黒川イザナ (鶴蝶視点)



キラキラしたネオンが輝く横浜の繁華街を、ひとり闇を背負って歩いてる女を見かけた。こんな遅い時間にひとりで歩かせるわけにはいかねえから声をかけると、その女、がゆっくりと振り向く。でもその顔を見た瞬間、オレはギョっとした。

「カクちゃん…」

涙をいっぱい溜めたウルウルの目は捨て猫よりも悲壮感が漂っている。

「オマエ…何やってんだ、こんな時間にひとりで…イザナは?今日デートのはずじゃ――」
「……カクちゃ~ん」
「うぉっ!な、な何だよ?!」

いきなり飛びつかれ――もとい。抱き着かれて血の気が引く。こんな場面をイザナに見られようものならオレがボコボコのボコにされるからだ。

「と、とにかく落ち着け!」

オレに抱き着いてわんわん泣き出すをどうにか慰めつつ、辺りを見渡せば、が好きそうなお洒落なカフェが目に入った。とりあえず、一緒にいた天竺の下っ端を帰すと、をそこに連れて行ってコイツの好きなカフェラテを頼んでやった。つーか周りがカップル多すぎて落ち着かねえ。

「どうしたんだよ?こんな時間にひとりであんな場所ウロついてたらイザナにキレられんぞ」
「……そんなことないよ。イザナはわたしのこと、もういらないんだよ」
「は?なに言ってんだ、オマエ…」

グスっと鼻をすすりながらとんでもないことを口にするは、またしてもオレをギョっとさせる。イザナがこのをいらないなんてことはありえねえ、絶対に。

「イザナとケンカでもしたのかよ」
「………うん」

やっぱりな、と思いつつ、これまでの二人のケンカを思い出す。いつもはだいたいの方がキャンキャン吠えてイザナがはいはいって聞き入れながら宥めて仲直りってパターンばかりだった。こんな風にを泣かせて夜の街をひとりで歩かせるなんてことは一度もない。だからこそ今日のケンカの原因が気になった。

「ケンカの原因は…?」
「………」
「言えねえことかよ。その……なんだ。二人だけのアレだったりコレだったり…?」
「何それ…」
「オレの口から言わすなっ」

オレが突っ込んでもはキョトンとした様子で首を傾げてる。まあ…下系の話じゃなさそうだ。

「何が原因か知らねえけど…オマエと大将がケンカしたら横浜の街が荒れるんだよ…仲直りする気ねえの?サッサと謝っちまえよ」
「…む…謝るも何も…わたしは悪くないもん」
「………」

さっきまでワンワン泣いてたクセに、急に強気で口を尖らせたはプイっとそっぽを向いた。は悪くない?じゃあイザナが原因か?と言って、ここまでのケンカとなると、いつものイザナの我がままとかじゃなさそうだ。まさか――浮気?と一瞬そんな理由が頭を過ぎる。でもすぐに打ち消した。今のイザナが浮気をするはずがないからだ。
オレが知ってる中でもイザナはこの甘えん坊で泣き虫を絵に描いたようなにベタ惚れだ。今じゃ他の女なんか目にも入ってねえくらい可愛がってるのを知ってる。まあイザナはあの性格のせいで素直にそういうの伝えられてねえみたいだから、時々が不安になって我がまま言って、小さなケンカに発展するってのがお決まりのパターンだ。でも今回は違うとなると…

「…が原因じゃないならイザナか。アイツ、何かしたのかよ」
「浮気した」
「は?」

突然理由を口にしたはまた泣きそうなほど目をウルウルさせ始めた。ここで泣かれちゃ、まるでオレが泣かせたみたいに見られてしまう。いや、そんなことより今コイツは何て言った?イザナが浮気したって言ったのか?ありえねえぞ。
オレからすればイザナがひとりの女に夢中になるなんて思わなかったし、来る者は拒まず、去る者は追わずだったイザナがこんなにも溺愛してるのはくらいだ。今日も「とデート」って浮かれた様子で出かけて行って、をひとりで移動させるのは心配だからってバイクでわざわざ迎えにまで行った。あの暴君が女の為にそこまでするとこなんて見たことがない。だからこそ――。

「嘘だろ…?イザナが浮気なんて」
「ほんとだもん!しかもわたしの目の前で他の女の人と抱き合ったんだよ?!それって浮気でしょ?」
「…だ、抱き合ったって……どういう状況だよ、それ」

ぷんすか怒り出したにどうにか事情を聞くと、話はこうだった。イザナとがデート中、イザナがいきなり女に話しかけられたそうだ。二人は前からの知り合いのように言葉を交わし、最後に軽く抱き合ったという。

「え、その女って…どんな女?」
「どんなって……外国人の綺麗な女の人…」
「外国人…?!それって本当にイザナの知り合いなのかよ?」
「分かんないけど……英語で会話してたし」
「英語って…」

イザナはそんなに英語は話せなかったはずだ。どういうことだ?と考えてみてもオレにはサッパリ分かんねえ。ただ一つ思い当たることがあるとすれば、イザナはハーフだから見た目が外国人っぽいところがある。そのせいなのか道すがら外国人に話しかけられ道を聞かれることもよくあることだった。

