の方から「一緒に行かね?」と誘ってくれたのは意外だった。本当はわたしも誘おうかどうしようか迷っていたからだ。さすがに「人混みなんてダリィ~」って言われるかと思ってたから誘われた時は凄く嬉しかった。というわけじゃないけど張りきって浴衣なんて着てしまった。事前に浴衣を着ることを伝えたら、修二が「オレも着てみようかなー」と言い出したのは驚いたけど。

「修二も浴衣似合う。凄くカッコいい」

「お、マージで?やりぃ、に褒められたー」

黒地に紫の帯をしている姿は普段よりも遥かに大人っぽい。誰に着付けしてもらったの?って聞いたら行きつけの美容室ということだった。

は?自分で着れるんだっけ」
「うん。だいぶ前にお母さんに教えてもらって」
「へえ。上手く着れてるじゃん。襟も抜いて色っぽいし」
「ほんと?修二も色っぽいよ」
「いや、オレ男だから」

笑いながらわたしの手を繋いで歩きだした修二は凄く機嫌がいいみたいだ。いつもの怠そうな姿はなりを潜めて終始ニコニコしている。二人で下駄をカランコロンと鳴らしながら神社の方へ行く時も、修二はわたしのペースに合わせて歩いてくれた。付き合う前は分からなかったけど、見た目に反して凄く優しいところがわたしは好きだなと思う。

「すげー人だな、やっぱり」

神社内の一本道。両脇に立ち並ぶ屋台がずっと奥まで続いていて、店の前には大勢の人、人で埋め尽くされてる。軽快に流れる祭囃子を聞きながらその中をのんびり歩き「何食べる?」と一つ一つ屋台を覗いていった。こういう場所に来ると何故かソース系の物に惹かれるのはお約束らしい。修二がたこ焼き屋の前で足を止めた。

「い~匂い。うまそ~」
「たこ焼きにする?」
は?何か食いたいもんねーの」
「わたしは修二と同じでいい」
「じゃあ、たこ焼きでもい?」
「うん、もちろん」

修二相手だとわたしも凄く素直になれる気がする。頷くと修二が嬉しそうに微笑んで「おっちゃん、たこ焼き二つ」」と声をかけた。手際よくたこ焼きをくるくると返してたオジサンが「あいよー」と言いながら焼きたてをパックに詰めてくれた。

「え、おっちゃん、いいの」
「いいよ、ちょうど焼き上がったとこだし。ウチはタコ大きくて美味いよ~」
「おーさんきゅー」

お金を渡して袋に入れられたたこ焼きを受けとった修二は、わたしの手を引いて屋台前通りから反れた裏手へと歩いて行く。そこには大きな木々が立ち並び、人もまばらで何かを食べるにはもってこいの穴場だった。

「お、あそこ空いたっぽい」
「ほんとだ。座ろっか」
「おー。何か下駄履きなれねえし疲れたわ」

修二は苦笑気味に言いながら、ちょうど空いたベンチにわたしを座らせてくれた。それほど歩いたわけじゃないけど、人の多い場所を歩くと何となく疲れるものらしい。座った途端ホっとして、隣に座った修二を見上げた。「あっち~」と言いながら襟のとこを軽くつまんでパタパタしている姿は、やっぱり色っぽく感じる。さっき修二がオレは男だって言って笑ってたけど、男でも色気はあるもんなんだなと修二と付き合ってから気づいたのは内緒だ。現に今だって胸元が少しはだけて、筋肉質な胸元がチラチラ見えているせいか、余計に色っぽく見えてしまう。こんなことを考えるわたしはエッチなんだろうか。なんて考えていると、目の前にヌっと丸い物体が現れて「あーん」という修二の声。顔を横に向けると、やけに嬉しそうな顔の修二と目が合った。

「え、い、いいよ」

バカップル定番中の定番をまさか修二がやってくるとは思わなくて、つい首を振ってしまった。さすがに外では照れ臭い。

「何で?いいじゃん。ほら、トロトロで美味いから食えって」
「で、でも…恥ずかしいよ」
「どーせ周りもカップルばっかじゃん。ほら」

どこか楽しそうにたこ焼きをわたしの口元へ運んで来る修二に根負けし、仕方なく出されたたこ焼きをパクリと食べる。言った通り焼きたてで中はトロトロ。というか熱くて口内ではふはふしながら食べた。

「ん~美味しい」
「だろ?じゃあ、ほら。オレにも食わせて」
「えっ」

今度はわたしにたこ焼きを押し付けてくる修二に「本気で言ってる?」と尋ねれば「ひゃは♡」と軽く吹き出された。

「照れてんのー?かーわい」
「か、からかってる…?」
「いや、マジで言ってる。つーか、彼女とこういうことすんのも、お祭りデートも初めてだし、やたらテンション上がってんだけど。オレ、キモい?」

