今牛若狭(真一郎視点)



困った。今、オレは非情に困っている。オレを困らせている原因は大きな瞳をウルウルさせている目の前の女の子だ。

「お願い、真ちゃん…泊めて」
「い、いや…だからそれはさ…オレの命が危ないっつーか…まだ死にたくないっつーか…」
「何よ…真ちゃんもワカくんのこと怖いの?」

ウチの特攻隊長だった男の彼女、はぷくっと可愛くホッペを膨らませてオレを睨んで来る。いや、その顔はめちゃくちゃ可愛いし、こんな状況じゃなければきっとオレもデレてしまってたはずだ。でもそんな呑気にしていられない。
ワカが怖いのかって?怖ぇーに決まってんだろ!と突っ込みたくなった。元々最強の名を欲しいままにしていた煌道連合の総長だし!白豹だし!ワカにかかればオレなんか瞬殺のレベルだ。なのにそのワカが目に入れても痛くねえっつーくらいに溺愛している可愛い彼女が、「今夜泊めて」と言うんだから、そりゃあビビるってもんだ。

「い、いや、ちゃん。落ち着いて」
「わたしは落ち着いてるもん」
「なら、まずはワカに連絡して――」
「ダメ!ワカくんには電話しないで」
「え~…」

かれこれ30分。さっきからこの調子で埒が明かない。

「泊めてやりゃ~いーじゃん、兄貴」

さっきから傍でテレビのアニメに夢中だった弟の万次郎が、ニヤリとしながら振り向いた。この顔を見る限り、コイツは絶対に楽しんでいる。

「マンジローは口を出すな。オマエはワカの彼女を泊めることの恐ろしさは分かんねえだろ」
「……兄貴もこの子に惚れてたんだろ?」
「………」

こっそりと耳打ちしてきた万次郎は更にニヤニヤしはじめた。小学生のクセに何でコイツはこんなにもませてんだ?つーか兄ちゃんの恋愛事情まで把握してるとは我が弟ながら恐るべし。

「それとこれとは話が別だ。とにかくワカに電話しよう。な?ちゃん」
「ダメ!もしワカくんに連絡したら、わたし真ちゃんに口説かれたってワカくんに言っちゃうからね」
「そ、それはやめて?」
「そもそもは何でウチに泊りてーの?」

気づけば万次郎もオレの隣に座っていた。でもいい質問だ。何故、ちゃんが突然我が家に来て、しかも泊めてというんだろう。確か最近ワカと暮らし始めたって聞いたけど、やっぱケンカしたのか?そう思っていると、は急にシュンとした様子でオレを見上げて来た。相変わらず可愛いな、オイ。

「えっと…まずは理由を教えてくれる?ワカとケンカでもしたのかよ?」
「……」

一番肝心なことを尋ねると、ちゃんは思い切り首を振った。

「わたし、ワカくんとケンカしたことない」
「えっ」
「わたしが怒ってもワカくん怒らないし、何でもうんうんって聞いてるだけでケンカにもならないもん」
「あー…」

それは何となく想像できる気がした。ちゃんが怒ったとしても、どうせワカは"可愛いなぁ"くらいにしか思ってないんだろう。でも、じゃあ何で家に帰りたくないんだろう。

「ケンカじゃねえんなら…どうしたんだよ。泊めてってことは家に帰りたくないってことだろ?」
「……うん」
「その理由は?」

もう一度訪ねると、ちゃんは思い切ったように顔を上げて泣きそうな顔をした。いや、泣かないで。こんなとこ見られたらオレが泣かしたと思われる。

「だって…ワカくんの家、元カノの物がまだ残ってるから…」
「……え?」
「今日だってお掃除してたらエッチな下着まで出て来たんだよ?普通あんなのとっておく?わたしと住むのにワカくん、そういうの処分もしないでとってるんだもん。それってまだ未練あるってことだよね…」

自分で言いながらどんどん落ち込んでいくちゃんを見て、オレと万次郎は顔を見合わせた。確かに一緒に住みだした部屋で女物の下着を見つければ、そう思ってしまう気持ちも分からなくもない。でも、ワカがこんなにも可愛がってる彼女は、オレの知る限りちゃんだけだ。その見つけた下着とやらはきっとワカが捨て忘れたか、そこにあったことにすら気づいていないパターンのような気がする。

