聖なる夜を告げる鐘の音が響く。
その音を聞きながら、乱雑な人ごみをゆっくりと歩いていく。
"あの場所"はまだあるだろうか。
そんな事を考えながら、一歩、一歩、その場所へと近づいていった。


「…あった」


"あの場所"は、まだそこにあった。
キラキラと輝くイルミネーションで着飾っている沢山の木々の下に、それは寂しそうに。


「…エル…」


一瞬、彼がそこに座っているように見えて、思わず、その名を口にする。
背中を丸めて、寒そうな格好で、頭上にあるイルミネーションの輝きを、何故か悲しそうな瞳で見つめていた。


一年前の今日と同じように―――




クリスマスなんて大嫌い。

毎年、この時期になると思うこと。

だって日本に住んでる私達にはまるで関係のない日だもの。
なのに人は浮き足立ち、恋人達は豪華なプレゼントに食事、ホテルのリザーヴ。
そんな無駄な事に体力も精神力もお金も使う。


「バカみたい…」


ごちゃごちゃとした街を歩きながら、一人呟く。
すれ違う人たちは殆どがカップルで、これ以上くっつけないだろうと思うほどにベッタリ寄り添い、一人で歩いている私に哀れみの目を向ける。
そんな視線すらウザったい。


これから私は買い物をして、広くも狭くもない普通のマンションに帰宅したら、いつもと変わらない食事をして、明日の仕事の為に早くにベッドに入るだけ。


何も変わらない。
今日が何の日でも、今の私には。


そう思いながら、ふと足を止めた。
目の前には見覚えのある高級なホテル。
その前にも大きなクリスマスツリーが飾られていて、懐かしい記憶が頭を過ぎった。
そこは子供の頃、一度、両親に連れてこられたホテルで、あの日も確かクリスマスだった。
子供の私は大きなクリスマスツリーを見上げて、思い切りはしゃいでいたっけ。
家族で食事をして、楽しいクリスマスを過ごした、最後の日。
それから間もなく、私は一度に両親を失う事になる。


まるで思い出の中の子供の自分に戻ったように、ツリーの前に吸い寄せられた。
キラキラと光る、赤や青、緑のライトが綺麗で、つい顔が綻ぶ。
ホテルの前はこんなにも煌びやかで、中を見れば暖かそうなロビーが見える。
それを見た途端、自分の体が冷え切ってる事に気づいた。


ううん、身も心も全てが寒い。


「…風邪引きますよ」


不意に声が聞こえてドキっとした。
まさか自分に対してとは思わず、ハッと我に返ったのと同時に足が動く。
が、その時、ホテル横の街路樹の下に、人がいることに気づき、ギクッとした。
ホテル横の街路樹は表通りとは裏腹に、人が殆ど歩いていない。
だからなのか、その木々には明るいイルミネーションが飾られ、暗い道を照らしている。
そして、その木々の下にあるベンチに、一人の男が、妙な格好で座っていた。
どこか寂しそうな、そんな顔で、煌びやかなイルミネーションを見上げている。


「泣かないで下さい」
「…え?」


その男が不意に口を開き、ドキっとした。
そしてこの声は先ほど聞こえた声だ、という事にも気づく。
きっとさっきの言葉も私に向けたものだったのだ。


「…泣いて…ませんけど」


そう答えながら、何で無視していかなかったんだろう、と小さな後悔の念が浮かぶ。
だいたい、こんな日のこんな時間に、こんな場所で一人座っている、というのは、どう考えてもおかしい。


「そうですか?私には泣いてるように見えました」


やけに丁寧な言葉遣いの男を、この時初めてまともに見た。
膝を抱えるようにしてベンチの上にしゃがむように座っている男は、やっぱり普通じゃないように思える。
格好もこの寒空だというのに、白いシャツ一枚にジーンズといった、いかにも寒そうなもので、
さっき私に言った「風邪を引きますよ」という台詞をそっくり返してあげたい。


