Nostalgie...あの想いは、遠い故郷の地に...[3]「くすぐったい…」 キスの余韻も消えないうちに、彼女の頬や耳朶、額といった全ての場所にキスを落としていくと、彼女は照れ臭そうに体を捩った。 が動くたびに、甘い香りが鼻をついて、欲求がオレの中でどんどん大きくなっていく。 「誰かに見られたらどうするの…?」 再びキスをしようと屈むと、頬を赤く染めた彼女が困ったように呟いた。 だけど、この大雨じゃ、こんな場所には誰も来るはずがなく、だだっ広い広場には、ただ雨の降る音だけしか聞こえない。 「誰も来ないよ。それに通りからだって見えない」 雨と木が、オレ達を上手く隠してくれる事を祈りながら、そっとにキスをした。 柔らかい感触が、唇から脳に伝達されると、心の奥から感じた事もないような感情が沸いてくる。 これが誰かを好きになる、という事なのか、自分でもよく分からないけれど、今、この瞬間、の事を愛しい、と思っているオレがいた。 「…寒い…?」 腕の中で、かすかに震えているに気づき、唇を離すと、彼女は小さく首を振った。 「…逆に熱いくらい」 「オレも」 少しだけ体を離すと、互いの体の熱を感じるくらいで、背中に回した手にも、その熱が伝わってくる。 オレだけじゃなく、の鼓動も早く打っているのが分かり、そんな事でさえ嬉しくなった。 「雨…止まないね」 ふとが空を見上げて呟く。 一緒になって空を見上げると、どんよりとした雲から、大粒の雨が休む事もなく落ちてきて、足元に水溜りを作っている。 「オレは遅くなっても平気だけど…は大丈夫か?」 「うん。お母さんは仕事に行ってるし…」 そう言ってから、は「私の家、母子家庭なの」と言った。 「え…?」 「お父さん、病気で私が子供の頃に死んじゃったから」 「…そう…だったんだ」 その話を聞き、少しだけ驚いた。 いつも笑顔だったし、てっきり普通の家庭で何不自由なく育ったんだろう、と思ってたから。 「寂しいか…?」 そう尋ねると、は僅かに俯き、小さく頷いた。 「でもお母さんがいるから平気。マットは?」 「…え?」 「寂しい?」 「…いや…寂しいとかは…ないよ。施設に戻れば…うるさいのが大勢いるから」 そう答えると、は楽しそうに笑って、「どんな人がいるの?」と訊いて来た。 改めて問われると、それはそれで考えてしまう。 「そうだなあ…まあ元気に外で遊ぶ奴もいれば、部屋にこもってパズルばっかしてるのもいるし、勉強ばっかして殆ど施設から出ないのもいる」 「ふーん…そうなんだ。仲のいい友達とかはいる?」 「ああ…まあ仲がいいっていうのか分からないけどな。施設にはオレが尊敬してる人が二人いるんだ」 「二人…?それは友達?」 「一人はオレと歳も近い友達。もう一人は…兄貴みたいな人」 「そうなんだ。どんな人?」 「歳の近い奴は、凄い努力家で、施設内で一番になろうと毎日勉強ばっかしてる。オレはよくからかったりもするんだけど、でもあの努力するとこは尊敬してるんだ」 「マットは努力家じゃないの?」 「オレ?オレは…まあ見ての通り、いい加減だからさ」 そう言って笑うと、もクスクス笑っている。 「兄貴みたいな人は…そうだなぁ、少し変わってるんだけど…でも凄く頭が良くて、彼には誰も敵わないんだ」 「へえ、そんなに凄い人なの?」 「ああ。皆、彼に追いつこうと頑張ってる。オレ達の憧れって言うか。ああ、今は仕事で日本に行ってるんだけどさ」 「日本…?すごーい。そんな遠い国にまで行っちゃうんだ。ちょっと会ってみたいかも」 「ああ。今度帰ってきたら紹介するよ。まあ…ホント変わってるし驚くだろうけど」 そう言いながら、Lの奇行を思い出し、笑いを噛み殺す。 今頃、彼は遠い異国の地で、殺人鬼と頭脳戦を繰り広げてる事だろう。 「じゃあマットも…そのお兄さんみたいな人を目標にしてるの?」 「うーん…目標っていうか…オレは敵わないって分かってるからさ。ただ憧れてるだけ。彼にはいつまでもトップでいて欲しいとは思ってる」 「そう…よほど好きなのね、その人の事」 「好きっつーか…まあ…見てて飽きない人ではあるな…」(!) そう言って苦笑すると、は笑いながら、「ますます会いたくなっちゃった」と言ってオレの腕にそっと自分の腕を絡めた。 その手は少しだけ冷えていて、オレはそっと、その小さな手を握り締める。 「今度、ホントに紹介するよ」 「うん…約束ね」 「ああ、約束」 彼女の額に自分の額をつけて、鼻先に口付けながら約束を交わす。 そして、もう一度、今度は彼女の赤い唇にキスを落とした。 守れると思ってたんだ。 こんな何気ない約束くらい――― それからオレ達は、雨が小降りになるまで、色々な話をした。 時折、キスを交わしながら。 