Nostalgie...あの想いは、遠い故郷の地に...[2]「マットは私より二つ年下なのね」 「…だから何だよ」 いつもの時間、いつもの場所で、二人並んで座りながら、今日は誰もいないグランドを眺める。 あれからは何度か同じ場所で、と会うようになった。 はオレが行くと先に来ていて、オレを見つけると嬉しそうに手を振ってくる。 別に待ち合わせたわけじゃないのに、が待っていると、何となくホっとした。 「歳なんかどうでもいいじゃん」 「そうだけど…でも煙草はまだ早いんじゃない?」 「説教すんなよ。それが嫌でここに来てるっていうのにさあ」 そう言って顔を顰めると、は「ごめん」と言って俯いた。 いつものように軽く言っただけなのに、落ち込んでる様子のに少しだけドキっとする。 「別に怒ったわけじゃないから」 そう言うとはホっとしたように顔を上げて微笑んだ。 「私も説教したわけじゃないの…。ただマットの体が心配だっただけ」 「…いいよ、心配なんて…母親じゃあるまいし」 俺の言葉に、はおかしそうに笑った。 その笑顔に、今度はオレがホっとする。 そして吸おうと手にした煙草を箱へと戻した。 はそんなオレを不思議そうな顔で見て、 「…吸わないの?」 「…さっき吸ったばかりだからな。少しは控えるよ」 「…ごめん、気にさせちゃった?」 「別にに言われたからじゃないって」 そう言ったオレに、はクスクスと笑う。 彼女の笑顔は、やっぱり綺麗だ。 こんな他愛もない会話をしたりして、と過ごす。 それが最近のオレの日課になっていた。 施設を抜け出す事をメロに時々たしなめられたりするけど、でも何故か止める気にはなれない。 メロは優秀だし、ニアを負かす事で頭が一杯だろうけど、オレは誰かと争う事に興味はないし、メロが拘っている一番というものにも興味はない。 そこそこにいい成績をとって、そこそこにやっていければ、それでいい、なんて思ってる。 でも、その"そこそこ"に疲れると、こうして施設を抜け出し一人の時間を過ごす。 これがささやかなオレの息抜きだ。 そして、今はと過ごす僅かな時間も、確かにオレの息抜きになっていた。 彼女は年上なのに、どこか頼りなげで、ガラにもなく守ってあげたくなるような、そんな空気を持っている。 「今日は静かだね」 「ああ…今日は平日だし…この時間は学校があんだろ」 「そっか…そうだよね」 はそれだけ言うと少しだけ寂しそうな顔をする。 そう言えば…はオレより二つ年上って事だし、普通なら学校に通ってるはずなのに、どうして彼女は毎日のようにここに来るんだろう。 まあ、それを言えばオレも同じだけど、オレは施設で勉強してるから学校に行ってるみたいなものだ。 でも彼女は… そんな事を考えながらボーっとしていると、ポツポツっと頬に何かが落ちてきた。 「あ…雨…」 「うわ、何か大降りになりそうだな」 一気に雲が空を覆っていくのを見ながら、オレは立ち上がると、の手を引っ張り、近くの木の下に走っていった。 すると少しして、雨がザァァっと激しく降って来る。 「あーあ。やっぱきたか…」 そうボヤきながら僅かに濡れた髪をかきあげると、がワンピースのポケットからハンカチを出してオレに差し出した。 「い、いいよ」 「ダメ。少し濡れちゃったし」 「もだろ?」 「マットの方が濡れてる」 はそう言うと少しだけ背伸びをしてハンカチで濡れた頬を拭いてくれた。 オレを見上げながら一生懸命、腕を伸ばして拭いてくれるに、ドキっとしながらも視線を反らす。 女の子らしい甘い香りが鼻についた。 「いい、大丈夫だって」 そう言いながらの腕を掴むと、その手からハンカチを奪う。 そしてそれでの髪を拭いてやった。 「あ…ありがと…」 少し照れ臭そうには俯いた。 サラサラの綺麗な髪は、今は少し濡れてシットリと彼女の肩にかかる。 それを見てると、触れたくなるくらいに柔らかそうだ。 「…すぐ止むかな…」 「さあな。