ちゃん…」
「…なあに?」
「そこだけは心配すんな」
「…え」
「ワカはちゃんのことが大好きすぎて最近ちょっとヤバいくらい溺愛してるし、元カノなんて綺麗さっぱり忘れてるはずだから」
「でも…」
「きっとその下着ってのもあったことすら知らなかっただけだと思うし」

そう言ってる矢先、玄関の方からけたたましい音と、「真ちゃん!」という大きな声が聞こえて来て、顏から血の気が引いた。

「え、何でワカくん呼んだの?」
「オ、オレは呼んでねえよ」

ちゃんが口を尖らせてオレを睨むから慌てて首を振る。そこへワカが飛び込んで来た。

「真ちゃん!、来てね……って、…?!」

取り乱した様子で我が家の茶の間に顔を出したワカは、案の定の姿を見て固まっている。だからすぐに事情を説明しようとした。その時、オレの腕に何かが絡まってグイっと引っ張られた。

「今夜は真ちゃんのウチに泊ります」
「……は?」
「――ッ?」

はオレの腕に自分の腕を絡めて、ワカにとんでもない果たし状を送った。一瞬でワカの目に殺意が灯り、オレを凄い目で睨んで来る。

「ってか何腕組んでんの、真ちゃん」
「や、オレからじゃねえだろ?ちゃんと見てたんかよ」
「いいから離れろ。オレのに触れんじゃねえ」

ワカは座った目で睨みつつ、の腕を無理やり自分の方へ引っ張っている。

「真ちゃんちに泊まるとかダメに決まってんだろ」
「む…ワカくんが元カノの物を処分するまで帰らないもん」
「だからそれは捨てたって…。あんなのがあったなんて今日まで知らなかったし」
「でもブラジャーがあったってことはあの部屋でエッチなことしたってことだよね…」
「う…そ、れはさあ…」

ちゃんの指摘にさすがのワカも困り果てている。この隙にオレと万次郎は後ろへ避難しておいた。

「そう考えると嫌なんだもん…」
「えー…」

ちゃんの嫉妬攻撃にワカは返す言葉もないようだ。でも口元が緩んでるところを見ると、こんな状況でも"可愛いなあ"と思ってるのは明らかだ。まあ、ここまでヤキモチ妬いてもらえたら可愛いと思うのは理解できる。でも…ウチに泊まるというのは勘弁してくれ。

「じゃあ…いっそ引っ越す?」
「…え?」

ワカの提案に初めてちゃんが反応した。ってか、彼女の為にそこまですんのかってオレも驚いたけど。

と二人で新しい部屋に住みたいなーとは思ってたんだよ、実は」
「…ほんと?」
「ほんと。ああ、じゃあ明日は一緒に不動産屋に行く?」
「…うん!行く!」

さっきまでのスネスネモードはどこへやら。今は瞳をキラキラさせてワカに抱き着いている。ついでにワカがちゃんの唇にちゅっとし始めた。それを万次郎が食い入るように見てるから、そっと手で目を隠しておく。オマエには10年はええ。

「真ちゃん、悪かったな。が迷惑かけて」
「いや…オレのことなら気にすんな」

さっきまで殺意満タンな目で睨んでたワカも、今はすっかり普段のデレ顔に戻ったようだ。ちゃんと仲良く手を繋いで「んじゃー帰るわ」と言い出した。オレもホっとしつつ玄関まで見送ると、ちゃんが「真ちゃん、ごめんね」と振り返る。

「いや、いいよ」
「また来るね」
「え…いや、それはちょっと…」

一瞬でワカの目が細くなんのを見て、口元が引きつる。とりあえず明日、いい部屋が見つかることを祈っておこう。

「じゃあ今夜は早く寝るか」
「うん。あ…でも…引っ越すまでエッチなことしないでね」
「え…っ?」
「だって…元カノとしてた部屋じゃ嫌だもん」
「いや、それはオレがかわいそーじゃん」

ドアを閉める時、そんな会話が聞こえて来て、オレの口が盛大に引きつった。お願いだから佐野家を巻き込まないで欲しい。ったく、ほんとに困ったバカップルだ。