「綺麗ですね」
「……は?」
「この木に飾られているライトも、先ほどあなたが見ていたツリーも、とても綺麗です」
「……はあ…」


淡々とした言葉で、それでも少し笑みを浮かべながら頭上にあるイルミネーションを見上げる男に、私は首をかしげた。


だいたい、この人はクリスマスの夜に一人、こんな場所で何してるんだろう。
もしかして…少しおかしい人なのかな。


ふと、そんな事を考えながら、このまま帰ってしまおうか、と思った、その時。
男が視線を私に向けた。
意外にも優しい、その視線にドキッとする。


「…座りませんか?」
「え?」
「ああ、これからデートですか?」
「…いえ。帰るだけですけど…」
「そうですか。では一緒に見ませんか?ここから見るイルミネーションがツリーと重なって凄く綺麗なんです」


男はそう言うと再び頭上を見上げた。
そんな彼を見ながら、これはナンパなのかな、と思いながら、見るからに怪しい男に声をかけられて、ハイそうですか、と付き合えるわけがない。


「良ければどうぞ?」


なのに――男にそう言われて、私は拒む事もせず、気づけばベンチに腰をかけていた。


「ほら、綺麗でしょう?」
「…そうですね」


彼に言われるがままに、木々を見上げてみると、ツリーの明かりと重なってキラキラと綺麗に反射している。
通りの向こうまで続くイルミネーションが、空に浮かぶ光の道のような気がして、思わず笑顔になった。


「わあ…綺麗…」


ついそんな言葉が口から洩れると、男はちょっと微笑んで空を見上げた。
その笑顔は思ったよりも優しく、さっき感じた警戒心をも溶かすような雰囲気がある。
男はそれ以上、何も言わないで、ただ黙ってイルミネーションを眺めている。
彼はいったい何者で、何でこんな場所に一人でいるんだろう、と、またさっき感じた疑問が浮かぶ。


(寒く…ないのかな…今日はかなり気温も低いんだけど…)


チラっと視線を向けると、男は自分の膝の上に手を乗せたまま、白い息を吐いている。
そんな彼を見てると、もう怖いとかは思わなかった。


「あの」
「はい?」
「…寒く…ないんですか?」
「寒いです」
「………」


迷うことなく、そう言うと、男が私の方を見て鼻をすすった。
見れば、彼の鼻がほんのりと赤く染まっている。
何となく可愛くて、ぷっと噴出すと、男はキョトンとした顔で首を傾げた。


「どうしましたか?」
「ご、ごめんなさい。ただ…あなたの鼻が赤くて…まるでトナカイみたいだなって思ったの」


素直に思った事を口にすると、彼は一瞬、手で鼻を抑え、「ああ、今日はクリスマスでしたね」と笑った。


「そのクリスマスに…こんな場所で何をしてたの?トナカイさん」


笑ったおかげで少し心が和らぎ、軽い口調で尋ねると、彼は不思議そうな顔で、


「え、イルミネーションとツリーを見てますけど…」
「……そ、それはそうだけど…」


その当たり前の答えに、つい口元が引きつる。


「そう言う意味じゃなくて…その…ここで一人で何してるのって聞いたの。コートも着てないじゃない」


私がそう言うと、彼はああ、と言って微笑んだ。
そして袖で半分隠れている手をすっと上げると、目の前のホテルを指差し―



「私はここに滞在してるんですよ」
「――えっ?」
「ちょっと気分転換でもしようとツリーを見に降りてきたんですが、イルミネーションも発見したので、つい見入ってしまいまして」


コートくらい羽織ってきたら良かったですね、と男は笑いながら、「ックシュ」と小さなクシャミをした。


「だ、大丈夫?」
「はい。すみません」


男はやっぱり相当寒かったようで、ズズっと鼻をすすると、ますます体を丸めて足を抱え込んだ。
そこで足元を見て、更に驚いた。


「え、何で裸足なの?」
「私は靴下というものが嫌いですので、普段からはきません」
「で、でも寒いじゃない」
「そうですね…。そろそろ体が冷えてきました」


鼻を真っ赤にして、白い息を吐きながら、彼は子供みたいな顔で私を見た。
その表情に、つい笑ってしまう。


「部屋に戻ればいいのに」
「ええ。でも…せっかくあなたと知り合えたので」
「…え?」
「少し前から…あなたを見てました。何となく、寂しそうなにツリーを見上げていたもので」