通り雨ならいいけど…雷とか鳴り出せば木の下なんて危険だし、お前は家に帰れよ。走って行けばすぐだろ?」 「え、でも私だけ帰れないよ」 「別にいいよ。オレも適当に小降りになったら帰るし」 「でも…風邪引いちゃう」 はそこで言葉を切ると、寂しそうな顔をした。 「マットの家…少し遠いじゃない…」 「…え?」 その言葉にドキっとした。 施設の事はコイツに話してないはずだ。 そう思って黙っていると、はゆっくりと顔を上げた。 「私、知ってるの。マットがどこから来てるか…」 静かな雨音だけが、オレ達を包んでいた。 「…知ってる…って…どういう意味だよ」 そう言ってを見下ろすと、彼女は僅かに目を伏せた。 「…知ったのは偶然なの。この前、ここに来なかった日…私はお母さんと出かけてて。たまたま車で通りかかったら…マットが…あそこから出てくるのが見えたから」 そう言うとは真っ直ぐにオレを見た。 オレはオレで、彼女から視線を外すと、後ろの木に寄りかかり息をつく。 「それで?」 「…え?」 「それで…オレに同情でもした?それとも―」 「そんな事ない!私は…ただ話して欲しかっただけ…マットは自分のこと何も話してくれないから…」 真剣な顔でそう言ってくるに、オレは驚いた。 こんな風に感情をぶつけてくる彼女は初めて見た。 それでも素直に聞けない自分がいる。 「何を話せって?元々親がいなくて変な施設に預けられてるんだって言えばいいわけ?」 「マット…!」 「どうせこの辺の奴らはそう思ってるんだろう?同情ってもん振り回して、よく差し入れなんか持って来るからな。でも腹ん中じゃ学校も行ってないオレ達のこと見下してんだ」 「そんな事ないよ!だって皆、優秀なんでしょ?普通の学校の子よりも凄い勉強してるって…」 「…いくら優秀でも…オレ達みたいに親も家族もいない奴らは、好奇の目で見られてんだよ。お前だって興味本位で―」 「違う…!私はマットの事を知りたかっただけ…マットが…好きだから…」 雨の音で消え入りそうな声で、そう呟いた彼女。 驚いて固まってるオレに、泣きそうな顔で微笑んでくれた。 「…ずっと…マットを見てた。家の中から…。どこか寂しそうにサッカーをやってる子達を見てるマットが…気になってたの。一度話してみたいって思ってた」 だから…あの日、勇気を出して声をかけたの、とは俯いた。 雨はいっそう強くなって、肌寒い風が吹いている。 でもそれとは逆に心の奥がじんわりと温まっていくような気がした。 「オレの事…何も知らないのに…?」 同情で近づいてこられるのも、興味本位で近づいてこられるのも、どっちもごめんだ。 でも、の真剣な瞳がそうじゃない、と訴えてる。 「だからもっと知りたいの…」 そしたら私はもっとマットを好きになるよ。 彼女の告白は、心の奥の、もっと深いところに沁み込んでいく。 気づけば、オレはを抱き寄せていた。 トクントクン、とやけに早い鼓動が聞こえる。 これはオレのものなのか、それとものものなのか。 他人の体がこんなにも温かいものだと、オレは初めて知った。 そして、自分でも気づかなかった、彼女への想いを。 「何でも聞けよ。になら…全てを話すから」 それだけ言うと、腕の中の彼女の体がピクリと動いた。 オレ達はあの場所で未来への切符を手に入れる為、この歳では教わらないような事を学んでる。 でもそれが何のためなのか、世界のためなのか、自分自身のためなのか、オレは未だに分からない。 それらはとても現実離れをしていて、きっと彼女に話したところで理解なんかされないかもしれないけれど。 でも今、この瞬間がオレにとっての現実で、この温もりを手にした時から、それはスタートしていた。 「オレも…のこと、何も知らないんだよな」 相手の事が知りたいと思った時から、それは始まってるんだ。 あの雨の日、木の下で、オレ達は、初めてのキスをした―― BACK
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