自分で言ってるからわたしも思わず笑ってしまった。キモいどころか、可愛いなんて思ってしまうわたしは、すっかり修二にハマってるかもしれない。付き合う前はチャラチャラして見えたけど、意外なほどいい彼氏で驚いてるくらいだ。つくづく人は見かけによらないと思う。修二にたこ焼きを食べさせながら、好きになってもらえて良かったとシミジミしてしまった。

「あっつ…」
「火傷しないでね」

熱々のたこ焼きにはさすがの修二も勝てないらしい。一人で悶えてる姿を見て笑いながら言うと、修二はふとわたしを見てニヤリと笑った。

「火傷したらにちゅーで治してもらうし平気~」
「………」
「ふはっ真っ赤になってんじゃん」

あまりの不意打ちにドキっとしてしまった。修二とは付き合う時にキスをされたけど、でもそれだけだ。わたしと修二は未だにキス止まりの関係だった。手が早いと勝手に思っていたけど、修二は、意外なほどキス以上のことを求めて来ない。

「こんくらいで真っ赤になるとかかーわい」
「す、すぐそーいうこと言う…修二ってそんなキャラだっけ…」
「キャラァ?つーか好きな女に可愛いつって何か問題あんの」
「な、ないけど…」

好きな女――。その言葉に心臓が素直に反応する。ほんと、思っていた以上に修二はわたしを甘やかすのがうまいかもしれない。告白は修二の方からだったけど、今はきっとわたしの方が夢中になってしまってる気がする。

「あれーじゃん」

その時、聞き覚えのある声に名前を呼ばれてビクリと肩が跳ねた。見ればそこには元カレの雄馬が知らない男4人とこっちに向かって歩いて来るところだった。修二と付き合うキッカケにもなった浮気男だ。

「雄馬…」
「ハァ?オマエ、何で半間とつるんでんだよ」
「関係ないでしょ、アンタに」
「チッ、生意気になりやがって可愛くねえ。あ~そうか。オレと別れて寂しいから半間に慰めてもらってんのかよ」
「な…アンタと別れて寂しいなんて――」

と怒鳴ろうとした時、修二がわたしと雄馬の間に割って入った。元々修二は雄馬のツレだったけど、わたしが原因でモメてからはつるんでいないと言っていた。

「何だよ、半間ァ。久しぶりじゃねーか。何、二人して浴衣とか。オマエら付き合ってんの」
「だったらわりーの?それこそオマエには関係ねえことだろ」
「はっマジで付き合ってんの?オマエら。ウケるー」
「ちょっと雄馬…!」

元カレの態度にカチンときて文句を言おうとしたけど、修二は笑みを浮かべながら「放っとけ」とわたしの頭にポンと手を乗せる。たったそれだけでホっとするんだからわたしも単純だ。だけど、雄馬の次の言葉でわたしは顔が青ざめた。

「はは、ってか、そういうことなら半間、もうとはヤったんか」
「…あ?」
「コイツ、おっぱいの谷間にエロいホクロあんの、もう見た?」
「ちょっと雄馬――!」

カッとなって頬が熱くなる。そんな恥ずかしいことを人前で言う男は最低だ。一発引っぱたかなきゃ気が済まない。そう思ったのに、動いたのは修二の方が早かった。バキッという鈍い音がしたと思ったら、雄馬が吹っ飛んで地面に転がった。

「いつまで彼氏ヅラしてんだよ…。オレの女のことをテメェが語んじゃねえよ、バーカ」
「修二…」

わたしが言いたかったことを代弁してくれた修二に胸が熱くなる。でもそこから雄馬のツレまで乱入してきて、ちょっとした乱闘になりかけたけど、奴らよりも修二の方が数倍強かったらしい。一分したかしないかくらいで決着がついた。

「うそ…つよ…」

修二がケンカをしてるとこは初めて見たかもしれない。そりゃ"新宿の死神"なんて呼ばれてるのは知ってたし、ケンカも強いとは雄馬から聞いたことがあったけど、でもこれほどまでとは思わない。結局修二は一人で五人をあっさり倒してしまった。

「チッ…だりぃ…弱ぇ~んだからイキがんじゃねえよ、クソが」

修二は呆れたように言うと、不意に「やべ…」と呟き、わたしの手を繋いで突然走りだした。同時に祭り会場の方から警備員らしき制服を着た人が数人こっちへ走って来るのが見えて「こらー!待ちなさーい!」と叫びながら追いかけて来る。それを振り切るように修二は人混みをすり抜け、上手く姿を隠しながら逃げていく。わたしは手を引かれるまま、ただ必死に走りづらい下駄で走った。どれくらい走ったのか、気づけば神社の敷地は抜けていて、大きな通りへ出ていた。