「最近、よく抜け出すな。どこ行ってるんだ?」 次の日も雨で、オレはあの場所へ行こうか、どうか迷いながら外を眺めていると、メロが声をかけてきた。 「別に…近所ブラついてるだけだよ」 メロは鋭い。 オレのこんな嘘なんか見透かしてるように鼻で笑うと、「どーせナンパでもしてるんだろ」と肩を竦めて見せた。 「そんなんじゃねーよ」 そう答えたものの、前はメロの言うとおり、抜け出しては街に繰り出し、綺麗なお姉さんや可愛い女の子を引っ掛けてた。 それもこれも暇つぶしで、結局は飽きて、また一人になりたくなる。 そんな時、あの場所を見つけて行くようになった。 普通の家庭に育った奴らが、どんな事をして遊んでいるのか、どんな風に友達と過ごしているのか、少しだけ興味もあった。 結局のところ、あの広場で繰り広げられてるものは、オレがこの中で体験してるものと、大して違わない気もする。 「…今日も行くのか?」 冷やかすようにメロが隣に立ち、一緒に窓の外を眺める。 雨は更に強くなって、庭先の花を濡らしていた。 「いや…こんな雨じゃ出る気もしねーよ」 女に会いに行ってるとはバレたくなくて、オレはそれだけ言うと、「テレビゲームでもしよーぜ?」とメロを誘った。 だいたいメロがこんな風にオレに話しかけてくる時は、勉強にも疲れて、気晴らしをしたいという意思表示みたいなもんだ。 案の定、メロは「この前の対戦の続き、やろーぜ」と、話に乗って来た。 「OK。今度は負けねー」 そう言いながらメロの肩に腕を回し、二人でオレの部屋へと向かう。 一瞬、頭の中にの事が浮かんだけど、この雨なら、彼女もきっと来ていないだろう、と思っていた。 次の日、雨はすっかり止んで、二日ぶりの青い空が顔を覗かせていた。 それを見て、オレは朝からソワソワしつつ、午前中の勉強もサッサと終わらせ、ランチを取ったすぐ後に、施設を抜け出した。 「ふぁぁあ…」 あの場所に向かいながら、何度目かの欠伸をする。 夕べはメロと遅くまでゲームをしていたから、かなり寝不足だ。 あの後、決着がつかず、結局夕飯の後までゲーム対戦をするハメになったのだ。 (ったく…、メロの奴、ムキになりやがって…自分が勝ち越すと、アッサリ疲れたしやめようなんて言うんだから勝手な奴…) 夕べの事を思い出し、また欠伸が出る。 まあ、でもオレはメロほど勝ちに執着しないし、あれならあれでいいんだけどな。 その時、楽しければそれでいい。 そんな風に言えば、メロにバカにされるけど、でもオレはそれでホントに楽しいんだから仕方がない。 メロみたいに、常に他人(主にニア)の結果を気にしてたら、疲れてしょうがない。 アイツはそれで楽しいみたいだから、それならそれでいいけど。 「…お、やってる、やってる」 少し足を速めると、いつもの広場が見えてくる。 そこには数人の少年達が、今日もサッカーをしていて、明るい声が聞こえてきた。 「あれ…まだ来てないじゃん」 いつも座っているベンチを見ると、そこにの姿はない。 だいたいオレが行くと、の方が先に来てるのに。 (ま、いっか。そのうち来るだろ) ベンチまで歩いて行くと、いつものように腰をかけ、の家の方に目を向けた。 前に教えてもらった彼女の部屋の窓は、何故かカーテンが閉められていて、部屋にいるのかどうかも、ここからじゃ分からない。 「まさか、まだ寝てるってんじゃねーよな…」 苦笑気味に呟くと煙草を咥えて火をつける。 思い切り吸い込んで吐き出すと、白い煙は風に煽られ、すぐに形が歪んだ。 「あー気持ちいいな…」 そよそよと吹く風が心地よく髪を浚っていく。 ポカポカする陽気は、寝不足のオレには絶好の昼寝日和で、そのままベンチに横になると、目をゴーグルで覆った。 「このまま寝れそうだな…」 近くで聞こえてくる少年の声すら、今のオレには子守唄のように聞こえてくる。 もうすぐが来るんだからダメだ、と思いながらも、瞼がだんだん重くなっていくの感じ、オレはそのまま目を閉じた。 「早く来ないと…マジで寝るぞ…?」 再び欠伸をして、寝返りを打つと、持っていた煙草を消した。 その数秒後には、オレの意識も深い眠りについていた。 オレが目を覚ましたのは、それから何時間後の事だったか。 いきなり体を揺さぶられ、驚いた拍子に、オレはベンチから落下していた。 「…いてっ」 いきなりの衝撃に驚いたのと同時に、一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなった。 「ぃ…てぇ…って、あれ…?」 「あの…大丈夫?」 「…っ?」 地面に打った高等部を擦りながら、顔を上げると、そこには見知らぬ女性が不安げな顔でオレを見ていた。 慌てて辺りを見渡すと、そこはあの広場。 