男はそう言うと優しく微笑んだ。
その笑顔は温かくて、何故か胸の奥がジンと暖かくなる。


「…別に私は寂しくなんか…」
「そうですか?私は寂しかったですよ」
「…え?」
「なので、つい声をかけてしまいました」


男はそう言うと照れ臭そうに笑って空を見上げている。
どこまで本気で言ってるんだろう、と思いながら、寒そうに首を窄めている彼を見て、自分のマフラーを外した。


「え、え?」
「寒いんでしょ?貸してあげる」
「で、でも、それではあなたが―」

「はい?」
「私の名前。って言うの。あなたは?トナカイさん」


そう言ってマフラーでグルグル巻きにしてあげると、彼の口元まで隠れてしまい、ちょっとだけ笑った。


「暖かいです…」


マフラーで隠れた口元から、くぐもった声が聞こえる。


「今度からはちゃんとコート着て来た方がいいわよ?」


そう言って微笑むと、彼は小さく頷き、


「私の名前は――エル」
「…エル?」
「エル・ローライトです、さん」
「…変わった名前、ね」


素直に思った事を口にすると、彼、エルは、「よく言われます」と言って苦笑した。
日本人じゃないんだ、と驚いたけど、それもどうでもいい事のように思えて空を見上げる。
キラキラ光る輝きを見ながら、いつの間にか、この奇妙な出会いを楽しんでる自分がいた。


「あ、雪」
「え?」
「雪ですよ、さん」


急に声を上げて空を指差すエルに、私も見上げると、確かに白いものがふわふわと舞い落ちてくる。


「どおりで寒いわけです」
「…ホントね。でも…イルミネーションに映えて綺麗」
「ええ。天からのクリスマスプレゼントですね」


エルは似合わない台詞を口にして、ニッコリ微笑んだ。


さんとの出会いも…」
「…え?」


かすかに聞こえた、その言葉にドキっとした。
隣に視線を向けると、エルは照れ臭そうに指で鼻先をかきながら、


「また…会えますか?」

「―――うん」


あの時、何故か自然にYESと答えられたのは、あなたがきっと、私にとっての救世主だと感じたからかもしれない。
大嫌いなクリスマスに起きた不思議な出会いは、その後の私の人生を大きく変えてしまった。
寂しくて仕方なかった私と、同じような寂しさを持つエル。
彼が傍にいれば、どんな事でも乗り越えられそうな気がしてたのに。

冷たいベンチに座ると、目の前のツリーを眺める。
あの時の私は、確かに孤独だった。
そしてエルもまた、そんな私に何かを感じ、声をかけたんだろう。

だって私は泣いてたんだもの。
強がりばかり言って、虚勢を張って生きてきたから。
孤独でどうしようもなかった。
そんな時にあなたが私に手を差し伸べてくれたから―――今、私はここにいる。

「エル…見える?あなたが好きだったツリーが、今年も飾られてるよ」

真っ暗な空を見上げると、白い吐息が風に舞った。その時――。

「あ……」

真っ暗だった空から、白い粉雪がふわふわと舞い降りてくる。

それはまるで、エルからの返事のような気がして、涙が頬を伝っていった。

ふわふわと舞い降りた雪は、私の頬、唇におちて、すぐに溶けていく。

それはまるで、彼からのキスのように暖かかった。







救世主の手が

差し伸べられる日の訪れを。


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すみません、今頃クリスマスネタですよ(;^_^A
と言うか、これクリスマス前に書いてて、途中だったものでして;;
何だか途中まで書いたし、もったいないなーという事でアップさせて頂きました。
これは…もうエルがいなくなってしまった後の話ですね…;;
少し切ないのを書きたくなってやっちゃいましたよ。


皆様に楽しんでいただければ幸いです。
日々の感謝を込めて…

【SICILY...管理人:HANAZO】