「それ…道聞かれてただけじゃねえの」
「えっまさか」
「いや、それ以外考えられねえ。横浜は海外の旅行者も多いから、時々あんだよ。そーいうこと」
「でも抱き合ってたんだよ?!」
「…それは…分かんねえけど…外国人ってフランクだし、只のお礼のハグじゃねえの」
「………」

は唖然とした顔で急に黙り込んでしまった。思い当たることがあったのかもしれない。
その時だった。カフェの入り口から勢いよく中へ飛び込んで来た客がいた。普段は綺麗な髪を乱し、息を切らせて入って来たその男は、店内をキョロキョロ見渡し、オレ達に気づくと怖い顔でこっちへ歩いて来た。それを見た時、オレは白目を剥いた。終わった、と思った瞬間だ。

…!」
「イザナ…?な、何で…」

突然イザナが現れたことでも涙は引っ込んだようだ。

「何、勝手に消えてんだよ…心配すんだろっ」

イザナはオレのことをスルーしての隣にどっかり腰を下ろした。きっと下っ端どもがイザナと遭遇して、オレとがこのカフェへ入ったことを教えたんだろう。口留めしときゃ良かった。せめて巻き込まれないよう、オレはオブジェか何かと思われるように気配を消して二人の行く末を黙って見守ることにした。

「な…何よ…イザナが悪いんじゃない…」

イザナに詰め寄られ、が強気で言い返す。でも本当はイザナが追いかけて来てくれたことが嬉しいんだろう。さっきまで顔面蒼白だったのにホッペがほんのり色づいてる。

「オレが何したってんだよ?さっきの女のことなら道聞かれただけっつったろ!」
「そ、そうだっけ?」
「オマエ、オレの話もろくに聞かねえで走って行きやがって」

なるほど、やっぱりオレの予想は当たっていたわけだ。も気まずそうな顔で視線が泳ぎだしたところを見ると、勘違いしたって自覚はあるんだろう。ったく人騒がせなカップルだ。

「で、でも抱き合ってたし…」
「あんなの背中に腕回してポンポンってする軽いハグだろーがっ。たまにいるんだよ、ああいうノリの外国人が」
「………」

あ…の顏が赤くなりだした。やっと完全に自分の勘違いだと気づいたらしい。

「つーかひとりでこんな場所まで来たのかよ…。ひとりで繁華街歩くなつったろ」
「…ごめん」
「オレがどんだけ探したと思ってんだよ。電話もスルーしやがって」
「…ごめんなさい」

イザナに叱られ、はどんどん項垂れていく。ってかイザナもが大事なあまり、随分と過保護になってねえ?が絡むと途端に普段の冷静さがなくなるんだから笑ってしまう。いや実際に笑ったら殺されっけど。

「ほんとに悪いと思ってんのかよ」
「…う…お、思ってる」
「ふーん…じゃあ……許してやるよ」

とか何とか言ってるが、どう見てもイザナの方がホっとした顔をしてる。なに泣いてんだよ、って指での涙を拭いてやってる光景は何気に衝撃的だ。いつも二人のこと見てるけど、イザナがこんなにも優しくに触れてる姿は初めて見た。だいたい普段はの方がベタベタと甘えて、イザナが「うぜえ」とか思ってもないこと言ったりしてるのがデフォルトだから、こんな風に優しい目で見つめながらを宥めてるイザナはある意味レアすぎる。

「…でも…もうハグでも女の人と抱き合うのはやだよ」
「分かってるよ」
「今度したら嫌いになるから」
「は?それは無理。つーか、もうしねえつってんじゃん。いい加減機嫌直せよ」

やべえ。空気が一気に甘ったるくなって来た。あのイザナがの頭を撫でて優しく肩を抱いてる。周りにハートが飛んでんぞ。一応ここ公共の場なんだが?オレにとってはホラー映画を観ているよりも恐ろしい光景だ。しかもイザナのヤツ、オレの存在完全にスルーしてねえか?一応、オレも目の前で息してるんだが。

「……オレ、帰るわ」

見るに堪えなくなって席を立つと、イザナはやっとオレの存在を認識したかのように視線を上げた。

「おー。悪かったな、が迷惑かけて…」
「……っ?」

歩きかけた時、背後からそんな言葉が追いかけて来て、オレは一瞬その場で固まった。イザナから、いや。王から下僕に謝罪とか、これまた激レアなことが起きている。

「い、いや……仲直りしてくれて何よりだ」

下僕らしく、それだけ応えると、オレは足早にカフェを後にした。でも怖いもの見たさでふと足を止めて振り返ると、窓際の席の二人が仲良さそうに笑いあってるのが見えた。あのイザナがあんな優しい顔で笑うのを見るのは、本当に久しぶりだ。とりあえず横浜の平和は守られたし、オレとしてはレアな王さまを見られて満足したから、後は……トレーニングがてら、走って帰るとするか。