だが、スッカリ太陽も沈みかけていて、オレンジ色の夕日が辺りを染めている。 サッカーをやっていた少年達の姿も、すでになかった。 「あなた…マット…くんよね?」 「…え、あの…」 寝起きでボーっとしながらキョロキョロしていると、その女性がいきなりオレの名前を口にして、ギョっとした。 「そうだけど…おばさん誰…?」 そう言った瞬間、すぐに思い出した。 と最初に会った、あの日、オレは彼女を遠くからだけど見ている。 「もしかして…の…?」 「…ええ、の母です」 その女性はそう言うと、立ち上がったオレを真っ直ぐに見上げてきた。 「私と一緒に来て下さい」 「…は?来てって…どこに?」 いきなりの母親が来たかと思えば、いきなり一緒に来いと言われ、オレははっきり言って混乱していた。 本当ならが来るはずだった。 なのに、こんな時間になっても彼女は来ておらず、代わりに姿を見せたのが母親。 少し嫌な予感がして、オレはもう一度、「どこにですか?」と尋ねた。 「…この近くの病院です」 「…え…病院て……彼女に何か―!」 「いいから一緒に来て。あの子が会いたがってるの」 の母親は動揺しているオレの腕を掴むと、そのまま大通りの方へと歩いていく。 オレは何が何だか分からないまま、ただ言いようのない不安だけを抱え、彼女について行った。 「乗って」 通りに出ると、そこには一台の車が止まっていて、オレは言われるがまま、助手席へと乗り込んだ。 彼女もすぐに運転席へ乗り込むと、勢いよく車を発車させる。 チラリと視線を向けると、彼女は真剣な顔でハンドルを握っていた。 「あ、あの…は―」 「…あの子、何も話してないのね」 「…え?」 不意に口を開いた母親に、ドキっとして顔を上げると、彼女は深い溜息をついた。 「あなたの事は…聞いてたわ?最近、あの子ってば毎日、楽しそうにしてて…」 「……聞いてたって…」 「あの場所で…いつも会ってたんでしょう?」 「……」 「私は毎日出かけるあの子が心配だったけど、いつもより明るい顔をしてるを見てると、行くなとは言えなかった」 「…心配って…オレは別に…」 「あなたの事を言ってるんじゃないわ…」 の母親はそう言うと、小さく深呼吸をした。 「あの子は…病気なの」 その言葉が、どこか遠くから聞こえてくるようで、オレは何を言われてるのか、よく分からなかった。 「父親も同じ病気で亡くなって…今度はあの子まで…」 彼女はそう言って唇を噛み締めた。 そう言えば、が言ってたっけ… 父親は子供の頃、病気で死んだって… それ以来、母親が一人で育ててくれたって。 昨日の彼女の笑顔ばかりが頭に浮かぶ。 だけどは元気だっただろ? 昨日だって、よく笑って、色々な話をしてたじゃないか。 病気なんて…そんな事、いきなり言われたって信じられるわけないだろ…? 「あの…彼女は…」 「あなた…昨日、あの場所に行かなかったわね…」 「…え?」 「…あの子…あの子は言ったのよ?あの雨の中…あなたの事をずっと待ってた…」 「―――ッ」 その言葉を聞いて、オレは愕然とした。 まさか――まさか、そんな。 約束はしてなかった。 いつもそうだった。 それに雨の日は行かないってのが暗黙の了解になってたはずで、だから昨日だっては―― 「私は仕事でいなかったの…。前の日の夜から少し熱を出してたし、まさかあんな天気の日に行くなんて思わなくて…」 「オレは…約束してたわけじゃ…」 「でもあの子はあなたに会いたかったのよ…だから無理をして、あんな雨の中…」 「……っ」 「あの子、あのベンチの傍に倒れてたって…近所の人が見つけて病院に運んでくれたの…」 「…そんな…」 オレは…オレは昨日、何をしてた? 本当は…行こうと思ってた。 雨だったけど…でもに会いたくて… けどオレは…行くのをやめた。 なのには…オレに会いに…あの場所へ来てたんだ… 「クソ…!」 思い切り窓を殴ると、痺れた痛みが手に走る。 の母親は、そんなオレを見て、涙を浮かべていた。 「あの子の熱が下がらないの…このままだったら…体力がなくなって危険だって言われたわ…」 「……っ?」 「ホントは…あの子についていたい。でもが…あなたに会いたいって…言うから…」 「……が…?」 「今日はきっと…来てるって…あの場所に来てるはずだからって…。だから…迎えに来たのよ…」 彼女はそこで言葉を切ると、頬に零れた涙をそっと指で拭った。 オレはまだ、どこか信じられなくて、どうして知らない女性と、こんな話をしているんだろう、と漠然と思っていた。 BACK
【SICILY...管理人:HANAZO】
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