静かな夕暮れ時、誰もいない体育館に、ボールが跳ねる音が響いていた。
覗いてみると、そこにはバスケ部エースで、うちの女子生徒の憧れの的、流川楓がいた――。
「俺と付き合ってくれない?」
放課後、体育館の裏に呼び出されての告白。相手は隣のクラスの男の子で、一年の時は同じクラスだった斉藤くん。でも私は彼に特別な感情など持っていないから、「ごめんなさい」とだけ告げた。それよりも気になるのは体育館から聞えるドリブルの音。
「え、何で?、付き合ってる奴いないだろ?」
体育館の方へ視線を向けていると、斉藤くんは苦笑しながら肩を竦めた。確かに付き合ってる人はいないけど、貴方と付き合う気なんかないから「ごめんなさい」と言ってるのに、と内心、溜息をつく。
「いないけど…」
「だったらいいじゃん。気軽な気持ちでさ。俺、前からのこと、好きだったんだ」
気軽な気持ちで付き合うって、それは問題なんじゃないのかなと思いながら、軽く息をついた。それで好きだとか言われても、本気とは思えない。
「なあ、付き合ってよ。俺達なかなか、お似合いだと思うんだけど」
勝手に決めないで欲しい、と思っていると、不意に腕を掴まれ、ハッと顔を上げた。
「俺、本気なんだ」
「なに――」
いきなり腕を引き寄せられたと思った瞬間、斉藤くんの顔が近づいてきてビックリした。逃げようにも、腕をガッチリと掴まれていて逃げられない。慌てて顔を背けようとしたその時――。ボンッ!!
「…てっ!」
「――ッ?」
いきなりボールが斉藤くんの頭を直撃し、その拍子に掴まれていた腕が解放された。
「…ってぇ…何だよ!!」
頭を押さえ、何が何だか分からないといった斉藤くんは、ムっとした顔でこっちを見た。
と言って、私が何かしたわけじゃない。
その時、すぐ後ろに人が立つ気配がして―
「悪い…手が滑った」
「あ…」
その声に振り向くと、そこには今まで個人練習をしていた流川楓が無表情で立っていた。
「…お前…バスケ部の…っ」
斉藤くんは相手が誰か分かったのか、軽く舌打ちをしている。流川くんはそのままボールを拾い上げると、チラっと私を見てから、斉藤くんを見下ろした。
「振られてるんだから、サッサと帰れば」
「あぁ?!」
「先輩、コイツと付き合う気あるんスか?」
「え?あ――」
いきなり私を見る流川くんにドキっとして、慌てて首を振る。斉藤くんはそれを見て、グっと言葉に詰まったようだった。
「おい、、コイツ何だよっ」
「え、あ…中学の時の…後輩だけど…」
「後輩…?だったら関係ないだろ。とっとと戻って練習でもしてろっ」
斉藤くんはイライラしたように怒鳴った。でも当の流川くんは全く動じてないといった表情で、
「だからアンタが帰れば?振られてるんだし」
「…だとぅっ?!年下のクセに生意気なんだよっ」
「や、やめて!」
流川くんの態度にキレた斉藤くんは、いきなり彼に殴りかかっていった――。
シュっという軽い音と共に、ボールがゴールへと吸い込まれていった。
相変わらず綺麗だな、と彼のフォームを見て思う。中学の時よりも更に伸びのある、しなやかな動き。やっぱり彼はバスケをしている時が一番、カッコいい。
「…先輩?」
ふと彼が、こっちを見た。その拍子にゴールに吸い込まれたボールは彼の手ではなく、床に落ちて、私の足元に転がってくる。それを拾い上げると、流川くんはリストバンドで汗を拭いながら、こっちへ歩いて来た。
「まだ…帰ってなかったんスか?」
「うん…あの…さっきはありがとう…」
「別に…手が滑っただけだし…」
いつものように素っ気ない答えに、つい苦笑が零れる。それでも、さっき困ってる私を助けてくれた。
あの後、斉藤くんは流川くんに殴りかかったが、アッサリと交わされ、早々に逃げ帰ってしまったのだ。
「…あ、邪魔してごめんね」
「…別に邪魔じゃないスけど…」
私からボールを受け取ると、流川くんは視線を反らしながらもボソっと呟く。たった、それだけで嬉しくなるんだから私も単純だ。
「じゃあ…もう少し見ててもいい?」
「…いいスけど…退屈じゃないんスか?」
「ううん。楽しいよ」
そう応えたら流川くんはちょっとだけ笑顔を見せてくれた。その笑顔を見ただけで胸の奥がトクンと鳴る。やっぱり私はこの人が好きだ、と再確認してしまう。
中学の頃はバスケ部のマネージャーをしてたから彼とは時々だけど、言葉を交わした事がある。一学年下なのに落ち着いた雰囲気で、最初はとっつきにくいイメージだったけど、練習後もこうして一人で練習してる流川くんを見てるうちに、少しづつ目で追うようになって、気づけば好きになってた。流川くんに憧れてる女の子は先輩でも後輩でも沢山いるし、私もその中の一人だけど、こうして言葉を交わせるだけで幸せだ。
バンっとドリブルの音が体育館に響き、流川くんがフワリと飛んだ。綺麗に伸びた両手からボールが離れ、綺麗な弧を描いたボールはゴールの中に吸い込まれていく。試合で何度も見たことのある光景だけど、こんな風に二人きりで、というのは久しぶりだ。
中学の時はわざとマネージャーの仕事を残しておいて、こうやって流川くんの個人練習を見てたっけ。殆ど言葉は交わさなかったけど、凄く楽しい時間だった。
流川くんは…もう覚えてないと思うけど。
この高校に流川くんが入ると聞いた時、凄く嬉しかった。また彼のプレーを傍で見れるから。友達の彩子に、また一緒にバスケ部のマネージャーやろうよって誘われたけど、流川くんのいないバスケ部が何となく寂しくて、結局は断ってしまった。こんな事なら素直に入っておけば良かったと思う。彩子は今からでも遅くないって言ってくれてるんだけど、こんな不純な動機でマネージャーをやったら、流川くんに軽蔑されそう。
「先輩」
「…えっ?」
ボーっとしていると、不意に名前を呼ばれハッと顔を上げた。
「…と、こうして放課後残るのって…久しぶりっすね」
「……ッ?」
その言葉に驚いて流川くんを見ると放ったばかりのボールが床に落ちるところだった。
「もう…マネージャーやんないんスか…?」
「え…?」
「また――やればいいのに」
胸がドキドキした。流川くんは、いつもと変わらない口調でそう言うと、ドリブルをしながら走っていく。ふわっとジャンプをした瞬間、綺麗にダンクが決まった。
「そう、だね」
泣きそうになったのを何とか堪えて、小さく呟く。
転がったボールを拾い上げた流川くんは、この日一番の笑顔を見せてくれた。
今は、その笑顔だけで十分だ。