明日を救うことの出来る天使に偶然なれるかもさ。


空間の狭間から下界を見る。
人間界は、今日も平和みたいだ。

此処は昼も夜もない場所。
のっぺりとした空間で、化け物たちが次々に生まれてくる。
それをおぞましい事だと、恐ろしい事だと思っているのに、この場所から動けない。
あの尸魂界での反乱から数ヶ月が過ぎようとしていた。
あれから、尸魂界がどうなったのか、知りたいのに聞けない。
仲間を裏切ってきた私が、今更心配などしても、仕方がないと、そう言い聞かせていた。

「まーた、こんなトコで一人でおる」

柔らかい語尾で話しかけてくる声に、私はゆっくりと振り向いた。

「市丸隊長…」

そこには、死覇装を脱ぎ、白装束に身を包んだ、いつものように優しい笑顔。
でもその笑顔には少しだけ困ったような笑みが含んでいた。

「ボクはもう"隊長"やないで?」

そう言いながら私の隣に並んで立つ。
長身の彼を見上げると、ふわりと頭に手を置かれた。

「ギン、でええよ」
「私にとって…"市丸隊長"は"市丸隊長"でしかないです」
「そういったもん、全て置いてきたんとちゃうの」

そう言われてみれば、そうなのかもしれない。
尸魂界での全てを捨てて、彼について行くと決めた時から。
私は今、彼のためだけに、此処にいる。

「そうですね…莫迦なこと言いました」

私の言葉に、彼はやんわりと微笑んでそっと私を抱き寄せてくれる。
今の笑顔の中に、少しだけ寂しさが混じっていたような気がした。

「後悔しとるんちゃう…?何もかも捨てて来て」
「…ありえません」

躊躇うことなく、そう答える。
たとえ仲間に裏切り者、と、いつか罵られる日が来たとしても、私はきっと後悔なんかしないだろう。
それを……悲しいと思う事はあっても。

元"護廷十三隊・三番隊隊長"市丸ギン。
私はこの人を愛し、その愛を貫く思いでついてきた。
たとえ彼が悪であっても、その気持ちに変わりはない。
あの反乱の首謀者、元五番隊・隊長"藍染惣右介を信じてついてきたわけじゃないのだ。
彼が藍染を信じてついてきてるなら、私もそうするしか術がなかっただけ。

自分の隊の隊長が、裏切り者だと知ったのは、あの大虚メノスグランデが現れる直前だった。
旅禍たちとの戦い、そして藍染隊長の死。
それらが一気にやってきた、あの事件は全てが仕組まれたもの。
そう聞かされた時、目の前が真っ暗になった。
三番隊、第五席の立場にあった私は言われるがまま、市丸隊長の拘束に向かった。
信じていた隊長の裏切りを知って混乱した頭のまま、彼の腕を掴んだ。
隊長は悲しそうな顔で私を見て、私はこの腕を絶対に離したくない、とそう思った。
でも――空を割って、大虚が姿を現した時、市丸隊長が私の手の届かない遠い場所へ行ってしまうのだと、感じた瞬間――

「私も…連れてって下さい…」

不意に口からついて出た言葉。
隣にいた乱菊さんの驚いた顔。
市丸隊長はあの時、どんな顔をしていたんだったか。
気づけば私はメノスの放つ反膜ネガシオンに隊長と二人、包まれていた。

「あの時の事を、後悔した事なんてありません」

心の奥の内を強い意思に乗せて告げる。
彼はかすかに微笑んだ気がした。
何もかも捨てて来たんだ。
彼の笑顔を見ると、これで良かったんだ、と思わずにはいられない。
私はいつから彼を、こんなにも愛してたんだろう。

「これからは…"ギン"と…呼んでもいいですか?」
「ボクはそうして欲しいて、前から言うてるやん」
「…そうですね」

ちょっと笑って顔を上げると、彼――ギンは優しく微笑んで額に軽くキスを落とした。

「出来れば、その敬語も止めて欲しいねんけど」
「…そう…します」

照れ臭くて、俯こうとしたその時、奪われるように塞がれた唇。
身体に電気が走ったみたいに、心に熱を持ったみたいに、その行為で私の意識は彼だけのものになる。

莫迦でもいい。
裏切り者でもいい。
私は彼の傍にいたかった。
彼の闇を照らす、唯一の存在でいたかった。

彼がどこへ行こうとしているのかは分からない。
それでも、その先に何が待っていたとしても、私は市丸ギンという男を照らし続けたい。

は…唯一の光やから」

ゆっくりと唇を離した後、囁かれた言葉。

私と同じように、彼もまた、明日に不安を抱いているのかもしれない。





破面編のギン様です。