「ここまで来りゃ大丈夫だろ…」
「う、うん……」

胸を抑えつつ、息切れしながら振り返ると、そこには祭りへ向かう人たちでごった返している。それに逆らうよう歩いて行くと、あの公園が見えて来た。修二に初めて告白された、あの小さな公園だ。

「はぁ~疲れたぁ…」

もう歩くのも無理だと言わんばかりにわたしはブランコへ座り、隣のブランコには修二が座った。だいぶ無理したせいで下駄ズレを起こしたのか、鼻緒の当たる部分がやたらとヒリヒリする。

「足、大丈夫か?」
「うん。少し擦れてヒリヒリするけど血は出てないよ」
「わりぃ。そんなんで走らせて」

修二はわたしの顔を覗き込むように身を乗り出している。心配そうな顔をしてるから、つい笑顔になった。

「ううん…それより…ありがとね、修二」
「あ?」
「アイツのこと…殴ってくれて」
「あー…」

修二は苦笑しながら夜空を仰ぐと、軽くブランコをこいでいる。その横顔が少しだけ不機嫌そうに見えてドキっとした。さっきまでは機嫌が良かったのに、と悲しくなるのは、あんなバカ男にせっかくのデートを邪魔されたせいだ。――その時、不意に修二が立ち上がったと思ったら、わたしの前にしゃがんだ。

「つーかさー…」
「え…?」
「オレにも今度見せろよ」
「……何を?」
「だーからーさっきアイツが言ってたろ?おっぱいがどーのって」
「……えっ」

まさかのおねだりにドキっとして、ついでに顔が赤くなる。不機嫌そうに見えた修二は、怒っているというより、どことなくスネているように見えた。

「すぐ手ぇ出すのはそれ目的とか思われそうで嫌だったんだけどさぁ。さっきの聞いたら何かモヤモヤすんだよなー」
「…修二…」
「あんなバカが見たことあんのに、彼氏のオレが見たことねえの不公平じゃね?」
「ふ…不公平って……」

かぁっと顔が熱くなってだんだん恥ずかしくなって来た。でも修二は至って真面目な顔であたしを見上げて来る。ケンカをしたせいで、せっかくの浴衣が乱れてるから、細いわりに逞しい胸板がほぼ見えてるのも恥ずかしい。でも一つ、修二は誤解をしている。

「もう…はだけてるよ」

ブランコを下りて、わたしも修二の前にしゃがむと着崩れた浴衣を元通りに直していく。すると不意にその手首を掴まれた。驚いて顔を上げるとすぐにくちびるが重なって、首の後ろに腕が回される。いつもは触れるだけのキスなのに、今夜はちょっとだけ深くて。くちびるが混ざり合うくらいに何度も角度を変えて食べられるみたいなキスをされた。ちゅっというリップ音と共にくちびるが離れた後、わたしと額を合わせて「なあ…ダメ…?」とおねだりをしてくる。それが子供みたいで思わず笑ってしまった。

「何笑ってんだよ…人が真面目にお願いしてんのに」
「だ、だって…修二、勘違いしてるから…」
「……勘違い?」

わたしの言葉を聞いて、修二は怪訝そうに眉間を寄せている。そろそろネタバレしてあげようかなと思いながら、わたしは立ち上がった。

「わたし、おっぱいにエッチなホクロなんてないの」
「…………は?」

たっぷり間を空けてから口をポカンとしたままわたしを見上げる修二に、また吹き出しそうになった。

「付き合ってる時、アイツがね、身体にホクロある女ってエロくていいよなって言いだして、オマエはねえの?って訊いて来るから、つい見栄を張って胸の合間にあるって嘘言ったの」
「……嘘…?」
「わたし、アイツとは何もしてないもん。拒否してたから」
「…は?マジで?」
「だってデートのたびにヤろうとするから何か体目当てみたいで少し様子見てたの。そしたら案の定浮気したし――」

と説明してたら修二が「ぶは…っ」と小さく吹き出した。どうやら脳が理解した途端、おかしくなったらしい。一人でひとしきり笑った後、修二も立ち上がった。

、最高じゃん」
「え?んぐ…っ」

いきなり両腕でぎゅーと抱きしめられて、修二の胸元に顔を押し付けられた。かなりビックリしてジタバタもがいてみても、力では敵わず、最後はされるがまま、またくちびるを奪われた。修二と交わすキスは気持ち良くて時々力が抜けそうになる。

「…じゃあ、オレには見せてくれるわけ」

キスの後でおねだりを再開した修二が、意味深な笑みを浮かべて見下ろしてくる。きっと前のわたしなら恥ずかしくてNOと言ってたかもしれないけど、でも今は違う。わたしの全てを見せていいと思える男がいるとするならば、それはやっぱり修二しかいないから。
返事の代わりにもう一度修二の胸に顔を埋めると、優しい手がわたしの髪を撫でていって、じわりと浮かんだ涙はあの夜とは別の、幸せの雫だった。